ヨハネ共同体と使徒的教会
ヨハネ会で(2020年10月17日)
 
 十二使徒の中で、ヨハネは、おそらく最も「霊的なイエス様」を啓示された使徒でしょう。このために使徒ヨハネは、当時としては高度に霊的なイエス・キリスト像を抱くようになり、伝統的にヨハネ共同体の始祖であると云われています。
 こういうわけで、ヨハネ共同体は、ペトロやヤコブ、マタイやルカの属していた「使徒的教会」からは、やや離れた存在として区別される傾向があります。独特の霊的なイエス像を信じる比較的小さな交わりの集まりというイメージが強かったからです。
 ところが、高度に霊的なイエス様を信じながら、使徒的教会からやや離れた小集団だと見なされていたヨハネ共同体が、1世紀の終わり頃に分裂し始めます。分裂の原因はいろいろ考えられますが、使徒的な教会とは違って、主教と長老と一般信徒という区別がなく、互いに平等な聖霊の交わりを信じる共同体だったからでしょう。このために、リーダーシップをめぐって分裂が起こったのです。分裂後は、それまで長老ヨハネが指導するほうが、離れていった信徒たちよりも数において少数になった?とも云われます。
  聖霊を深く悲しませるこの哀しい出来事がなぜ生じるのでしょうか?第三ヨハネの手紙9節に「みんなの指導者になりたがっているディトレフェス」とあります。自分が全員の指導者になるんだ。こういう思いこそ、分裂を引き起こす根本の原因なのです。どうか、皆さん、「自分が」指導者になるのではなく、イエス様お一人を「自分の」指導者にしてください。あなたが自分でイエス様を自分の指導者に選ばなければ、誰かほかの人があなたの指導者になります。自分の指導者はイエス様ただお一人です。自分が人の指導者になろうなどとうぬぼれてはいけません。イエス様お一人を我が師と仰ぐ。コイノニア会はそういう人たちの集まりです。そうなるための交わりです。国民を欺く独裁者、暴君、圧制者から、交わりを欺くディオテレフェスにいたるまで、共通するのは「偽りを語る」ことです。これが、人に知恵の樹の実を食べたいと思わせたサタンの企みです。サタンの本性は「人殺しの偽り者」(ヨハネ8章44節)だからです。ディオテレフェスに与える処方箋はただ一つ、「へりくだって、己の罪を認めること」です。そこに働く十字架の恩恵を味わい知ることです(第一ヨハネ1章9〜10節)。私も、このうぬぼれと長い間闘ってきました。人を指導する者は人に仕える者になるのです。だから長老は、分裂を避ける道を次のような言葉で諭しています。

  イエス様との交わり(コイノニア)を
  保っていると口では言いながら
  その実、暗闇の中を歩んでいるのなら
  わたしたちは偽りを語っています。
  真理を実行してはいません。
  本当に光を受けて歩んでいるのなら
  イエス様は光そのものですから
  同じ光でわたしたちも互いに交わりを保ちます。
  光の子であるイエス様の血(罪の赦し)を受けて
  わたしたちの罪性いっさいが光で消えるからです。
            (第一ヨハネ1章6〜7節)

 ヨハネ共同体は、この頃から、使徒的教会と合併する道を選びます。このように云うと、ヨハネ共同体は、結局、使徒的教会へ「飲み込まれて」、その存在意義を失ったと思うかもしれません。ところがそうはなりませんでした。ヨハネ共同体の高度で霊的なイエス・キリスト観は、大教会の「キリスト論」に大きな影響を与えたからです。ヨハネ福音書が大教会の人たちに読まれるようになり、2世紀の異端論争を経過して開かれたニカイア教会(325年)では、三位一体の教義の形成において、ヨハネ福音書のキリスト論が大きな役割を果たしました。それだけでなく、聖職者と信徒とを区別する方向を目指していた教会に、信徒と聖職者とを対等に見なす有り様を指し示すことができたのです。こうして、霊的なキリスト観を抱く比較的小さな共同体が、実は既成の「大教会」に大きな影響を与えることになったのです。
 そうは言うものの、すでに、ここには、他の教会に所属しておられる方々がおいです。このヨハネ会は、大丈夫です。既成の諸集会に吸収されることはありません。だから、このままの歩みを続けてください。そうすれば、かつてのヨハネ共同体が、大きな教団に影響を及ぼしたのと同じ働きをすることができます。これが、ヨハネ会とコイノニア会に主様から与えられた使命なのです。
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