「ノモス」と「トーラー」         
          学友との神学的談話会(2020年10月6日)
■「領域」と「権能」

 ギリシア語の「ノモス」は、ほんらい「家畜を養うための草地の領域」という場所を意味する。この「領域」を現す概念は、現在も変わらない「ノモス」の基本原理である(ギリシアではボイオテア州を「ノモス・ボイオテア」と言う)。したがって、「キリストのノモス」とは、「キリストが支配する領域」を指す言葉であるから、「キリストの王国」(バシレイア・クリストウ)を意味する。これに対して、「トーラー」は、主であるヤハウェが発した「ダーヴァール」(言葉)のことであるから、そこに、場所的な領域は含まれていない。ハイデガーは、ギリシアの「ロゴス」に、多数のポリスが、その領域同士の争いを避けるために行う「討論」の機能を見いだした。これに対して、ヘブライの「ロゴス」は、アケメネス朝ペルシア帝国に見るように、諸宗教や諸領域の支配者の違いを超えるものとして、皇帝が発する至高の「勅令」を意味すると見て、彼は、ヘブライ的な「ロゴス」をオリエントの専制君主の勅令と同一視した。勅令は、「バシレイア(王国)(kingdom)」に含まれる領域を指すよりも、諸宗教、諸領域を超える「エクスーシア」(至高の権能)を具えているからである。「トーラーのエクスーシア」(律法の権能)か、「ノモス・クリストウのバシレイア」(キリストの霊法の王国)か。神の言葉(ダーヴァール)から発せられる律法(トーラー)のエクスーシア(権能)によるのか、神の福音という出来事(ダーヴァール)にある霊法(ノモス)の支配領域(バシレイア)を目指すか?ここに、キリスト教に具わる二つの至高原理が併存しているのが見えてくる。
■「ユダヤの律法主義」という偏見
 律法主義はユダヤの民と国を支配する原理であり、キリストの福音は、<ユダヤの律法主義の領域の外に>存在するから、自由で普遍的な「キリストの王国」(神のpolis/神のcivitas)を宣教によって実現させることができる。これは、おそらく4世紀以降、東ローマ帝国の時代に、キリスト教会とキリスト教世界によって成立した「クリスチャンダム」(キリスト教圏=キリスト教の領域)の基となる原理であろう。「律法主義の民ユダヤ人の国」と、これを「福音の恵みによるキリスト教国」と対照させようとするこの神話は、4世紀以降に成立したと考えられる。だから、ユダヤ人とキリスト教とのこの差別的な区分は、新約聖書におけるパウロとユダヤ世界とのほんらいの関係を正しく反映するものではない。それは、後のキリスト教世界が編み出した「ユダヤ人とそのトーラー」に対する誤った偏見から出ているものである。
■ キリスト教的植民地主義
 「言葉」はその内容を習合させることができる。しかし、二つの「領域」は、これを習合させることはできない。一方のノモスによる他方のノモスの撤廃とその領域の征服によらざるをえないからである。だから、欧米の伝統的な「闘うキリスト教徒」による「勝利するキリスト教」が支配する領域では、その教会史に「キリスト教的な植民地主義」が陰のようにつきまとうのは避けがたい。アメリカの南北戦争の場合、奴隷制度の是非がその原因だと言えるほど事は単純でないだろう。しかし、アメリカの統一は、「北のノモス」と「南のノモス」の二つの領域が両立することができず、北が南を<制圧する>ことによって初めて、一つの「ノモス圏」が可能になった。内村鑑三は、欧米キリスト教会のこの領域的な支配原理に潜む植民地主義に対抗するために、「無教会主義」を唱えて、JesusとJapanの二つの<J>を提唱したのであろう。
■二者択一か?
 ちなみに、ネストリオス派のキリスト教や景教のように、「東へ向かった」キリスト教の場合は、東ローマ帝国のギリシア的なノモスのキリスト教ではなく、パレスチナのユダヤ的なトーラーに基づくキリスト教であった。その結果、中央アジアや中国やインドでは、キリスト教は、行く先々で諸宗教と習合することで、他宗教と「併存するキリスト教」の道を採ることになる(このキリスト教の場合、その前身として、すでに移住していたかつての北王国イスラエルの民のトーラー信仰があったとも指摘されている)。しかし、「併存」よりも、実態は「隠れたキリスト教」という姿で存続する場合が多い。ノモスの領域的な支配か、トーラーの権能的な至高性か、この問題に正当な答えを見出すのは極めて難しい。わたしたちには、「ノモス領域」か、「トーラー権能」かの二者択一ではなく、その両方を合わせ具える新たな「キリスト教」への道を探ることが求められている。この両方を併せ持つのが、ユダヤ人キリスト教徒による新約聖書のキリスト教だからである。「いわゆるキリスト教」を超える「キリスト」('Christ beyond the So-Called Christianity')が、現在求められているのを知る。
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