戦後77年の新年を迎えて

             (2022年4月6日)

 1945年の敗戦の年から、今年で77年目になります。思えば長い道のりでした。戦場へ赴く兵士を見送りながら、毎日の新聞で、アメリカとの戦争の記事ばかりを読んでいたのが、一転して、平和憲法と民主主義の世になりました。昨日までは、天皇陛下とお国のために「死ね」と教えられてきた日本人が、今日からは、民主主義の世の中だから、世のため自分のために「生きなさい」と告げられたのです。現実には、厳しい食糧難に襲われていました。その10年後に、日本は、大企業を中心にした高度成長の時期に入ります。やがて、物が溢れて、日本は、アメリカを凌ぐほどの経済大国になりました。ところが今度は、リーマンショックとやらで、一転して経済不況に陥(おちい)りました。20年ほど経過して、ようやく立ち直れるかと思った矢先に、日本は、世界を襲うコロナに巻き込まれました。これらの実体験を踏まえて、私が今思うことは、「これからの日本は、いったい、何を国是(こくぜ)とするのか?」という問いかけです。

■国を成り立たせる三要因

 どのような国家でも、国是(こくぜ)と経済と武力の三つの要因を具えています。「国是」とは、その国を成り立たせる基本的な方針、言い換えると、「国家理念」のことです。国家理念は、必ず何らかの信念に支えられていますから、それぞれの国や民に受け継がれてきた宗教や伝統に基づいています。現在の世界で言えば、「人権と自由の民主主義」とか、民族浄化を唱える「国粋主義」とか、いわゆる「人民の解放」を唱えるマルクス主義とか、独裁者による「全体主義」(ファシズム)、いわゆる「イスラム国」などが、それぞれの国と民を支配する「国是」になっています。

 「経済」とは、食糧を初め、人が生きていくために必要な「物を作り出す」生産力のことです。「武力」は、他国と戦うための軍隊と、これの装備のことで、核やAI(人工知能)を含む高度な技術力が、平和産業から武力へ転用されます。「国是」と「経済」と「武力」の三つが総合されると、その国の「主権」が成立します。だから、国家は、これら三要素のどれかを優先させることで、国の歴史を形成することになります。

 ちなみに、国是と経済と武力の三つは、「この世」という「荒れ野」で、悪魔がイエス様を偶像礼拝へ誘った手段です(マタイ4章1〜11節/ルカ4章1〜13節)。武力を誇示する権力崇拝。金を独占する強欲マモン神崇拝。信心を悪用して自己神格化を図る独裁者。金と権力と宗教は、何時の時代でも、悪魔が己(おのれ)を崇めさせる偶像礼拝へ誘う手段です。

■アジアの中の日本

 先の大戦で、日本は、聖徳太子による神仏併合よりも以前の時代へさかのぼり、「(皇祖の)紀元は2600年」と唱えて、敵する者「撃ちてし止まん」の武力に支えられ、神武天皇を祖とする現人神(あらひとがみ)の天皇崇拝を「国是」としました。この国是に基づく陸海軍の「天皇の軍隊」は、朝鮮、満州、中国、東南アジア諸国を植民地とすることで、経済生産力を増大させようとしました。これが原因となって、日本は、中国・米英蘭と戦い、亡国寸前の無惨な敗戦で終わりました。

 昭和20年(1945年)8月の敗戦以後、日本は、「富国強兵」の「強兵」を捨てて、「平和憲法」の基で、もっぱら、大企業を中心に、経済的な「富国」を目指しました。その結果、日本は、アメリカのマンハッタン・ビルを買い取るほどの経済大国になりました。その頃、アメリカの新聞はこう書きました。「大戦後のアメリカとソ連の冷戦が終わった。勝ったのは日本である。」

 明治維新から日本の敗戦まで、77年かかりました。敗戦から2022年の現在まで、77年経(た)ちました。今、日本を取り巻くアジアの状況を見渡すと、中国は、「人民のマルクス主義」を国是としながら、武力と経済力を増大させています。北朝鮮も同様に、マルクス主義を国是としながら、実態は個人崇拝を思わせながら、核兵器による武力を優先させています。これに対抗する韓国は、武力では北朝鮮に劣り、経済では北朝鮮に勝り、国是では、北朝鮮より優れた国家理念を有しています。ところが、この韓国が、今や、中国の圧倒的な支配力と北朝鮮の武力の前に、その国是が揺さぶられているように見受けられます。台湾は、武力において中国にはるかに及ばず、経済力でその力を堅持しようと努めながら、中国よりも優れた民主主義を国是としています。現在、アメリカは、武力において中国をやや上回り、経済においてもやや有利で、国是においては、中国をはるかに凌(しの)ぐ民主的な理念を掲げています。

 翻(ひるがえ)って、私たちの日本は、平和憲法を国是として歩んできました。しかし、「平和」憲法と言えども、「主権」国家の憲法である以上、「自衛」のための武力を持つことは正当であるという憲法解釈によって、今や相当の武力を保持しています。しかし、武力においては、米中にはるかにおよびません。経済においては、なんとか相互扶助の関係を保っています。それでも、最も大事な国是において、日本は、中国や韓国から、今なお「戦犯国家」のレッテルを貼られています。

■「戦犯」日本の実態

 日本は、今もなお「戦争犯罪国家」でしょうか? この問いかけは、今の日本の国是とも重なります。敗戦から77年を経過した今まで、日本は、世界のどの国とも戦争をしたことがありません。この77年間、「日本の軍隊」によって殺された外国人は「一人も」居ません。日本は、曲がりなりにも平和憲法の理念を掲げて、他国との戦争を避けてきたからです。日本の皇室は、事あるごとに、平和憲法を遵守し、世界の平和を祈願し、国民の命を大事にするようメッセージを発しています。

 アメリカが広島と長崎に原爆を落としたことについて、広島の原爆記念碑には、「安らかにお眠りください。二度と過ちを繰り返しません」と刻まれています。そこには、アメリカへの恨みも怒りも一切語られていません。原爆投下は、日本とアメリカ両方の「人間が犯した過ち」だと見なしているからです。私が、京都産業大学で知り合った友人の一人に、ハーバード大学出身で、東京工業大学教授になった劇作家のロージャ・パルヴァースさんがいます。アメリカ系ユダヤ人の彼は、私と語り合う中で、「日本人は、原爆を投下したアメリカになぜもっと厳しく抗議しないのか?」と不思議がっていました。

 日本の現行の憲法は、アメリカ本国でもとうてい受け容れられない「ピューリタンの理想」を掲げる絶対平和主義の憲法です。だから、アメリカの知日派のジョン・ダワーは、講和条約が結ばれて日本が独立したら、日本は、すぐにでもその憲法を変えるだろうと予測していました。ところが、日本人は、70年経っても、この「理想憲法」を変えなかったのです。ダワーは、このことに甚(いた)く感銘を受けて、日本を改めて見直しました。「21世紀は日本の世紀」と言われるのは、この様な事情からでています。

 戦後の日本人の中には、アフガニスタンの人たちの生活向上のために命を賭した中村哲さん、中国の奥地の砂漠を植林によって緑化し、中国では珍しい銅像が建てられた日本人、中東やアフリカやアジアで難民の救護に当たっている日本人など、人の命を大事にすることを身をもって実践した日本人が少なくありません。

 毎年、8月15日が近づくと、日本のテレビは、決まって戦前戦中の日本の政治家や軍隊の犯した「不当な謬り」を反省する番組を流します。このように、日本人は、自分たちの過去の過ちをはっきりと自覚し、これを「悔い改めて」来ました。日本は、その「悔い改め」を<言葉によらず実行を通して>現わしてきたのです。

 現在の日本は、中国やアフガニスタンやミャンマーなど、人権無視の<非>民主国家と非難される国々とも「友好関係」を保とうとしています。今や日本は、アジアのこれらの国々に向かって、その国の「非民主的な」政治を緩和し、国の有り様を変えるよう助言し、このために具体的な援助を行なうことができる数少ない国です。これらの事実は、戦後70有余年を経た現在の日本人が、神によって「罪赦された民」であることを証しするものです。「国際平和」と「個人の人権」は、今や、日本の憲法で保証された「国是」です。

■知日韓国人の日韓関係

 日韓関係について言えば、韓国側から見た「日本」(イルボン)の印象は、残念ながら、「好い」とは言えません。イルボンは、依然として、70年前と同じ「戦犯国」だ。こう思い込んでいる韓国人が少なからず居るからです。こういうイルボン観は、ほんとうに正しいのか? 数少ない知日派の韓国人を通じて、このことを検証してみます。

(1)羅英均(ナヨンギュン)さんの言葉〔『朝日新聞』(2015年7月22日)〕。

 「いまの韓国で、日本の<過去の長所>を公言すると<親日派>と厳しく批判されるでしょう。私は、日本の肩を持ちすぎると言われることがあります。植民地下で厳しい経験を強いられた(韓国の)人がいることは知っていますが、日本の優れたところを素直に認める考えを大学の先生たちに話すと、『同感だ』と、こっそり言われることもあります。一人の人間について、親日とか反日とか決めつけることはできません。・・・・・(韓国の)解放後70年、国交正常化50年を迎えてもなお、韓国人には日本を永遠の敵と思わなくてはいけないという強迫観念があるようです。少しでもそこから離れて、お互いが、自分や隣人を、ありのままに見ようとすることが韓日関係を改善するカギだと考えています。」

 どうやら、日韓関係の現在を「一般論で」語り合っても、あまり意味がなさそうです。日韓の「一人一人の個人」同士が、お互いを知り合って語り合う。これが、善い日韓関係を築くための最長で(?)最短の方法でしょう。

(2)曽田嘉伊智(そだかいち)さんのこと〔『朝日新聞』(2016年8月5日)〕。分かりやすくするため〔 〕などは私市が挿入しています。62年前(1960年)の元日の『朝日新聞』にこんな記事があります。

「この人ご存じ?『韓国こそ私の故郷』の曽田さんです。植民地支配下にあった現在のソウルで、千人におよぶ孤児を育て、日本に戻ったキリスト教伝道師、曽田嘉伊智が、90歳を超えて韓国に帰国したがっていることを当時の(韓国の)イ・スンマン大統領に呼びかけた。天声人語の筆を執る疋田桂一郎が書いた(この)報道がきっかけで、曽田は、念願の『帰国』を果たすのだが、翌年に死去した。大八車をひいて孤児らの食糧を求め歩いた慈父(曽田さん)の死を悼み、韓国では、国をあげての葬儀が営まれた。曽田さんはソウルの地に眠る。だが、長い時が流れた。

 韓国人で牧師の金永俊(キムヨンジュン)はいま、曽田の存在を多くの韓国人に知ってもらおうと、彼の足跡を懸命に追うが、たどりつけていない。手元の資料の数々を見て、金牧師は『それにしても』と思う。資料からは、多くの日本の保守政治家が、曽田の功績をたたえたことがわかる。中でも、曽田と同郷の岸信介元首相は熱心で、(曽田の)死去2年後に、ソウルでの曽田の追悼式に、(岸首相の)娘夫婦(安倍晋太郎夫妻のこと)を送った。(岸とは)言わずと知れた安倍晋三首相の祖父だ。『国交正常化の前夜だけに、(安部は)良い意味で、韓国での曽田人気にあやかりたかったのかもしれないが、(追悼に出た理由は)それだけではないでしょう』と金永俊(キムヨンジュン)牧師は見る。」

 「岸と親交があり、『日韓外交史の怪物』の異名をとる崔書勉(チェソミョン)さん(89歳)にそんな話をすると、かつての(日本の)保守政治家の懐の深さを物語る逸話が次々に飛び出した。『岸は何度も、韓国には悪いことをしたと謝った。それどころか、反日で鳴らした李承晩に特使を送り、(岸と同郷で韓国統監初代の)伊藤博文の過ちをわびさせた。』」

 「冷戦は終わり、日韓の二国間の間合いも、両国をとりまく状況も大きく変わった。歴史問題にのみ焦点をあてるような(マスコミの)言説にも刺激されるのか。いつの間にか、周辺国に勇ましい発言を繰り返すのが保守であるかのような印象が日本に広がりつつある。眉の間に深いしわを刻みながら、崔書勉(チェソミョン)さんは語るのだった。『昔は皆、反共や経済といった目的とともに、どんなアジアを作るかという夢も抱いていた。今の保守には(反韓の?)目的しかないんじゃないの』」。

 崔書勉(チェソミョン)さんが言う「どんなアジアを作るのかという夢」、これこそ、2022年の現在の日本と韓国に求められている「正しい」課題認識ではないでしょうか。

(3)金泰昌(キムテチャン)さん〔『朝日新聞』(2019年9月14日)「反・親」より「知」こそ重要〕。

韓国の公共哲学の理論家である金泰昌(キムテチャン)氏は、韓国の真の愛国とは、反日でも親日でもなく、知日であると言う。同じことが、日本の神道に対しても言える。真の日本の愛国とは、反神道でも親神道でもなく、神道を「知る」ことにかかっている。ここで言う「知る」とは、単なる情報を通じて、頭で考えることではありません。個人個人が、なんらかの絆を通じて、「交わる」ところに生じる友愛のことであり、そこから生じる信頼のことです。

(4)池明観(チミョングァン)さん〔『朝日新聞』(2022年1月5日)〕。

  日韓の国民は、「良い仲介者」になる覚悟を持て。2022年1月1日に97歳で亡くなった韓国の池明観(チミョングァン)はこう言う。彼は、韓国の(キリスト教の)宗教哲学者である。北朝鮮から韓国へ脱北してから、今度は、韓国の軍事独裁政権と闘い、日本へ亡命した。彼の批判は、(まことのキリスト者であった)金大中(キムデジュン)大統領を例外として、韓国の政権へ向けられている。韓国は、北東アジアの良き仲介者であるべきだが、その役目を果たしていない。池明観(チミョングァン)は、韓国の民主化運動を孤立させず、日本とつなぐことで活路を見いだそうとした。2001年、(日韓の間で生じた)「慰安婦問題」で、日本で歴史教科書(の記述をめぐる)問題が起きた。その時、池明観(チミョングァン)は、韓国の政府に、<国民同士では、日韓の交流がある>ことを韓国の国民にきちんと報道するよう(指示することで)、韓国のメディアに「圧力」をかけた。(従軍慰安婦をめぐる)教科書(の採り上げ方の)問題で、日韓の政府同士が、メディア(だけ)を通じて騒いでも、(日韓のメディアが報じない)日韓の国民同士の交流は続くからである。その交流を推し進めることこそが大事である。政府がなんと言おうと、我々国民は、こういうふうに交流する。このように胸を張ることができる自信を持った韓国民にならなければならない。「歴史は人間の思惑を超えて進む。だから変化には謙虚に対応すべきだ。」池明観(チミョングァン)はこう言ったのである。2022年の現在、アジアの民主化が後退しつつあるからこそ、池明観の遺言が大事である。

 池明観(チミョングァン)さんの言うことに筆者(私市)も同感します。「政府やマスコミによらないで、<国民同士が交流する>」方法は、具体的にいろいろあります。日韓の市民同士が、(例えば観光)事業や商売を通じて交流すること。市民同士が、学校や学会などの場で交流すること。市民同士が、儒教、仏教、キリスト教などの宗教団体を通じて、信仰によって交流することなどです。
■クリスチャンへの呼びかけ

 金大中(キムデジュン)大統領のメッセージ〔『キリスト新聞』(1998年10月24日)〕「21世紀へ向かう日・韓の間の課題」から。

「(日韓の)キリスト教界の指導者の皆さん!今世紀はじめの日本が韓半島を植民支配にしたことに起因する過去の歴史問題が、未だに日韓関係の発展につまずきの石となっています。しかしながら、私はもはや、すぎ去った時代の暗い影が、これ以上、両国の関係に障害となってはいけないと思います。日本は戦後、議会制民主主義を発展させ、驚くべき経済成長を遂げながら、非核・平和主義を固く守ってきました。また、世界の中で最大の経済援助国として、国際社会に多大なる寄与をしてきました。しかしながら、韓国を始めとしたアジアの人々は、日本に対する憂慮の思いを捨てきれずにいることも事実なのです。その理由は、アジア諸国の人々が、未だに日本は真の反省をしていないと考えているからなのです。」

「従って、私は、加害者であった日本が厳然たる歴史的な事実を直視し、韓国を始めとしたアジア被害国に、真心からの謝罪と反省をすべきだと繰り返し強調してきたのであります。われわれクリスチャンは、自分の過ちや罪を神の前で<悔い改め>れば罪が赦(ゆる)されるという信仰を持っています。私は、日韓における過去の歴史問題を解決するに当たっても、わたしたちが信仰するキリスト教において重要に考える<悔い改め>の心が必要だと思います。・・・・・」

「日本のキリスト教の指導者の皆さん! 21世紀は、世界化と開放化、そして、情報化の時代だと言います。急変する世界秩序の中で、日韓両国は、未来の不確実な面に対して、共に対処していかなければなりません。そのためには、両国の間での新しい協力関係を模索することが、大変急務な課題だと言わざるを得ません。・・・・・」

「今、重要なことは、両国の政府と国民の実践する意志なのです。特に、両国のクリスチャンたちが先頭に立って、交流と協力の歴史に新しいページを開いていくことを心から願うものです。」

 筆者(私市)が、最後にクリスチャン大統領の言葉を引用したのは理由があります。日韓の民間の交流を促す最短の距離は、両国のクリスチャンが手を握ることだと痛感するからです。主イエスのみ名によって、過去の経緯(いきさつ)にとらわれることなく物事を判断できる韓国のクリスチャンなら、戦後77年の日本の歩みを見れば、現在の日本(イルボン)が、過去の過ちと罪を「悔い改めて」、国際平和をその国是として歩んでいることを正しく認識できる。また、そうしなければならない。筆者(私市)は、こう考えます。今のイルボンのクリスチャンで、過去の日本の罪を「反省し悔い改めて」<いない>クリスチャンは、一人もいないからです。だから、たとえ韓国側からの「戦犯イルボン」憎悪の声を聞いても、そのゆえに、いわゆる「嫌韓」に走るクリスチャンはいません。むしろ、どこの国でもそうであるように、そういう「反日」が、日本の国内に「嫌韓」を呼び起こして、心なき人々に反韓への口実を与えるのではないか、と憂慮しています。今、日韓両国の現状は、歴史的に見て、きわめて重要な段階に来ています。日本人の多数は、いわゆる「反日」の声が外から流れてきても、これを冷静に受け止めて、反韓に陥ることなく、韓国の映画やテレビを楽しんでいます。イルボンの政府は、反韓・嫌韓の言動を「ヘイトクライム」と見て、これを処罰する法律を施行しています。だから、筆者(私市)が、日本(イルボン)で、親韓を勧め反韓をいさめるメッセージを発しても、日本人からの非難を恐れる必要を感じません。

■日本の現状

 とは言え、日本人が韓国へ抱く想いは、一様ではありません。どこの国にも、自国をひいきにするあまり隣国を貶(おとし)める人がいます。日本も例外ではありません。今も次のような状態が続いています〔『朝日新聞』(2022年1月10日号)の社説から〕。

「在日コリアンの関連施設が放火されたり、壊されたりする事件が相次いでいる。捜査途上の事件も含まれるが、民族など特定の集団に危害を加えるヘイトクライム(人種的な憎悪犯罪)と見られている。断じて許してはならない。」

「差別などをあおるヘイトスピーチの解消を目指す対策法が施行され、5年余り。表現の自由への配慮から罰則のない理念法となった経緯があり、それでも深刻なヘイト行為がやまない。川崎市では、慎重に審議した上で(反韓の言動に)刑事罰を科す条例ができた。」

「街頭での露骨な行動は減ったものの、ネット上などでの差別的な言動は根絶にほど遠い。」 
  私が、特に注目しているのは、在日の韓国人を差別してはならないという意図から、ヘイトクライムへの「特別法」が施行されている「その事」に対して、「なぜ、在日の韓国人だけを優遇するのか」と言う理由で反感を抱く人たちが居ることです。もしも、韓国側からの反日感情が今後も続くなら、これに呼応して、今は抑えられている日本の「反韓」「嫌韓」感情が、人々の間に増大するのではないかと憂慮します。

■復興させる力

 マルコ2章1〜12節に、体が麻痺した人が、イエス様に癒(いや)された出来事が出ています。過去に何らかの罪を犯したために、体(と心?)が思うように動かなくなった。こう言われ、そう思い込んでいた人が、彼を想う4人の友人に抱えられて、イエス様が語っている家へ運ばれて来た。そんな「罪人」が入る余地などないと言われたのか、4人は、患者をその家の屋根に運び上げて、「屋根を破って」、床(とこ)に寝たままの患者をイエス様の前に吊(つ)り降ろした。すると、イエス様は、屋根からじっと下を見ている「4人のほうに目を向けてから」(同2章5節)、患者のほうを向いて「あなたの罪は赦された」と言われた。「あなたの罪は赦された」というこの簡潔な言い方は、イスラエルでも例がないほどまれで、<神が、イスラエルの民の過去の罪をすべて赦してくださった>という意味で語られる例が一つだけです(詩編85篇2〜4節/同8〜13節参照)〔アデラ・コリンズ『マルコ福音書』ヘルメネイア185頁〕。すると患者は、起き上がって、寝ていた床を自分で担いで歩けるようになった!驚いたのは見ていた聴衆で、喜んだのは連れてきた友人たちで、感謝すべきはその人たちの<イエス様を信じる心>です。人の誠(まこと)に神の実(まこと)が応じたのか、神の真(まこと)から人の信(まこと)が生まれたのか、とにかく、もと罪人のその患者が、今は、「立ち上がり」(「復活する/復興する」の原義)、立派に歩いたのです。

 かつての「戦争犯罪国」日本も、国を想うクリスチャンたちの祈りに応えてくださった「イエス様の神」のおかげで、なんとか「起き上がって」、世界平和のために尽くす国になることができました。「罪を赦す」などと主張するのは、神への冒涜ではないか(マルコ2章7節)、こう思う人は、とにかく今の日本が「立って歩いている」その姿を見てほしい。この出来事は、イエス様の神によって「罪赦されるパワー」が、いかにものすごいかを証しするものです。

■日韓のクリスチャンへ

 私自身の霊体験からも、日韓のクリスチャンに提言したいと思います。

 紀元2000年4月23日のことでした。明け方目覚めて、床の上で祈りました。すると日本の国歌が聞こえてきて、何か大きな重荷が私にのしかかってきました。起きて祈るうちに、それが日本の国が犯した過去の罪であることがわかってきました。私は十字架の贖いの愛と赦しを祈り求めました。床の上にひれ伏して祈るうちに、重荷が少しずつ取り除かれていきました。最後に歓びが訪れ、十字架を高く掲げた御神輿をみんなでワッショイ、ワッショイ担いでいるヴィジョンを見たのです。日本の国のために、世界中の人類の罪のために、また、キリスト教国が犯してきた罪のために、祈らされたのは初めてです。

 日本は、今後も、韓国や北朝鮮や中国から、「戦争犯罪国」という汚名を浴びせ続けられることが予想されます。しかし、これに乗せられて、反韓、反中国感情を募(つの)らせることは、主の御心ではありません。そのような憎悪と怒りは、日本のためにも、東アジアの平和のためにもなりません。裏返して見れば、韓国のクリスチャンたちのほうも、日本が、すでに主に贖われて罪の赦しを授与されていることを認識する必要があります。かつて韓国のクリスチャン大統領キム・デジュンは、こういう「イエス様の和解」を日韓両方に教えてくださった方です。彼の時に、慰安婦問題で、日韓の合意が成立しました。

 敗戦から77年を経過した今、ナザレのイエス様の「罪の赦し」に与って、日本は、武力によらず、経済にもよらず、平和国家を目指す理念において(ゼカリヤ書4章6節参照)、アジアと世界をリードする立場を獲得しつつあります。主イエスの「罪の赦し」に与(あずか)り、イエス様の血の贖いに支えられて、21世紀の日本は、中国を中心とする東アジアを、日本の国是によってリードできるようになったのです。その国是は、この大自然における人間の行為を始めとして、あらゆるものを赦して贖う、父なる神からの永遠の大恩寵、善人にも悪人にも太陽を昇らせ、正しいものにも悪いものにも雨を降らせてくださる(マタイ5章45節)「永遠の赦しの光」です。国を悲惨な戦争から護る愛と平和の思想と政策は、そこからしか生まれないからです。
このメッセージは、今年の1月5日に、京都大学の信仰の友人たちとの研究会で語ったことに基づいて、これを拡大し補充したものです。これを同研究会で、改めて、2022年4月6日に発表しました。信友たちに御礼申し上げます。
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