大失敗のただ中から
              (2017年11月27日)
 私は、聖書がまさにそうであるように、誰でも自分の好きな時に好きなやり方で主のお言葉が読めるようにしたいという想いから、コイノニア会のホームページを始めました。しかし、ヨハネ福音書の講話と注釈だけは、自分のこの志に反して、著書として出版したいという想いにかられて、『ヨハネ福音書講話と注釈』(上・下2巻)を金文字入りのハード・カヴァーの装丁で、100万以上を投じて出版しました。
 ところが、自信過剰の怠慢が祟って、引照箇所のミスや不備が発見されたために、改訂版を出さざるをえなくなるという大失態を演じる結果になりました。お陰で、多額の費用を無駄にし、大恥をかき、自分の信用をなくしただけでなく、聖書のお言葉を粗末に扱うという大きな罪を背負う羽目に陥ることになりました。
 このような大失敗の根本原因は、主ご自身が「出版してくださる」と私に告げてくださったのに、これに気をよくして、逆に自信とうぬぼれから、自己能力を過信して、自力で事を成就しようとしたことにあります。神が、イエス様を通じて行われると言われたことは、御霊のお導きにお委ねすれば、それで自ずと成就します。それなのに、あたかも自力でやれるかのように思い上がった結果が、この大失態の原因です。御霊のお導きは、自力でその御業を「横取り」しようと絶対にしてはなりません。神のみ業とその御栄光を己の栄光にすり替えるのは最大の罪です。自分がこの愚を犯したことを深く反省させられる出来事でした。
 愚者私市を世間に宣伝する結果を招いたこの<大失敗の出来事>も、主様の前に祈って、懺悔することで、なんとか罪赦され、「あなたに与えられた恵みを無意味だと想ってはならない」というお言葉をいただくことができました。「恥は我がもの、栄光は主のもの」とは、よく言ったもので、今は、失敗を想わず成功を求めず、ただ無欲無心の境地を歩むだけです。
 不思議なことに、この愚行と失敗の結果、逆に、以下のような霊的な祝福と今後の希望に与ることができました。
(1)出版に伴う自己の能力と業績への誇りが粉々に打ち砕かれ、非力な自分の業績を誇る罪を深く懺悔することができました。十字架にかかり復活したナザレのイエス様を通じて初めて、「宗教する人」に潜む愚劣な罪性と、これをも逆転させるものすごい恩寵とを我が身で体験することができました。
(2)出版であれ集会であれ、そもそも、「宗教する私」がやることは、ひとえに主様にある絶大な恩寵の賜によるものです。(  )の中の数字が全部+でつながっているのに、(  )の外にはマイナスの符号が付けられていたのです。自分が、ちょうどそんな状態にあることを悟らされると、今度は、(  )の外の−が突然+に転じた。そんな、不思議な体験です。まさに「逆転の恩寵」です。
(3)ヨハネ福音書の著作をより精度の高い、正確な文言と内容に仕上げて、たとえわずかでも改訂版を出し、すでに購入してくださった方々に贈与し、残りのごくわずかを申込者に販売できます。
(4)訂正は多数に及びますが、入力の細かい点に限られています。また引証箇所の数字の誤り(これは少数)と、引照の内容に合わせて数値を拡大したり縮小したりした場合がほとんどです。内容の変更は全くありません。したがって、 旧作を正誤表付きでどなたかへ寄贈することができます。
(5)私の愚行にもかかわらず、なお、私のヨハネ福音書を読んでくださるという真正な「ヨハネ好き」に出会い、通称「ヨハネ会」を作ることができます。実は、このことが、今回の出版の大事な目的だったのです。
(6)ヨハネ福音書講話と注釈だけでなく、ホームページで現在進行中の共観福音書講話と注釈もその精度を格段に上げることができます。ヨハネ福音書と言い、共観福音書と言い、聖書の注釈などという途方もなく畏れ多い仕事に与る自分に ,このように猛省を促してくださることで、とにかく主様の御業を行なわせてくださる絶大な恩寵の有り難さを悟らされます。神から授与された「霊能の怖さ悟りて罪に泣く」です。
(7)ホームページは、これまでに二人の方が、全体にわたってミスをチェックしてくださいました。現在執筆中の『共観福音書の講話と注釈』を改めて校正を徹底させることで精度の高いものに仕上げて、ホームページとして遺すことができます。
 また、今回の失態は、コイノニアのホームページに掲載されている他の箇所に及ぶものでもありません。
 今回の失態は、ペトロの三度の否認に相当する失敗です。今はただ、詩編51篇のダビデのように、「私の罪を浄めて、贖ってください」と祈りつつ、改訂版の発行に向けて取り組んでいます。改訂版を出すことが、ペトロの「悔い改め」に相当すると思うからです。ヨハネ福音書の出版は、私にとって「とりかえしのつかない」失敗だと思われましたが、主の恩寵によって、結果として、「とりかえしのつく」失敗へ転じることになりそうです。赦されて、罪人の書く主の言葉。なんとも不思議な出来事です。
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