今フィンランドの先生方を想う
           京都キリスト福音教会で:2025年11月30日
 去る10月のことだったと思います。『エベン・エゼル』(キリスト福音教会75年史)という雑誌が、私のもとへ送られてきました。 これを開くと、私が若い頃に師事したフィンランドの先生方の事が書かれていて、懐かしさがこみ上げてきました。そこで、突然、置田先生にお電話して、フィンランドの先生方へ一言お礼を申しあげたいとお願いした次第です。93歳の今、こうして歩けるうちに、こうして語れるうちに、ぜひ、皆さんに、70年前に、私が親しくお交わりした先生方への感謝の気持ちをお伝えしたいと思ったからです。
 『エベン・エゼル』に出ている先生方で、私が知っているのは、マキネン先生(先生は、私にトラクトを渡して、初めてキリスト教の集会に行くきっかけを作ってくださった方です)、カルナ先生ご夫妻(先生の家が今のここにあって、その庭で集会が持たれていました)、ヘイモネン先生ご夫妻、ペルタリ先生(ヘルシンキ大学で英文学を専攻されたので、同じ英文学の私と話が合いました)、ロッカ先生ご夫妻(私が主として通訳した先生です)、アウティオ先生、ポルキ先生、スリヤ先生ご夫妻(とても親しくしました)、トゥオミネン先生、タポネン先生、コイッカライネン先生ご夫妻(どういうわけか先生とは気が合いました)、アウティオ先生たちです。それぞれの先生とそのご家族への想い出はとても語り切れません。
 今にして思えば、先生方がこの日本へ来たのは、主イエス様の聖霊のお働き、とりわけ、「異言を伴う」御霊のお働きを伝えるためであったことだと実感します。先生方は、直接「異言、異言」とおっしゃいませんでしたが、本音のところでは、ほかのキリスト教会とはひと味違う「異言を伴う」聖霊のお働きを伝えたいという思いを抱いておられたのを実感しました。だから、ヘイモネン先生が、私と武田姉妹(有馬信子さん)とを、生駒の聖書学院の聖会に連れていってくださって、そこで私が異言体験をしたときに、先生は、「私はこのために来たのだ」とおっしゃたのを今でも覚えています。
 フィンランドの先生方が伝えてくださった異言を伴う聖霊は、二つの特徴を具えていました。
 一つは、あのナザレのイエス様が、復活して今も生きて働いておられると私たちが「信じる」ことです。そもそも、復活のキリストを信じることそれ自体が、人間には不可能です。復活信仰は、十字架にかかり罪の贖いを成し遂げてくださった「神の右に居ます」イエス様から、私たち人間に遣わされる聖霊のもたらす賜(たまもの)だからです。
 もう一つは、「御霊にある自由」です。フィンランドの先生方は、私にこの「御霊にある自由」を身をもって教えてくださいました。当時世界を風靡していたアメリカの資本主義やソビエトのマルクス主義や中国の毛沢東の支配にまさるのが、イエス様にあるこの「御霊の自由」だからです。ところで、ここが難しいところですが、この「自由」には、人それぞれの「自我」に根ざす「霊的な傲慢」を煽る危険性が潜んでいます。パウロが、コリント第一の手紙で縷々(るる)説明しているのは、まさに、この「御霊にある自由」の問題です。現在のアメリカを分裂させ崩壊させているのが、まさに、「自由」のこういう危険性です。私は、今、かつての先生方に対して、この「自由傲慢」の罪を犯したことを深くお詫びしいたします。お詫びのしるしとして、この10月20に、息子の和宏が、牧師となる按手を受けました。彼は、アメリカの教会からも牧師を招いて、アジアの人たちへの宣教を目指しています。異言を伴うイエス様の御霊のお働きを無にしてはなりません。逆に、この御霊こそ、十字架のイエス様の罪の赦し深く悟らせてくださるパワーだからです。ここが、とても大切なところです。
 異言を伴う聖霊体験をした私は、その後、大津の教会でロッカ先生ご夫妻と集会をしていました。その頃、大津の教会には、日本人のほかに、韓国の人たちも大勢来ていました。フィンランドの先生方が勢揃いした大津の集会で(新年の聖会)、ロッカ先生は、御霊に満たされて、熱心に語り、私も、その熱意に動かされて通訳しました。それから、先生が、「さあ、みんなで祈りましょう」と言うと、全員が立ち上がって祈り始めました。すると、御霊が働き始めて、ものすごい祈りになりました。ロッカ先生はフィンランド語で、私は日本語で祈り、中国人の通訳の方は中国語でした。フィンランド語、日本語、韓国語、中国語、英語、異言。これらが、ひとつになって、全員が同じ御霊で一つにされているのがひしひしと伝わってきました。私は初めて、異言を伴う聖霊のお働きとは、こういうものか。このようにして、国も文化も違う人と人とをつなぐものか!と実感しました。72年経った現在もなお、フィンランドの先生方が伝えたかったのは、こういう御霊であると今想い、先生方に、改めて、深い感謝の念を抱くのです。どうぞ皆さんも、先生方のこのお気持ちを受け継いでください。ご静聴、有り難うございました。
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