復活について
           旧約時代からイエスまで
「よみがえり」の神話
 先ず日本とヘレニズム世界の「よみがえり」について簡単に触れておきます。神あるいは神々のよみがえりの神話は古代から伝えられています。日本では、『古事記』の初めに天(あま)つ神の神世七代(かみよななよ)の最後に生まれたイザナキ(男神)とイザナミ(女神)とが、大八洲(おおやしま)を生みますが、火を生んだためにイザナミが黄泉(よみ)へ降ります。そこでイザナキがイザナミに会うために黄泉へ降るのですが、そこから命からがら地上へ逃げ帰ります。これが黄泉(よみ)から帰る「よみがえり」です。
 これは<死んだ後で>地上へ戻る話ではありませんが、「よみがえり」では、ギリシアにデーメーテールとペルセフォネーの神話があります。アテネからコリントスへ行く途中にエレフシスという町があり、そこに古くから伝わるエレウシス祭儀の遺跡があります。デーメーテールはギリシアに古くから伝わる豊穣の太母(たいも)の女神で、その娘がペルセフォネーです。黄泉の王ハーデースは、ペルセフォネーに恋して彼女を奪い黄泉に連れ去ります。デーメーテールは天から降り、巡り歩いて娘を捜(さが)し、このため地上では作物が実らなくなります。そこでゼウスのはからいで、年の半分だけペルセフォネーを黄泉のハーデースのもとに留め、他の半分はペルセフォネーを地上へ戻すよう決めたとあります。ペルセフォネー(別名コレー)は植物の種を象徴し、冬の間は種が黄泉で死んだ状態にあって、春になるとよみがえることを象徴する神話です。この神話は、ローマでは、ケレースとプロセルピナとディースの神話としてオウィディウス(前49~後19頃のローマの詩人)の『変身物語/メタモルフォーセース』(5巻340~570行)でも語られています(第一コリント15章42~44節を参照)。
 死からのよみがえりで有名なのは、ギリシア・ローマのクピードーとプシケーの神話です。この神話はアプレイウス(2世紀のローマの詩人)の『黄金のロバ』(6巻)に採録されています。人間の魂を象徴するプシケー(魂・命)がウェヌス女神の息子クピードー(愛)を慕い、二人の結婚の許しをウェヌスに求めますが、ウェヌスはプシケーに、黄泉の国へ降ってプロセルピナの美貌を持ち帰るよう命じます。プシケーは、プロセルピナから美貌の箱を受け取って地上へ戻る途中で、好奇心からその箱を開けると、死の眠りが彼女を襲い地上に戻れなくなります。ユーピテルはプシケーを哀れに思い、彼女を黄泉から生き返らせてクピードーと結ばせ、彼女は不滅の命を得ることになります。
 これらの神々のギリシア神話での名前(G)とローマ神話のラテン名(L)と英語名(発音)(E)と日本名(通称)(J)とをあげておきます。
(G)       (L)       (E)       (J)
デーメーテール   ケレース     シーリ-ズ      デメテル                            
ペルセフォネー   プローセルピナ   プロサーパイン   プロセルピナ
ハーデース     ディース     ディース       ハデス
アプロディーテー  ウェヌス     ヴィーナス      ヴィ(ビ)ーナス
エロース      クピードー    キューピッド     キューピッド(ト)
プシュケー     プシーケー    サイキ       プシケー
ゼウス       ユーピッテル   ジュピター     ジュピター
〔注〕ローマでは「クピードー」を「アモル」(愛)とも言います。
   ギリシア神話を指す時は日本語でも「ゼウス」です。
永遠の命
 上に述べた神話で、特にプシケーとクピードーの話は、人間の霊魂の永遠性を語っています。中国の秦の始皇帝が不老不死の薬草を求めた話にもあるように、「永遠の命」は、人類の普遍的な神話のテーマとして表われます。古代メソポタミアの『ギルガメシュの叙事詩』でも、ギルガメシュが永遠の命を与える薬草を求めてウト・ナピシュティームという賢者を訪れます。ギルガメシュは薬草を手に入れますが、蛇に奪われてしまいます。
 旧約聖書でも、「命の神」である主の御臨在に護られて「いついつまでも」生き続ける喜びが語られます(詩編16篇8~11節/同73篇22~27節)。しかし、ヘブライの思想では、古代ペルシアやヘレニズムのギリシア思想に見るような地上の時間を超越した絶対の「永遠性」は考えられていません〔John Collins. Daniel. Hermeneia. 394-95.〕。むしろ日本人の「幾久しく」「とこしえまでも」のように、地上の時間から見て「終わりがない」という意味が強いようです。「いついつまでも」は、特に王権に関連して用いられることが多く、この点でも「君が代は千代に八千代に」に通じるところがあります。人類普遍の「永遠の命」は、ユダヤ=キリスト教では、このように「主と共に何時までも」という信仰として受け継がれています。
ホセア書 
 ユダヤ教には、上に述べた「永遠の命」と同時に、もうひとつ「復活」という独特の信仰があり、これはユダヤ黙示思想の中から生まれた信仰だと言われています。四福音書を含む新約聖書の「復活」"resurrection"は、ギリシア・ローマを中心とするヘレニズムの植物や動物の「再生」"regeneration"、あるいは肉体に対比させた霊魂の「不滅」"immortality"とは異なっています。新約の復活観は、旧約聖書にさかのぼるユダヤ的な「復活/復興」思想に根ざしているからです。旧約聖書の復活にかかわる初期の預言として注目されるのがホセア6章1~3節です。
   二日の後、主は我々を生かし
   三日目に、立ち上がらせてくださる。
   我々は生きる。
         (ホセア6章2節)
 このホセア預言は、アッシリアの侵攻によって北王国イスラエルが滅びる前後の頃(前734年~32年)のもので、絶滅の危機に瀕した民が、自分たちの罪を悔いてヤハウェに救いを求めるところです。この6章1~3節は、続く4~6節と対応する構成になっています。4~6節は、1~3節の民の悔い改めと祈りをヤハウェが退けているように受け取ることができますから、1~3節の悔い改めの祈りのほうも偽りにすぎないという解釈があります〔新共同訳の見出し「偽りの悔い改め」はこの解釈による〕。しかし、ほんらい1~3節は、別個に独立した歌で、改悛を祭儀的に表わすものですから、ここには民の真正な想いが表われていて、この祈り自体は決して「偽り」の悔い改めをホセアが揶揄(やゆ)しているのではないでしょう。1~3節は4~6節と組み合わされることで、4~6節のヤハウェの裁きの厳しさと同時に、1~3節でヤハウェの慈愛の深さが裏に秘められていることをも悟らせようとするものです。「二日の後」と「三日目に」を辞義通りに受け取ることはできませんが、絶滅に瀕したイスラエル王国の民をヤハウェは忘れることなく、憐れみをもって再び「生かし/活かし」「立ち上がらせる」という預言です。「立ち上がる」(ヘブライ語「クゥム」)は、「復活」を表わす重要な動詞ですが、ここでは<瀕死の状態から生き返る>ことです。
エゼキエル書
 エゼキエル書37章1~14節で、預言者エゼキエルは、「枯れた骨」に向かって「主の言葉を聞け」と命令するよう主に言われます(4節)。「骨」は「力」を意味します。「力が枯れる」とは必ずしも「死」を意味しませんが、ヘブライの思想では「死」とは「命が弱まる」ことですから、「死ぬ」ことには「命がだんだん消えていく」その過程も含まれます。
 37章5節では、主なる神がこれらの骨に向かって「見よ、わたしはお前たちの中に霊を吹き込む。すると、お前たちは生きる」と告げます。「霊」とは、「息」あるいは「風」をも意味しますが、これは、主の言葉によって「不思議な出来事」が生起するという預言です。ここで生き返るのは「民」ですから集合的な「生き返り」にも見えますが、一人一人の人格的な存在も無視されてはいません(詩編139篇13~16節/ヨブ記10章9~12節を参照)。6節に「主であることを知る」とあるのは、ここで語る者が創造主であることが、預言者を通じて語られる言葉と、これによって生じる出来事において証しされることです。
 37章7~8節では、預言者が語ると、骨が組み合わされて骨格をつくり、筋と肉がこれを包んで人間の「かたち」ができます。しかし「彼らに霊はない」のです。次に再び語ると「霊が四方から吹いてきて」人の姿形に宿り、生き返ります。ここは明らかに創世記2章7節を反映していますから、ここで「新しい創造」が始まるのです。ただしこの創造は、創世記の初めての創造ではありません。エゼキエル37章12節にあるように、これに先立って民全体の「死」の現実があり、主は彼らの「墓を開く」ことによって生き返らせるのです。
 37章9節では、預言は「霊/風」に向けられます。「主の風/霊が四方から吹いてくる」とありますが、ここには、創世記2章7節だけでなく、創世記1章2節の「神の霊/風が深淵の上を吹いていた」が反映されていて、主なる神の「創造の働き」が語られています。しかもこの創造の働きは、神の「知恵」から出ているのです(詩編104篇24節/同30節)。
 37章10節でエゼキエルは、主に命じられるとおりに、霊に向かって預言します。すると「霊は彼らの中に入り、彼らは生き返って自分の足で立った」のです。「彼らは生きた」とありますから、ここで、37章5節の「見よ、わたしはお前たちの中に霊を吹き込む。すると、お前たちは生きる」が成就します。「足で起き上がった」は、9節の「これらの(刺し)殺された者」と対応していますから、「殺される/死ぬ」と「立ち上がる」こととが、はっきり対照されています。「立ち上がる」は「生き返る」ことです。谷は戦場を表わしており、「刺し殺される」とあるのは、枯れた骨がそこで殺された人たちのことでしょう。人間の力では不可能なこと、神による驚くべき奇跡が起こったのです。
 37章11節には、「我々は滅びる」〔新共同訳〕とあります。直訳すれば命の主から「切り離されてしまった」ことで、まさに死そのものを指す言い方です。ここでは、1~2節にあった「甚だしく枯れた骨の集積」と、8節の「だがそこに霊はなかった」とあるのを受けて、全くの「死に体」状態にあることが確認されます。すでに見てきたとおり、イスラエルの主なる神は「生ける神」であり、神は生命そのものですから、「主を知る」ことは「命に与る」ことにほかなりません。枯れた骨は「命の希望」を失っています。生ける神である主から「切り離されて」いるからです(37章11節)。「命の糸は切れた」とあるのは、生と死とを決する細い糸が切れたことで、生きる最後の希望さえも断ち切られたことです。捕囚体験が「死に体」であることがはっきりと確認できます。
 ヘブライの思想では、神が命そのものですから、この神から「離れる」状態が、それだけで、死に「近づく」ことを意味します。したがって、「死」と「生」との境界は、必ずしも明確でありません。「死の淵に沈む」この状態は、「希望の糸も切れて」敵の手にわたされることで、11節全体が、命と死との境界をさまようヘブライの死生観を言い表わしています。ここでは、捕囚体験からさらに一歩を進めて、「死」それ自体が示唆されているのです。
イザヤ書
 イザヤ書26章は、捕囚からエルサレムへ帰還する巡礼者たちが、ヤハウェに向かって歌う賛美で始まります(1~6節)。賛美は民の祈りに変わり、主ヤハウェへの祈りが語られます(7~18節)。19節前半でヤハウェの応答が告げられると、19節後半「目覚めよ」以下でヤハウェのお告げを受けた人たちの賛美の歌が来ます。
 

「あなたの死者たちは生きる。

 わたしの屍(しかばね)は起き上がる。」

「目覚めよ!喜び歌え。塵に伏す者たちよ。

  あなたの露こそ光の露。

  あなたはそれを死霊の地に注ぐ。」

           (イザヤ書26章19節)
 ここ19節は、「わたしの」か「彼らの」か、所有代名詞にまぎらわしいところがあり、さらに、動詞が命令形なのか祈願形なのか、未完了形なのかも問題にされています。
 19節の前半の2行は、ヤハウェによるイスラエルの民(集合的に単数)への約束です。「あなたの死者たちは生きる。/わたしの屍は立ち上がる」では、「生きる」と「立ち上がる」は、二つとも未完了形の動詞です。ヤハウェの約束は、「<あなた>の死者たち」とイスラエルの民に語りかけ、さらに、「<わたしの>屍」とヤハウェ自身が、イスラエルの死者たちを「自分の者たち」と呼んでいます。現行のヘブライ語原典に従えば、主語が「神/主」ですから、「わたしの屍」とは、神のために死んだ義人たちの死体のことです。「わたしの(屍)」とあるのは、ここでの死者たちが、イスラエルの民に属するだけでなく、同時に「ヤハウェのもの」でもあることが告げられているのです(ここを「彼らの屍(複数)」と読む英訳[NRSV]もあります)。
 「わたしの屍(単数)」という言い方は奇異に響きますが、命の主であるヤハウェが、主のために犠牲となって陰府に降った者(たち)を「わたしの屍/死者」と呼ぶことで、死者(たち)を「自分のもの」として宣言したことになります。命そのものであるヤハウェに属する「屍」とは、「命にある屍」という一種の形容矛盾ですから、すでにこの一句に「生き返り」の思想がこめられています。ここでは、命の神との交わりにおいて苦難を生き延びることと、「わたしの屍」のように、神との交わりにありながら陰府に降ったこととが、「生けるヤハウェの命」に与るという同じひとつの「命」で結ばれています。「生き残る」者と「生き返る」者とが、このようにしてひとつになるのです。
 ただし「わたしの」を「彼らの」と読む異読もあります。だとすれば「あなたの死者たちは生き、<彼らの>屍(複数)は起き上がる」〔中澤訳〕〔REB〕という読みになりますから、「あなた」はイスラエルの民への呼びかけで、「彼らの(死体)」とは、<イスラエル民の中の>死者たち(の死体)を指すことになります。
 どちらの読み方を採るにせよ、ここはイザヤ書25章7~8節を受けていて、そこではまだ明確にされなかったこと、すなわち「死からの生き返り」が、ここ26章19節ではっきりと告げられるのです。ここの「生き返り」の宣言は、イザヤ書26章14節の「死者が再び生きることはなく、死霊が再び立ち上がることはない」とあるのに矛盾するという指摘もありますが、そこは、暴虐を行なう支配者たちに向けられた断罪の宣告であって、ここ19節は、このような支配者の犠牲となったイスラエルの民の死者たちへの言葉です。だからこの19節は、神の義人たちの「立ち上がり」が、初めて「生き返り/復活」を意味する言葉としてでてくる重要なところです。ここでは「正義」と「暴虐」という二つの価値観が鋭く対立しています。捕囚以後、紀元前5世紀以降の黙示思想は、イザヤ書のここによみがえり/復活の根拠を見出しました。ここでは「死者のよみがえり」が語られている、というのがおおかたの解釈です。
 19節後半の「目覚めよ!喜び歌え。塵に伏す者たちよ」は主からの応答に対する民あるいはイザヤ宗団からのヤハウェに対する賛美です。ヤハウェからのお言葉に応えて、民は「目覚めよ!喜び歌え。塵に伏す者たちよ」と死者たちに呼びかけます。「目覚めよ」は、直訳すれば「(彼らを)目覚めさせよ!」です。「塵に伏す」とは、死んだ状態にあることです "sleep in the death"〔REB〕。ここでは、「塵に伏す者たち」という独特の表現が、死から命へ向かうという通常では考えられない方向を指していますから〔TDOT(12)602〕、この意味でここは、ダニエル書12章2節と結びついてきます〔Nickelsburg. Resurrection, Immortality and Eternal Life. 32〕。
 19~20節は、ひとつのまとまりとして解釈されていて、「神の約束としての死者のよみがえりという驚くべき考え方」がここで語られているのです〔Kaiser. Isaiah 13-39. 216〕。テキストの読み方に問題があるものの、ここに「身体的な」よみがえり思想の最初のきざしを認めることができますから、ここを実質的な死者のよみがえりに言及した最初期の例の一つと見ることができましょう〔Anchor(1)685〕。
 ただしここの「生き返り」は、神の義人たちに限られるという条件が付きます。したがって、これは特殊なイザヤ宗団内部だけの信仰であり、一般化されるものではないという見方もあります。これに対して、25章8節では、本来的には全般的なよみがえり/生き返りが予期されていて、ここ26章19節に人類全体のよみがえりが「垣間見られる」という見方もできましょう。
 19節の終わりは「あなたの露〔複数〕こそ光りの露。あなたはそれを死霊の地に降らせられます」〔新共同訳〕です。イスラエルでは、「露」も「光」も命の表象として用いられますから、「光の露」は、「命の光」のことで、ヤハウェから注がれる命そのものを指す象徴的な言い方でしょう。
 「あなたはそれ()を死霊の地に降らせる/注ぐ」とあるところは難解です。原文をそのまま直訳すれば、「光の露はあなたの露/あなたの露は光の露。地は死者たちを落とす/死霊の地を落とす」です。ここは、26章14節の前半「死者たちは生きることがない。死霊どもが立ち上がることがない」とその内容・語句ともに対応しています。14節の「死霊たち」とは、死んで陰府に降った亡霊あるいは死霊のことで、彼らは陰府で朽ち果てるのを待っています(イザヤ14章9節/詩編88篇11節を参照)。だから、「死霊の地」とは陰府の地/国のことです。横暴な王たち、暴虐を行なった支配者たちは、陰府に落とされて再び「立ち上がる」ことがないのです。
 しかし19節は、14節とこのような<対応>関係にあるのではなく、むしろ14節とは<対照的な>関係にあると理解することができます。19節全体が14節と「対照」されていますから、19節で言う亡霊/死霊たちとは、死んだイスラエルの民のことだと解釈することができます。だから「地は死霊たちに(光の露を)降らせる」となります。大地はイスラエルの死者たちを生き返らせるのです〔NRSV〕〔REB〕。新共同訳は、内容的に見れば「地が露を降らせる」よりも「主が天から露を降らせる」ほうが自然だと考えたのでしょう。
 このように26章19節が、イスラエルの回復と蘇生を語っているのは確かですが、問題はその「生き返り」が意味していることです。イスラエルの民に帰還と回復が与えられたので、「死霊のようになった捕囚の民に、主が再び光りの露を与えてくださる」という解釈は、すこぶる合理的で分かりやすい比喩的な解釈です〔新共同訳『旧約聖書注解』(Ⅱ)「イザヤ書」302~06頁〕。
 しかし、先に指摘したように、イザヤ書26章19節は、ホセア書6章1~3節やエゼキエル書37章10~14節と通じています。ここでは、死んで陰府に降った世の支配者たちとイスラエルの民とを比較対照させていますから、「あなたの死者は命を得る」とあるのは、単なる比喩以上に現実の死と身体的な生き返りに近づいていると見ることができます。民は、彼らの圧制者たちが陰府に降ったことだけでは、義人たちの死が報われたとは考えないのです。
 この点で、さらに注目したいことがあります。それは、この19節をイザヤ53章7~12節へとつなぐ解釈です。26章19節で復活が祈り求められている人とは、「わたしの民の背きゆえに、彼は、神の手にかかり命ある者の地から断たれた」(53章8節)とある人のことです。それは、「多くの人の過ちを担い、背いた者のために執り成しをしたのはこの人であった」(同12節)からです。イザヤ書53章7~12節は「主の苦難の僕(単数)」について語っていることでよく知られています。死にいたるまで主に従うことで犠牲になることは、主の御前において、贖いと癒しの力となって民に働きかけます。だから、文字通りの身体的な復活ではないとしても、「陰府の亡霊」とされた主の僕が、主から降る命の露によって再び地上に戻ることが、単なる比喩の範疇を超えて、具体的かつ実際的に身体の復活と同じ意味で「霊体として民の間に生き返って戻る」と信じられたとしても不思議ではないでしょう〔Watts. Isaiah 1-33."Excursus: Yahweh and Death."Word Biblical Commentary.〕。だからこれは「受難の僕」の復活へつながる思想なのです。
 以上のイザヤ書26章19節をまとめると次のようになりましょう。
(1)ここでも、ホセア書と同様に主にある民全体の生命の回復が語られています。
(2)しかし、その回復の段階は、ホセア書の場合よりもさらに歴史的な出来事としての身体的な死とそこからの生き返りへ近づいています。
(3)身体的な「死」に近づく解釈については、〔A〕単なる比喩説、〔B〕イザヤ書53章に見る義人による「犠牲と贖いの死」と彼が生き返って霊的に臨在すること、〔C〕特別な宗団内において祈り期待された「義人たち」の身体的な生き返り/復活、などの諸説があります。
(4)ここでの「死」と「生き返り」は、ダニエル書12章2節の「死と生き返り」と密接に関係してきます。
(5)ここで語られる死は自然の死ではなくて、歴史的な惨事が引き起こした死のことです。
 だからそれは、暴虐によって引き起こされた「時ならぬ死」です。このような死は、人間の<罪がもたらす死>であり、それゆえに、これに報いる「命」とは、単なる身体的な生命の営みを指すだけではありません。ここでは、「死」と「命」は、通常の自然の生命と死の意味ではなく、歴史的な意味で、言い換えると、「正義」「暴虐」「善悪」の<価値観>を含んでいると考えなければならないからです。すなわち病気で死ぬとか、単に身体的な生命が維持されることとは違った意味を帯びています。だからこれは、「神と共にある」ことによって初めて達成される「命」です。このような「命」は、逆に、暴虐の者たちが神と共にある命から「断たれる」ことで被る「死」の罰と均衡します。したがって、ここで言う「生き返る」は、身体的な蘇生以上の宗教的な意義、「霊的」とでも言うべき価値観と不可分であり、「神の霊によって生かされる命」という認識/信仰がそこに働いていると観なければならないのです。
 なお、第二イザヤ書の「主の僕」は、ダビデ王の属性をも帯びています。彼は、卑しい者たちに公正を行なう者であり(イザヤ書42章1~4節/同11章2~4節)、神に選ばれた僕であり(イザヤ書42章1節/詩編89篇3節)、王たちの前で高く上げられるのです(同52章13~15節)。
ダニエル書
 ダニエル書の内容は、「ユダの王ヨヤキムが即位して3年目」(前606年)から語り始めて、「ペルシア王キュロスの治世第3年」(前536年)までです。だから、ほぼバビロンの捕囚が始まってから、ユダ部族を中心とするイスラエルがエルサレムへ帰還するまでのことになります。ところが、ダニエル書で語られている物語は、実は作者が念頭に置いている<実際の出来事>と大きく異なるのです。作者は、自分が実際に体験している歴史的な事実をそれよりも以前に起こったバビロン捕囚の出来事へと「移し換えて」語っているからです。言い換えると、自分が現在体験し伝えようとしている歴史的な事実を、そのままではなく、過去の人物や出来事へ投影させて語る手法です。
 ヘブライの伝統的な手法では、出来事の解釈が、このように語られる<過去>の出来事を語る作者の<現在>と結びつけ、しかもそこから、作者の<未来>をも読み取ろうとするのです。とりわけダニエル書ではこの手法が顕著です。だから、作者が現在置かれている出来事が、過去に「投影されて」、あたかも過去の出来事であるかのように語られます。このため、語られている内容と語る作者の時代とを対応させて読む必要があります。
 ダニエル書の内容を作者の時代の出来事に当てはめますと、アレクサンドロス大王に始まるギリシア系の王朝アンティオコス4世が、エルサレムを襲った紀元前169年頃になります。アンティオコス4世は約2年後に再度エルサレムを襲い(前167年)、ユダヤ教への全面的な迫害を開始しました。この期間が約3年半あまり続いた後で、エルサレムが解放されて、神殿が浄化されました(前164)。したがって、ダニエル書が語る物語の背景となっている歴史的な出来事は、アンティオコス4世の2度目のエルサレム侵攻から神殿が再び回復されるまでの期間(前167年~164年)のことになります。
 この時期のことは、新共同訳続編の第一マカバイ記と第二マカバイ記に記されていますから「マカバイ時代」とも呼ばれます。この時期、迫害のために、「ハシディーム」(信心深い)と呼ばれる人たちから多くの殉教者が出ました。これらの殉教がユダヤ教の復活信仰に大きな影響を与えたと考えられます。世界にはよみがえりの思想が広く存在しています。しかしユダヤ教の復活信仰は、特に「敬虔な者たち」のよみがえりと結びついているところに特徴があります。また、人をこのように「正しい道」へと導く神からの「賢者」(ダニエル12章3節)が大事な役目を果たしていることも見逃せません。このような「知恵」は、ヤハウィスト的な伝統から生じたと言えましょう。神は生ける者と死せる者とを支配する方だからです(サムエル記上2章6節/申命記32章39節/イザヤ25章8節)。
 ダニエル書で直接復活にかかわる箇所として注目されているのが12章2節ですが、これに先立つ12章1節の前半は次のようです。
 
その時大天使長ミカエルが立つ。
彼はお前の民の子らを守護する。
 ここに描かれているのは、過去のことでも作者の現在の状態でもなく、過去と現在から未来を見通した終末的な状況です。ミカエルはイスラエルの守護天使ですが、ここで「守護する」(原語は「上に立つ」)とあるのは、「率いる/指導する(者)」(ダニエル11章35節)と「守護する/守る(者)」のどちらの意味にもなります。ここでは、天使を率いる長としてよりも、むしろイスラエルの民の守護者のほうに重点が置かれていて、ペルシアの天使長とギリシアの天使長とに対抗して、イスラエルを「護る者」の働きをします。
 天使が「立つ」(原語「アーマド」)は、法廷用語としても用いられて、ゼカリヤ書3章1節では、主の裁きの場において、主の御使いである天使の前に大祭司ヨシュアが「立ち」、その右には、ヨシュアを告訴するサタンが「立って」います。このようにユダヤ文学では天使が法を司ることになります。ゼカリヤ書1章12節では、ヤハウェの天使が、イスラエルのために主に向かって弁護の執り成しを行ないます。ダニエル書以後のユダヤ教では、このように天使が義人の告訴と弁護/擁護を司る法的な機能をはたします。ただし、法的な機能と軍事的な機能とが、それほど明確に区別されているわけではありません。例えば、ミカエルは、後のヨハネ黙示録の段階においても、サタンに戦いを挑んでいます(ヨハネ黙示録12章7節)。
 ダニエル書12章11節後半にはこうあります。
 
  その時まで苦難が続く。
  国が始まって以来、かつてなかったほどの苦難が。
  しかし、その時救われるであろう。
  お前の民、あの書に記されたひとびとは。
 
 「苦難」とは、アンティオコス4世のユダヤへの侵入と迫害のことです。ここには、ユダ王国への新バビロニアによる侵略とその結果としての捕囚の体験が反映しています(エレミヤ書30章7節)。苦難にもかかわらず、主の民は「その時救われます」。ただし、ダニエル書では、民の全部が救われるのではありません。「あの書/本に」名前が記されている人々だけです。その書は「裁きの書」であり(7章10節)、「真理の書」です(10章21節)。しかも、救われる人たちは死んだ義人だけでなく、現在生きている義人たちもこれに含まれます。この「裁きの書」が、ヨハネ黙示録の「(永遠の)命の書」(3章5節他)へつながることになります。12章2節に入ります。
 
  多くの者が地の塵の中の眠りから目覚める。
  ある者は永遠の生命に入り
  ある者は永久に続く恥と憎悪の的となる。
  目覚めた人々は大空の光のように輝き
  多くの者の救いとなった人々は
     とこしえに星と輝く。
      (ダニエル12章2節)
 先に述べたホセア書やエゼキエル書やイザヤ書からの引用では、復活用語が必ずしも明確ではなく、民の復興あるいは国土の回復を指す比喩的な解釈を採る説もあります。しかし、ダニエル書12章のこの箇所については、「死からの個人的な復活」が現実に起こり「永遠の命」を受け継ぐことが明記されているという解釈で一致しています。したがって、旧約聖書では、ここが新約聖書の「復活」を預言する唯一の確かな箇所と見なされています〔Collins. Daniel. 391-92.〕。
 「地の塵」とある「塵」は、死者の住まう「陰府」(よみ)を表わし(ヨブ記17章16節)、この「塵」は、先に引用したイザヤ書26章19節の「<塵>の中に住ます者」を反映しています。イザヤ書26章19節のほうは、字義どおりに「復活する」のか、それとも民が「復興する」ことを比喩的に言い表わしているのか、この点で疑問の余地が残されていますが、ダニエル書のこの箇所は、はっきりと「個人の復活」を表わしています。「地」(アダーマー)のほうも、ここでは同様に「陰府の<地>」を指すのでしょう(陰府の「地」には「エレッツ」が用いられるのが普通ですが)。また、「眠りから目覚める/目覚めない」も「死からよみがえる/よみがえることがない」ことを表わしています(エレミヤ書51章57節/ヨブ記14章12節)。
 ただし、「よみがえり/復活」がどのような姿で起こるのかは、ここで語られていませんが、後述する第二マカバイ記7章の殉教物語では、復活の様態を示唆する言葉が記されていて(同7章23節)、それは、パウロの復活観にも反映しています(第一コリント15章35~44節)。また、「よみがえり/復活」がこの地上で起こるのかどうか、その場所についての記述もありません(これは後述する『第一エノク書』にでてきます)。
 「ある者は~ある者は~」とあるところから、ここで言う復活が、人間全体にあてはまるものではなく、義人/信仰者に限られることを意味します。「永遠の命」は、旧約聖書でここだけにでてくる言葉です。先にヘブライの「永久」でも述べたように、ここで言う「永遠」が、どのような意味かを明確に読み取ることはできません。おそらくダニエル書の「永遠」も、超越的な絶対性を持つものではなく「(時の)終わりがない」という意味でしょう〔Collins. Daniel. 392.〕。ただし、「大空の光のように輝く」には、ヘレニズムの天文/占星術の「不滅の星星」の世界が反映しています。
 「憎悪/忌避の的」(デーラーオーン)は、イザヤ書66章24節を反映していて「新天新地」が創造される時に、主に背いた者たちは死へ赴いて、「そこでは蛆が絶えず、彼らを焼く火は消えることがない」のです。したがって、ダニエル書には、罪人もまた「死から裁きへよみがえる」という思想はありません。
『第一エノク書』
〔見張りの天使の書〕
 『第一エノク書』(『エチオピア語エノク書』)は、幾世紀にもわたって形成された諸文書から成り立っています。中でもよく知られているのに「見張りの天使の書」(『第一エノク書』1~36章)があります。これはノアの洪水に先立って天から堕落した堕天使の伝承を扱った書です(創世記6章4~6節)。これの成立は前200年~150年と考えられますから、ダニエル書よりもやや先になります。
 『第一エノク書』の「見張りの天使の書」で、知恵の人エノクの第二の旅が始まると、彼は、ウリエル(タルタロスを見張る)とラファエル(人間の魂を見守る)とラグエル(世界と天体に復しゅうする)とミカエル(選民たちを護る)とサラカエル(罪に誘う人間の魂を見張る)とガブリエル(蛇とエデンの園を見張る)の6人の天使たちを見ます。
 エノクは燃えさかる炎と大きな火の柱を見ます。そこは堕落天使たちが永遠に留め置かれる場所です。さらに行くと、高い山とその回りに四つの窪地があります(『第一エノク書』22章)。そこは、全人類の死者たちの霊魂が集められて、世界の終わりに裁きを受けるまで留まる場所です。するとエノクは、「死んだ人たちの霊魂の訴え/叫び」を聞きます。それはカインによって殺されたアベル(すなわち殉教者たち)の叫びであり訴えです。
 四つに区切られた場所では、死者たちの霊魂が、選り分けられてそれぞれの場所に住んでいます。その中の三つには、「罪人たちの霊魂」が分けられています。彼らは、地上にいた間に罪への厳しい裁きを受けた人たちの霊魂と、逆にそのような裁きを地上で免れた者たちの霊魂とに分けられています(22章9節)。一方、彼らは地上の肉体的な存在に具わる性質を保持していて、彼らには永遠の呪いと苦しみが待っています。「裁きの日に殺されることもなく、ここから連れ出してもらえない」霊魂たちもいますが、最後の裁きには、そこから移されて、永遠の責め苦に出遭う霊魂たちもいます〔Nickelsburg, 1 Enoch(1). Hermeneia. 306 〕。
 四つの中の一つには「輝く泉」があって、そこに義人たちの霊魂が住んでいます(同9節)。ここで「復活」がでてきますが、ここで言う復活とは、再び地上に戻ることを意味しています。27章でエノクは、駆けめぐる火と、火の山を見、美しい七つの山を見ます。真ん中の山は、主の御座にも似た高い山で、薫り高い木に囲まれています。「すべてのことについて知りたい」エノクは、その場所に、裁きと復しゅうの時に選ばれた者に与えられる命の木の実を見ます。それらの実は、艱難がなく先祖たちのように長生できるようにと永遠の王が創られた木です。祝福の土地があり、そのまわりに呪いの谷が見えます。そこに裁きの木があり、またサリラとかカルバネンとか呼ばれる水があります(ギリシア神話の神々の飲み物ネクタルに似ている)。また義人の園と知恵の木を見ます(これはかつてアダムとエヴァが食らい、知恵を知り、目が開いて裸であることを知った木)。
 『第一エノク書』のこの箇所では、<全人類>の死者の霊魂が集められていることが注目されます。終わりの時に、人は例外なく、何らかの裁きを受けるのです。また、ここに見る「義人たちの復活」は、再び地上によみがえって、「先祖たちのように」長生きするのが特徴です。救われる者と滅びる者の違いは、ルカ19章16節以下で語られるアブラハムの懐に抱かれたラザロと「黄泉」に落とされた金持ちを思わせます。ただし、「義人たちの骨は地中に休らい、彼らの霊は深い喜びを味わう」(『ヨベル書』23章31節)とあるように、霊魂と肉体とが分離する場合もありますから、一様ではありません。後のほうの霊魂の運命には、ギリシアのピタゴラス派やオルペウス教の流れを受け継いだプラトン的な思想の影響を見ることができましょう〔Nickelsburg, 1 Enoch(1). Hermeneia. 307 〕。
〔たとえの書〕
 以下にあげる訳は、『第一エノク書』の「たとえの書」(37~71章)の第一のたとえ(38~44章)の39章4~8節です〔Nickelsburg. 1 Enoch (2). 111.〕。
 
4 するとそこにわたしは(もう一つの幻で)聖なる者たちの住まいと
   義人たちの安息の場を見た。
5 わたしの目はそこに、義人たちの住まいと共にいる義の天使たちと
   聖なる者たちの安息の場と共にいる聖なる天使たちとを見た。
 そこで彼ら(義人たちと聖なる者たち)は訴えと執り成しをして
   人の子たちのために祈っていた。
 そこでは義が、彼らの前を水のように流れていて
   憐れみは大地を潤す露のようであった。
   彼らの間には、何時までも何時までもこの状態があった。
 
6 するとわたしの目はそこに義と信実の選ばれたお方を見た。
   彼の日々には義が続き
   義であり選ばれた者たちが何時何時までも彼の前にいるだろう。
7 するとわたしは、諸霊の主の翼の下に彼の住まいを見た。
  すべての義であり選ばれた者たちは、彼の前に炎のように輝いた。
 そこでは彼らの口は祝福で満たされ
   彼らの唇は諸霊の主の御名を讃えた。
 そこでは義が絶えることなく御前にあり
   真理が御前に絶えることがなかった。
8 そこにわたしも住みたいと願い
   わたしの霊はその住まいを慕った。
 そこにわたしの嗣業が前もって備えられていた。
   このように諸霊の主の御前でわたしについて定められていたからである。
  (『第一エノク書』39章4~8節)
  〔Nickelsburg. 1 Enoch (2)より私訳〕
 ここでは天に昇ったエノクが見た幻が、並行する行で語られています。4~5節は「義人たちと聖なる者たちの住まい」で、6~8節は「義であり選ばれた者たちの住まい」です。4~5節では、「義人たち」と「聖なる者たち」には、それぞれに対応して義の天使たちと聖なる天使たちが共に住んでいます。6~8節では、「義であり聖なる者たち」が、「義と聖なるお方」と共に住んでいます。義であり選ばれた者たちは、死んだ者たちですが、先にあげた死者たちの山(22章)にはいません。彼らはすでに天使たちと共に天での交わりを得ているのです。だから、「たとえの書」では、彼らの昇天がすでに実現していることになります。ここにでてくる「住まい」は、人と天使と選ばれたお方、それに「知恵」が共に住まう天的な場所なのです。
 5節に「彼らは訴えと執り成しをしている」とある「彼ら」とは、おそらく天使たちでしょう。『第一エノク書』は、原典のアラム語からギリシア語へ訳され、ギリシア語訳からさらにエチオピア語への二重訳なのでNickelsburg. 1 Enoch (2).13〕、人称のの判別が難しい場合があります。人間に公正をもたらすのは義と憐れみですが、義人を迫害した王たちや権力者たちには憐れみは与えられません(38章6節)。「義が、彼らの前を水のように流れる」とある「彼ら」は「義人たち」と「聖なる者たち」のことで、彼らは「人の子たち」(複数)のために執り成しています。この「義の流れ」は、48章1節では「義の泉」としてでてきます。48章のこの泉も「義人たちと聖なる者たち」の住まう所にあって、その泉は「知恵に囲まれて」いて、これから飲むものは知恵に満たされるのです。興味深いのは、この場所で「人の子」(単数)が、諸霊の主からその称号を賜わることです。
 6~8節では、エノクは選ばれたお方(単数)の住まいへ移行します。彼の前には義にして選ばれた者たちの賛美の合唱が流れています。「義と信実の選ばれたお方」という称号で、「信実」が加わるのは「たとえの書」独特です。
 「たとえの書」(前40年~後50年頃)には、「選ばれたお方」「義なるお方」「人の子」「油注がれたお方」が主役として登場します。「選ばれたお方」は、イザヤ書の「主の僕」から出た称号で、これは「たとえの書」で合わせて16回でてきます。これが、第二イザヤ書の「主の僕」から来ているのは明らかです(『第一エノク書』49章3~4節はイザヤ書42章1節を言い換えたもの)。「義なる方」も主の僕に与えられる名称です(イザヤ書53章11節)。「人の子」はダニエル書7章の「日々の頭/日の老いたる者」("Head of Days")と関連する終末的な救い主の称号です。
 なお「油注がれた方」も「たとえの書」に2回でてきます(48章10節/52章4節)。これはダビデ的メシアの称号です(詩編2篇/イザヤ書11章)。また、「諸霊の主」と「地の王たち」(48章8節)などもでてきます。「諸霊の主」には、イザヤ書11章1~5節のメシア預言が反映していて、これはダビデ的な王権思想を受け継いでいます。また、「油注がれたお方」と「地の王たち」は詩編2篇2節を反映しています(使徒言行録4章25節参照)。このように見ると、これら様々な称号は、イスラエルの宗教思想の幾つかがここで結合していることを示すものです。これは「たとえの書」が、その思想を第二イザヤ書や詩編2篇やダニエル書から受け継いでいるからです〔Nickelsburg.1Enoch(2). 116-118.〕。先に指摘したように、第二イザヤの「主の僕」は、ダビデ王の属性をも帯びていて、卑しい者たちに公正を行なう者であり、神に選ばれた僕であり、王たちの前で高く上げられるのです。
 「たとえの書」では「先在の知恵」(箴言8章22~31節参照)が登場し、また「たとえの書」42章1節では、「知恵」は地への降下と天への上昇のどちらにも表われます。「知恵」は、「選ばれた方」とも「人の子」とも同一視されません。ただし、「知恵」は「人の子」と関連づけられます(48章6~7節)。そこでは、諸霊の主の「知恵」によって隠されていた「人の子」が聖であり義である者たちに啓示されます。また、49章1~2節では「知恵」が「選ばれたお方」と結びついて、終末の裁きを行ないます。このように「知恵」はこの書の主役ではありませんが、主役は「知恵」の特徴を帯びていると言えます〔Nickelsburg. 1 Enoch (2). 118.〕。
〔最後の裁き〕
 義であり選ばれた方による終末の裁きで、王たち権力者たちが断罪されて、選ばれた義人たちの「身の証(あかし)」が立証されます。これが「たとえの書」の中心的な主題です。この主題は、以下のような過程を経て展開されます。
(1)義なる方が義人たちの集まりに顕現する(38章1~2節)。
(2)この方の顕現が王たち権力者たちと地を支配する者たちをかき消す(同1~6節)。
(3)選ばれた義なる方が義人たちと選ばれた者たちを従えて諸霊の主のみ座に就く(40章5節)。
(4)選ばれた方が、選ばれた者たちと共に、新たに創造された世界で王座に就く(45章3~4節)。
(5)義である人の子が顕われて、隠されたことを啓示し、王や権力者たちを倒す(46章4~8節)。
(6)それまで敵から隠されていた方の幾つかの名前、「人の子」「油注がれた方」「選ばれた方」がここで啓示される。この方の「身の証」が立てられ、隠されていたことが明るみに出され、地の王たちが裁かれる(『第一エノク書』49章3~4節)。ここで、ダビデ的王権思想とダニエル書の伝承が融合する(48章8~10節/49章3節)(詩編2篇/イザヤ書11章)。
(7)選ばれた方が裁きの座に就き、彼を迫害した王や権力者だけでなく、死からよみがえった善悪様々な人類を裁く(『第一エノク書』51章)。また彼は、選ばれた者たちの会衆を顕現させる(53章6節)。
(8)この裁きは復活に結びつく(61章3~5節)。
 ここには、イザヤ書13~14章と第二イザヤの苦難の僕像(同52~53章)とが融合されていて、王たちを裁く天の審判者が顕われ、彼によって、迫害された者たちの身の証が立てられます。彼ら(義人たちと選ばれた者たち)には、地上の王たちの目からは隠されていた人の子がすでに顕わされていたのです。ここには、ダビデ王、主の僕、天の知恵、ダニエル書の人の子などの諸像が統合されているのが分かります〔Nickelsburg, 1 Enoch(2). 120. 〕。
 このように見てくると、『第一エノク書』の「たとえの書」は、この時期でのイスラエルの信仰のつづれ織り(タペストリ)のようです。そこに描かれているのは、選ばれた義なるお方と共に選ばれた義人たちが地から天に上げられ(『第一エノク書』62章15~16節)、一方地上で権力を振るった王たちが恥と裁きに震えおののく姿です(知恵の書1章1~10節。ただし同6~7節は、新共同訳とNRSVとでは異なります)。天の知恵が栄光の御座にあって諸霊の主とともに地上の人間の想いを明るみに出します。また、地上の王たちや支配者たちの思いが裁かれます(知恵の書6章参照)。その結果、義人たちには救いが、彼らを迫害した敵には裁きが降ることになります(知恵の書18章)。
第二マカバイ記
 アレクサンドリアのクレメンスは、2世紀末に、第一マカバイ記と第二マカバイ記とを初めてキリスト教世界に紹介しました。これらの写本はギリシア語で書かれていて、5世紀のアレクサンドリア写本が最古のものです。第二マカバイ記は、紀元前2世紀のユダヤが、ギリシア系のセレウコス朝の支配下に置かれていた頃の出来事を記したものです(年代はすべて紀元前)。
〔著者と摘要編集者〕
 第二マカバイ記には、「キレネ人ヤソンが5巻の著作にして記した」とあります(2章19節)。このヤソンは、おそらくキレネ生まれのユダヤ人で、アレクサンドリアで修辞学を学び、自らもマカバイ戦争に参加したか、あるいは参加した人たちの証言を集め、さらにセレウコス朝側の資料をも集めて、5巻の歴史書としてアレクサンドリアでこれを著わしました。その執筆の年代は160~124年の間だと推定されます〔『聖書外典偽典』()旧約外典(1)「第二マカバイ記概説」(土岐健治)151頁〕。
 ただし、現在残されている第二マカバイ記は、著者ヤソンによるものではなく、ヤソンが記した歴史書を縮めて要約した人物によるもので、彼は「摘要編集者/要約者」と呼ばれています(2章23~24節/15章38節)。この摘要編集者による第二マカバイ記の執筆時期は、124年だと考えられます〔新共同訳『旧約聖書注解』(Ⅲ)「第二マカバイ記」(小河陽)264頁〕。第二マカバイ記には、198年頃から160年までのほぼ40年間にわたる出来事が語られています。この書は新共同訳の続編に収められていますので、以下では、第二マカバイ記3章~10章8節までの概要だけを簡単に紹介します。
〔物語の概要〕
 物語は、ユダヤの大祭司オニア3世(在位198~170年)の頃から始まります。オニアの弟ヤソンが大祭司になったころ(175年)アンティオコス4世エピファネス(在位175~164年)が即位します。大祭司ヤソンは、新王に取り入ってエルサレムを中心に急激なヘレニズム化を推し進めました。ところがユダヤのメネラオスが、王にうまく取り入って、ヤソンから大祭司職を奪い取り(172年)、その上でメネラオスは、先の大祭司オニアを殺害させました。大祭司メネラオスの兄弟リシマコスは、兄の権勢を盾に神殿を荒らしたために民衆の憤激をかい、彼は民衆に殺害されます。さらにエルサレムの市民たちは、大祭司メネラオスの非を王に訴え出ようとしました。窮地に陥ったメネラオスは、自分も手を回して王に取り入ることに成功したので、逆に訴え出た市民たちのほうが反乱の罪で処刑されました。
 エルサレムで、ヤソンが反乱を起こすと、これを知ったアンティオコス4世は、エルサレムへ攻め入って大量の虐殺と神殿の略奪を行ないました。これが167年~164年の大迫害の始まりです。この間に王は、ユダヤの成人男性を斬り殺し、女性や子供を奴隷として売り飛ばし、安息日に兵によるユダヤ人殺害を行なわせ、神殿を「ゼウス・オリンポスの宮」と呼ばせ、ディオニューソスの祭りを強制するなど、数々の蛮行を重ねたのです。さらに王は、主の律法に背く行為をユダヤ人に強制したために、ユダヤ人の中から多くの殉教者が出ました。
 そこでマカバイ(鉄槌)と呼ばれたユダとその兄弟たちが抵抗運動を組織して、ユダ・マカバイの反乱が起こります。主の律法のために命を惜しまないユダヤの兵士たちは、勇敢に戦い、ついにアンティオコス4世の軍隊を撃退します。王自身も激痛を伴う病に倒れて、ユダヤ教を認めることでユダヤ人と和解しました。そこでユダたちは、神殿を浄めて勝利を祝い、このキスレウの月の25日(164年12月25日)を神殿奉献祭の日(ハヌカの祭り)の起源と決めたのです。
〔その復活思想〕
 第二マカバイ記の復活思想は、主として7章で語られています。ここでは、7名の兄弟が母親と共に捕らえられて、律法で禁じられている豚肉を口にするよう強制されます。これを拒んだ兄弟たちが、一人ずつ拷問を受けて殉教しますが、母親は、これに最期まで耐えて自らも死にます。
 ここで語られている殉教物語は、ダニエル書3章にある燃える炉に投げ込まれた3人の若者の話と同6章のライオンの洞窟に投げ込まれるダニエルの物語がその背景にあると考えられます。しかし、ダニエル書では、受難の若者たちは、主の奇跡的な助けによって救助されますが、第二マカバイ記では、若者たちは全員復活を待望しつつ殉教します(ここに語られている律法違反への強制は実際に行なわれました)。第二マカバイ記には、これのほかに、14章でエルサレムの長老ラジスの殉教が語られます。ラジスの殉教では、民族の受難とこれを引き起こしたアンティオコス4世とその手下ニカノルの悲惨な死が語られています。これら殉教者の死とこれを引き起こした悪人どもへの罰、さらに殉教者の復活と栄光への期待は、知恵の書に通じるところがあります(知恵の書2章16~20節/3章4~8節/4章16~18節)〔Nickelsburg. Resurrection, Immortality, and Eternal Life. 119-120.〕。
 
 邪悪な王よ、あなたはこの世から我々の命を消し去ろうとするが、
 世界の王は、永遠の新しい命へとよみがえらせてくださる。
 我々が彼の律法のために死ぬのだから。
               (第二マカバイ記7章9節)
 たとえ人の手で死にわたされようとも
 神が再び立ち上がらせてくださるという
   希望をこそ選ぶべきである。
 だが、あなたはよみがえって再び命を得ることはない。
                    (同14節)
 ここでは、復活がすなわち「救い」になりますが、同時に復活は「身の証(あかし)」ともなります。王は人であり、地域の君主にすぎませんが、神は「世界の王」ですから、王の法律を破ることこそ、神の律法に従うことになります。したがって復活は、殉教者たちが正しく無実であることの「身の証」です。ダニエル書3章と6章の奇跡的な救助/救いもまた同様の「身の証」です。しかし、第二マカバイ記では、身の証が<彼らの死後に>起こるところがダニエル書とは異なっていて、この点では、第二マカバイ記での身の証は、知恵の書5章4~5節/15~16節に近いと言えます。
 さらに注意してほしいのは、第二マカバイ記では、「(たとえ拷問で手や舌を失っても)天からこの舌や手を再びいただけると確信する」(7章11節)とあるように、復活が「身体的な」姿で生じることです。これはおそらく彼らに加えられた身体的な拷問に対応する信仰だと思われますが、創造主である神は、その創造の業を滅ぼそうとする王たちの企てにもかかわらず、<再創造>するという信仰をここに読み取ることができます。
 第二マカバイ記7章は、ダニエル書12章1節の宗教的な迫害と同じ状況を指していますから、復活と身の証は、第二イザヤ的な意味で、迫害に向けられた神の終末的な裁きと結びつくことになります。ただし、第二マカバイ記7章の復活と身の証も、同9章のアンティオコス4世への裁きと死も、個人的な出来事であって、人類全体に及ぶ復活と裁きではありません。しかし、民族的な危機と宗教的な迫害というこの状況は、イザヤ書26章で語られる「屍のよみがえり」の場合に通じるものです〔Nickelsburg. Resurrection, Immortality, and Eternal Life. 121-22.〕。
 第二マカバイ記がダニエル書と異なるのは、5番目と6番目と7番目の息子の死に際して語られる次の告白です。
 
 あなたは人々の上に君臨して、好き勝手なことをしでかしている。
 しかし、我が民族が神に見捨てられたなどとゆめゆめ思うな。
                 (第二マカバイ記7章16節)
 思い違いもはなはだしい。
 われわれは我々の神に対して罪を犯したために、
 このような目に遭っているのだ。
                 (同18節)
あなたは神を敵にしたのだから、罰を免れない。
                 (同19節)
 ここには、(1)イスラエルはその罪のために苦しみに遭っていること、(2)しかし神はイスラエルを見捨ててはいないこと、(3)アンティオコス4世はその罪のために罰を免れないことが語られています。すなわち、暴君の成功は、神がユダヤ民族を見捨てた結果だから、迫害者はこのために罰せられない、という偽りの見解をはっきり否定しているのです。ここでは、ユダヤ教が、ユダヤ人のみにかかわる範囲を超えて、ヘレニズムの読者全体に向けて語っています。このような普遍性を帯びた警告は、知恵の書1~6章に表われるのと同類で、そこには、ギリシアの宗教観が影響していると見ることができます。
 7番目の息子は、その殉教に際して次のように告げます。
 
  わたしも、兄たちにならって、この肉体と命を
  父祖伝来の律法のために献げる。
  神が一刻も早く、我が民族に憐れみを回復し
  また、あなたに苦しみと鞭を与えて、
  この方こそ神であるとあなたが認めるよう願う。
          (第二マカバイ記7章37節)
 特にここでは、「自らの民族の罪を贖うために、神の憐れみを乞う」とあり、また、「不敬虔な者どもに踏みにじられた神殿を憐れみ、あなた(神)に訴える血の叫びに耳を傾ける」(同8章2~3節)とあることに注目したいと思います。
 7人兄弟の訴えを整理すると、「我々は律法に従うことで殉教する」とあって、自分たちの身の証を立てていること、しかも「我々は自分たちの罪のために罰を受けている」とあるように、そこには、無罪の「身の証」と有罪の「罰」という相互に矛盾した陳述が見られます。その上で、ユダヤの民に臨む神からの「正しい罰」が必ず終わるという「神の怒りの終焉」を告げています。殉教に伴う「神の罰」と「身の証」という視点から見ると、ここで神の民に与えられる「神の慈悲/憐れみ」には重要な意義がこめられています。
クムラン宗団の復活信仰
〔終末観〕
 クムラン宗団の終末思想は、礼拝において天使が舞い降りて彼らと共になり、宗団それ自体が、天の神殿に対応する地上の神殿となり、そのことを通じて、来るべき世界の前味を知ることにあります。
 
主よ、感謝します。
あなたはわたしの生命を滅びの穴から救い、
陰府とアバドンからわたしを引き上げてくださった
永遠の高みへと。
それゆえわたしは果てしない平地を歩く。
だからわたしは永遠への希望があることを悟る
あなたが土くれから造った者さえも
永遠の共同体に加わることができるから。
あなたは堕落した霊をもその大きな罪から浄めてくださって
聖なる天使たちと共にいる場所を与えて
天の子らの集まりと共にいる交わりに入れてくださる。
  (『感謝の詩編』19~22節)〔以下を参照した私訳〕
1QHymns(1QHodayoth=1QH). Col.XI(=III.frag25):19-22a.〕〔DSS(1)332.
 クムラン宗団の終末観は、世の終わりに訪れる救済のことだけではありません。「世の終わり/世界の終末」は、クムラン文書に繰り返しでてきますが、クムラン宗団でいう「終わりの」(アハローン)とは、ヘブライ語/七十人訳の旧約を受け継いでいて、その意味は「その後に続く」「その後に来る」ことです。詩編37篇11節に「だから柔和な者は地を受け継ぎ、平和がもたらすあらゆる豊かさを享受(きょうじゅ)する」〔4Q171,Frags.1-2Col.1〕〔DSS(2)249〕とありますが、これに「これは、過誤の時代を堪え忍び、ベリアルのあらゆる罠から救い出された貧しい者たちの群れのことである。その後に彼らは、あらゆる・・・を受けて、身体のあらゆる豊かさで飽き足りる」〔DSS(2)249〕と注釈しています。すなわちイスラエルが「浄められて」、その支配がメシアによって確立するその前に、ベリアルの最後の攻撃を受けるという意味です。ここで語られているのは、「世界の終わり」のことではなく、「ベリアルの支配の終わり」のことなのです。だからクムランの神学では、はっきりと二つの時期が区切られています。一つは、ベリアルに支配されて<限定された期間だけ>続く時代であり、二つ目は、その支配の後に来る全世界に及ぶ楽園的な平和の時期です。繰り返すと、これは「終わりの時」ではなく、「次に続く時」のことです〔Deasley. The Shape of Qumran Theology. 256〕。「ベリアルの終わり」とは、とりようによっては、歴史上に繰り返される「圧政/悪政の終焉」を指しているとも受け取れますから。
 しかし、クムラン文書では「終わりの時=次に続く時」だけでも割り切れません。クムランでは、ダビデもモーセも「イスラエルの優れた預言者」です。だから、彼らは未来をも預言しています。
 4Q174.Col.3.では、詩編2篇1~2節「なにゆえ、国々(諸民)は騒ぎ立ち、人々は空しく声を上げるのか。なにゆえ地上の王は構え、支配者は結束して主に逆らい、主の油注がれた方に逆らうのか」が引用してあり、終わりの日々にイスラエルの民の「選ばれた者たち」に降る迫害が来ます。これに続いて4Q174.Col.4.が来ます。「これはユダの家に迫害が臨む時です。迫害は、邪悪な者どもが火に焼かれ、ベリアルの子たちが滅ぼされる時まで続きます。それから、予め定められていた選ばれた者たちが残されて、彼らは神がモーセを通じて命じられた通りに律法を行ないます。この時こそ、ダニエル書12章10節で預言されている<逆らう者はなお逆らって悟らない時であり、義人たちは浄められさらに清くされる時>なのです」〔4Q174.Col.4.1-4.〕〔DSS(2)257〕。
 したがって、クムラン宗団で言う「終わりの日々」とは、永遠の時相だけでなく、そこには一時的な歴史の出来事が含まれています。「この世」と「来るべき世」との二つの時代の重なりは、厳密に言えば四つに分かれます。(1)今の時に先立つ過去と(2)今の歴史的な現在と(3)来るべき悪との闘いの未来と(4)窮極の平和をもたらす終末と、これら四つです。宗団は、このような時代観に立って、自らの現在を把握しようとしています。終末は次のように記されています。
 
 そしてヤハウェはあなたに告げる。「主はあなた〔ダビデ〕に家を建てる。そこにあなたの後を継ぐ子孫を立てて、その王国の座をとこしえにする。わたしが彼の父となり、彼はわたしの子となる」(サムエル記下7章12~14節)。これはダビデの枝(子孫)のことであり、彼は、終わりに日々に記されている律法の解釈者と共に立ち上がる〔4Q174:10-11.〕〔DSS(1)136〕。
 
 この最後の終末には、ダビデの子孫の到来と、イスラエルのメシアの到来と、律法の解釈者の到来と、終末に顕現する神殿とが重ね合わされています〔Deasley. The Shape of Qumran Theology. 258〕。
 クムランの黙示思想には、天使の現われを伴う神の臨在が語られていますが、それは「来るべき時代」を予見させるものであり、特に、現世の人間の心に働きかけて闘い合う二つの霊の働きがその特徴です。その霊的な闘いは、邪悪な霊の滅びを予見させる「訪れの時」を待ち望むものですが、そこには、救済論だけでなく、「終わりの日々」(アハーリト・ハィヤーミーム)も繰り返しでてきます。それは完全な浄めが与えられる「メシアの時代」を待ち望むものです。この世の終わりには、ベリアルの霊どもが最終的に滅ぼされるからです。
 だからクムランの黙示思想は、二つの世界の相克、それもクムラン宗団自身にかかわる歴史的は性格が強いと言えます。この特徴を最もよく表わしているのが『宗規要覧』の3~4章で、そこには、人を浄めに導く「真理の霊」と堕落に誘う「偽りの霊」の働きによる人間の内面的な闘いが描かれています。人生は光と闇との二つの霊が闘う場であり、終わりの時に、光の子たちのために神が介入して闇を滅ぼし、神の御心に沿う命が復元されるのです〔1QS.Cols.3-4.→DSS(2)119-122.〕〔The Rule of the Community(1QS).Cols.3-4.〕〔DSS(1)5-7.〕〔『死海文書』日本聖書学研究所編。「宗規要覧」。97~100頁〕。
 このように、クムラン宗団では、黙示的な終末思想がイデオロギー的なレベルへ高められており、それが、聖書解釈の手法となり、ユダヤの民と異邦の諸民との敵対関係を基調として、選ばれた者たちが、神による最終的な介入によって彼らの義が立証されるという歴史観を形成しています〔Deasley.The Shape of Qumran Theology. 263〕。
 クムランの黙示思想でもう一つ注意しなければならないのは、神との契約に基づく悪の敗北と善/義の勝利です。ここでも先に起こったことがモデルとなり、これと同じような複製が出来事として後に生じることになります。ただし、モデルと複製との間に、正確な一致は期待されていません。このような、出来事の隠喩性は、現代のわたしたちになじめないところがあります。わたしたちは、象徴と現実とをはっきり区別しますが、クムラン宗団の人たちには、その区別はわたしたちほど明確ではないのです。だから「神との交わり」「ベリアルとの闘い」という言い方を字義どおり受け取るのか、隠喩的に採るのか、これがはっきりしないのです。彼らには、それらの言辞は「現実的」で、それなりの重みを持っていますから〔Deasley.The Shape of Qumran Theology. 267〕。
〔闘い〕
 光と闇、神とベリアル(悪魔)との闘いは『戦いの書』(前140年頃)に描かれていいて、そこに三つの特徴を読み取ることができます。
(1)闘いは、神のご計画の成就を阻もうとするベリアルの敵対によって進行します。ただし、ベリアルが闘いを先導するのではなく、彼は神の御心が支配するのをある程度阻むことができるだけです。
 
 だがわたしたちは、あなた(神)の民の残りの者です。あなたの御名は誉めるべきかな。慈しみ深き神よ。わたしたちの父祖との契約を守りたもう神よ。ベリアルの支配の時代にあっても、あなたの驚くべき憐れみは残りの民をお守りくださった。彼(ベリアル)のあらゆる隠された悪巧みにもかかわらず、彼ら(残りの民)はあなたの契約から迷い出ることがなかった。・・・・・あなたは贖われた者たちの命を保たれた。御力によって倒れた者たちを立ち上がらせてくださった。だが丈(たけ)高い者(巨人/権力者)どもをば、あなたは切り崩して低くされた。
  〔1QM/4Q491-496.Col.14.8-11.〕〔DSS(2)160-61.
  ここには、アッシリアの支配からローマの支配にいたる「キッティーム」との闘いが背景にあり、それは6度に及び、7度目に神の介入によってベリアルは征服されます。
(2)闘いは、この地上における現実の戦争となり、同時に霊界でも闘いが行なわれますが、その闘いはまず人の心の内で始まります。
 
 今にいたるまで、人の心には、真理の霊と不義の霊とが対立し合い、人は皆、知恵と愚かとを兼ね具えて歩む。あるいは真理と義を賦与されるままに不義を厭い、あるいは受け継いだ不義のままに邪悪を行ない真理を厭う。神は人にこれらの霊を等しく与え、定められた終わりと新たな創造にいたる。〔DSS(1)7〕〔DSS(2)121〕〔The Rule of the Community(1QS).Col.4.24-25.
 
 このように、人の心に働く闘いも、創造の神による一元的な支配の下に置かれていると見ることができます。ただし、クムランの人間観は、個人的であるよりもむしろ共同体的ですから、闘いは、神の民とこの世に働く悪の力に支配されている者どもとの間で生じることになります。同時に、地上での闘いと天上での闘いとが呼応し合うことになります。
 天と地との二つの世界は相互に浸透し合っていますから、その言語は歴史的であると共に超越的です。相手は一貫して「キッティーム」(アッシリアやプトレマイオス朝やセレウコス朝やローマなどを象徴する)との闘いです。敵はベリアルに支えられた「闇の子ら」ですが、これに対するのは永遠の光である天使ミカエルに支えられた「贖われた民」です。
(3)終末の闘いにおいて重要な働きをするのがメシアです。メシアは『戦いの書』においてだけでなく、ダビデ的なメシアとして他のクムランの断片にも表わされています。中でも注意すべきなのはイザヤ書10~11章に関するもので、そこには次のように書かれています。
 
 今や、万軍の主は斧をもって木々の梢を切り落とす。すべての木より高い木さえも切り倒され、最も強きものも倒される。森の茂みも鉄の斧で切り倒され、堂々としたレバノンの大木も倒れる」(イザヤ書10章33~34節)。
 これは、イスラエルの手によって、へりくだるユダによって倒れるキッティームのことである。ユダは、異邦の諸民族を・・・・・、力ある者どもも打ち砕かれ、彼らの勇気も挫(くじ)ける。「すべての木よりも高い木」とはキッティームの戦士たちのことである・・・・・。「森の茂みも鉄の斧で切り倒される」とは、キッティームとの闘いによって・・・・・「堂々としたレバノンの大木も倒れる」とは、逃げ去ろうとする時に、イスラエルの気高い者たち手にかかる・・・・・。
    〔4Q161.Col.3. Frags. 8-10.〕〔DSS(2)237.
  ここで言う「キッティーム」は、ギリシア人でありローマ人でもあり、おそらくより漠然と終末における敵のことです。ただしここには、民を率いるメシア的な人物像は現われてきません。しかし、この断片はさらに続きます。
 

  「エッサイの株から一つの枝が出て、その根から芽が萌え出る。その上に主の霊が留まる。知恵と洞察の霊、善き計らいと力の霊、真理と知識の霊、主を畏れる霊である。彼は目に見えるところによって裁くことをせず、弱い人たちのために正義の裁きを行なう」(イザヤ書11章1~4節)。これは終わりの日々に現われるダビデの枝のことである。・・・・・神は彼を力の霊で支え・・・・・神は彼に栄光の御座を、聖なる王冠、優美な衣を与える。その手に王笏を握らせ、異邦の諸民族を支配する。「彼は目に見えるところによって裁くことをせず、耳にするところによって判定しない」とは、彼はツァドク系の祭司たちから助言を受けて、彼らが彼を教えることである。 〔4Q161.Col.3. Frags. 8-10.〕〔DSS(2)238.
 

 ここに見るように、クムラン宗団で言う終末的な闘いは、会衆の君でありダビデの枝によって導かれ、イスラエルの勝利が祝われて、キッティームの死体は、その国土から取り除かれます。
(4)終末の闘いにおいて邪悪が倒れ滅び去ります。その過程は、悪の根絶へ向かう劇的な進行によって構成されます。しかも、この滅びに際して、ベリアルと彼に伴う諸民族も、キッティームとその指導者たちも、闇の子らも、これらすべてが恒久的に消滅して、永遠の贖いが成就することになります。イスラエルとキッティームとの闘いは、光の子らと闇の子らとの闘いでもあるのです〔Deasley.The Shape of Qumran Theology. 270-72〕。
 
 勇者/英雄よ、立ち上がれ。栄光ある者よ、あなたの虜(とりこ)を捕らえよ。勇ましく闘うあなたの獲物を(捕らえよ)。あなたの敵の首にその手を置き、あなたの足は刺し殺された者の背中を踏む。あなたに敵する諸民族を挫き、あなたの剣が彼らの肉を食らえ。
    〔The War Scroll: 1QM. Col.12. 10-12.〕〔DSS (2)159.
 
〔復興と復活〕
 光と闇との闘い、これの結末としての裁きと終末は、それだけでなく、これに続く出来事をも顕わします。先に引用した『感謝の詩編』は、人を滅びの穴から引き上げて、その霊を浄めてくださる神への感謝で始まります。しかし、その感謝は、ベリアルの者どもへの容赦ない断罪へつながるのです。
 

ベリアルへの怒りの時であり、

近づく死の縄から逃れる術(すべ)はなく、

ベリアルの奔流は高い堤を超えて

すべての水流(?)を食いつくす炎となって

・・・・・・・

逆巻く火炎の炎は

水を飲む者どもすべてを消し去る。

神の炎は地の基(もとい)を焼き尽くし

乾いた陸地の果てに及ぶ

      〔1QHymns.Col.XI:27-31.〕〔DSS(1)333

 
 ここでは、人間世界の邪悪への断罪と地上世界の絶滅とが結びついて描かれますが、強調は人間世界に置かれています。ただしこのような破壊を越えてその後がどのようになるのかは示されていません。ただし、これに対する答えが、先に引用した『宗規要覧』の3~4章に表わされています。
 
 なぜなら知恵の人は、人の子らすべての歴史を光の子たちに告げ知らせる。・・・・・今あることも今後成るべきこともすべてが知恵の神から出る。それらが成る/存在する以前から、神はそれらをことごとく計画され実現される。彼の栄光の計画に従って定め通りに何一つ変えずに。
          〔Rule of the Community(1QS).Col.4.13-16.〕〔DSS(1)6
 
 ここでは、個人の行ないに応じて報酬と罰が与えられるだけでなく、闇の子たちとその世界の消滅に対応して、光の子たちが新たに創造されて、神のご計画によって創造される世界を治めるのです。このために、光の子たちに潜むよこしまな霊が照破される、という事態が世の終わりに生じることになります〔Deasley.The Shape of Qumran Theology. 273-74〕。
〔神殿と民の創造〕
 現存するこの世の秩序が消滅する時に、次に何が生起するのでしょうか? これに対する答えが、以下に三つの相互に関連し合う復興/復活の事態として描かれます。ここでは、ヘブライ語の「クゥム」(復興する/復活する)の思想が、それらの事態を生起させる基になっています。
 クムランでは、世の終わりが新たな創造へ結びついていますが、それは原初の創造へ立ち帰ることではなく、クムラン宗団のレンズを通して見える未来のあるべき創造の姿です。とりわけここには宗団が抱く宗教的な価値観が「神殿」の姿で結晶していて〔The Temple Scroll.〕〔DSS(2)593-632〕、新たに復興された神への礼拝が、宗団が描く独自の神殿像を形成しています〔DSS(2)594〕。
 神殿は闘いの終わりに出現する新たな世界に属しており、クムラン宗団で言う「純粋な神殿」です。その神殿で捧げられる礼拝と燔祭を含む献げ物は、1年365日を12で割った1月(30日)の暦に従って執り行なわれ(エルサレム神殿の太陰暦ではなく、クムランの太陽暦のこと)、26人の祭司たちが順番にその勤めにあたります〔The War Scroll. 1QM Col. 2. 1-7.〕〔DSS (2) 149.〕。
 クムラン宗団の「神殿」像は、ソロモンの第一神殿と捕囚期以後の第二神殿(これを拡大した後代のヘロデの神殿をも含む)を度外視していて、彼らに啓示された神殿は、以下の特徴を帯びています。
(1)特徴の一つは、それが霊的で天的な存在でありながら、しかもこの地上において今そこで礼拝が可能だということです。『安息日に捧げる犠牲の歌』〔4Q400-407〕には、燔祭の祭儀と共に歌われる祈祷歌があります。この歌の韻律的な構成は、これを歌う者たちを天の祭司(天使)との交わりに誘う不思議な響き/言葉を醸し出します。そこに霊現するのは生ける霊的な神殿であり、そこに出現する神秘な体験は、「七つの不思議な言葉」〔4Q403.Col.2.21-22.〕〔DSS (2)468.〕でしか歌い顕わすことができません〔DSS (2)463〕。それはまさに「天の神殿」に属するものでありながら、現に今地上において霊的に顕われているのです。クムラン宗団のこの「神殿」は、地上のエルサレム神殿がその力を喪失してから、終末に顕われる神殿が到来するまでの間、中間的に地上に存在すると言えます〔Deasley.The Shape of Qumran Theology. 276-77〕。
 宗団のこのような霊的な神殿礼拝の様子は、『神殿の書』(The Temple Scroll)から知ることができますが、そこには、宗団が待ち望む神殿が詳細に描き出されていて、それは概(おおむ)ね、当時のエルサレムとその神殿を霊的に再解釈した「天のエルサレム」として描かれます。霊の神殿での礼拝様式は、申命記に基づきながら、「新たな申命記」の創造を祈り求めるもので、神殿は、至聖所を中心にして天的なエルサレムがこれを囲み、さらに周辺に波紋状に広がる構成を採っています。このような神殿観は、申命記12章以下で語られている<聖所の中央化>に対応するものです〔DSS(2)594-95.〕。
(2)この神殿のもう一つの特徴は「新しいエルサレム」と結びついていることです。しかし、これは、未だ最終的な神殿、すなわち「永遠の神殿」のことではありません。この神殿は、クムラン宗団の暦に基づく祭儀が行なわれる神殿です。暦に基づく祭儀で捧げられる犠牲によって「神の恵みを与えられた」民とその神殿は、次のように記されています。
 
こうして彼らは恵みを得る。彼らはわたしの民となり、わたしは永遠に彼らのものとなる。わたしはいつまで永遠に彼らと共に住まう。わたしの栄光で己の神殿を浄める。そこにわたしの栄光が留まり創造の日にいたるからである。その時は、わたし自身が自らの神殿を創造する。わたしがベテルでヤコブと結んだ契約を成就し、永遠にいたる神殿を自ら建てる。〔The Temple Scroll. 11Q. Col.29. 7-10.〕〔DSS(2)606.
 
 ここには、神自身がその「創造の日」に、自ら永遠の神殿を建てると語られていますから、この神殿は、終末へ向かう闘いの中で与えられる神殿とは区別されています。したがって、クムラン宗団が言う「神殿」は、現存する滅びるべき神殿と、宗団が天的な礼拝において加わる中間の神殿と、「終わりの日々」に建てられる最終的な神殿と、この三つに区別されているのです〔Deasley.The Shape of Qumran Theology. 278.〕。
 このように見てくると、神の民の回復とは新たな民が創造されることであり、しかもそれが新たな神殿の創造と結びついていることが分かります。「回復する」(クゥム)は「復活する」ことをも意味していますから、ここで生じる回復とは新たな創造のことであり、それが「復活」をも意味することになります。
〔メシアの出現〕
 クムラン文書のもう一つの要素に「民の指導者」があります。これは「メシア」のことですが、メシアの問題は二つの側面を有しています。一つは「メシア」の数であり、もう一つは「メシアの性格」です。ただし、クムラン文書全体から見れば、メシアは重要ではあっても最重要の課題とは言えません。クムランの文書では、メシアは、主として「終わりの日々」との関連で扱われるからです。
 ここで「メシア」について述べられている箇所を判定する基準が必要になります。その一つが「メシア」(ヘブライ語「マーシーアハ」=油注がれた者。ギリシア語「クリストス」)という用語が用いられていること。次に、その用語が明確に終末的な意味で用いられていることです。したがって、「彼(神)は彼ら(神の民)をば、聖なる霊を注がれた者たち、すなわち真理の見者たちを通して教えられた」〔『ダマスコ文書』写本(A)Ⅱの12節〕〔CD. Geniza A. Col.2. 12〕〔DSS (2)53.〕とある場合の「聖なる霊を注がれた者たち」は、預言者のことであって「メシア」とは言えません。これに対して、聖書からの引用に基づく場合は、「メシア」がでてこなくても、メシア預言だと判断することができます。例えばイザヤ書11章1~10節/民数記24章16~19節/サムエル記下7章12~16節などです。
(1)クムランのメシアの特徴として、まず「会衆の指導者」のメシア像があります。「イザヤ書註解」〔4Q161-165. Col.3. 11-16.〕〔CSS (2)237-38.〕の断片にイザヤ書11章1~5節からの引用がでてきますが、その中の「これは終わりの日々に顕われるダビデの枝(子孫)のことである」がこれにあたります。「その時、ベリアルの全軍勢が裁かれ、キッティームの王は裁きに立たされ、会衆の指導者であるダビデの枝が、彼を処刑する」〔4Q285. Frag.7.3-4.〕とありますが、この「会衆の指導者/王侯」"the Leader of the congregationDSS (2)370/the Prince of the Congregation 〔DSS (1)124."とはメシアを指しています。
(2)「メシア」については、そのほかに「王笏を持つ」メシア像があります。「王笏はユダから離れず、統治の杖は足の間だから離れない。ついにシロが来て、諸国の民は彼に従う」(創世記49章10節参照)とありますが、創世記のこの節について次のような解釈がなされています。「イスラエルが統治する間、<統治/主権>がユダの部族から離れることがなく、ダビデの王座に座る者が切り倒されることがない。義のメシアであるダビデの枝が来るまで、<統治者の杖>は王国への契約となり、幾千ものイスラエルの民がその足となるからである」〔4Q252. Col.5.1-3.〕〔DSS (2) 355.〕。
 ここでは「杖/王笏」(シェーベット)が「統治/主権」(シャーラット)へと置き換えられていて、「王笏」と「主権」が二重になっています〔Deasley.The Shape of Qumran Theology. 280-81〕。
(3)クムラン宗団では、ダビデの枝こそが「ヤハド(共同体)の人々」を導く「義のメシア」です〔4Q252. Col.5.5.〕。この「ダビデの枝(子孫)」は、アモス書9章11節で預言されているとおり、イスラエルの家を「復興する/よみがえらせる」のです。ダビデ的なこのメシアは、邪悪な者どもを刺し殺し、キッティームの王を征服するからです〔4Q285.Frag.7.4.〕〔DSS(2)370.〕。ところが、この「ダビデの枝」について『戦いの書』の断片には、次のようにあります。
 

 ・・・・・預言者イザヤが告げた通り(イザヤ書10章34節)「森の最も茂った木々も鉄の斧で切り倒され、壮大を誇るレバノンも倒れる」。エッサイの株から枝が伸び出て、ダビデの芽が闘いに臨み・・・・・<会衆の王が彼、ダビデの芽を殺す>・・・・・。〔4Q The War Scroll(4Q285).Frag.5.1-5.〕〔DSS(1)124.

 
これはマーティーネズ(Garcia Martinez)の英訳です。この人は〔DSS(1)〕として引用しているクムラン文書の訳者ですが、この訳では、「会衆の王が<彼、ダビデの芽を殺す>」と訳しています。この訳は、先にあげた「キッティームの王は裁きに立たされ、会衆の指導者であるダビデの枝が、彼(キッティームの王)を処刑する」〔4Q285.Frag.7.3-4.〕とちょうど正反対で、殺されるのはメシアである「ダビデの芽」のほうになり、殺すのが「会衆の王」(キッティームの王)になります。もしもこの訳し方が正しいとすれば、ここには「刺し殺されるメシア」像が表わされていることになります〔Deasley.The Shape of Qumran Theology. 285〕。
(4)次にメシア像で重要なのは、「律法の解釈者」としての祭司性です。
 

  「背いた者どもは剣によって倒され、堅持した者たちは、北の地、ダマスコの天幕(仮屋)へ逃れた。わたしは王の幕屋を逃れさせ、あなたの像の基(もとい)をダマスコの天幕へ移す」(アモス5章27節)。「王の天幕」とは律法の書のことであり、「わたしは倒れたダビデの幕屋を復興する」(アモス9章11節)とあるとおりである。「王」とは会衆のことである。「あなたの像の基」とはイスラエルが蔑んだ預言者たちの書のことである。「星」とはダマスコを訪れる律法の解釈者のことで、「星がヤコブから出て、杖(王笏)がイスラエルから立ち上がる(復興する)」(民数記24章17節)とあるとおりである。後者(王笏)は(イスラエルの)民全体の指導者である。〔Damascus Document.Geniza(A).Col.7. 14-21.〕〔DSS(2)58.〕。

 
 ここにでてくる「会衆(民)の指導者(王)」は、アロン的な祭司です。「預言者と、アロンおよびイスラエルのメシア(油注がれた者)たち」〔The Rule of the Community(1QS).Col.9.11.〕〔DSS(2)131.〕とあるとおり、ここには複数(少なくとも二人)のメシアたちが現われます。だから、メシア像は必ずしも単数とは限りません。クムランの『宗規要覧』は、マカバイ戦争とローマの将軍ポンペイウスのパレスチナ支配(前60年)の間に書かれています。捕囚期以後では、メシアへの期待は途切れることなく続いていたと言われていますが、マカバイ戦争の間でさえダビデ的なメシア像が現われることは比較的少ないようです。
 したがって、クムランの祭司的メシアへの待望は、アロン系の祭司を廃した「非正統な」ハスモン王朝に対する反抗だと見ることができます。このために、メシアの到来と共に期待される「終末」は、「復興」と「理想」との二重の性格を帯びることになります。イスラエルの復興を求めるのがダビデ系のメシアであり、理想の国の成就を求めるのがアロン系のメシアになります。とは言え、これら二種類のメシア像が、どこまで区別されているかは確かでありません。
(5)クムランのメシア像に「ヤハウェの受難の僕」を読み取ることができるかどうかは問題です。「わたしは背く者どもの罠となり、背きから立ち帰る者たちすべてを癒やす」〔Thanksgiving Hymns. 1QH. Col.10.10-11.〕〔DSS(2)180〕とあるのは、イザヤ書53章4~5節を反映していると思われますが、クムランのメシア像に、メシアの苦難に伴う贖いの意義を見出すことはできないようです。キリスト教以前のメシア像に、イザヤ書の「苦難の僕」と彼による贖いの思想を見出すことができるかどうか、この点は疑問でしょう〔Deasley.The Shape of Qumran Theology. 283-84〕。
(6)クムランのメシアに「神性のメシア」像があります。彼は「神の子」と称されていて、これが表われるのが「神の子テキスト」(4Q246)と呼ばれる断片です。
 
 彼(暴君の息子を意味する説もある?)はまた「神の子」と呼ばれ、彼らは彼を「至高者の子」の名前で呼ぶ。だが、あなたたちが幻で流星(複数)を見るように、彼らの王国もそのようになる。彼らはわずか数年の間だけ地を支配し、その間に民は民を踏みにじり、民族/都市は民族/都市を踏みつける。ついに神の民が立ち上がり、あらゆる人を剣/戦から休ませる。彼らの王国は永遠の王国となり、彼らの路は(真理と)正義である。彼らは地を正しく裁き、諸国の民は平和を得る。地からは戦が消え、諸国の民/諸都市は彼らに賞賛を送る。偉大なる神は彼らを助け、神自身が彼らのために闘う。神の支配は永遠の支配であり、地の深みもことごとく彼のものになる。〔4Q246.Col.2.1-10.〕〔DSS(2)347
 
 この「神の子テキスト」は、そのまま読むと、イエスの誕生を予告しているように見えます。特に「至高者の子と呼ばれる」とあるのは、ルカ1章32~33節を想わせます。
(7)さらに今ひとつ、クムラン文書で注目すべきメシア像があります。
 
 彼(主なる神)は敬虔なるこの者に永遠の王国の王座へ(登る)栄誉を与える。この者は、とらわれた人たちを解放し、盲人の目を開き、うなだれた人たちをもたげる(詩編146篇7~8節)。・・・・・なぜなら彼(この者)は、深い傷を負う者を癒やし、死者をよみがえらせ、苦しむ者によい知らせを遣わす(イザヤ書61章1節)。彼は、貧しい者を飽き足らわせ、追い出された人たちを導き、飢えた者たちを豊にする・・・・・。〔4Q521. Frag.2. Col.2. 7-13〕〔DSS(2)531
 
 この断片は洗礼者ヨハネがイエスのもとへ人を遣わして、「来るべき方はだれか?」と尋ねさせた時に、イエスが答えた返事とみごとに重なります(マタイ11章2~5節)。「この者」とあるのは、クムランのメシアのことで、メシアについてこのように語られている箇所は旧約聖書のどこにもありません。福音書の記者たちは、この断片を知っていたか、少なくともこの伝承に親しんでいた可能性があります〔DSS(2)530〕。「よい知らせ」(福音)をもたらすこのメシアは、神性を帯びていて、超人間的な存在です。しかも彼は、ただ一人のメシアです(断片テキストの欠損のため確かとは言えませんが)〔Deasley.The Shape of Qumran Theology. 289〕。
 以上をまとめるなら、クムラン宗団のメシア像は、二人(以上)から一人までで、そこに一貫した教義を認めることはできません。メシアは祭司の下に属すると見なされるものの、「祭司的なメシア」像には「苦難の僕」像の反映を認めることができません。彼はまた、唯一のメシアで神の子のような神的な像です。メシアはクムラン宗団の終末と関係しますが、その基調にあるのは(ダビデの)王権的なメシアです。
 ただし「会衆(民)の指導者(王)」は王笏を持つメシアでありながら、しかも彼は預言者であり祭司です。この時代、大祭司が最高位にありましたから、ツァドク系の大祭司が終わりの日々に顕われるメシアとして最も有力です。「義の教師」は明確にメシア的な人物だとは言えませんが、彼は預言者であり教師です。預言者としての彼は「律法の解釈者」です。メシアの到来は長く引き延ばされることがなく、「教師」が先駆けの役目を果たします〔Deasley.The Shape of Qumran Theology. 290-91〕。
〔人間性の回復〕
 クムラン神学で重要なのは「堕落した人間性の回復」です。これは、創造によって授与されていたほんらいの人間性とその栄光を取り戻すことです。「人間性の回復」は、否定的な消極面と肯定的な積極面との二面性を具えています。
(1)否定的な消極面では「人間性の浄め」があります。『宗規要覧』4章20~21節に次のようにあります。
 
 邪(よこしま)な時代に神の真理が裁きとなって降るその時には、神はその真理によって、すべての人の行ないを浄め、ご自分のために人間性(人の成り立ち/身体)を浄め、人の体の奥に潜むあらゆる不義(邪悪)の霊をはぎ取り、聖なる霊によってあらゆる不敬虔な業を浄める。神は人に真理の霊を輝く水のように注ぎ、すべての忌むべき詐欺と、汚れた霊による汚染を浄める。
    〔The Rule of the Community(1QS).Col.4.20-22. 〔DSS(1)7〕〔DSS(2)121-22
 ここでは、終わりの日に、神は人に真理の霊(清めの水で象徴される)を注いで、「霊の割礼」〔4Q177.〕〔DSS(2)266〕によって人の心を浄めるのです。この真理の霊による浄めに逆らうのが「頑(かたくな)な欲望の心」です〔The Rule of the Community(1QS).Col.1.6〕〔DSS(2)117〕。ただし、このような浄めは「現在すでに」起こって/始まっているようでもあり、「終わりの日々」に起こることでもあるようです〔Deasley.The Shape of Qumran Theology. 292〕。
(2)人間性の回復の肯定的な面をあげますと、それは「アダムの栄光の回復」です。荒れ野でイスラエルの民がさまよった後で、次のようにあります。
 

   しかし彼らの中から残されて神の戒めを固く守る者と神はイスラエルのために永代まで契約を立て、イスラエルのすべてがさまようもととなった隠れたことを彼らにあらわし給うた。すなわち彼()の聖なる安息日と栄光ある定めの祭りと彼の義の証言と彼の真理の道、そして人が行なうならばそれによって生きる御心の要求を、彼(神)は彼ら(イスラエルの残りの者たち)の前に披瀝(ひれき)し給うた。それで彼らは豊かな水の井戸を掘ったのである。それを軽んずるものは生きないであろう。しかし彼らは人間の罪に、汚れの道に身を汚した。・・・・・しかし神はその奇しき秘密において彼らの罪を償い、その咎を赦し給うた。そして彼(神)はイスラエルのうちに固き家を建て給うたが、そのようなものは古(いにしえ)より今にいたるまで建ったことがなかった。それを固く守る者は永遠の生命を得、アダムの栄光はすべて彼らのものとなる。〔日本聖書学研究所編『死海文書』「ダマスコ文書」3章12~21節。256頁〕

 
 ここには「アダムの栄光」の回復が語られています。この回復は「永代の契約」に結びついていて、終末的な意味を帯びており、大地が、そこに住む人(アダム)と共に初めに創造された状態へと回復されるのです。しかもこの回復には、人の罪の完全な贖いが伴います。神へ向かう人の心が入れ替えられて、天の交わりの礼拝に加わることが地上においても可能になります。これもまた終わりの時に起きることで、「隠れたことを選ばれた者たちにあらわす」とあるとおり、選ばれた者たちは、天の子たち(天使たち?)の知恵へと導かれ、アダムの栄光を授かるのです。
 これが成就するのは、未来のことですが、それは必ずしも終末の時に限られるのではなく、それ以前においてもある一定期間、そのような千年王国が一時的に実現するとあります。その後で、終末でのメシアの到来と共に邪悪の力が滅び去り、イスラエルの回復が、定められた日に成就することになります〔Deasley.The Shape of Qumran Theology. 293-94〕。
〔永遠の命〕
 クムラン宗団には終末に達成される超越的な命が信じられていたのでしょうか?上にでてくる「永代までの」人の生命の延長も、最終的には死を免れることができないとすれば、死の先に何があるのでしょうか? クムランの遺跡には今に残る墓地があって、そこには大勢の男たちだけでなく、女性や子供たちも(場所は違っていますが)葬られています。これらの先に逝(い)った者たちはどうなるのでしょうか? ユダヤの終末的な希望は、基本的に現世的です。クムラン宗団の終末も地上的であり、たとえ時代が新たに更新されたとしても、それはやはり地上的です。そこに「死をも超えた」宗団の「超越的な命」を望むことができるのでしょうか?
 
 わたし(霊的に礼拝する者)の目は永遠を見つめる、人の目から隠された知恵を(見つめる)。それは人の子らからは隠された知識と思慮であり、肉の集まりから隠された義の源、力の井戸、栄光の泉である。これらを神は永遠の所有として選ばれた者たちに授けた。神は彼ら(選ばれた者たち)を聖なる方の相続を受け継ぐ者とされた。神は彼らを天の子たち(天使たち)と共に一つの交わりとして集め、「会衆」(ヤハド)とした。それは、彼らが聖なる建物の土台となるため、来るべき世々にわたって、永遠の農園となるためである。〔The Rule of the Community(1QS).Col.11.5-10.〕〔DSS(1)18〕〔DSS(2)134
 ここでは、地上を越えた霊界への信仰が語られており、宗団はその交わりに加えられるのです。ここにクムラン宗団が到達した最も高い宗教的体験が描き出されていると言えましょう〔Deasley.The Shape of Qumran Theology. 296〕。同様のことが次の断片でも言い表わされています。
 

   あなた(神)はそれ(神の創造の業)を彼ら(神が創造された霊の人)の子孫のために子々孫々にいたるまで、永遠の年月にいたるまで分け与えられた。・・・・・そしてあなたの知識ある知恵によって、あなたは彼らの運命を彼らが存在する以前から定められた。あらゆる事はあなたの御心で起こり、あなたを離れては何事も生起しない。〔Thanksgiving Hymns.1QH. Col.9. 20-22 DSS(2)179

 永遠の生命に入る者たちと永遠の滅び(消滅)に入る者たちとは、死の直後に裁きによって定まります。しかもそれまでには、幾つもの継続する歴史的な時期が背景にあります。「愚か婦人」に騙(だま)されて、「彼女の門は死の門、彼女はその家の入り口で待ちかまえる。滅びの穴に落ちるようとらわれた者たちは、皆ハデス(地獄)に落ちで戻らない」〔4Q184.Frag.1.10-11〕〔DSS(2)273〕ことになります。下記の断片では、愚か者たちと義人たちとが対照されています。
 
 愚かな心の者たちよ、・・・・・なしに何の益があろうか? まだ起こらぬ事を前にして何の安息があろうか? ・・・・・彼ら(愚か者たち)は、裁きに出遭って暗闇で喚(わめ)き悲しむ。しかし永遠に存在する者たち、真理を求める者たちは、裁きの時に目覚めて、・・・・・愚かな心の者たちを滅ぼす。
                    〔4Q418. Frag.69. Col.2. 4-8〕〔DSS(2)489
 終末の闘い、メシアの到来、イスラエルの復興など、これらクムランの終末観は、ヘロデ大王の時代の前後、すなわち前1世紀末から後1世紀初めにかけて形成されたと見ることができます〔Deasley.The Shape of Qumran Theology. 297〕。クムラン宗団の終末観には、時間的と超越的の二つの側面があり、終末は「訪れ」として語られますが、その終末の時には、すべての人の子らに、善悪に応じて報いが<訪れる>のです。
 
 知恵の教師は光の子たちを教え導く。あらゆる人の子ら(全人類)の由来と運命(歴史)について、(人の子らの)様々なしるし(階級)を帯びた霊性について、人の子らの行ないと彼らのあらゆる世代について、人の子らへの罰が、あるいは人の子らへの平安の報酬が<訪れる>時期について教え導く。
                     〔DSS(1)6〕〔DSS(2)120〕。
 
 こうして邪悪の霊は滅ぼされ、「神はこれら善悪の霊を等しく人の子らに分かち与えて、定められた新たな創造の時にいたる」のです〔The Rule of the Community(1QS).Col.4.25〕。その時「アダムの栄光」も回復されます。
 しかし、もしも人への賞罰の<訪れ>が人の死の時に来るのであれば、その<訪れ>は、終末の神の<訪れ>とどのように関係するのでしょうか? すでに逝った真実な者たちが、新たな創造の世において分け前に与るのなら、この疑問はいっそう切実になります。復活がその分け前の時であるのなら、その「復活」とは、彼らが生きて死んだ時期と、終末の神の訪れとの間にあって、どこか中間の時期になります。この点から見ると、クムランの終末は、ダニエル書12章2~3節に近く、「復活」は、永遠の命か、あるいは永遠の断罪か、そのどちらかに定められる裁きに先立って起こるのでしょう。クムラン宗団では、ダニエル書はよく知られていて、親しく用いられていたからです〔Deasley.The Shape of Qumran Theology. 298〕。しかし、ダニエル書の示す「時期」も結局あいまいですから、「復活の時期」について確かな結論を引き出すことができません。先の引用を繰り返しますと
 
 彼(主なる神)は敬虔なるこの者に永遠の王国の王座へ(登る)栄誉を与える。この者は、とらわれた人たちを解放し、盲人の目を開き、うなだれた人たちをもたげる(詩編146篇7~8節)。・・・・・なぜなら彼(この者)は、深い傷を負う者を癒やし、死者をよみがえらせ、苦しむ者によい知らせを遣わす(イザヤ書61章1節)。彼は、貧しい者を飽き足らわせ、追い出された人たちを導き、飢えた者たちを豊にする・・・・・。〔4Q521. Frag.2. Col.2. 7-13〕〔DSS(2)531
 
 「彼(主なる神)は敬虔なるこの者に永遠の王国の王座へ(登る)栄誉を与える。・・・・・なぜなら彼(この方)は、深い傷を負う者を癒やし、死者をよみがえらせる」とある箇所でも、ここで言う「よみがえり」が、逝った人類全体(全人類)の「よみがえり」なのでしょうか? それともメシアの到来によってもたらされる「病む者の癒しと貧しい者への助け」のことなのでしょうか? おそらく後者のほうでしょう。
 

   彼(主)は言われた。「天の四隅からの風に向かって預言して、刺し殺された者たちに向けて吹かせよ。するとそのようになった。すると非常に多くの人たちが生き返った」(エゼキエル書37章4~10節)。彼らは、自分たちをよみがえらせた万軍の主のみ名をほめたたえた。〔4Q385. Frag.2.7-9〕〔DSS(2)448

 
 クムラン宗団においては、主ヤハウェとの契約に忠実であった「残りの者たち」の「再創造」は、エゼキエル書37章のこの記事に準拠しています。エゼキエル書37章での「復興/よみがえり」は、民族的な規模ですけれども、クムランでは、それが個人化しているのが分かります。では、何時、どんなふうにでしょうか? エゼキエル書では「骨が集められ、肉がこれを覆い、霊が吹き込まれるという三段階を経ています。クムランでは、それぞれの人のアイデンティティ(自己同一性)と生前の存在が、死をも超えてなおも継続する過程を意味するようです。このような「復活」は義人のみに限られます。ただし、こういう復活/よみがえりが、はたしてクムラン宗団全体の信仰を代表しているのかは確かでありませんが。
 クムランのこの復活観は、その遺跡に残る墓地によっても確かめることができます。当時のエルサレムでは、家族葬が一般であり、それも一年ほど経過した後にその骨を骨箱に納める慣習があったことを思えば、クムランのように、頭を南に向けて南北の状態で墓地に埋葬されている状態は、明らかに特殊です。彼らが「復活する/起き上がる」時に、その顔が北を向いていなければならないのは、クムランの北の方角に「新しいエルサレム」「シオンの丘」「黄金の楽園」が待ち望まれていたからでしょう〔Deasley.The Shape of Qumran Theology. 300〕。
 ただし、クムラン宗団では、<この地上において>天使たちとの交わりの礼拝に加わることが優先されていましたから、死後の問題は、このような天使たちとの礼拝の背後に隠れていたと思われます。同様に、「終末での闘い」が、来るべき世の命の有り様さえ二義的なものにしていたのかもしれません。
 要するにクムラン宗団での「来るべき命」には、地上における命の延長と、来るべき世での超越的な命との間に、ある種の緊張関係があったと見なすことができます。さらに今ひとつ、その永生への入り口が、死の直後なのか終末の復活の時なのか?という緊張もあり、またその復活が、個人的なのか共同体的なのか、という問題もあったと思われます。これらの緊張を孕んだ復活の有り様は、中間的な千年王国思想によってある程度調和させられていたとも考えられます。共同体的な有り様それ自体さえも「時間的な」現実であると見なすなら、個人か共同体かの問題も解消することになりましょう。メシア王国の到来は、自然と超自然との二つの領域における生命への祝福を人為的に調和させることができないことを示唆しています。黙示思想では、全体において共同体的な復活が優先していると言えますが、これはクムランの場合でも同様です。なぜなら、共同体の消滅は、クムラン宗団そのものの消滅をも意味するからです〔Deasley.The Shape of Qumran Theology. 301-02〕。
『モーセの遺訓』9章
 『モーセの遺訓』と『モーセの昇天』は、ラテン語の写本で、ミラノのアムブロシウス図書館で発見されました(1861年刊行)。これらの写本は5世紀頃にギリシア語から訳されたものですが(写本は6世紀末のもの)、その原本はヘブライ語かアラム語だと推定されます。「遺訓」と「昇天」との関係は、同じ文書の前半と後半とにそれぞれ与えられた名前だとする説と、全く異なる文書であるとする説と、「遺訓」あるいは「昇天」のどちらかがほんらいの名称だとする説とがあるようです。
 著作年代は、紀元7~30年の間だと推定されます。これの資料としての内容は、マカバイ戦争直前(5章),アンティオコス4世の迫害時代(8~9章)、ハスモン王朝以後の時代(6章)という見方があります。しかし、8~9章は、アンティオコス4世時代の資料と見るよりも、歴史的終末を一般的に描いているという見方が強いようです〔『聖書外典偽典』(補遺Ⅰ)土岐健治/小林稔訳註159~60頁〕。
 『モーセの遺訓』には四福音書と同じような表現が多くでてきます(7章4節「大食漢で酒飲み」/8章1節「世の初めからなかったほどの困難」/10章の終末など)。その9章に「タクソ」という人物が登場します。彼の時代に、第一のバビロン捕囚の苦難にも匹敵する第二の苦難(アンティオコス4世の迫害)が訪れます。その時、タクソの7人の息子たちは、「父祖たちの神の戒めを踏み外すよりも、むしろ死のう」(9章6節)と告白しますから、ここにも無実な者たちの死が神の裁きをもたらすという思想が表われています。「わたしたちの血が主の御前で報いを求める」(9章7節)のです。「報いを求める」とは、カインに殺された弟アベルの血が神に叫ぶ(創世記4章10節)と同じ意味で、これは第二マカバイ記7章17節/同19節と同じです。
 ここで注意したいのは、第二マカバイ記と『モーセの遺訓』との類似だけでなく、両者の違いです。第二マカバイ記の殉教は武力による抵抗を導き出しますが、『モーセの遺訓』では、最後まで無抵抗の非暴力に徹して、終末の裁きに身を委ねていることです〔『聖書外典偽典』(補遺Ⅰ)概説163頁〕。ここでの非暴力が、例えば現代のガンジーやキング牧師の唱える<積極的な>非暴力思想と同じかどうかは、確かでありません。また、ここにでてくるタクソは「メシア」ではありません。殉教者たちは敵の手から取り去られて「諸星の天」に住まい(10章9節)、地上では終末の時に罪人らが滅びるのですが、殉教者の復活は語られません。しかし、『モーセの遺訓』には、非暴力の殉教と、死後の救済と、迫害された義人の身の証が語られており、しかも、世界を創造された神は、「すべてのことを世々にわたって予見しておられる」(12章13節)のです。
1世紀のユダヤ教
 1世紀前後のヘレニズム世界には、エジプトのイシス神話、ギリシアのエレウシス祭儀に起原をもつよみがえり神話、ディオニューソスのよみがえり神話、アドーニス伝説の再生神話、また、小アジアやマケドニア地方では、太母神キュベレーのよみがえり神話などが再生とよみがえりの永生宗教の背景をなしていました。これと共にギリシア哲学(プラトニズム)に基づく「魂の永遠/不滅性」を唱える哲学も存在していました。この哲学は、アプレイオスが収録したエロースとプシュケーの神話にみごとに結晶しています。また、パレスチナの東方では、かつてのペルシア帝国の時代にさかのぼるゾロアスター教の影響が強く残っていました。パレスチナの人たちもこれらのヘレニズム思想や宗教の影響を受けていたのは間違いありません。
 したがって、ユダヤにおいても、魂の不滅や霊的生命の永遠性を信じる思想家たちがいました。特に、パレスチナ以外のヘレニズム世界に住む「離散のユダヤ人」(ディアスポラ)の間では、ユダヤ教の信仰に基づきながらも、ヘレニズムの影響を強く受けていたと思われます。アレクサンドリアのユダヤの思想家フィロン(前20~後45/50年)は、これの代表的な人物だと言えましょう。
 パレスチナのユダヤ教においても、そこには復活信仰が息づいていたとは言え、その信仰は決して一様ではなく、これに関して幅広いバリエーションが共存していました。だから、サドカイ派は復活を否定していたし、霊魂不滅説や天使の永遠性や天体(恒星や惑星)の永遠性にあやかろうとする人たちもいたと考えられます。
 このような思想的宗教的状況の中で、ユダヤにおいて独特の復活信仰が生まれたのは、すでに見てきた通り、イザヤ書、『第一エノク書』、ダニエル書、知恵の書、第二マカバイ記など、書き記されたユダヤ教の聖典が受け継がれてきたからです。ユダヤ教の復活信仰の特徴は、「からだの復活」です。この信仰は、マカバイ時代のハシディーム(敬虔な人たち)に起源するファリサイ派に受け継がれました。復活信仰はまた、ファリサイ派のそれとはやや異なる形で『第一エノク書』やダニエル書の黙示的終末思想としても受け継がれていました。
 ただし、すでに見てきた通り、パレスチナのユダヤ教の復活信仰を全体として見るならば、民族的にせよ選民的にせよ、なんらかの<共同体的な復活>であり、それも、終末の裁きを待ち望む<未来の復活>信仰の傾向が強かったと言えます〔Keener. The Gospel of John.(2)1175-77.〕〔TDNT (1)369-70.〕。
イエスに始まる最初期のキリスト教とこれに基づく新約聖書の復活信仰は、このようなパレスチナユダヤ教の伝統的な信仰から生じたものです。しかし、その信仰は、イエスの場合にはっきりと見られるように、上に述べた二つの点で、すなわち「共同体的」と「未来の終末」の二つの側面で重要な変容を遂げました〔Keener. The Gospel of John.(2)1175-77.〕。なぜなら、キリスト教の復活信仰は、イエスという<歴史上の個人の>復活であり、しかもそれが<すでに起こった>出来事であったからです。
イエス自身の復活信仰
〔最後の晩餐〕
 今まで見てきた「受難の僕」伝承は、イザヤ書に始まり『第一エノク書』や知恵の書や第二マカバイ記を通じて、イエスの最期の晩餐につながります。マルコ10章45節「人の子は・・・・・多くの人の贖い代として自分の命を捧げるために来た」は、最後の晩餐において、イエスが自分を受難の僕(イザヤ書53章10~11節)と同一視していることを伝えています。イエスは、この伝承に従って、その活動の初めから、進んで殉教に臨み、自らの死が、イスラエルの民に対する神の怒りを宥(なだ)める信仰に生きたのです。それはイエスが見出した「新しい契約の民」を贖い出すためでもあります。
 ヨハネ福音書はもとより、共観福音書においても、最後の晩餐が<過越の小羊の意義>を帯びていたことを否定することができません。イエスは、伝統的な過越の食事から、パン裂きとぶどう酒の二つを採り、これに全く新しい意義を与えたのです。そこには、イエスが自分の死をどのように意義づけているのかがはっきり告げられています。「肉/からだ」「血」「注ぐ」などの殉教用語が示すように、血を表わす盃(さかずき)は、神の裁きを招く殉教者の血であり(マタイ23章35節/ルカ11章51節)、マカバイ記にある民を贖う殉教者の血です。
 しかし、パンとぶどう酒についてのイエスの言葉は、それまでの伝統的な殉教解釈を超えて、イザヤ書に預言されている受難の僕による贖いを指し示しています。その「血」は、出エジプト記24章8節の「契約の血」であり、イエスは、新たな神の民を贖い出す新たな契約の血を流すために死地に臨んだのです。だから、イエスが言う「わたしのからだ」と「わたしの血」は、伝統的な過越の食事が指し示す通りの比喩(暗喩)的な意味であり、弟子たちも<この意味で>理解していたのは間違いありません。
 イエスはおそらく、過越の食事の伝統に従って、三度目あるいは四度目の盃をば、先ず両手でぶどう酒の大きな盃を持ち上げて、それを食卓から手ほどの高さに持ち上げ、右手でこれを支えながら「感謝の祈り」を捧げたのでしょう。しかし、その後で、弟子たちと共に神の国が成就するまでは、再びこの盃を口にしないと告げて、「主の死を告げ知らせた」(第一コリント11章26節)のです。これに続いて賛美(詩編118篇25~26節)が歌われますが、そこには受難も含まれます(同22節)〔Keener. The Historical Jesus of the Gospels. 299-301. 〕。
〔受難と勝利のメシア像〕
 このようにイエス自身が、自分の死と復活を預言したことは、マルコ福音書8章31節にでてくる「人の子」預言(『第一エノク書』37~71章/ダニエル書7章13節参照)が示しています〔TDNT(1)370.〕。これをマルコの創作だとする説もあるものの、「史的イエスが自分の死について預言したとすれば、それはこの意味でのメシアの受難を覚悟していたことになります」〔Collins.Mark.403.〕。マルコ9章9節もおそらくイエスの語った言葉にさかのぼるのでしょう〔TDNT(1)370.〕。
 マルコ福音書のイエスは、旧約聖書の預言者像を超えるメシア的存在ですが、それでも、そのイエス像に終末的な預言者像を見ることができます。イエスが宣べ伝える「神の国の福音」(マルコ1章14節)は、イザヤ書61章1節や同52章7節と関連します。ただし、マルコ福音書には、神から遣わされて福音を伝える預言者と、伝える預言者自身が実はその福音の内容でも<ある>という、二重の意味での「メシア的預言者像」が形成されています〔Collins.Mark.47.〕。
 『第一エノク書』37~71章の「たとえの書」(前1世紀末~後1世紀初め?)には、単数の「義人」「選ばれた者」がでてきます(『第一エノク書』38章1~2節など)。この「選ばれた者」は、イスラエルの王位に即位しますが、彼は「知恵の啓示者」とも呼ばれていて(『第一エノク書』51章3節)、「人の子」(同46章1~3節)と同一視されています。しかもそこに出てくる「人の子」は死者の復活と新天新地を待望させる新たな時代(アイオーン)をもたらすのです。さらにこの「人の子」は、「世の初めから隠されていた者」ですから、彼は、「先在の人の子」とも言われる存在です〔Collins. Mark.60-61.〕。『第一エノク書』のこの「人の子」は、神に選ばれ贖われた共同体が、終末的な裁きに先立って、王たちや権力者たちの前に<突然の啓示>によって顕われ、権力者たちを驚かせるのです(知恵の書5章1~9節参照)。
 なお時期的には四福音書が書かれた時と並行しますが、第四エズラ記(ラテン語エズラ記)7章26~44節では、メシア(キリスト)が、マルコ13章と同じ黙示的な状況にあって、彼を信じる共同体と共に終末の時に顕現します。第四エズラ記7章は、まだキリスト教の影響を受けていないユダヤ教の部分に入りますが、興味深いのは、このメシアが「死ぬ」と預言されていることです。受難の死は、伝統的に預言者に帰せられていますから、それだけここでの「メシアの死」が注目されます。しかもこのメシアは、同11章36~39節では、邪悪な鷲(ローマ帝国)を打ち負かすライオン(ヨハネ黙示録5章5節の「ユダのライオン」を参照)の姿で顕われます。ライオンの姿をしたこのメシアは、世の初めから先在しているのです。
 「受難の死の預言者」と「勝利するメシア」、この二つが結合しているのが、マルコ8章27~33節のイエス自身による預言の言葉です。このようなメシア像は、ユダヤ教には見られないマルコ福音書独特のものだと言えますから、これこそが、ナザレのイエス自身に宿るメシアの霊性であったと考えられます。マルコは、復活信仰の視点から想起して、この事態を「メシアの秘密」として描いていますが、マルコ福音書のペトロは、受難と勝利との<この結びつき>を理解することができません。こうしてマルコ福音書では、伝統的な「人の子」が「神の子」と同一視されるのです。
 使徒言行録では、イエスの死と復活とが、「予め神によって定められたご計画による」ものとされています(使徒2章30~32節参照)。言い換えるとこの出来事は、生前のイエスの弟子たちも、そして福音書の記者ルカ自身さえも「思いもしなかったこと」であるとルカは伝えているのです。だからこれは、「ナザレのイエスは、自分の行為がもたらす結果を予知することができず、このために、その結末を避けることができなかった哀れな人物だというのが真実に近い」という見解に反論して、ルカがイエスを弁護しようとしていると受け取るべきではありません。それどころか、「神はすべてをご存知で、そのご計画通りに実行された」と語っているのです〔バレット『使徒言行録』(1)143頁〕。ルカがここで言おうとしていることは、ルカ自身を含む後の教会が<イエス自身が知らなかったこと>を後で創出したのでは<ない>という意味です。
〔まとめ〕
 以上をまとめると、先ず復活について以下の三つの点を確認したいと思います。
(1)最初期に伝えられた福音の本質は、<ナザレのイエスの復活>にあります。福音のすべてが<この出来事>に含まれていると言っても過言ではありません。
(2)弟子たちがイエスの復活を信じることができたのは、イエスの顕現を初め種々の復活体験に接したことによるものですが、これらの顕現や体験は、<イエスがその生前に>、自分を含めて復活について語った言葉に基づいていると見るべきです。 在世中のイエスは、復活が自分にあって<すでに始まっている>ことを覚知していたと思われます。
(3)イエス自身のこのような復活信仰は、旧約聖書の時代からイエスにいたるまでの間、<イスラエルに受け継がれてきた復活伝承>に基づいています。
 次に原初教会によるイエスの復活信仰の特徴として、以下の三つの点を指摘したいと思います。
(1)イエスの人格的霊性の現われとしての<からだの復活>であること。
(2)ナザレのイエスという歴史上の<個人の復活>であること。
(3)復活は<すでに起こった出来事>であること。
 次にイエスの復活信仰は、新約聖書において、次の三つの点で変容の過程をたどることになります。
(1)復活が、「からだ」の復活であると同時に霊的な復活であること。
(2)復活が、個人の復活であると同時に共同体的な復活であること。
(3)復活が、すでに起こった出来事であると同時に終末において(信仰者の復活を含めて)成就する出来事でもあること。
 「変容の過程」と言いましたが、このことは、イエス自身が、復活に含まれる二重性を自覚していなかったという意味ではありません。そうではなく、復活が、「からだ」であると共に霊的な有り様であること、「人の子」とは、イエス個人にかかわるだけでなくイエスを信じるすべての人たちをも含む共同体的な意味をもつこと、そして「人の子」とは、イエス自身のことであると同時に、未来に顕われる人の子でもあること、このような復活の秘義を、イエスは自分に授与された霊性によって覚知したと思われます。
 
*この小論は、現在執筆中の「ヘブライの伝承とイエスの霊性」の第三部「受難の僕伝承」の諸章の中から、「復活」とこれに関連した箇所を抜き出してまとめたものです。したがって、論証の部分などは省いてあります。

                 四福音書補遺へ