オウム真理教と宗教する人
(2018年7月7日)
■オウムという出来事
松本千津夫以下7人のオウムの幹部たちの死刑が執行された(2018年7月6日)。松本(1955年生まれ)は、熊本の盲学校を出て、千葉県で鍼灸の仕事をしていた。1982年に医薬品違反の罪に問われたが、この頃から宗教活動を始め、1984年に「麻原彰晃」と名乗り、「オウム神仙の会」を発足させ、空中浮遊などの超能力を身につけると称した。「AUM」は「無常」を意味するサンスクリット語からの頭文字であるとのこと。1987年に「オウム真理教」に名称を変え、仏教的な最終解脱を目指すために出家を促し、東大その他の理系の若者が多数入団した。東京都から宗教法人の認証を得て、静岡県富士宮市の郊外に総本部を設置して大々的に勢力を伸ばした。その後、坂本弁護士一家の殺害事件(1989年)、信州松本でのサリンによる殺害事件(1994年)、浜口忠仁さんVXガス殺害事件(同年)、東京都霞ヶ関付近の地下鉄サリン事件(1995年)など多くの殺害事件を起こした。これらは、ヴァジャラヤーナの教えを汲んで、人をカルマから救済して生まれ変わらせるために教団が行なう行為として正当化された。1995年に逮捕され、裁判を受けてから23年目に死刑にされたことになる。驚くべきことに、現在(2018年)もなお、麻原を神と崇める信者たちが少なくないことである。彼らは、麻原を殉教者として崇める懸念があるという。
■オウムと「宗教する人」
彼と彼の集団は「宗教」ではないとする見解がある。『朝日新聞』には、「宗教に名を借りて社会を標的にする無差別テロ」だとある。「宗教」を人間を救済する理想を表わす用語だと理解すれば、この見解は正しい。しかし、それならオウムの人たちがやった行為はいったい何だったのか?刑務所で狂気に陥ったこの「尊士」の実態は依然謎のままだと新聞は伝えている。たとえこれをイデオロギー的な「擬似宗教」と呼んでみても謎は一向に解けない。この「謎」は、「尊士」麻原も、これを信奉した多数の理系の秀才たちも、今も遺る信者たちも、「宗教する人」(ホモ・レリギオースゥス)として、私たちと同じ人間であることを知らないか、この事実を認めないところに生じる疑問にほかならない。彼らの行為は、現在も世界を脅かしているイスラム過激派(IS)と本質的に通底する。それは「宗教する人」としての「人間の」営みにほかならない。仏教やイスラム教や儒教やキリスト教などの宗教を信じる人間の行為を「宗教する人」の営みだと定義すれば、最終解脱を目指すオウム教徒も、「アッラー」の名を唱えるISの信者も、ロヒンギャのイスラム教徒を迫害するミャンマーの仏教徒も、かつてインディアンを殺害し、現在もなお黒人への迫害を正当化するアメリカの保守的な白人キリスト教徒も、私たちと同じ人間であり、宗教的に見れば、同じホモ・レリギオースゥスなのである。「善いは悪い、悪いは善い」の善悪の二面性を併せ具えている人間の宗教行為こそ、「宗教する人」に具わる特徴にほかならない。このことを正しく認識して、そこから、「宗教する人間」とは、そもそもどういう存在かを問い続けるところにしか、オウムの謎を解く鍵はどこにも存在しない。人間は、天使と悪魔の両面を具えている「霊的な存在」だからである。なお、この点については下記の「付記」を参照。
■この出来事が示唆すること?
オウム宗団の科学技術省の最高責任者である村井秀夫という人物が、テレビで筑紫さんから質問を受けていた。彼は、麻原に次ぐ宗団の最高幹部で、第7サティアンと呼ばれる建物の設計者であり、押収された厖大な全ての化学薬品の責任者で、阪大の大学院物理学の出である。複雑な化学薬品に対する彼の明せきな説明を聞いた後で、筑紫さんの質問に答えて、彼は、麻原が予言したとおり、近くハルマゲドンの戦いが起こる(おそらくこれはアメリカのキリスト教と自分たちの仏教との衝突を意味する)、阪神大震災は「ある大国」(=アメリカを指すのは明らか)が地震科学兵器によって起こしたものである(麻原がそう予言した)、オウムの施設に対して米軍が空中から毒ガスを散布したと言い、自分は麻原の予言を信じていると明言した。筑紫さんはこれに反論することを止めた。
このことは二つのことを教えてくれる。一つは、どんなに優れた科学的な知識と頭脳を持った者でも、ある特定の問題になると完全に正常な判断が狂ってしまうことである。その特定の部分とは、まさに宗教・神話の部分である。いかなる科学的な知性もこの部分をコントロールすることができない。逆に全ての理性的な人間の営みが、宗教・神話の部分によって、その意味づけを完全にコントロールされることである。第二に、この宗教的武装宗団は、仏教イデオロギーを軸にした著しく反社会的、反米的、反キリスト教的な宗団であること。 この出来事が示唆するのは、今後これに類する宗団が、すなわち反米を唱える仏教右翼、あるいは神道右翼が、より巧妙に大規模にこの国に台頭してくるおそれがあるということかもしれない。知的な頭脳は加害者として、真面目でおとなしい小羊は犠牲として、こういう闇の霊性に吸い寄せられることにならなければよいが。
【付記】
オウム事件:言葉にする努力を放棄:『朝日新聞』(18年7月10日)
高村薫(1953年生まれ)2009年『太陽を曳く馬』でオウム信者を描く 。
私たちはオウム真理教の何を恐れ、何を断罪したのだろうか。教祖らの死刑執行を受けてあらためてそんな自問に駆られる傍らには、教団の反社会性を看過し続けた私たちの無力と無関心、さらには一方的なカルト宗教批判に終始したことへの自省や後悔が含まれいる。また、教祖らの逮捕二十三年、日本社会がこの稀有な事件を十分に言葉にする努力を放棄したままこの日を迎えたことへの絶望も含まれている。
裁判では、宗教教義と犯罪行義の関係性は慎重に排除され、一連の事件はあくまで一般の刑法犯として扱われたが、その結果、神仏や教祖への帰依が反社会的行為に結びつく過程は見えなくなり、宗教の犯罪という側面は手つかずで残された。しかしながら、どんなに異様でも、オウム真理教は紛れもなく宗教である。それがたまたま俗世の事情で犯罪集団と化したのか、それとも教義と信仰に導かれ宗教の犯罪だったのかは、まさにオウム事件の核心部分であったのに、司法も国民もそこを迂回してしまったのである。
形骸化が著しい伝統仏教の現状に見られるように、日本人はいまや宗教と正対する意思も言葉ももっていない。この精神世界への無関心は、理性や理念への無関心と表裏一体であり、代わりに戦後の日本人は物質的な消費の欲望で人生を埋めつくした。地道な言葉の積み重ねを失ったそういう社会で、若者たちの求めた精神世界が既存の宗教でなかったのは、いわば当然の結果だったと言える。彼らは伝統仏教の迂遠な教義と権威を拒否し、手っ取り早いヨガの身体体験に出会って社会に背を向け、疑似家族的なカルト教団に居場所を求めたのである。
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