プーチンとロシア正教会
        (2022年4月22日BS6放送
        解説は九州大学講師高橋沙奈美・他談による 
政治と宗教、国家と教会、この両者の関わり方を考える具体的な事例として、2022年現在のウクライナ紛争とロシア正教会について、BS6の放送を書き留め、これを再編集しました。
■キリル総主教のメッセージ
 2022年4月21日に、モスクワのロシア正教の救世主キリスト大聖堂教会において、26日(日曜)の復活祭への準備の期間(受難週)に入る21日の「最後の聖晩餐」の祭儀において、ロシア正教のトップの地位にあるキリル総主教が、左右に二人の正装した司教(?)と共に立って、参加の会衆にメッセージを語りました。総主教は、白い頭巾をかぶり、十字架を柄の上に具える壮麗な笏を手にして、ロシアのウクライナ侵攻への支持を表明しました。
 総主教は、今年の4月3日にも、「ロシア軍主聖堂」の入り口の壇上で、若い兵士たちを前にして、次のように語りました。
「わたしたちは、強くあらねばなりません。ここで、『わたしたち』というのは何よりも先ず『軍』のことです。しかし今は、軍だけでなく、わたしたちすべての国民も、覚醒して目を覚まし、特別な時が来たことを理解しなければなりません。今この時、わたしたち国民の歴史的な運命が決まるかもしれないからです。」
■キリル総主教
 総主教は、現在75歳で、1946年に、プーチンと同郷のサンクト・ペッテルベルクに生まれ、2009年にロシア正教会の総主教に就任しました。1990年代のゴルバチョフのペレストロイカ(ソ連共産党が言論・宗教などを自由化したこと)の時代に、ソ連のKGB文書が公開されました。その時に、ロシア正教会の高位聖職者(主教たち)とKGBとの間に協約が結ばれていたことが明らかになったのですが、キリル主教もその高位聖職者の中の一人でした。ソ連時代は、教会も、国家の機関であることが要請されたからです。高橋沙奈美氏は、総主教について、以下のように語っています。
 ペテルブルクの出身者には、リベラルな志向の人が多い。キリル総主教も、当初は、プラグマティックな人として評価されていた。ソ連崩壊後の1990年代に、ロシア正教会は、リベラルで多様性があり、現在(2022年)とは全く異なっていたという人が、正教会内部でも多い。ロシア正教会の中で、政府を批判することが可能だったからである。しかし、キリルが総主教になって、2010年代には、徐々に、モスクワを中心とする正教会は、国家との祭政一致へ進み、このために、正教を離れる聖職者たちが多かった。キリル総主教は、その間の歩みにおいて、教会を国家に合わせていく過程を踏んだのだろう。この意味で、彼の歩みは、プーチンの歩みとも重なる(高橋沙奈美氏談による)。
■キリル総主教とプーチン
 キリル総主教は、2012年に、プーチン大統領の就任式を司り、二人そろって並び、総主教自らろうそくを灯して祈りを捧げ、プーチンもこれにならってろうそくを灯しました。二人は「盟友」になったのです。また、2022年2月、プーチンは、即位13年を迎えた総主教に、白バラの花束を自ら手渡し、これによって、ロシアにおける政治と宗教の一致を演出しました。 
 総主教は、2022年3月11日に、プーチンを代弁するかのような次の書簡を世界教会協議会へ送りました。
「ロシアを公然と敵視する勢力が国境に迫ってきた。NATOは、年々毎月、軍事力を増強している。最悪なのは、そこに住むウクライナ人やロシア人を再教育し、ロシアの敵に変えてしまおうとしていることである。」
  それでも、4月23日の現在、ロシア国内で、ロシア正教の司祭など293名が、戦争終結を訴える文書に署名しています。しかし、多くの司祭たちは声を上げられずにいるようです。プーチンは、「ルースキー・ミール」(ロシアの世界)という用語で、ロシア帝国時代の復活を願い、自らを「神の代理人」である「ツァーリ」(皇帝)として、総主教と歩調を合わせていると見られています。彼が、このような歩みを始めたのは、2014年の反プーチンのデモからで、これに対抗するために「ルースキー・ミール」を唱えだしました〔BS5チャンネル:畔蒜(あびる)秦助氏の談〕。
■ロシア正教と軍
 20世紀のソ連時代は、レーニンとスターリンの時代で、ロシア正教会は弾圧され、壊滅状態にありました。1988年、ゴルバチョフ書記長が、宗教の自由を認めて、ロシア正教会を復活させました。1991年にソ連が崩壊し、2009年に、キリルが総主教に就任すると、従軍司祭制度が復活しました。2010年には、ソ連時代に没収されていた正教会の資産が教会に返還され、ロシア正教会は、有数の不動産所有者になりました。2012年に、プーチンが大統領に就任し、2020年に、ナチスに勝利したことを記念して、ロシア軍主聖堂が完成しました。ロシアでは、ナポレオン戦争で勝利した時にも、戦勝を記念する壮麗な軍主聖堂を建てましたから、第二次世界大戦でドイツに勝利した時にも、これを記念する軍主聖堂を建てたのです。
 プーチン自身も大統領就任当初は、ロシアもNATOに入ることまで考えていましたが、徐々に、NATOが、対ロシア敵視政策を採っていると感じ始めました。ソ連崩壊後、ロシア軍の士気が落ちて、軍内部が混乱したのを受けて、軍の精神的な支柱として、従軍司祭制が採用されました。軍は、資金的にも欠乏して、ロシア正教の力を借りて軍資金への助成を請願したのです。ちなみに、ロシア軍の中には、キリスト教だけでなく、仏教の僧侶もイスラムの師も宗教指導者として採用されています。ロシアは、宗教の力を借りて、軍内部の精神的な力を取り戻そうとしたのです。プーチン政権とアメリカとの関係が悪化する中で、愛国者公園の中に、軍主聖堂を建てて軍の力の復興を図ったのはこのためです(東大先端技術研究所専任講師小泉悠氏の談による)。
 1996年に、「核兵器とロシア連邦の国家安全保障会議」が、由緒あるダニーロフ修道院の中で開かれ、政府と議会と軍と教会の高官たちが集まりました。その折りに、ロシア正教の司祭が、核兵器に祝福を与えています。日本でも、三菱重工が、軍事技術を開発する際に、神主にのりとをあげてもらっています。とは言え、正教会が、核兵器を祝福したことは、平和の使者を任じていたロシア正教の内部で、そうとうショッキングな出来事でした。それまでソ連の核兵器開発は、隔離された場所で、一握りの特権階級の技術者たちによって行なわれていましたが、この会議以後、半ば公然と核開発が行なわれました。
 キリル主教は、総主教になる前には、ロシア正教会の中の外務を担当していましたから、国家(軍)と教会との一致を図ったと思われます。キリル総主教は、ソ連崩壊後、ロシア正教会を旧ソ連全体を管轄する大ロシア教会制度を採用しようと願い、これが、プーチンの「大ロシア帝国」構想と合致したと考えられます。ロシア正教会は、莫大な資産を所有しており、総主教自身も、オリガリヒから多額の援助を受けています。国家に逆らうなら教会は成り立たないという想いがあるからです。
 これで分かるように、ロシアでは、軍事と教会の宗教とが密接に関係しています。プーチンの国家観とキリスト教とのこのような一致は、アメリカの視点からもよく理解できると言います(ハーヴァード大学宗教学専攻パトリック・ハーラン氏の談)。この意味では、「プーチンの(キリスト教の?)神」が、ロシアの政治を動かしていると言えます(高橋沙奈美氏談)。
■ウクライナの正教会
 ウクライナの正教会の状態を見ると、キエフ系のロシア正教と、これから独立した正教会とに大別されます。ウクライナ西部では、独立派の教会が3730あり、キエフ正教派は3461です。中部では、独立派が1109で、キエフ正教派が2380。東部では、独立派が593で、キエフ正教派が2637。南部では、独立派が456で、キエフ正教派が1278です。西部を除けば、キエフ系のロシア正教派が圧倒的に多く、独立派は、ロシア正教会から公認されていません。しかし、2019年、コンスタンティノポリスの正教の世界総主教は、ウクライナの独立派を「新正教会」として、正式に公認しました。キエフ系の正教会は、モスクワのロシア正教会と交流があり、親ロシアだと言われてきました。ところが、2014年のクリミヤ併合と時を同じくするマイダン革命以後は、キエフ系の正教会は、「ウクライナ正教会」という称号を用い始めています。ちなみに、現在のカトリック教会のフランシスコ教皇は、ウクライナのロシア軍のブシャでの虐殺を強く批判してこう述べています。
「残酷で浅はかな戦争に引きずりこまれ暴力と破壊に激しく苛まれているウクライナに平和がありますように。この苦しみと死の恐ろしい夜に、希望の新しい夜明けが早く訪れますように。平和が選ばれますように。」
 ウクライナのゼレンスキーは、ローマ教皇に電話して支持を訴えました。これは、ウクライナ紛争が、カトリックとロシア正教との対立へと発展したと見なされています。とは言え、カトリックと正教との対立は、今に始まったことではありません(パトリック・ハーラン氏談)。
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