逆転の恩寵の根拠
              (2018年6月18日
 私が「逆転の恩寵」を推奨する根拠は、以下の五つにあります。
(1)宗教する人の根源的な罪性(原罪)を確認することによって、かつてのナチスのアーリア民族至上主義のような優生思想に基づく人種差別と人類学的な偏見を防ぐことができます。「宗教する人」とは、人類学的な概念です。たしたちは、救済史を人類史と関連づけることによって初めて、人類のもろもろの宗教が、どのように進化してきたかをみることができます。そこから、キリスト教とほかの宗教との正しいつながりが見えてくると思います。人類史は、猿人から原人へ、原人から旧人へ、旧人から現在のホモ・サピエンスへと、700万年とも言われる長い年月の進化の過程を想い起こさせます。福音的なホモ・スピリトゥスが、人類の進化となんらかの関係があるのかもしれませんが、この点は、進化の具体的な出来事がまだよく分かっていないので、なんとも言えません。進化思想は、かつてのナチスのように、人種の優生思想に道を開く恐れがありますから、軽々しく言うことができません。こういう人類の進化思想は、うっかりすると、「すぐれた人類」と「劣った人類」という優生学的な視点を導入する恐れがあります。南アフリカの最南端の沿岸にこもった一握りのホモ・サピエンスを含め、わずか1万人ほどまで減少して、絶滅寸前まで追い詰められたホモ・サピエンスは、強きを挫き弱きを助ける神の逆転する恩寵に支えられて、逆転に次ぐ逆転を経過して現在の繁栄に至りました。その過程は、優生思想などとおよそかけ離れた不思議な「恩寵進化?」の足取りです。宗教する人の原罪を逆転する恩寵こそ、ナチスの優生思想のような誤った人間観を克服する道です。
(2)人類の原罪への洞察は、イエス様の聖霊の働きと国家権力とのかかわりを知る上でもきわめて重要です。イエス様のエクレシアは、国家権力から距離を置きます。しかし、暴力によって権力に敵対したり、これを打倒しようと意図するものではありません。政治権力も宗教する人の営みである以上、そこに根源的な罪性を自覚する必要があります。その上で、誤りに陥りやすい人類の政治的な営みを赦して、これを根底から贖い支える力こそ、ナザレのイエスの霊性の働きなのです。
(3)宗教する人の原罪を洞察することは、宗派・宗教間の対立と争いを防ぐ上でも重要です。仏教、神道、儒教、イスラム教、ヒンズー教、その他もろもろの民族宗教や土俗宗教やかく言うキリスト教をも含めて、それらが、宗教する人の営みである以上、根源の罪性を免れることができません。「人間的な義」に基づく「正義」を振りかざして、他宗教を攻撃することこそ、あらゆる宗教的な紛争をもたらす根源の理由です。イエス・キリストの霊性は、宗教する人の原罪を洞察させ、相互に赦し合う和解と平和をもたらすよう働くものです。
(4)宗教する人の原罪を逆転させる霊的な働きとその力は、ナザレのイエスの十字架の贖いの働きから生じるものです。人は、己の罪業の深重を洞察するほどに、これを逆転させる主イエスのものすごい聖霊の働きを悟ることができます。「まことの霊能」とは、このような霊性から発出する力です。
(5)最後に確認したいこと、それは、このような逆転の恩寵こそ、新約聖書が証しするイエス・キリストの福音の核心だということです。聖書の神は、人類の歴史を通じて啓示される神です。聖書の神が、今の時に、人類に啓示する福音とは、まさに<逆転の恩寵>の働きかけにほかなりません。
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