科学する人宗教する人
コイノニア東京集会
(2020年7月11日)
 今、BC(before corona)(コロナ前)とAC(after corona)(コロナ後)という時代区分が話題になっています。およそ宗教と名のつくものは、たとえキリスト教と言えども、時代の流れと地域的な拡大に伴って変容するのは避けられないのが自然の理です。こういう宗教的な歴史を踏まえるなら、これからの宗教界で避けて通れないのが、 宗教と科学との相互補完の関係です。ここで、留意しなければならないことがあります。それは、従来の自然科学が、神話や宗教それ自体を「否定する」傾向が強かったことです(聖書解釈や日本の神話解釈など)。
  しかし、私がここで提示したいことは、まさにその逆です。自然科学を通じて、「ホモ・レリギオースゥス」(宗教する人)としての人間の宗教的な霊性をより深く洞察し解明することが求められているからです。神話や宗教を自然科学の分野から正しく理解しようとする姿勢は、20世紀になって、主として文化人類学の分野から起こりました〔『朝日新聞』2020年6月22日号「文化人類学:より身近に〕。「宗教する人」は、自然科学で言う「人間学」あるいは「人類学」(anthropology)の分野になります。「宗教する人」とは、人間にほんらい具わる性質のことであり、それは人間存在の根底を形成する霊的な有り様を指しているのです。
 科学と宗教が対立するかどうかは、議論しだしたらきりがありません。しかし、科学者でなくても、人は誰でも「科学する心」を持っています。同じように、人は誰でも何らかの意味で「宗教する心」を抱いています。「科学する人」が確実に存在するように「宗教する人」も確実に存在するのです。日本から人工衛星「ハヤブサ2」が少惑星(リュウグウ)に向けて飛行しました。ハヤブサ2が惑星に向かって飛ぶことだけでなく、難しいのは、これを惑星に無事に「着地させる」ことでした。ハヤブサ2の打ち上げに成功した後で、着地の成功を祈願して、衛星打ち上げのグループが、そろって神社にお参りしている姿が報道されました(NHKBS)。「科学する人」は、同時に「宗教する人」でもあることをその姿はこの上なくよく現わしています。人間とは「宗教する人」(ホモ・レリギオースゥス)だからです。こうして、 2019年2月22日に、ハヤブサ2は、リュウグウへの着地に成功しました。
 「ホモ・レリギオースゥス」とは何か? こう尋ねられたら、わたしは「信じる存在である」と答えます。人は、その親兄弟などの家族を信頼することから始まり、バスと電車の乗り物、商店での買い物、レストランでの食事など、社会生活のあらゆる分野で、それに携わる人を信頼することで生活しています。国を信じ、貨幣を信じ、伝統を信じて生きています。ところが、家族をも含めて、人を「信頼しない」そのことを「信じる」思い込みという逆の場合も生じます。肯定と否定のどちらにせよ、人は「信じる」「信じない」そのことを信じる存在だからです。もちろん、人は「ある程度までは」信頼し合うことができます。しかし、いざとなったらどうでしょうか? 家族と言えどもなかなか難しいのではないでしょうか。なぜでしょう。
 答えは、人類史と聖書が語る救済史との重なり合いから出てきます。人は神を真心から「信じる」人、「宗教する人」として造られました。ところが人は、己(おのれ)の知恵(サピエンティア/sapientia)にうぬぼれて罪を犯したために、神を見失い、神にも人にも己にも、偽りを語る者になってしまいました。神を真心から信じる「宗教する人」が、神と人とを偽る「宗教する人」に転じたのです。では、どうすればいいのでしょうか? 十字架の御受難を通り復活されたナザレのイエス様を信頼することです。このイエス様をとことん「信心する」のです。そうすれば、たとえ罪深い「宗教する人」でも、救ってくださる。御霊の恩寵に与ることができるのです。だから、「イエス様、どうか私の心においでください」と祈ってください。これだけです。
 8年前に私が癌で右の腎臓と尿管を切除したとき、主様の導きを信じて京都の第二日赤で無事手術に成功しました。ところが、4年目に右肺に癌の転移が見つかりました。抗がん剤を薦められましたが、それをやると、聖書注解と集会の仕事がうまくできなくなるのではないかと、私は断わりました。その時、不思議に、京都大学医学部の肺の専門医で、退職した和田先生のクリニックを知って、そこで、梅のエキスや重曹や紅豆杉やキノコなどの自然のサプリを服用し始めました。転移が発見されてから4年経った今もこうして仕事をしています。
 これは和田先生の医学のお陰ですが、それ以上に、私を導いてくださった主様のお陰です。自分が今元気でおれるのは、医学と先生のお陰だ思いますが、それ以上に、主様を信じる信心こそ、今の出来事を生じさせているというそちらのほうを大事にしています。和田先生への信頼も「そこから生じる」。このことを忘れると大変です。私にとって、医学と医者が信頼できるのは、それが主様の導きによって生じた出来事であるからにほかなりません。医学とイエス様への信心を切り離すことができないのです。家族を信じる、隣人を信じる。エクレシアのメンバーを信じ、そして、日本民族を信じ、日本の国を信じる。これらをイエス様への信心と切り離すことはできないのです。
一人の主。一つの信仰。一つの洗礼。
唯一の神は万物の父。
すべての上にあり、
すべてを成り立たせ、
すべてに宿る。
私たち一人一人に宿る恩寵は
キリストの限りない賜。
(エフェソ4章5〜7節)
 皆さんは、イエス様の聖霊の恵みによって、「霊的な出来事/現象」のことをよく知っています。だから、イエス様を信じて、私たちを造り、私たちの国を造ってくださった神を信頼してください。大丈夫です。私たちも私たちの国も、イエス様は必ず守ってくださいます。皆さんが、イエス様を信じて今見ている世界は、いわゆる「霊の世界」だ。だから、一般の人とは「異なる世界」だと思っているかもしれません。ところが、そうではない。皆さんが今、体感している世界こそ、「宗教する人」としての人の有り様の根源に関わっているのです。このことを悟っていただきたいです。人間とは「宗教する人」であり、それは人間の根本を規定する要因だからです。 
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