「日本の霊の人」ついて
(2019年8月10日)
  言うも愚かですが、人間は、だれでも、必ずどこかの時代のどこかの国あるいは民族に所属していて、その伝統を受け継いでいます。「ナザレのイエス」という呼び名は、まさにこのことを指していて、今から二千年ほど前にパレスのナザレから出た一人のユダヤ人である「人間」のことです。このナザレのイエス様を通じて、宇宙を創造された神御自身が啓示されたというのが、新約聖書がわたしたちに伝えるメッセージです。神は、復活したナザレのイエス様に宿る聖霊のお働きを受け入れる者には、ホモ・サピエンスと呼ばれる人類が、それまで体験したことのない「新しい永遠の命」を与えて、ホモ・サピエンスを新しい「霊の人」(ホモ・スピリトゥス)に変容させてくださる。これが、新約聖書のメッセージです。令和の日本の時代に、イエス様を信じて新しい「霊の人」にされた日本人のクリスチャンのことを私は令和の「ニッポの霊の人」と呼ぶのです。
 「ナザレのイエス」は、二千年前のパレスチナ人以外の人を排除するものでは<ない>どころか、あらゆる時代のあらゆる人類を引きよせる呼び名です。全く同じで、「日本の霊の人」は、令和の時代の日本人が、ナザレのイエス様によって新たに変容される一人一人の「人間」に与えられる呼び名です。今の日本は、何かといえば「死ね」と言われる「冷和」の国ですが、霊の人は「霊和」をもたらす民です。だから、「日本人であることはクリスチャンに反する」などという言うことが、いかに愚かでおかしな誤りであるかが、この呼び名ではっきり分かります。当然のことですが、「日本の霊の人」という人間は、縄文時代や弥生時代以来の日本の伝統文化を受け継いでいます(そうでなければ「人間」でありません)。なんだか当たり前のことを言っているようですが、「日本のクリスチャン」では言い表わすことのできない霊性の有り様が、「日本の霊の人」にこめられていることを察知していただければ幸いです。
                      時事告刻へ