十分の一税
十分の一税は、以下の五つに分類することができます〔石川耕一郎/三好迪訳『ミシュナ』(Ⅰ)「ゼライーム」の「解説」390~92頁。教文館(2003年)〕。
(1)大献納物(テルマー・グドラー)
「大祭司の祖」とされるアロンとその祭司たちに優先的に分配されるもので、「最上のオリーブ油」と「極上の新しいぶどう酒」と「穀物など」がこれです(民数記18章8節/同11~12節)。ただし、聖書にはその配分量は定められていません。したがって、産物を所有する者の任意に委ねられますが、慣習的には、農産物全部の収穫量の五〇分の一とされていました。大献納物が取り分けられ分離されて<いない>場合、その農産物を平民が食べると聖なる物への冒涜になります(レビ記22章10~16節)。「大献納物」は、以下の十分の一税に<先だって>優先的に取り分けられる分です。
(2)最初の十分の一税(マアセル・リショーン)
大献納物が分離された後で、残りの農産物全体の十分の一が、臨在の幕屋の仕事に従事するレビ人に分配されます(民数記18章21~24節)。これが「最初(第一)の十分の一税」です。
(3)小献納物(テルマト・マアセル)
これは、「最初の十分の一税」を受け取ったレビ人が納める税のことで、レビ人は、自分の受け取り分から、さらに十分の一(したがって、ほんらいの収穫量から大献納物を分離した後の収穫量の100分の一)を祭司に捧げなければなりません(民数記18章26~28節)。だから、これを祭司以外の者が食べると聖なる物への冒涜罪になります。
(4)第二の十分の一税(マアセル・シェニー)
これは、「大献納物」(祭司へ)と「最初の献納物」(レビ人へ)とが取り分けられ分離された後の農産物に対して課せられるもので、7年ごとにめぐってくる「安息年周期」に納める分です。「第二の十分の一」あるいは「貧者への十分の一}と呼ばれます。「第二」なのか「貧者へ」なのかは、その周期年によって区別されます。
(A)第一/第二/第四/第五の周期年に分離された十分の一税は、中央聖所のあるエルサレムへ携えて上り、神殿において祝いとして、携えた民自身が食べる物です(申命記14章22~29節)。ただし、携帯するのが難しい場合、それを金銭に換えて、その代金を携えてエルサレムへ上り、そこで食べ物を買ったり、あるいは将来に巡礼する備えとして保留しておいてもよい。
(B)第三と第六の安息年の周期には、「貧者への十分の一」(マアセル・アニー)が、レビ人、寄留者、孤児、寡婦たちに施されます(申命記26章12~15節)。
(5)疑わしい産物(デマイ)
(1)~(4)の十分の一税制度は、その計算がかなり複雑です。だから、「アム・ハ・アレツ」(地の民)と呼ばれるイスラエルの一般庶民の中には、「律法を知らない」ために、農産物の分離(取り分け)がきちんと行なわれない場合があったようです。「貧者への十分の一」は、どこに置かれていて誰が食べることができるのかが、判然としない場合もありました。また、農産物を大量に売買する業者にとって、その産物がきちんと分離されていたかどうか疑わしい物も含まれましたから、業者の報告によるだけで済ますこともありました。しかし、律法をきちんと守ろうとする人たちは、これらの「疑わしい物」に対しても、さらに細則を設けることで、「より厳格に」律法を遵守しようとしたのです。これが「デマイ制度」です。
〔デマイ制度〕
ミシュナ・タルムードの伝承では、「デマイ制度」は、ハスモン朝の大祭司ヨハネ・ヒルカノス(在位前135~104年)に起源を持つとされています。しかし、デマイ制度が確立したのは紀元後2世紀のことで、バル・コクバ戦争(132~35年)以後のことです。だから、「デマイ」に関する細則は、『ミシュナ』の中の文書「ゼライーム」の「デマイ」の篇に出ています〔『ミシュナ』前掲書75~100頁〕。ただし、その規則をそのままイエスの時代に、あるいは共観福音書の年代に適用することはできません。
「デマイ」は、比較的価値の低い物や、庶民が採取した物で、所有者がはっきりしないものなど、比較的「軽い物」について定めた細則です。以下に、ごく限られた幾つかの例をあげます。
未熟のいちじく、サンザシの花、松かさ、桑いちじく、未熟ななつめ、いのんど、白花菜(刺の多い灌木でつぼみを酢漬けにする)、ユダヤ酢(葡萄の実の皮からとる)、これらは十分の一税を免除される。ただし、シクモナ(現在のハイファの地方)の野生のなつめは、除外されるから十分の一税を支払う〔前掲書75頁〕。
デマイであって十分の一税が課せられる物、イスラエル内外での干しいちじく、いなご豆、米、姫ういきょう。ただし、イスラエルの地以外の土地で育つ米は免除される。
デマイに対して厳格に律法を遵守する宗派/グループに属する者は、大衆の接待を受けたり、乾燥の産物を売ることも買うこともしない。
パン焼きの職人は、律法を遵守する仲間であるから、練り粉は分離されていなければならない。大量に(乾燥した物ほぼ10リットル/1デナリ分)売買する者は、十分の一税を免除される。
貧者たちにはデマイを食べさせてもよい。旅人にデマイを食べさせてもよい。
野菜の荷を軽くするために野菜の葉を切り落とした場合、全体の十分の一を分離するまで、その葉を捨ててはならない。分離されていないままの葉を民衆が拾って食べることがあるから。
十分の一を分離した小麦粉をサマリア人あるいは異民族の人たちのもとにで運び込んで彼らの管理に任せた小麦粉の産物はデマイと見なされる。
なお、新約聖書には、「十分の一税」について言及した箇所が、全部で9回あります。マタイ23章23節=ルカ11章42節/ルカ18章12節/ヘブライ7章2~9節に6回です。
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