「自らの」言葉で歩む天皇
           蟻川恒正(憲法学 日本大学大学院法務研究科教授))
               『朝日新聞』2017年4月20日 憲法季評
 
 「やはり真実に生きるということができる社会をみんなで作っていきたいものだと改めて思いました」「今後の日本が、自分が正しくあることができる社会になっていく、そうなればと思っています。みながその方に向かって進んでいけることを願っています」 これは、13年10月27日、熊本県水俣市を初めて訪れた天皇が水俣病患者の話を聞いた後に述べた言葉である。事前に用意された「おことば」ではない。天皇が返礼に自らの思いを述べるのは異例である。日本の公害の原点とされる水俣病は、胎児も含め、筆舌に尽くし難い病苦を患者に与えただけでなく、差別や偏見の故に患者であることを隠す生き方までを多くの患者と家族に強いた。その苦しみに寄り添い「真実に生きる」ことを励ます天皇の言葉は、当時、優しい言葉と報じられた。 優しい言葉である。だが、優しい似上の言葉である。差別と偏見の只中にあって自らを晒すことは勇気と覚悟を要するからである。それを励ますことは、ひとつの生き方を励ますことである。その生き方こそ「真実に生きる」ことである。
 「真実に生きる」という言葉、殊にその「に」には、どこか日本語として聞き慣れない響きがある。英語に堪能な天皇はlive trueという表現を想起していたかもしれない。live true (to)は、何かに忠実に生きるということである。「真実に生きる」とは、あるべき自分の生き方に忠実に生きることであり、それを天皇は、全ての個人に励まし、それができる社会へと向かう努力を自他に求めたのである。
 天皇にとって、それは自らがそうありたいと思う生き方であったに違いない。2013年4月28日、政府は「主権回復の日」の式典を挙行した。第2次世界大戦後占領下に置かれた日本が独立したのが1952年4月28日。沖縄は本土復帰が叶わなかった。その61周年を祝う式典への出席を求める政府の事前説明に対し、天皇は「その当時、沖縄の主権はまだ回復されていません」と指摘した(毎日新聞2016年12月24日付)。先の大戦で国内最大の地上戦の戦場となった沖縄に対して、天皇は特別の思いを寄せ続けている。その天皇が、国政に関与したとの疑いを抱かれないよう細心の注意を払ってした発言が、この指摘である。
 この指摘は、短いが、あるべき自分の生き方に照らしての真実からする指摘であった。皇太子時代の1975年、沖縄を初めて訪れることになった天皇は、本土復帰から3年での訪問に「何が起こるかわかりません」と危惧した関係者に対し、「何が起きても受けます」と答えている。「受ける」という言葉には、父たる昭和天皇の名で行われた大戦で沖縄に甚大な被害を「与えた」以上、沖縄から何かを「受ける」のは自分であるとする苛烈な覚悟が見える。はたして、沖縄入りしたその日、過激派から火炎瓶が投げつけられた。その夜、皇太子(現天皇)は異例の談話を発表している。「払われた多くの尊い犠牲は、一時の行為や言葉によってあがなえるものではなく、人びとが長い年月をかけて、これを記憶し、一人ひとり、深い内省の中にあって、この地に心を寄せ棟膚ていくことをおいて考えられません」 即位後の天皇は、あるべき自分の生き方として自らのこの言葉に忠実に生きる道を選んだ。「長い年月をかけて、これを記憶し」、「深い内省の中にあって、この地に心を寄せ続けていく」は、ほかならぬ天皇白身の今日までの歩みそのものだろう。「一人ひとり」がすることをおいて考えられないことを、天皇自らがする。それは天皇が国民「一人ひとり」を「象徴」しているということではないか。天皇は、沖縄の人々をめぐって国民と自己との間に作られることを願った、ここに見たような関係の在り方に、憲法に書かれた「象徴」という概念の生きた姿を見いだ出したように思われる。
 「真実に生きる」ためには、あるべき自分の生き方に忠実であろうとする意思が必要である。天皇の場合、「日本国の象徴であり日本国民統合の象徴」(憲法1条)であるとはいかなることかを考え、絞り出すようにして出したその答えにふさわしく生きることが「真実に生きる」ことであった。それは、あるべき自分の生き方にしっかり向き合うこと −do justice to −であり、そうすることが「自分が正しくある」ことにはかならない。
 沖縄の人々が「屈辱の日」と呼んだその日を「希望と決意を新たにする日」(安倍晋三首相)と呼んで祝う式典−それが象徴するのは「国民統合」ではなく分断だろう−に天皇は出席した。それは、天皇にとって、「真実に生きる」一ことではなく、「自分が正しくある」ことでもない。その半年後、天皇は、水俣病患者たち、そして全ての個人に、「真実に生きる」こと、「自分が正しくある」ことを励ましたのである。 天皇退位をめぐる政府の検討が大詰めを迎えている。天皇が自らの歩みをもって国民に問いかけ続けた「象徴」に関する議論は、まだほとんど聞こえてこない。
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