ヨハネ会発足の言葉
               アルカディア市ヶ谷私学会館
                (2019年11月9日)
■はじめに
 始めにお断りしますが、改訂版は経費のこともあって、必要な部数だけですから、もはや一セットも残っていません。だから、お手持ちのもの以外に入手することができません(再版すれば別です)。ただし、コイノニア会のホームページで、全く同じ物を読むことができますから、もしも、この会に加わりたいと願う人がいれば、ホームページで読むことができます。
 今日、このような6名の集いが開かれたのは、一つの不思議な出来事です。この事態は人の思惑(おもわく)から出たことではありません。私は、最初、私の著作を買ってくださる未知の方々と顔を合わせたいという意図でヨハネ会を考えていました。ところが、いざ蓋を開けてみると、全員がコイノニア会のメンバーであるという不思議な結果になりました。これは、今度の出版の時期とも不思議に関係します。このことは、大事なことを二つわたしたちに教えてくれます。
(1)それは、年に2回の東京のコイノニア会が、隔月になり、今、ゆくゆくは教会堂を持つ毎週礼拝の「教会」をも視野に入ってくるところにきています。横浜聖霊キリスト教会も教会堂を目指しています。西神戸の入路牧師夫妻の教会堂建設は具体的な段階に入りました。この段階で、コイノニア会の方々とこういう交わりの場が与えられたのは、時宜にかなった不思議なことです。
(2)なぜなら、教会堂をもつ教会を目指すその中で、従来の少人数の月に一度のコイノニア会が、その霊性だけでなく、その有り様を含めて、非常に大事な意味を持つことが分かってきたのです。コイノニア会は、会堂を具えた教会に代わるものでも、大きな教会に付属する分科会でもなく、コイノニア会の方式は、それ自体で、とても大事な意義を帯びていることがこれで悟らされたのです。
 ただし、私はもう87歳ですから、このヨハネ会は、来年からは、年に2回、それぞれ自宅から参加できるネットの交わりにしたいと思います。しかし、ここで悟っていただきたいことがあります。それは、ネットで交わりができるのは、それまでに、顔と顔を合わせた交わりがあったからこそできることだということです。まだ会ったことがない人とは、ネットで顔を合わせるだけでは、このような交わりはできません。「このこと」を今日のこの交わりが、はっきりと証ししています。ネットは、やはりヴァーチュアル(virtual)「擬似」であることに変わりありません。顔を合わせる時こそ、ほんものの交わりができるのです。
■一文書の人
 私は、あるカトリックのご夫妻と三年にわたって、カトリック教会で毎週の礼拝で朗読される典礼を学ぶ機会がありました。典礼は、旧約聖書と新約聖書から抜粋した御言葉で成り立っていますが、カトリックの方々は、その典礼の御言葉を自分で深く学ぶことを避けているところがあると聞きます。これは、カトリックだけでなく、日本のプロテスタントでも同じです。聖書の御言葉は、牧師さんや教会の信徒用の雑誌などで読めばいいので、自分から御言葉を深く学ぼうとはしない傾向があります。
 しかし、日本のような知性の高い教会のメンバーの中には、教会の教えをそのまま信じるのではなく、ごく少数ながら、自分なりの信仰を生きている人がいます。こういう人には、それぞれに信仰の特徴があります。その特徴は、その人が、聖書のどれか一つの文書を深く自分で心読して、これによって生きようとするところに生まれます。一つの書物だけを読む人のことを「一書の人」と言いますから、聖書だけを読む人は「一書の人」です。しかし、私がここで言うのは、聖書の中の一つの文書に集中することですから、その人は「一文書の人」です。
  日本には、聖書事典、聖書の各巻の注解書などがそろっていますから、日本語だけでも十分深く学ぶことができます。しかし、大事なのは知識ではない。学識ではない。御言葉を深く学び信心する心構えです。これによって日本の教会はものすごい力を発揮すると思います。
■私の願い
 こうして、コイノニア会の中からヨハネ会が誕生したことの意義はとても大きいと思います。なぜなら、今日お集まりの方々には、皆さん一人一人が、聖書の「一文書の人」になってほしいのです。年に幾度かの集まりで、それぞれが、自分の文書について語り合う。そういう会になってほしいからです。そうすれば、交わり即聖書研究になります。「あることについてはすべてを。すべてについてある程度」"Everything about something. Something about everything."と言います。「聖書を読め」と言ったり言われたりする前に、このやり方で、日本のクリスチャンは、聖書を自分で深く学ぶことができます。そうなれば、日本のキリスト教会は変わります。このヨハネ会が、そういう学びの集いの出発点になってくれれば本望です。次回から、私はヨハネ福音書について語りますが、皆さんは、ご希望であれば、ご自分で選んだ聖書の文書を採り上げてください。もちろん、ヨハネ福音書でもかまいません。
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