別れの言葉
     東京集会(2021年11月13日)
 今回で、この東京のコイノニア会へのわたしのメッセージを終わらせていただきます。ほんらいは、福音七講の七番目のメッセージを語るつもりでしたが、これは、<「霊の人」と「永遠の今」>と題して、短く書き直したものをコイノニア会のホーム・ページの福音七講の最後の章に載せましたから、メッセージのほうは、そちらでお読みください。ここでは、「別れの言葉」だけを語ります。わたしがお伝えしてきた信仰は、すでに皆さんよく御存知のとおりですから、最後に、これについて、二点だけお話しします。
(1)わたしが語ってきたのは、ナザレのイエス様の父なる神と、その御子であるイエス様ご自身と、復活したイエス様の聖霊の三位一体の神です。これは、1世紀の福音の初めから、アルメニア教会、東方教会、カトリック教会、プロテスタント教会が2000年にわたって伝えてきた信仰です。
 だから、キリスト教の教会の人は誰でもこれを信じている。こう考えると、実は誤りです。わたしが伝えてきたのは、三位一体の神による「受肉の恩寵」(ヨハネ1章14節)と、イエス様の十字架による「罪の赦し」(ルカ7章47〜49節/使徒言行録2章38節)と、復活したイエス様の御霊(ヨハネ20章22〜23節)とがひとつになった福音です。しかし、現在の日本で、この福音を、口ではともかく、心から信じているクリスチャンは意外に少いのです。知的な人たちの場合、「聖書は神の言葉」だと心から信じているかあやしいです。自分で聖書を本気で読み込んでいるクリスチャンも意外に少ないです。イエスはただの人だ。「十字架の赦し」よりも、知的な理解と倫理・道徳のほうが大事だ。こう考えるクリスチャンがいます。この世での生き方よりも、死んでから天国へ行くことのほうを重んじる人がいます。本気で信じるよりも、適当に信じるほうが安全だ。内心では、こう思っているクリスチャンがいます。「イエス様を信じる」と、口で言う人は多いけれども、イエス様を「心から信頼する」人が少ないのです。
 しかし、人には「信仰の自由」がありますから、そのことを咎(とが)めたり、非難したりはできません。どんな信じ方でも、神の「憐れみと赦し」の内にあると思えば、受け容れることができます。けれども、私は、そういうクリスチャンに出逢うと、とても哀(かな)しい。でも、ここに居る皆さんは違う。だから、わたしは、あなたがたには最後に申し上げたい。どうか、わたしが伝えたナザレのイエス様の福音を大事にして、今信じている「あなたのイエス様」に心からの信頼を寄せてください。
(2)なぜ、そんなに、イエス様への信頼が大事なのか? それは、この福音には、神の「まこと」が働く「パワーがある」からです。神の「まこと」は「善いまこと」です。イエス様を信頼して、そのみ名により頼んで祈るところに、ものすごいパワーが働くのです。あなたを護り、あなたの家族を護り、あなたの仕事を護り、この国を護り、アジアの平和を守る絶大なパワー。これが、<あなたを通じて>働いてくださるのです。
 そのパワーを、知識をひけらかして人々に宣伝しなくてもいいです。マスコミやメディアを利用して宣伝すれば、いろいろな人がいろいろ議論を仕掛けてきます。そういう議論に巻き込まれたら、イエス様を<ほんとうに伝える>ことが難しくなります。だから、議論よりも、実際の生活の場で、現実に起きる出来事を通じて、人から人へ「あなたのイエス様」を知らせてあげてください。「イエス様の御名による」パワーが、現実に働きますから。人知れず密かでいいのです。「イエス様の御名」を周囲の人に伝えてあげてください。五、六人の集まりができたら、月に一度、コイノニアのやり方で交わりを始めればいいのです。そんな交わりが七つ合わされば、教会堂が建ちます。わたしがここで語る役目は、今回で終わります。これからは、皆さんの番です。どうか、最後までお元気で、主様の恵みにあって、お働きを全うしてください。
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