しかし、 カトリック教会の聖餐では、イエス様の代わりを教皇が勤めます。だから、それぞれの信者は、教会の聖職者から御聖体を戴くことで、教皇を頂点とするカトリック教会に所属していると告げられます。そこに個人は存在しません。全員が、教皇を頂く「教会」に属するからです。だから、世界中を結ぶ驚くべき一致が生じます。
ところが、コイノニア会では、御覧の通り、一人一人が、聖餐を個人として戴きます。聖餐は、御復活のイエス様が、聖霊となって、弟子たちの間に御臨在されること、その上で、イエス様の霊体と命が、エクレシアのメンバー個人に宿ること、このことを証しするものです。もしも、弟子たちの中に、イエス様を宿さない人が居れば、彼は、イエス様とのエクレシアの交わりに入れません。だから、聖餐によるエクレシアの一致は、個人が、どこまで、その「まこと」を尽くしてイエス様を信じているかどうかにかかっています。
カトリック教会では、一致はありますが、そこで個人が活かされているかどうかは、これも御聖体を頂く個人が、どこまで「まこと」を尽くして、イエス様とつながっているかにかかっています。エクレシアと個人、どちらも大事です。どちらも、イエス様と個人との「まこと」の結びつきがなければ成り立ちません。三位一体の神の不思議がここにあります。
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