6章 ヨハネ共同体と分離派
第一ヨハネの手紙の長老は、ヨハネ福音書ではあまり明確にされていない諸点(黙示的用語/救済のための死/低次のキリスト論)を採りあげています。長老は、相手がヨハネ福音書の根底にある伝承を知らないために福音書を歪めていると見ていますが、このことを婉曲な言い回しで述べているのは、相手のほうが、数においてむしろ有利な状態にあることをうかがわせます。長老は「初めからあったもの」(第一ヨハネ1章1節/同2章7節)に訴えていて、そこに相手を批判する根拠を見出しています(第一ヨハネ2章4節/6節/9節)。この意味で、特に1章5節/3章11節の「アンゲリア」(知らせ/教え)は、共観福音書の「福音」に相当するヨハネ共同体の用語でしょう〔ブラウン『ヨハネ福音書』(1)273頁(注)214〕。このような見地から、ブラウンは、相手側の論述を、キリスト論、倫理観、終末観、聖霊論にわたって再構成しようと試みています。以下、これを参照しながら、長老に代表されるヨハネ共同体と分離派との差異を見ていくことにします。
■キリスト論
ヨハネ共同体の信仰は「イエスが先在の神のみ言」であることですから、この信仰がヨハネ共同体を支えてきました。ユダヤ教との闘いを通じて守り通してきたこの「高次の」キリスト論は、ヨハネ共同体内部において、キリスト論に関する限り、ほんの少しの違いも妥協も許さない気風を生みだしていたと思われます。ところが、その先在の神が宿るイエス・キリスト論から、異なる路線が派生したのです。共観福音書の教会でも、それまでのヨハネ共同体でも、「イエスが人であった」ことは、言わば当然の前提であって、事これに関する限り、いかなる論争も起きませんでした。最初期のキリスト教徒は、イエスの人間性について何の疑問も抱きませんでしたから、もっぱら、イエスの神性のみに注意を向けていたのです。この点では、キリスト教を批判したユダヤ教も同じです。
ところが、この<イエスの人間性>という前提が、ここにいたって陰りを見せ始めたのです。第一ヨハネの手紙は、分離派と自分たちとの違いを次のように言い表わしています。「イエスこそキリスト(メシア)であり神の御子であって、これを否定するものは、偽り者であり反キリストである」(2章22節/4章2〜3節)。いったいこの主張は、ヨハネ福音書が伝える「イエスは神の御子、キリストである」(20章31節)ことと、どこが異なるのでしょうか?ヨハネ福音書と第一ヨハネの手紙が、一見すると類似する命題を語るのは当然ですが、それなら第一ヨハネの手紙の長老は、なぜ新たに上に引用した命題を掲げるのでしょうか。
ここで長老が批判する相手は、仮現説あるいはグノーシス主義の提唱者なのでしょうか? グノーシス思想を代表するナグ・ハマディ文書群がこれに答えてくれます。その一つ『三体のプローテンノイア』には、「私はイエスを着た。私は呪われた木から彼を運び、私は彼を彼の父の居場所に移した。そして、彼らの居場所を見張る者どもは私を知らなかった」とあります〔ナグ・ハマディ文書(V)『説教・書簡』岩波書店($33の10)〕。また同じ文書群の『三部の教え』には「彼(救い主)が先在したこと、また、彼が永遠であって、ロゴスに由来する生まれざる者、苦難を受けることのない者として、肉の内にあるようになったこと」〔ナグ・ハマディ文書(U)『福音書』岩波書店($60の35)〕ともあります(ただし同書$61には救い主の受難と思えることも語られています)。
従来、エイレナイオスがポリュカルポスから聞いたとして伝えていること、「主の弟子(使徒ヨハネ)がケリントスを<真理の敵>と呼んだ」ことを引き合いに出して、分離主義者とはケリントス主義であろうと推定されてきました。エイレナイオスによれば、ケリントスは「イエスが洗礼を受けた後、キリストが、すべての者の上にある権威/権勢から降下して、鳩の姿となってイエスの上に降った・・・・・しかしながら、最後に、このキリストは、再びイエスから身を引いた・・・・・キリストは、霊的な存在だから、苦難を受けることがありえないからである」と主張していました(この主張を「養子的仮現説」と言います)。したがって、従来、長老は、第一ヨハネ5章6節で、この養子的仮現説に反論して、「(イエスは)水と血とを通って来た。水だけでなく血を通ってである」と主張していると理解されたのです。
しかし、ケリントス主義は、ヨハネ共同体の分裂の<後の段階で>分離主義者たちが受け入れた説であって、ケリントス主義は、第一ヨハネの手紙が書かれた段階では、まだ直接の論争相手ではなかったとブラウンは見ています〔ブラウン『ヨハネ共同体の神学とその史的変遷』274頁(注)220〕。相手がケリントス主義者であったとすれば、第一ヨハネの手紙の長老が相手を論駁するのはいとも容易であったはずです。なぜなら、ヨハネ福音書には、イエスが見せかけの体を持っていたなどと、どこにも示唆されていないからです。ヨハネ福音書は、復活したイエスが<釘の後を見せた>とまで言っています。ヨハネ共同体からの分裂主義者たちは、ヨハネ福音書を熟知していたはずです。そんな彼らが、仮現説に与することなどどうしてできたでしょうか? 論争相手の主張が洗礼による養子論であるとすれば、第一ヨハネの手紙の長老は、わざわざ<水を通ってきた>ことを強調するでしょうか?〔ブラウン『ヨハネ共同体の神学とその史的変遷』〕。
ブラウンによれば、分離主義者たちがヨハネ福音書から導き出した結論とは、およそ次のような内容ではなかったかと推察できます。
分離主義者たちにとって、(イエスの)人間としての存在は、神のみ言が人間に救いをもたらす一つの実例にすぎないのであって、(イエスの)人間存在それ自体は、救い(贖い)の唯一無比の形成要因ではなかった。だから、パレスチナでイエスが行なった業も、十字架の死も、彼ら分離主義者たちにとっては、絶対的な重要性を持っていたとは言えない。仮にみ言が、全く異なる人間に受肉し、異なる人生を歩み、異なる死を遂げた人物として現われたとしても、それがもたらしたであろう救いは変わらない。大事なのは、永遠のみ言が、人間としてこの地上に降下したことだけなのである〔Brown. The Community of the Beloved Disciple. 113-14.〕。
したがって、分離派にとってみれば、神のみ言による人間の「救済」だけが重要なのであって、そこには、「ナザレのイエス」という歴史的で救済史的な視野は、必ずしも必要不可欠な要因ではないことになります。このような観点からすれば、ナザレのイエスに神を見るという「イスラエルの」救済史的な視野は、もはや重要ではなくなりましょう。
ヨハネ福音書のキリスト論がイエスの人間性と結びつく箇所の一つが、1章14節の「み言は肉体となった」ですが、分離派にとっては、それよりも、これに続く「わたしたちはその栄光を見た」とあるほうが大事なのです。「その栄光」とは、イエスの人間性を通して顕れた神の栄光のことですが、この栄光は、共観福音書では、山上におけるイエスの変貌を通じて、ペトロとヨハネとヤコブに顕れたものです。
では、分離派にとって、先在のキリスト論とイエスの人間性とは、どのように結びつくのでしょうか? ヨハネ福音書の描くイエスは、通常の意味で「食べたり飲んだりする」けれども、それらのすべての業が霊的な意義を感じさせる象徴性を帯びています。イエスのラザロへの愛でさえ、彼が死んだ後になってから初めて訪れますから、超人間的な愛であるという印象を強くします。
共観福音書では、イエスは父の御心を「祈り求めて」います(マルコ14章36節=マタイ26章39節=ルカ22章42節)。しかしヨハネ福音書では、イエスの意志と御父の意志との間には、本質的に何の齟齬もないのです。父の御名がすでにイエスに与えられているからです。ケーゼマンの言う最初期の仮現説は、これをヨハネ福音書に適用するのは時代錯誤ですが、ケーゼマンは、ヨハネ福音書の描く人間性に「人間の限界が見えない」ことに気づいていたと思われます。
分離主義者たちは、ヨハネ福音書が語るイエスの業ではなく、永遠の命としてのロゴスの存在それ自体のほうを重視しています(ヨハネ17章3節)。彼らが重視するのは、ロゴスであるイエス・キリストの存在それ自体のほうであって、イエスが地上で行なった「出来事」ではないのです。彼らはイエスが「神から遣わされた」ことだけに目を向けるのです。
ヨハネ福音書はイエスの洗礼について触れていませんから、分離主義者たちから見れば、イエスの洗礼は、己を人間の罪のために生け贄として捧げるためでもなく、人間の悔い改めと罪の赦しの規範でもありません。また、エルサレムの神殿は、イエスがこれを否定し「浄化する」ことで、十字架刑を受ける原因となるものではなく、神殿は、そのままでイエスの復活のからだと直結するものです。彼らに言わせると、受難は自己放棄ではなく勝利であり、イエスは、十字架上ですでに聖霊に与っています。十字架の周囲には、すでに最初の弟子グループによる教会が始まっています。「霊を引き渡した」のは、<自分のほうから>父に霊を渡したことを意味しますから、十字架は、フィリピ2章8節の言うように、従順と謙虚(ケノーシス)を表わすものではなくなります。だから、十字架は、もはや「贖い」ではなく、昇天を通じてイエスの神性を「啓示」するためだけに起こったことになります。
ブラウンは、およそこのような見地から、分離主義者たちがヨハネ福音書をどのように読むことが「できたか」を示しています。ただし、彼らのこういう解釈は、ヨハネ福音書のテキストに即して見るなら、一面的であるという印象を免れません。そこには、「世の罪を救う神の小羊」/「(己を死に)引き渡す=裏切る」/自らの意志で「羊のために命を捨てる」など、ヨハネ福音書の言語に潜む二重性への洞察が欠けているからです。
第一ヨハネの手紙の長老は、第一ヨハネ4章2〜3節の命題を通じて、ヨハネ福音書を<それまでとは違った角度から>再解釈しようと意図しています。その再解釈とは、「イエスは神の子なのか?」というそれまでのユダヤ人からの批判的な問いかけではなく、「神の子は人間イエスなのか?」という分離派からの新たな問いかけに答えるためです。「イエスを<告白しない>(メー・ホモロゲイ)すべての霊は神からでない」とあるところを「イエスを<解体する/分解する>(リュエイ)すべての霊は神からのものでない」とする異読があります。この読みを採るなら、第一ヨハネの手紙の作者は、神の子である人間イエスを「解体している」分離主義者たちの受肉理解の誤りを指摘しているのが分かります。「解体する」という読みは、おそらくグノーシスに対抗するために後から加えられた変更でしょうが、ヨハネ福音書のキリスト論に潜む問題を的確に探り当てていると言えましょう。
長老は、受肉の事実だけでなく、受肉したロゴスが地上で<活動したその史的な出来事>をも加えるように配慮しています。この点で、第一ヨハネの手紙の叙述は、ヨハネ福音書のそれよりも明確です。ヨハネ福音書と第一ヨハネの手紙の序の言葉とを比較してみるとこの点が分かります。ヨハネ福音書の「初めに」は、天地創造の初まりを指しますが、第一ヨハネの手紙では、それが、「イエスと<弟子たちとの出会い>の初め」へ移行します。ただし、この移行によってヨハネ福音書が内容的に変更されて解釈されているのではありません。ヨハネ福音書では「啓示された」み言とありますが、第一ヨハネの手紙では、「<わたしたちに>顕された」(第一ヨハネ1章1節)からこそ、そのみ言が永遠の命であるという記述へ変わります。これも、人々に命を与え続けたイエスの生き方それ自体を伝えようとするヨハネ福音書のメッセージにほかなりません。「よく観て、手で触れた」のは、「人間としての」イエスの有り様を指し示すものです。「御子イエスの死と血」は<すべての人>のための死と血です(第一ヨハネ1章7節/同2章2節)。
分離主義者たちにとっては、ロゴスの永遠性は自明のことですから、ことさらに「信じる」を強調する必要がありません。しかし、「信じる/信じない」は、ヨハネ福音書に82回ほど、第一ヨハネの手紙で7回ほどでてきます〔新共同訳〕。「言い表わす(告白する)」は、ヨハネ福音書に3回、第一ヨハネの手紙に5回ほどでてきます〔新共同訳〕。最後に最も大事な事は、イエスが「肉(人間)となって」来たのは(第一ヨハネ4章2節/第二ヨハネ7節)、そうでなければ、永遠の命がわたしたちのところへ来ることがなかったからなのです(第一ヨハネ1章1〜4節)。
■救いの完全性
第一ヨハネの手紙の作者(長老)は、分離主義者たちが、その倫理観において誤っていると見ています。そこで、長老が相手側の誤りだとしている点を第一ヨハネの手紙から再構成すると、次の3点が浮かび上がってきます。
第一に、反対者たちは、自分たちの「完全性」を主張し、自分たちが一点の罪もないと言えるほど神と親密な関係にあると主張しています(第一ヨハネ1章6節/同8節/同10節/2章4節/同6節/同9節/4章20節)。
分離主義者たちが主張する「罪から解放された完全性」は、以下に見るように、彼らなりの裏付けをヨハネ福音書から読み取ることができましょう。「神との交わりにある」→6章56節/14章23節/15章4〜5節/17章21節/同26節)。「神を知っている」→14章7節/17章3節/同25〜26節)。「光の中にいる」→3章19〜21節/8章12節/12章35〜36節。
ヨハネ8章32節には、「イエスの言葉に留まる者は、真理を知り、真理はその人を自由にする」とあります。だから、これらの言葉を根拠にすれば、自分たち信仰者には「罪がない」という分離派の主張も成り立つかもしれません。さらに、ヨハネ福音書の「神の独り子」には罪がないのだから、その子たちにも罪がないと言うこともできたかもしれません(ヨハネ5章24節/8章46節/13章10節参照)。
ただし、分離派の主張する「罪を犯した<ことがない>」という主張のほうは、ヨハネ福音書の中にその根拠を見いだすことができません。ここで論敵が主張するのは、自分たちは生涯罪を犯したことがないという意味でしょうか? それとも、信仰者になってから以後は、罪を犯したことがないと言う意味でしょうか? おそらく後のほうでしょう。もっとも、光に来る者は、そもそもの初めから罪を犯したことがない性質の者に限られるという解釈に立つのなら(ヨハネ3章17〜21節を参照)、このような疑問は問題にならないでしょうが。
彼らの「罪がない」という主張に対して、長老のほうは、ヨハネ8章34節に「罪を犯す者は罪の奴隷である」とあるのを根拠にして、論争相手の偽りを暴こうとしています。だから、「自分たちにはもはや罪がない」と言う相手に対して、長老は「自分に罪がないというなら、自分を欺いていて真理はその者にない」(第一ヨハネ1章8節)と指摘し、「罪を犯したことがないと言うのは、神を偽り者とする」(同10節)ことだと言うのです。これは敵対者たちからの主張に対する長老ヨハネからの反論ですが、この反論の仕方から、逆に相手の主張を推察すると、論敵は、「罪がない」と「罪を犯したことがない」という二重の主張を掲げていることが分かります。
ところが、相手側の偽りを暴きながらも、長老のほうもまた、自分たちにはもはや「罪がない」と言っているようにも受け取れるから、事はややこしいです(第一ヨハネ3章5〜10節)。第一ヨハネの手紙に「(信仰者は)罪を犯さない」とあるのは、キリストを信じている者に課せられている「努力目標」のことであり、キリスト者は、この目標に向けて努力する義務があることを言おうとしている。ブラウンは、このように見ています。それゆえ「罪を犯さない」というのは、信仰者がその罪性の中に<一貫して生活する>ことがありえないという意味になります(第一ヨハネ2章1節参照)。これに対して論争相手のほうは、単なる努力目標や義務ではなく、「無罪性」は、キリスト者にあって<すでに実現された真理>だと信じているようです。だから、長老と分離派との違いは、「完全性」それ自体の解釈の違いに存していることになります。
■戒めの遵守
第二の点として、彼らは、「戒めを守る」ことを重視していません(第一ヨハネ2章3〜4節/3章22節/同24節/5章2〜3節)。第一ヨハネの手紙の作者が、完全主義と闘うもう一つの方法として「戒めを守る」ことがあります(第一ヨハネ2章3節/3章22節/同24節/5章2〜3節)。戒めを守らずに「神を知っている」と言うなら、その者は偽り者なのです(第一ヨハネ2章4節)。
では、分離主義者たちが不道徳な生活をしているのかといえば、そうとも言えません。「世」を愛することは「肉の欲、目の欲、生活の驕り」(第一ヨハネ2章15〜17節)だとありますが、ここで言う「世」とは、単に司牧的な意味で言うのであって、特別な悪徳を指しているわけではないからです。長老は、論争相手の具体的な悪徳を何一つあげていません。悪徳のリストが、相手を批判する手段として大いに用いられていた時代であるにもかかわらずです。この点は、例えば第二ペトロ2章13〜15節と第一ヨハネの手紙とを比較してみれば分かります。
だから、ここで長老が問題にしている真の意図は、相手側が、地上での倫理的な振舞いや生活態度に、救済論的な重要性を認めていないことにあります。これは、彼らのキリスト論の欠陥に起因します。永遠の命を得ることが、単に神が遣わされた者を<知る>ことに尽きるのであれば(17章3節)、人はこの世での生活態度にそれほど重きを置くことがなくても、「神と親密である」ことを主張できるかもしれません。これに対して長老は、もしも地上におけるイエスの生活態度や振舞い方が、倫理的に見て救済論的に重要だと考え<ない>のであれば、はたして地上で生活するキリスト者が、真の意味で救われていると言えるのか?と批判的に問いかけるのです。
「ヨハネ福音書のイエスは、何も具体的なことを啓示することがない。イエス自身が啓示者だからである」とはブルトマンの言葉です。ブルトマンのこの指摘は、ヨハネ福音書において、キリスト論それ自体がいかに重要かを示すものです。同時に、ヨハネ福音書では、イエスの歩んだ「真理を行なう」ことが重視されています。「真理を行なう」ことは、旧約聖書とクムラン宗団では「律法を守る」ことと同じです。ヨハネ系文書もこの考え方に対応して、「真理を行なう」とは、「あなたがたがは互いに愛し合いなさい」というイエスの戒めを守ることだと指摘するのです。信仰と実践をめぐっては、新約聖書全体の解釈でも大いに議論されていますが、「イエスを信じる」とは、地上でイエスが行なった業を行なうことであり、これこそが「神の業」だというイエスの言葉が(14章12節)、最終的な解決を与えてくれましょう。
マタイは、地上でのイエスの実践生活を山上の教えにまとめていますが、ヨハネ福音書では、すべての戒めが13章の愛の戒めにまとめられていますから、これによって、「戒め」は、イエスとの人格的な交わりに集約されることになります。だから、マタイ7章16節は「その実で木を見分けよ」と教えますが、ヨハネ15章5節では「イエスにつながることが実を結ぶ」ことになります。共観福音書は、神の御心とお言葉を行なうことを教えますが(マタイ12章50節/マルコ3章35節/ルカ8章21節)、8章31節は、「イエスの言葉に留まる」者がイエスの「ほんとうの弟子」だと教えるのです。
共観福音書では回心が語られますが(マルコ1章4節/同15節/同6章12節)、ヨハネ福音書には、悔い改めによる回心の例が見あたりません。15章3節では、罪からの浄めは「イエスの言葉それ自体」の働きによるのです。罪は、具体的な行為であるよりも、イエスを拒むことに集中するからです(8章31節)。だから、イエスがこの世で語らなかったとすれば、この世に罪はないことにもなりましょう(15章22節)。分離主義者たちが、ヨハネ福音書のキリスト論を盾に、倫理的な生活を軽視したのは、一つにはこの理由からでしょう。
だから、第一ヨハネの手紙の長老は、その書簡で具体的な倫理問題を持ち出すことをしていません。さしあたり指摘できる倫理問題が、相手側に見あたらないからです。彼は「イエスが歩まれたように歩む」ことを教え(第一ヨハネ2章6節)、「御子が浄いように浄くなれ」と教え(同3章3節)、「御子が正しいように正しくなれ」と教えます(同7節)。彼は、もっぱら地上でイエスが歩んだ生き方それ自体をモデルとして相手のキリスト論と対置するのです。しかし、ヨハネ福音書それ自体から、分離主義者たちを具体的に批判する倫理的根拠を見出すのは困難です。
■兄弟愛の問題
第三に、彼ら分離派は「兄弟愛」について弱点を持っています(第一ヨハネ2章10〜11節/同3章16〜18節/同4章7〜8節)。ヨハネ福音書では、イエスは、弟子たちに兄弟愛の「戒め」を与えています(13章34〜35節/15章12節/同17節)。第一ヨハネの手紙も同様です(3章23節/4章21節)。「互いに愛し合いなさい」という戒めこそ、ヨハネ共同体がその初めから保持していた戒めであり、「あなたがたが初めから聞いていた<アンゲリア>(宣教の教え)」です(第一ヨハネ3章11節)。だから、第一ヨハネの手紙の長老は、この戒めこそが「福音」だと見なすのです。
それなら、分離主義者たちは、第一ヨハネの手紙の作者たちを「愛していない」、すなわち彼らはヨハネ共同体を「憎んでいる」のでしょうか?分離した相手は、自分たちが長老たちに憎しみを抱いていることを認めているのでしょうか? 学者の中には、分離主義者たちが、神との高次な親密性を重視するあまり、個人的な信仰に陥って、共同体をないがしろにしたと見る者もいます。しかしブラウンに言わせると、相手の分離主義者たちも、第一ヨハネの手紙の人たち同様に「愛の戒め」を守っている。だから兄弟愛を実践している。こう思い込んでいた節(ふし)があります。
ここで問題になるのは、「兄弟」とは誰のことか?ということです。ブラウンは、長老が「兄弟」と言い「兄姉」とは言っていない点に注目しています。実は、共同体の分離には、女性に対する扱いが絡んでいた可能性が想定されています〔Brown.
The Community of the Beloved Disciple. 131.NB(257)〕。ヨハネ福音書では、女性が、個人として重要な働きを見せています。第一ヨハネの手紙の作者にとって、「兄弟」とは自分たちヨハネ共同体のメンバーのことですが、もしも長老の側に、女性信者に対する扱い方において、彼女たちと対立する問題が潜んでいたと想定するなら、どちら側が真の「コイノニア」(交わり)を破壊したことになるのか?これを判定するのは難しくなります。後に異端とされたモンタノス派(2世紀後半)では、女性が目覚ましい働きをしました。ただし、これは憶測の域を出ない想定です。
ここでわたしたちは、第一ヨハネの手紙に潜む大きな矛盾に逢着(ほうちゃく)することになります。第一ヨハネの手紙ほど「兄弟愛」を明確に打ち出している文書はありません。ところが、その共同体は、反対者を「悪魔の子」、「反キリスト」、「偽り者/偽預言者」と呼ぶのです(第一ヨハネ2章18節/同22節/同3章10節/同4章3節)。
ヨハネ共同体が分離した相手をどのように扱うべきか、これへの答えが「(ヨハネ共同体の)教えを携えないであなたがたの所へ来る者を家に入れてはいけない。挨拶してもならない。そのような者に挨拶するのは、彼らの悪い行ないに加わることになる」(第二ヨハネ10〜11節)という教えです。これは、第三ヨハネの手紙にでてくる(分離したと思われる)ディオトレフェスが、長老から派遣された人を扱ったまさにそのやり方にほかなりません。第二ヨハネで長老が、分離主義者たちから派遣された人をどう扱うべきかを指示したのとちょうど同じ冷たいやり方で、ディオトレフェスは長老から派遣された人を扱っているのですから〔ブラウン前掲書133頁(注)260〕。しかも、第三ヨハネの手紙で、長老は、「わたしたちから遣わされた者」に対するディオトレフェスによる扱いに対して不快感を示しているのです。
ヨハネ共同体では兄弟の罪のために祈ることが求められていますが、それは「死にいたる罪」にはあてはまりません(第一ヨハネ5章16節)。分離主義者たちは、人殺しですから(同3章15節)、共観福音書で言われている聖霊を冒涜する罪にあたるのでしょう〔ブラウン前掲書133頁(注)261〕。ここには、なんらかの「殺人」の具体例が絡んでいると思われますが、わたしたちが測り知ることのできない深刻な背景が潜んでいることをうかがわせます。
「ヨハネ福音書と第一ヨハネの手紙とを比較する時に、イエスが世とユダヤ人に向けて語られた二元性を表わす言語(愛と憎しみ/光と闇/真理と偽り/上からと下から/神と悪魔)が、第一ヨハネの手紙の作者によって、彼が受け入れない相手にそのまま向けられているのが分かる」とブラウンは指摘します〔Brown. The Community of the Beloved Disciple.134.〕。イエスはマタイ福音書で「敵を愛する」ことを教えていますが、ヨハネ福音書にはそのような教えがありません。「互いに愛する」のは、同じキリストの弟子であることを意味していますから、ヨハネ福音書のイエスは「世」のために祈ることをしません(17章9節)。第一ヨハネの手紙の長老は、分離主義者たちに対して、イエスが言う「世」と同じ扱いをしているのです〔ブラウン『ヨハネ共同体の神学とその史的変遷』〕。
第一ヨハネの長老は、ヨハネ福音書でイエスに敵対した「ユダヤ人」像をそのまま分離主義者たちに当てはめています。ヨハネ福音書で、イエスを信じる者は「闇の中を歩かない」とありますが、第一ヨハネの手紙の長老は、自分たちを受け入れない人にこの言葉を当てはめて、たとえ彼らがイエスを信じていると主張しても、彼らは「闇の中を歩く」と言うのです(第一ヨハネ2章9〜11節)。ヨハネ8章44節の「悪魔の子」は、第一ヨハネ3章12節では「人殺しのカイン」です。
わたしたちは、ここで、ヨハネ福音書の解釈における重要な問題点に突き当たります。ヨハネ福音書を一貫して流れている二元性、「光と闇」、「キリストと悪魔」、「真理と偽り」、「救いと裁き」などを通じて、ヨハネ福音書の霊性を二元論的に解釈する傾向は、今も昔も変わらないからです。わたしたちは、これらの言葉がもたらすヨハネ福音書の二元論的な解釈に潜む危険性を洞察しなければなりません。二元論の世界では、信じる者と信じない者、救われる者と救われない者、キリスト者と非キリスト者、「わたしたち」と「彼ら」とが、相互に厳しい敵対関係に陥ることが避けられないからです。第一ヨハネの手紙に見出す相互矛盾がわたしたちに提示しているのは、ヨハネ福音書を二元論的に読んではならないということです。この問題は、「ヨハネ福音書の解釈とその二元性」と題して、巻末のヨハネ福音書補遺で詳しく扱っています。
■終末観
第一ヨハネの手紙の「終末論」は、必ずしも明確でありませんが、分離主義者たちの「完全主義」に対する長老の批判を通じて、第一ヨハネの手紙の終末論を見ることができます。分離主義者たちは「実現した終末」観を抱いています。これは、彼ら分離派が、ヨハネ福音書から読み取った終末観で、その特徴は、「裁き」(3章18節)、「光」(3章21節/8章12節)、「永遠の命」(6章54節/11章26節)、「神から生まれた者」(3章3〜8節)、神あるいはイエスと自分たちとの「一体化」(6章56節/14章23節/17章21節)などに表われています。終末が「実現している」以上、分離主義者たちには「未来の終末論」は存在しません。 同様に、第一ヨハネの手紙にも、ヨハネ福音書の「実現した終末観」を読み取ることができます(第一ヨハネ1章2節/同7節「光に歩む<なら>」/2章5節「神の言葉を守る<なら>」/同13〜14節/4章17節)。引用でも分かるように、長老は、「終末的な現在」を生きる人たちに、「もし〜するなら」(1章7節)という条件を付けて、終末を生きる人たちに「倫理的な要求」を添えています。第一ヨハネ3章18〜19節で「言葉や口先だけでなく真実に愛を実行する」ように勧めているのもこのためです。だから長老は、終末が「実現している」と言うより、「実現させる」よう求めているのです。
それだけでなく、長老は、来るべき「未来の終末」にも言及しています(第一ヨハネ3章2節/4章17節)。これは分離主義者たちの「現在完成した」終末観に反論するためでしょう。長老が説くこの「未来の」終末はヨハネ福音書にも見ることができます。おそらくこの「間近に迫る」未来の終末が、ヨハネ共同体がその初期段階で抱いていた終末観なのでしょう。他の使徒的な教会と同じように、ヨハネ共同体もまたイエスが間もなく再臨するその時に実現する「最終的な終末」観を抱いていたのです 〔Brown.
The Community of the Beloved Disciple.50.〕。
ヨハネ福音書においては、論争の相手が「ユダヤ人」ですから、彼らに対して「未来の終末」を解く必要などありません(11章23〜24節参照)。ユダヤ人に向かっては、むしろ神の子が「すでに来たこと」を説くことのほうが重要だったからです。しかし、ヘレニズム的な異邦人キリスト教徒たちや「完全実現」の終末思想を抱く人たちに向かう場合は、逆に終末が「まだ成就していない」ことを知らせることが求められるのです。この点が、ヨハネ福音書と第一ヨハネの手紙との「終末」を説く姿勢の違いです。
第一ヨハネ2章28節では、現在「御子の内に留まる」ことと将来「御子が顕れる時に確信を持つ」こととが結びつけられています。また第一ヨハネ3章2節では、「すでに神の子である」ことと「御子が顕れる時に御子の似姿に変容すること」とが並行して述べられています。このように、未来へ向かう現在において、「御子が浄いように自分を浄める」(同3章3節)ようにと諭すのです。だから第一ヨハネの手紙の長老にとって、「実現した終末」とは、最終的な終末に向けて「確信が与えられる」ための支えであり、終末へ向かう力の源です。
不思議なことに長老は、ヨハネ福音書にでてくる「最終的な終末」観からは引用していません。おそらくヨハネ福音書のこれらの箇所が、論争相手によって、自説に合うように再解釈されているからでしょう。ちなみにヨハネ福音書では、「光と闇」が表裏を成して「同時に存在しながら」進行していると言えますが、第一ヨハネの手紙では、これら二つが、現在の「闇」から未来の「光」へと時系列に沿っている、という指摘があります〔Brown. The Community of the Beloved Disciple. 138. NB 265.〕。
第一ヨハネの手紙では、ヨハネ共同体と分離主義者たちとの間のこれらの亀裂が、「反キリスト」「偽預言者」「悪魔の子」など、ユダヤ=キリスト教の黙示文学の用語で語られていますが、この二元的な敵対意識が、書簡に暗い影を添えることになります。この点では、マルコ13章22節の「偽預言者」や第二テサロニケ2章7節の「不法の秘密の力」などとも共通していて、敵対する者が現われていることが、「終わりの時が来ている」(第一ヨハネ2章18節)ことの<しるし>だと見なされているのです。
■聖霊論
第一ヨハネの手紙では、ヨハネ共同体のメンバーたちは「聖霊の油を受けているから、それ以外の誰からも教えを受ける必要がない」(2章27節)とあります。これと同時に、「すべての霊を信じることをせず、霊をよく吟味せよ」(4章1節)とも言われています。このような忠告を裏返して見るなら、おそらく分離主義者たちは、自分たちのほうこそが聖霊に導かれた預言者であり教師だと主張していたのでしょう。パウロは、預言者と教師を、使徒たちの次に置いていますが(第一コリント12章28節)、シリアのアンティオキアの教会でも、「預言者と教師」が指導的な役職と見なされています(使徒言行録13章1節)。ただし、ヨハネ共同体のような小規模の集会で、そのような役割が明確に存在していたかどうか確かでありません。「預言者と教師」という役職それ自体が、ヨハネ共同体の霊的な伝統から逸脱するものと考えられていたのかもしれません。
ヨハネ福音書の「パラクレートス」は、共同体にとって独特の意味を持っています。それは、天に戻った後のイエスに代わって、地上において、その弟子たちと共に働く「イエスの現臨」を表わす聖霊を指すからです。パラクレートスを通じて、イエスと父との「交わり」(コイノニア)にあるのと同じ交わりが、イエスとその弟子たちとの間にも啓示されるのです。この意味で、パラクレートスは、イエス・キリストのパルーシア(来臨/再臨)の遅れを補うものです(14章26節/15章26節/16章7節/同13節)。
ただし、第一ヨハネの手紙の論争相手の聖霊観が、熱狂やエクスタシーや占いを伴う狂信的な「カリスマ」だったと考えるのは適切でないでしょう。第一ヨハネの手紙が言う「預言」とは、時期的に見ると『ディダケー』の預言に近いと言えます(『ディダケー』13章1〜2節/15章2節)。『ディダケー』では、預言者も教師として教えていますから、預言者と教師との境界がはっきりしません。預言者がどの共同体にもいるとは限りませんから、ヨハネ共同体でも、分離主義者たちでも、預言者はむしろ教師に近い存在だったようです〔ブラウン『ヨハネ共同体の神学とその史的変遷』〕。第一ヨハネの手紙の「聖霊」については、さしあたり次の二つの点を指摘しておきます。
第一に、第一ヨハネの手紙は、聖霊についてわずか2箇所ほどしか語っていません。「真理の霊と偽りの霊を見分けること」(第一ヨハネ3章24節〜4章6節)、これと「霊と水と血」についてです(同5章6〜8節)。ヨハネ福音書では、「新たに生まれる」のは「霊」の働きによって生じるとありますが(同3章5〜8節)、第一ヨハネの手紙では、「神から生まれる」(第一ヨハネ3章9節/4章7節/5章1節)ことだけが語られています。また、第一ヨハネの手紙では、イエスがパラクレートスとして臨在することが語られますが、そのパラクレートスは、「弁護者」として、わたしたちの罪のために神の前に執り成す方としてです(第一ヨハネ2章1節)。ヨハネ福音書の「弁護者」の働きは、「あなたがたに真理を悟らせるため」であり、何よりも、地上でイエスが行なった業を「想起させる」ためです(14章16節/同26節/15章26節/16章7節)。これと比較すると、第一ヨハネの手紙での弁護者の働きは、「あなたがたが罪を犯さない」ためであり、「たとえ罪を犯しても、御父のもとに弁護者イエス・キリストがおられる」ことなのです。
第二として、第一ヨハネの手紙の長老は、分離主義者たちを制御することができませんでした。使徒的な諸教会では、1世紀の末に、長老と監督の制度がすでに定着しつつありましたが、ヨハネ共同体ではそうでなかったのです。共同体に働くパラクレートスが権威を持っていたために、集会を指導する者たちの権威がパラクレートスの権威の前に弱められていたのでしょう。「あなたがたは聖なる油を注がれているがゆえに、すべての真理を知っている」(第一ヨハネ2章27節)とあるとおり、集会のメンバー一人一人に働く聖霊が保証されていたからです。まさにこのゆえに、分離主義者たちは、み言と霊にある信者たちが形成するコイノニアを破壊することができたのでしょう。
当然、反対者たちのほうも、自分たちこそ真のパラクレートスを保持していると主張したことでしょう。このような主張に対して、第一ヨハネの手紙の作者は、ただ「すべての霊を信じることをせず、よく吟味せよ」と言うだけです(4章1〜3節)。しかし、これには非常な危険が伴います。なぜなら、相手の「霊を吟味する」ことは、「聖霊を冒涜する」罪を犯す危険があるからです。だから『ディダケー』は、偽預言者と偽教師の霊を吟味することを避けるように警告しています〔ブラウン『ヨハネ共同体の神学とその史的変遷』〕。このためでしょうか、第一ヨハネの手紙の作者は、「イエスが肉体を採ってきたことを信じる霊だけが真理である」(4章2〜3節)と言うだけに留まらざるをえないのです。「真理の霊」と「惑わしの霊」とを見分けるためにも、「わたしたちは神に属する。神に属さない者はわたしたちに耳を傾けない」(4章6節)と言うに留めるのです。 このような事態に直面して、ヨハネ共同体の長老は、集会のメンバーにも、論争相手の分離派にも、ただ一つのことを訴えています。長老は、「わたしたちは、<初めから>持ち続けていた教えをあなたたちに伝える」と語ることで、共同体の始祖が伝えた「教え」へ立ち帰るように勧めるのです。ヨハネ共同体が、その始祖を通じて与えられている唯一の戒め、「わたしイエスが、あなたがたを愛したその愛で、あなたがたも互いに愛し合いなさい」という教えから、離れてしまったこと(ヨハネ黙示録2章4節を参照)、長老は、ひたすら「このこと」を訴えるのです。
しかし、現実の「この世」では、相手の分離主義者たちのほうが数において優勢であり、彼らのほうが宣教において成功を収めたと思われます。第一ヨハネの手紙の作者が、彼ら分離派が「世に属する」(4章5節)と言うのは、おそらくこのことを指すのでしょう。彼らは、世の人を惑わし、イエス・キリストが肉体を採ってきたことを否定する反キリストです(第二ヨハネ7節)。これに対して相手のほうは、自分たちこそ神に属するがゆえに成功していると信じ、かつそのように主張したことでしょう。そこで、第一ヨハネの手紙の作者は、ヨハネ福音書を引用して、「彼らは真理の霊を見ようともしない」(14章17節)と言うのです。パラクレートスは、「世を裁き、世の誤りを指摘する」(16章8〜11節)からです。それだからこそ、この世はイエスを憎むと長老は訴えるのです(15章18〜19節)。彼らの成功こそ彼らの滅びのしるしであり、これが「終わりの時が来ていること」の証しだからです(第一ヨハネ2章18節)。
■ヨハネ共同体の第四期
〔大教会へ〕
ヨハネ共同体は、第1期のパレスチナ時代、第2期のエフェソへ移住の時期、第3期の分裂の時を経て、およそ90年代の後半から100年頃にかけて(?)、最終の第4期に入ります。ヨハネ系書簡が成立した時期もこの辺りになります。この頃のヨハネ共同体は、すでに分裂しています〔ブラウン『ヨハネ共同体の神学とその史的変遷』〕。ヨハネ共同体は、第一ヨハネの手紙以後に、大教会側と、グノーシス的な傾向を帯びた分離派とに分かれることになり、その結果、ヨハネ共同体は、大教会側に「高次の先在のキリスト論」をもたらすことになります。しかし、ヨハネ共同体にとって、大教会に定着しつつあった長老と監督制は、始めはなじめないところがあったかもしれません。
ヨハネ福音書と第一ヨハネの手紙を大教会に受け入れさせるのに大きな働きをしたのはエイレナイオスです(180年頃)。エイレナイオスにこのように働きかけたのは、第一ヨハネの手紙によるところが大きかったと思われます。第一ヨハネの手紙は、ヨハネ福音書を大教会へ受け入れさせるのに、大きな働きをしたことになります。ただし、使徒ヨハネ→ポリュカルポス→エイレナイオスという継承関係が、1世紀から2世紀の大教会へ<なんの問題もなく>伝承されたと見るわけにはいきません。
〔グノーシス的な側〕
2世紀に入ると、仮現説、グノーシス、ケリントス主義、モンタノス運動などが生じますが、ヨハネ共同体の分離派は、おそらくこれらのどれかに参入したと考えられます〔ブラウン前掲書〕。最古のヨハネ福音書の注解は、ヴァレンティノス派のヘラクレオンによる注解です(160〜180年頃)。『ソロモンの頌歌』『三部の教え』『三体のプローテンノイア』『ヤコブの第二黙示録』も内容的にヨハネ福音書に通じるところがあります。また、ヨハネ福音書の「パラクレートス」観はモンタノスにも影響を与えました。預言を強調するモンタノスは、エクスタシーで預言した女預言者プリスカとマクシミラを起用しました。モンタノスは、ヨハネ福音書のパラクレートスを自らの体験だと見なしたようです(170年頃か)。
分離主義者たちがケリントス主義へ向かったことも容易に想像できます。ケリントス主義は、ヨハネ福音書のイエス・キリストをさらに超える超越的なキリスト観です。このようなキリスト観は、イエスの十字架<以前に>ロゴスがすでに父の下へ戻ったという解釈をヨハネ福音書にもたらします(13章1節/16章28節/同33節参照)。また、『トマス福音書』に見られるように、マグダラのマリアをペトロのライバルとするグノーシス的な見方もヨハネ福音書から誤用された可能性があります。
〔大教会とヨハネ共同体〕
175〜200年頃までは、使徒的教会において、ヨハネ福音書が引用された形跡が見あたりません。しかし、ヨハネ福音書は、これよりも早く使徒的教会に受け入れられていたと考えることができます。このように判断する根拠は、ヨハネ福音書の「ロゴス・キリスト論」について語られた部分によるものですが、その引用が<直接に>ヨハネ福音書からでない場合も含まれます。
ヨハネ福音書の受容を地理的に見れば、ヨハネ福音書のロゴス・キリスト論は、2世紀前半以前に、パレスチナと東方ではすでに受け入れられていました。しかし、ローマでは、ヨハネ福音書に対して、それが仮現説ではないかという疑惑があったために、受け入れが遅れたと思われます〔ブラウン前掲書〕。
この辺の事情について、110年頃のイグナティオスにその例を採ってみることにします。彼が闘った二つの異なる異端は、ユダヤ人キリスト教徒と、グノーシス的な仮現説論者です(『スミルナ信徒への手紙』4章1節)。ところが、これら二つの異端は、相互に反対の極にあるものでした。それはちょうど、ヨハネ共同体が、自分たちのキリスト観を批判するユダヤ人キリスト教徒と闘い、その後で分離主義者たちと闘った状況に似ています。イグナティオスは『マグネシアの信徒への手紙』8章2節で、「御子イエス・キリストを通して御自身を啓示した唯一のまことの神」について語っています(ヨハネ17章3節/同14章8〜9節をも参照)。イグナティオスは続けて「沈黙から出た神のみ言、すべてにおいて、彼を遣わされた方の喜び」を語ります。『マグネシアの信徒への手紙』7章2節では、イエスは御父から出てこられたことを明らかにします(ヨハネ16章28節と比較)。イエス=み言であること、イエスが神から遣わされたこと、イエスが啓示されたことなど、彼のこのようなイエス・キリスト観は、ヨハネ福音書のキリスト論を連想させるものです。イグナティオスは、『エフェソ人への手紙』7章2節で「マリアより、また神より、その両方より」と述べています。また、イグナティオスの『トラレスの信徒への手紙』9章2節の「イエス・キリストは真に死者の中から復活し・・・・・その人なくしてわたしたちには真の命はない」とあるのも、ヨハネ福音書のキリスト論を思わせるものです。
イグナティオスは『フィラデルフィアの信徒への手紙』4章1節で「イエスの肉と血としての聖体(エウカリスティア)」について語っています。また『エフェソの信徒への手紙』20章2節では「聖体は不死の薬であり、死ぬことなく、イエス・キリストにおいて永遠に生きるための解毒剤である」と述べています。新約聖書の中で聖体をこのように「イエスの肉」と同一視するのは、ヨハネ福音書だけです(6章51〜58節)。
しかしながら、ヨハネ共同体とイグナティオスの「古カトリック教会」との間には、一つの大きな障害が存在していました。それは、マタイ福音書や使徒言行録や牧会書簡に見ることができる大教会の長老と監督の制度です。確立された教会制度においては、聖職者が洗礼や聖体祭儀を執り行なうことによって、彼らの霊的権威を確認させることができました。聖体の祭儀執行は、聖職にある者の霊的権威のしるしだと見なされたからです。『スミルナの信徒への手紙』8章1節に、「イエス・キリストが御父に従ったように司教に従いなさい。使徒たちに対するように長老(祭司)団に従いなさい。司教と彼が委ねた人の下でのエウカリスティアだけが確かであると認めなさい」とあるのがその例です〔ブラウン前掲書〕。
ヨハネ共同体は、はたして「パラクレートスにおける司教の優位性」を受け入れることができたでしょうか? おそらくヨハネ共同体は、「パラクレートスこそ人の上にある」とする彼らの信仰を譲歩して、不本意ながら大教会の制度を受け入れたのでしょう。ヨハネ共同体のメンバーは、第一ヨハネ2章27節にあるような「ただ単に御霊の油注ぎだけに依存する」ことによっては、真理が、必ずしも維持できないことを知ったからです。この点では、パウロの教会と同じ体験をしたことになります(第一テモテ6章3〜5節)。ヨハネ共同体は、制度的な教会の指導者たちが、ヨハネ共同体のパラクレートスを受け入れ、その霊的な臨在に従っている限りは、大教会の制度を受け入れる道を選んだのです。
大教会では、ヨハネ福音書の「受肉」が、マタイ福音書やルカ福音書の処女降誕と関連づけて読まれていたようです。おそらく、ヨハネ福音書がイエスの誕生について明確に述べていないからでしょう。だから、ロゴスの受肉が洗礼者の証言する聖霊降臨によって生じたという解釈もできたと思われます。ヨハネ17章21節の「すべての人を一つにする」も、ヨハネ共同体と使徒的教会との融合を指していると受け取ることができたでしょう。ただしこれは、使徒的教会が、ヨハネ共同体の高次のキリスト論を受け入れることをも意味します。イグナティオスと2世紀の教会は、ヨハネ共同体のこのキリスト論を受容し、これによって「先在のキリスト」が大教会に受け入れられることになりました。これは、処女懐胎や、より低いキリスト論をヨハネ共同体が拒否しないという条件つきのことでした〔ブラウン前掲書〕。
ヨハネ福音書にはどの程度の編集がなされているのか、これは学問的にまだ同意が得られていません。だから、ヨハネ福音書の作者と第一ヨハネの手紙の作者との関係も明確でありません。第一ヨハネの手紙の作者がヨハネ福音書の最後の編集者で、21章の作者だとする説は興味深く、筆者(私市)もこの説に従っています。21章のお陰で、ヨハネ共同体はペトロを好意的に受け入れることができたのです。確かにペトロは、愛弟子ほどイエスを深く理解してはいなかったけれども、「イエスを愛する」ことを3度確認させられることで、ペトロに司牧権が認められたのです。
■結び
ヨハネ福音書とヨハネの手紙は、ヨハネ共同体の歴史という姿で、教会が時代ごとに繰り返してきた問題や論争や抗争の言わばその縮図をわたしたちに見せてくれます。この福音書は、その独特なキリスト論を通じて、霊的な個人主義や瞑想的な霊性を養い育ててきました。しかし、大教会がこのようなヨハネ福音書を受け入れたことは、イグナティオスたちの「古カトリック教会」が、意識的であれ、無意識的であれ、自分たちの教会制度とは<対立する要素>をそのまま受け入れたことを意味するものです。それは、神か人かではなく、その両方のイエスを受け入れること、神の子として処女に宿ったキリストと、先在のキリストとの両方を選ぶこと、権威ある聖職者に与えられる霊か、一人のキリスト教徒に与えられる霊かで、その両方を選ぶこと、ペトロかイエスに愛された愛弟子かで、その両方を選ぶことなのです〔Brown. The Community of the Beloved Disciple. 163-64.〕。第一ヨハネの手紙は、権威の欠如がもたらす分裂に警戒すべきことを示していますが、その一方で、ヨハネ福音書にあるように、イエスがペトロよりも愛弟子を愛したのなら、聖職者や教役者の役割もまた<相対化>されなければならないことを指し示すのです。霊的権威は、イエスの愛への基準とはならないからです。もっとも偉大な尊厳は、教皇や司祭や牧師などの尊厳ではなく、真にイエス・キリストを愛する共同体の霊性に宿るものだからです。
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