キリスト教から見える
日本の使命
(2022年7月31日)
筆者(私市)は、一九三二年、時の犬養首相が銃撃で倒れた五・一五事件の一ヶ月後の生まれで、現在九〇歳です。この老境の身に、祈りの折りに繰り返し示される主イエスからの「啓示」に促されて、誤解を恐れず思い切って、与えられたことをそのまま、手心せずに書き留めました。これをお読みくださる方々と何らかの分かち合いになれば幸いです。
■平和の日本像
第二次大戦以降、日本は、富国はしても強兵はしないという評価が国際社会に定着し、平和を目指す日本への信頼感が生まれました。終戦から七七年間、日本の外交は、戦争をしない平和政策を世界に発信してきたからです。アメリカに追従しつつも、アジアに目を向け、その上で、国連を重視する日本の外交は、それなりに、高い評価を受けてきました。
それが、ウクライナへのロシアの侵攻と、これに中国による台湾への支配政策が伴って、アメリカの武器援助に頼る/頼らない武力増大が唱えられるようになり、この論調に乗せられて、「強兵」一筋の政策が勢いを増しているように見受けられます。もしも、日本が、このような強兵策を採れば、中国や北朝鮮から、日本は再び軍国主義に向かうと批判されかねません。武力の増大は、軍事大国化だと見なされ、「戦争をしたくない」日本の真意は一向に伝わらず、相手国は、いっそう軍備を強化します。日本は、、曲がりなりにも平和主義を貫いてきました。このことは、とりわけアジア諸国からの日本への評価と信用への大事な支えになっていることを見落としてはなりません。アジアの国々は、敗戦から回復した日本を教訓として、平和と民主主義を目指す日本の復興を見習うことができるからです。もしもここで道を誤れば、この七十七年間築いてきた「平和愛好」の日本像が崩れる恐れがあります。
■五民族の平和
日本は、現在、欧米と足並みを揃えて、中露に対立する政策を明確にしています。この点で、オーストラリアを除けば、アジアで唯一、反中露を掲げる国だという印象を与えています。今後、中露と北朝鮮からの日本への脅威が高まることが予想されます。
ところが、見方を変えれば、日本は、中国を始め、朝鮮半島、モンゴル、台湾などの東アジアに、平和と民主主義をもたらすことができる唯一の国です。日米の連携を強め、自衛のために軍備を拡張することも必要でしょう。しかし、ひたすら武力により頼み、自己の力を過信するようなことがあってはなりません。日本は、今こそ、東アジア五民族の平和と民主化を目指して、中国の武力も権力も恐れることなく、北朝鮮の核兵器を怖がることもせず、どの国とも「平和を保つ」よう心がけなければなりません。
■国を民主化するもの
民主的な国では、民は政府に自由にものが言え、権力を批判することができます。全体主義の国では、その自由が認められません。どこの国でも、その国を民主化し、国の平和を実現するためには、その方法自体が民主的でなければなりません。だから、現在、ウクライナと戦っているプーチンの政権を平和へ転向させる「ほんとうの力」は、「真(まこと)の正教の民」とも言うべきロシア国民が握っています。国家権力を「正しくする」働きは、敵対する相手国家からの批判によっては生まれません。国を正すまことの力は、その国の民の忍耐と信仰からしか生まれないからです。
私がお伝えしたいのは、中国を中心とする東アジアの全域を民主化すること、これが、これからの日本の使命だということです。私たちは、現在、韓国に反日感情があることも、北朝鮮が日本に核の脅しをかけていることも、中国の政府が権力と武力による他民族への支配を強めていることも知っています。このため、日本は、中露と北鮮の脅威に備えて、日本の武力を増大させることで、この脅威に対抗しようとしていることも体感しています。
けれども、今、東アジアで、国同士が武力で対抗し合うことは、現在のロシアとウクライナとの間で起きているような戦争が、ここ東アジアでも現実のものになる危険があります。日本が、武力に頼って中国と立ち向かおうとするなら、日中の間に「ほんとうに」戦争が起こりかねない、極めて危険な賭(かけ)になります。
今一番大事なこと、それは、たとえ欧米と組んで自衛のために武力の拡大を図っても、日本の中国への真意は、あくまで、中国に民主化を促すことにあると明確に中国に伝えることです。中国に、民の自由と国際平和を目指す政府が実現すれば、その時こそ、中国は、かつての唐大国のように、世界から尊敬され、名実ともに「大国」になることができます。「このこと」を中国の民と政府に、誤解の余地なく分からせることです。こうすれば、あえて危険を冒してまで、日本を武力で攻撃することはしません。
■イエス様の普遍性
日本がこの目的を達成するために、「まことの」民主主義の源となる信仰を活かすことが求められます。国民一人一人の個性を発揮させて、民主的な国を形成する力を与える神への信仰が大事になります。
キリスト教は、パレスチナにお生まれになったナザレのイエス様が、「旧新約聖書が証しする神の御子」であると信じる宗教です。この信仰は、父なる神と全く同じ本性を具えた「人間」が、人類の歴史に顕現したことを証しするものです。神は、ナザレのイエス様が、真(まこと)の「神の御子」であることを証しするために、イエス様を十字架の死から復活させてくださいました。御子の復活を通じて、御子の内に働いておられた聖霊が、御子を信じるすべての人に注がれるためです。この出来事によって、かつてユダヤの地でお生まれになったイエス様の御霊(みたま)が、人類の歴史のあらゆる時代のあらゆる地方のあらゆる民族・部族に属する人間に、等しく宿ることができるようになりました(クリスマスのお祝い!)。これが、ナザレのイエス様に具わる不思議な普遍性です。こういう「普遍性」を「聖なるもの」と言います(イザヤ書六章三節)。イエス様の「聖霊」の不思議なお働きです。
ナザレのイエス様は、神であると同時に、正真正銘の「人間」です。人間は、誰でも、何時(いつ)か、何処(どこ)かの国か民族に属する者として生まれます。韓国の人なら、韓国の文化と宗教的な伝統を受け継ぐ人間として、イエス様の聖霊に与(あずか)ることができます。中国人なら、中国の伝統と文化を受け継ぐ者として、イエス様の御霊を体験することができます。大宇宙を創造し、大自然の営みを日々守り育てておられる神は、ナザレのイエス様の「父なる神」であり、そのイエス様が、復活されたことで、イエス様の御霊が、イエスをキリスト(救い主)として信じるあらゆる「人間」に、分け隔てなく注がれるからです。これが「父と子と聖霊」の三位一体(さんみいったい)の神のお働きです。キリスト教は、この三位一体の神を証(あか)しする宗教です。キリスト教の教会は、大はカトリックから、コイノニアの小集会にいたるまで、ありとあらゆる宗派・宗団の教会が、「この点では」一致しています。
私は、このイエス様の聖霊が、日本に働いて、日本人による「イエス様の民」が形成されつつあると信じる者です。言うまでもなく、日本人は(私自身を含めて)、日本の文化と日本古来の宗教的伝統を受け継いでいます。日本人は、一人の例外もなく「人間」ですから、あたりまえです。ナザレのイエス様の聖霊が日本人に降る。私は「こういうイエス様を」信じています。そもそも、私がイエス様をこのように信じることが「できる」こと、そのこと自体が、イエス様の御霊の不思議なお働きにほかなりません。
■日本の使命
今日本が「戦う」とすれば、それは、東アジアの国々の民に向かって、民主的なやり方で、アジアの平和を守るという大義を掲げた「挑戦」です。この大義を日本の使命とすることです。この「闘い」に勝利するために、私たちは、ナザレのイエス様を御子とする神のお働きに頼ることができます。
このために、日本のキリスト教徒は、韓国と中国と台湾とモンゴルのキリスト教徒と力を併せる必要があります。現在の中国の政情を見れば、それが容易でないことは察しがつきます。しかし、SNSなどの情報技術を戦う武器ではなく耕す鋤(すき)として活用することで、人と人との交わりを育ててほしいのです。日本の心ある方々にお願いします。どうか、日本の平和とアジアの民主化を目指す志(こころざし)を抱いてください。私は、確信します。これこそ、今、主イエスが、私たち日本のクリスチャンに求めておられることです。主イエスが灯(とも)された灯(ひ)なら、主様がこれを実現してくださいます。
「主守りたもう。主知りたもう。いつもそばにいまし、主守りたもう。」こんな美しい歌を教えてくれた「主羊牧養」の中国のキリスト教徒、激しい祈りに支えられた隣国アリランのキリスト教徒、日本のキリスト教徒は、欧米の宣教師だけでなく、これらのキリスト教にも教えられてきました。この日本が、今、福音の真理を東アジアへ広める使命を授与されています。「誇る者は、主を誇れ」(第一コリント一章三一節)です。
■地政的な視野から
キリスト教の救済史の視野から見れば、日本は、地政的に、東アジア・キリスト教圏成立の起点となることができます。日本は、アジア大陸の東端に位置していて、西域から伝わるもろもろの文化と宗教の最終到達点として、長年にわたり様々な文化と宗教を蓄積してきました。その結果、現在の日本には、呪(まじな)いや占いなどの素朴な原初宗教から、高度に発達した科学技術にいたるまで、多様な宗教と文化が保存されています。その日本へ、今度は欧米からキリスト教が伝えられることによって、奇しくも、アジア大陸の東端から、今度は西へ向けて、福音が広がる起点となりえる立場に置かれることになったのです。日本のキリスト教徒は、これから、国同士の平和と民同士の交わりを保つ「真(まこと)の民主主義」を育(はぐく)むキリスト教をアジアにもたらすことができます。こういうすばらしい啓示が、ほかならぬ日本人の私にも与えられていること。「このこと」に、私は、今、深く感動しています。
あの世界大戦から、七七年を経た二〇二二年の現在、日本は、ウクライナをめぐる欧米とロシアの対立の渦に巻き込まれて、中国と対立しようとしています。日米対中露の「アジア戦争」への懸念がささやかれる昨今の「アジアの中の日本」にあって、歴史を導く神の御子ナザレのイエス様から、「こういう信仰」が与えられるのはただ事ではないと想います。どうか、日本のクリスチャンの皆さん、信仰と希望を抱いて、東アジアの平和とキリスト教のために、一人一人が、イエス様の御霊にある力を発揮してください。
■天授の賜(たまもの)
想えば、先の世界大戦での敗戦から七七年。その間、奇跡と言われた成長を遂げた日本の経済も、今はすっかり落ちこんでいます。先の見えないこの時に、日本に、東アジアの平和と民主化を目指して、新たなキリスト教圏の成立を図るという大事な使命が天から授与されています。これは一つのヴィジョンですが、ヴィジョンは、その国と民の生死を分ける大事な働きをします。「ヴィジョンなき民は溶け去る。御言葉を保つ民は迷わず導かれる」(箴言二九章一八節を意訳)からです。ヴィジョンの実現は、武力や経済力からは生まれません。「武力によらず、権力によらず、主の霊による」(ゼカリヤ書四章六節)からです。
イエス・キリストの父なる神は、日本から西へ向かう御国の拡大という歴史の摂理を必ず成就してくださる。福音の真理は、どこまでも前進を続ける。これが、私に与えられたヴィジョンです。イエス様から注がれる聖霊には、絶大なパワーが具(そな)わっています。イエス様の御霊のパワーは、大地を潤す恵みの雨の働きにたとえることができます(ミカ書五章六節)。なんと不思議で、栄光に満ちた使命でしょう!これこそ、天からの大いなる賜(たまもの)、悦びの「使命」です。この啓示の悦びが、聖霊のお働きによって、できるだけ多くの日本人に体験され、広く行き渡るよう祈ります。
【付記】
「キリスト教から見える日本の使命」『船の右側』掲載について
信友との研究会で(2022年8月14日)
先の市川さんの出版記念では、いつものことながら、祝いの言葉も思わず声を大きくしてしまい、後で、せっかく主様が素晴らしい祝福の御業を成してくださったのに、これに水をかけるようなことをしたのではないか?と心配になりました。こういう私ですから、今日の私の『舟の右側』掲載の記事については、褒め言葉は無用です。皆さんが思っていることをはっきり手厳しくおっしゃってください。お読みくださって、そんなの中国に媚びる媚態外交だ、あるいは、東アジアの民主化など「お笑いだ」と言われる覚悟ができています。言われたことにはできるだけお応えします。どうぞ、ご遠慮なくおっしゃってください。
この原稿を仕上げたちょうどその時に、『船の右側』が届いたので、思い切って、編集長の谷口さんに、この原稿を送りました。すると、驚いたことに、「もっと短くまとめてほしい」という依頼が来ました。30年前に、聖霊信仰が「熱狂主義」と言われた頃に、『聖霊に導かれて聖書を読む』を出しましょうと新教出版社の社長さんから言われらときのことを想い出しました。東アジアを民主化するのが主イエスから授与された日本の使命などと、今は「お笑い」扱いされても、30年経てば、ここで言われていることが当然のことだと受け取られるときが来るのではないか?そんな予感がしています。
こういう啓示にいたるまでに、幾つかの段階がありますから、谷口さんにその事を告げて、その段階を小冊子として執筆しました。全部で七つの章で、題名は今回のものをそのままつけます。今回の記事は、その最終章になります。アッセンブリー系の出版社が、主様の御霊のお働きとは言え、国家と政治と社会に関する内容の啓示を認めてくださったことは、不思議です。この研究会の聖霊信仰と神学の幅の広さを証しするものです。皆さんのおかげです。改めて御礼申し上げます。