【注釈】
■3章22~30節について
〔資料について〕
 現在は、ほとんどの訳が、3章30節までを洗礼者の言葉としています〔岩波訳〕〔新改訳〕〔フランシスコ会訳〕〔NRSV〕〔聖書協会訳〕。今回の部分を資料的に見ると、ヨハネ共同体の始祖による(口伝)伝承に基づきながら、ヨハネ福音書の編集者によって再構成されていると考えられます。
 22節はイエスの洗礼に関する貴重な証言です〔ブラウン『ヨハネ福音書』(1)〕。25節は洗礼者宗団にさかのぼる可能性さえあります〔ブルトマン『ヨハネの福音書』〕。27~29節はまとまった伝承ですが(始祖の口伝か)、28節は編集者の挿入でしょうか〔ブラウン『ヨハネ福音書』(1)〕。しかも、27~29節にも洗礼者宗団にさかのぼる資料が含まれている可能性があります〔ブルトマン前掲書〕。
〔記事の置き換え〕
 今回の22~30節の配置については問題があります。
(1)今回の部分はその前後と直接関係がなく、内容的に見て1章19~34節と重なります(洗礼者はメシアでない/彼は後から来る方のために備えをする/彼の役目はイエスがイスラエルに現われるためなど)。
(2)このため、3章22~30節は、ほんらい1章36節に続いていたもので、ヨハネ共同体に伝わる洗礼者宗団の伝承が二つに分離されて、22~30節の部分が現在の場所に配置されたと見るのです〔ブラウン『ヨハネ福音書』(1)〕。
(3)洗礼者とイエスとの伝道活動を<時期的に>比較すると、3章22~30節の内容は、1章18節に続けて(したがって1章19節の<前に>)置くほうが適切ではないかという説(ボワマール)もあります〔ブラウン『ヨハネ福音書』(1)〕。
(4)今回の部分を1章19節以下の洗礼者に関する記事と併せると、洗礼者とイエスとの活動について、次のような時期的な関係を推定することができます。
 
 先ずイエスが、ガリラヤからユダヤ地方へ来て(エルサレム訪問とニコデモとの対話に先立つ)、ヨルダン川の洗礼者のところへ来ます(3章22節/マタイ3章13節参照)。洗礼者のもとには、すでに大勢の人たちが洗礼を受けに来ています(マルコ1章5節)。洗礼者が「自分の後から来る者」について預言します(ヨハネ1章26~28節)。新参者のイエスに対して洗礼者の弟子たちが困惑と敵意を覚えます。イエスが洗礼者によって洗礼を受けます(マルコ1章9~10節)。洗礼者が、イエスこそ「聖霊によってバプテスマする方である」と証言します(ヨハネ1章29~34節)。洗礼者宗団からイエスに従う者たちが出てきます(1章35節以下)。イエスは、洗礼者にならって水の洗礼を授ける活動をユダヤで続けます。この洗礼活動について、洗礼者の弟子たちが疑問を抱きます。彼らは、イエスの洗礼が、洗礼者による水の洗礼ではなく、聖霊によるバプテスマであるのなら、なぜ、イエスは「水の」洗礼活動を続けるのか?と洗礼者に尋ねます(3章26節。ただし3章25節の「あるユダヤ人」とあるのを「イエス」へと読み替える)。なおこの頃、洗礼者は、ヨルダン川の流域ではなく、サマリアで洗礼を授けています(3章23節)。この疑問に対して、洗礼者は「天からの賜」について語り(3章27節)、自分を花婿の友人にたとえます(3章29節)。イエスもまた洗礼者と自分との関係を花婿のたとえで語ります(マルコ2章19節)。その後、洗礼者が投獄されます(マタイ14章3~5節)。イエスはガリラヤへ行き、洗礼を止めて福音を語り始めます(マルコ1章14節)。洗礼者が獄中から弟子を遣わしてイエスに問いかけます。イエスはこれに答えると共に、洗礼者を讃えます(マタイ11章2~14節/ルカ7章18節以下)。洗礼者が殉教します(マルコ6章17~29節他)。イエスの一行はガリラヤを離れその周辺を旅します(マルコ7章24節以下)。
 このように、今回の記事を1章の洗礼者の記事と結びつけ、さら共観福音書の証言と併せて見ると、ここには、共観福音書で触れられていない時期、すなわち洗礼者とイエスとその弟子たちとの最初期の活動の経緯が浮かび上がってきます。この意味で、今回の記事は貴重な伝承を伝えているのです〔ブラウン『ヨハネ福音書』(1)〕。
 ただし、3章22~30節を現行のままの状態で1章19節の洗礼者の証言の前に置くのは内容的に無理がありますから、ヨハネ共同体の「ほんらいの」伝承では、この部分は1章34節に続くものだったのでしょう。では編集者は、なぜ今回の部分だけを切り離して現在の位置に置いたのでしょうか? ひとつにはニコデモとの対話に出てきた洗礼問題があると指摘されています。しかしそれ以上に、ヨハネ共同体に伝えられる洗礼者の言葉こそ(3章29~30節)、イエスと洗礼者との関係を締めくくるのに最もふさわしいと見て、編集者はこの言葉を洗礼者に関する出来事の最期に置くことで4章1~2節へつないだと見るほうがよさそうです。ヨハネ共同体にとって、洗礼者宗団との関わりは、共同体内部の問題でもあったからです。さらに筆者(私市)は、今回の部分には、ヨハネ共同体の伝承を通しているとは言え、そこには、イエスが、自分と洗礼者とのつながりについて抱いていたイエス自身の霊的な洞察が反映していると考えています。この意味で、今回の記事においては、「花婿のたとえ」が重要な意味を持っています。
■3章
[22]【この後】原語は複数で「これらの後」です(全部で8回ほど)。「この後」(2章12節/19章28節など)と単数の場合も4回ほどありますが、どちらにせよ先の章節と結ぶためのヨハネの用法で、必ずしも、時間と場所を特定するものではありません。
【ユダヤ地方】「地方」とあるのはエルサレムのことではなく、ヨルダン川流域のような「地方」を指すという解釈もありますが〔ブルトマン『ヨハネの福音書』〕、ユダヤの「行政区域」の意味にとっても内容的に変わりません。ヨハネ福音書では、「ユダヤ」はイエスに敵対する場所という象徴的な意味を帯びていますが、ここでは地理的な場所を指すだけです。このことを示すために「ユダヤ<の地>」としたのでしょう。なお「滞在する」は「留まる/泊まる」(1章39節)とは異なる動詞ですから、神学的な含みはありません。
【洗礼を授けて】繰り返し継続される行為を指します。イエスが洗礼を授けたとあるのは、新約聖書でここだけです。ここでイエスが授けていた洗礼は、洗礼者のと同じ「悔い改め」の洗礼のことだと理解して、イエスのここの洗礼を後のキリスト教会の洗礼と区別する解釈があります(使徒19章3~5節参照)〔ブラウン『ヨハネ福音書』(1)〕。しかし、ヨハネ福音書の編集者が、はたしてそのような区別をつけていたかどうかは疑問です〔ブルトマン『ヨハネの福音書』〕。ヨハネ共同体には洗礼者宗団からの加入者たちもいましたから、洗礼問題には慎重だったと思われます。それよりも重要なことは、はたしてイエス自身が、ここでの洗礼を洗礼者の洗礼と区別していたのかどうか?という問題です。この問題は、洗礼者の霊性をイエス自身がどのように受けとめていたのか、にかかわるからです。それだけに、ここでイエスが弟子たちと共に授けた洗礼は、洗礼者の洗礼と全く変わらないというバルトの次の洞察は注目すべきでしょう。「『上から生まれる』は、<水と霊>とから生じることである。この場合、『水』は『霊』に従属しているのであって、この両者の関係において<競合>が生じることはあり得ない。イエスと洗礼者との間には、競合は存在しない。したがって、『水』の洗礼にあって、イエスと洗礼者との間に優劣はあり得ない」〔バルト『ヨハネ福音書』〕。バルトは、洗礼者の洗礼と後のキリスト教会の洗礼との間に継承関係が存在することを洞察していますが、筆者は、バルトのこのような洞察の背後には、イエス自身の霊性と洗礼者の霊性が、花婿とその友人という連帯意識があると推測するのです。そうであればこそ、イエスに共鳴して洗礼者宗団から多くの人たちがヨハネ共同体へ参入してきたと考えるのです。
[23]4章2節から判断すると、実際に洗礼を行なっていたのは洗礼者宗団から来たイエスの弟子たちだったことになります。共観福音書がイエスの洗礼活動に触れていないのは、この理由からでしょう。
【アイノン】「サリムに近いアイノン」については、次のように諸説があります。
(1)洗礼者が洗礼を授けていたのは「ヨルダン川の向こう側のベタニア」とあります(1章28節/10章40節も参照)。「ベタニア」(渡し舟の家)とは、死海に注ぐヨルダン川の河口に近い船着き場のことです。イエスが洗礼を受けた場所もここでしょう(この場所についてはさらに1章28節の「ベタニア」の項を参照)。ところが、後になって、この地名は、エルサレムの東に位置する別の「ベタニア」(障害者たちの家)と混同されているという<誤解>を受けたようです。このために、洗礼者が洗礼を授けていたのは「ベタニア」ではなく、「ベタバラ」(渡しの場)の間違いであろうと判断されたのです。ベタバラは、ヨルダン川東岸のベタニアから7キロほど南にある渡し場の地名です。ヨルダンの東岸あたりもまた「アイノン」(泉の多い地)と呼ばれていました。あるいは、ヨルダン川の西岸で、死海の北岸から5キロほど北にある「ベト・アラバ=現在のベト・ハ・アラバ」(ヨシュア15章6節)のことだという説もあります。したがって、実際の洗礼者の洗礼活動は、「ベタバラ」や「ベト・アラバ」を含むヨルダン川の両岸にまたがる一帯であったと思われます〔バイツェル『聖書大百科』269頁地図〕。後のクリスチャンは、ヨルダン川の西岸を洗礼者の記念の場としましたが、この説は現在でも遺跡訪問や地図などで採用されています〔McHugh.?John 1-4.?ICC. 245.〕。?
(2)「サリム」と「アイノン」は、エウセビオスの証言などから、伝統的にヨルダン川から枝分かれするハロド川沿いの都市スキトポリス(現在のテル・ベト・シャン)から12キロほど南で、ヨルダン川に近い水の多い地域のサリムと、そのすぐ南のアイノンだとされてきました。現在でもほとんどの地図は、ここをこれら二つの地名としてあげています〔ギリシア語原典表紙(2)地図〕〔バイツェル『聖書大百科』269頁地図〕〔和田幹男監修『聖書恵年表・聖書地図』女子パウロ会〕。ところが、現在このあたりにそのような地名が一切残っていないという難点があります〔マキュウ『ヨハネ福音書』〕。
(3)これ(2)に対して、「サリム」はサマリア領のゲリジム山(現在の「ハル・ゲリジム」)の北側の麓にあります。現在は、ナブルス東方のシケム遺跡(テル・バラタ)から4.5キロほど東にあるアラブ人の村サーリムです。また「アイノン」は、サーリムの村から12キロほど北にあたる現在の「エイン・エル・ファリア」の辺りだという説があります。しかし、現在そこには水が少ないのが難点です。(2)と(3)のどちらの説を採るにせよ、この場合洗礼者は、ヨルダン川の東岸からサマリアへ移って洗礼活動をしていたことになります〔マキュウ前掲書〕。
(4)「サリム」は「救い」を「アイノン」は「泉」を意味するから、「サリムに近いアイノン」とは「救いの泉」の意味にもなります。福音書の編集者はこのような象徴的意味を知っていたのかもしれません。しかしここでは、洗礼者が実際に洗礼活動を行なっていたその場所を特定しているのですから、このような象徴的な意味を意図して地名が用いられているのではありません〔ブルトマン『ヨハネの福音書』〕。なお、人々が「来た」とある原語(パラギノマイ)は「やって来る」「わざわざ出向いてくる」ことです。
[24]この24節はおそらく後の教会による挿入で、イエスの伝道が洗礼者の投獄以後に始まったという共観福音書と調和させようとしたのでしょう。洗礼者がまだ投獄されていないのは23節から明らかです。彼は「ヨルダンの向こう側」にあたる死海の東岸マケルスで投獄され、そこで処刑されたと考えられています。
[25]【あるユダヤ人】単数の「あるユダヤ人」〔新共同訳〕と、ユダヤ人一般を意味する複数の「ユダヤ人たち」"the Jews"〔NRSV欄外の読み〕 "with some Jews "〔REB〕と、ふたとおりの読みがあります。ヨハネ福音書では、「ユダヤ人」に複数が用いられる場合が多いのですが、今回の箇所はヨハネ福音書でも独特です。おそらく後の教会が、より一般的な用法である複数へ訂正したのでしょう〔『新約原典テキスト批評』〕。25節だけだと、洗礼者宗団からの史料だという見方もできますが、この節が26節と結びついているために、イエスあるいはキリスト教会とも関係することになります。このことから、この単数の「ユダヤ人」を「イエス」と読み替える説がかなり有力です〔ブルトマン『ヨハネの福音書』〕〔ブラウン『ヨハネ福音書』(1)〕〔バルト『ヨハネ福音書』〕。この想定だと、論争は洗礼者の弟子たちとイエス(あるいはイエスの弟子たち)との間で生じたことになります。ただし文献的にはこのような読み方はありません。もっとも「あるユダヤ人」とはイエスから洗礼を受けたユダヤ人のことだと理解すれば、その洗礼は「イエスによる洗礼」のことですから、読み替えの必要がなくなります。
【論争】原語は、ヘブライ語の動詞「ダーラッシュ」(吟味する/探求する/尋ねる)から出たギリシア語の名詞です。ここで「論争」が生じたのは、前後の内容から判断して、「洗礼」についてでしょう。いったい洗礼の何が問題だったのでしょうか?本文には「きよめのことで」とありますから、ユダヤ教の浄めの儀礼に関連してイエスによる洗礼(あるいはイエスから洗礼を受けたこと)が問われたことになります。
(1)先に2章6節の注釈でも指摘したように、1世紀前後のユダヤ教には、水による「浄め」の祭儀に関して多様な解釈とこれの実践方法がありました(特にパレスチナ外部の離散のユダヤ人の間で)。クムラン宗団を中心にするエッセネ派の「浄め」は、その中でも特殊で、「水の洗い/みそぎ」が厳格に守られていました。またファリサイ派の間でさえも、実際の浄めの実践の仕方が一致していたわけではありません。もしもここで、洗礼者の洗礼とユダヤ教ファリサイ派との間に、「水の浄め」について論争が生じたとすれば、この25節は、洗礼者宗団から出た資料にさかのぼる可能性があります〔ブルトマン『ヨハネの福音書』〕。そうだとすれば、この25節はイエスとは直接かかわりがありません。
(2)ここで問題になっているのは、イエスの洗礼活動が洗礼者のそれに優るほどの勢いを得たことです。このために、イエスの活動と洗礼者宗団との間に競い合いが生じて、その結果、洗礼者宗団の中に「ねたみ」を抱く者たちがいたと考えられます。「あなたと共にいた者」とあり「あなたが証しした人」とあり、「<彼の人>があなたより多くの」とあるのも、洗礼者の弟子たちの視点から見て、イエスよりも洗礼者のほうが優っていると考えられていたことを示唆します。
(3)イエスが、洗礼者の「水による」洗礼よりも、神からの<聖霊による洗礼>を重視していたとすれば、イエスの活動と洗礼者の活動に関して、双方の弟子たちの受け容れ方に緊張関係が生じるのは避けられません。「水よりも霊」なのか、「水から霊へ」なのか、「水と同時に霊」なのか、「水無しの霊」なのか、このような論争が想定できそうです。しかし、27節以下が明示しているように、このような弟子たちの論争や詮索は、洗礼者自身とイエス自身の霊的な関係とは直接かかわりがないことを知る必要があります。28~30節の洗礼者の証言が、「洗礼」の意味それ自体ではなく、神の御心に照らされる時に見えてくるイエスと洗礼者の<人間的な有り様>に関係して語られていることを思えば、「洗礼者が先か、イエスが上か」という問題は、神の計画と御霊の働きから見れば、あまり意味がないと思われます。両者の霊的な継承関係こそが大事だからです。ヨハネ福音書の本文は<このこと>わたしたちに伝えているのです。この箇所に続く3章31節が、まさにこのことを証ししているのを思えば、これが本文の意図であることは明らかです。だからヨハネ福音書は、ここで洗礼者とイエスの間の「競合」にも「敵意」にもいっさい触れていません。それどころか、洗礼者自身が花婿イエスの成功を喜んでいることが証しされています。洗礼者もイエスも神の御心とその御霊の働きに導かれているのですから、ほんらいこれがあるべき姿であって、「競い合い」や「敵対意識」を邪推するのは、霊的に未熟な人たちから来るものでしょう〔ブルトマン『ヨハネの福音書』〕。
[26]【先生】原語は「ラビ」ですから、洗礼者は預言者としてだけでなくユダヤ教の「教師」としても知られていたことになります。
【ヨルダンの向こう側】「向こう側」とはヨルダン川の東岸で死海に近い所のことでしょう(1章28節)。
【洗礼を】24節に「浄め」のことで論争が生じたとあるのに、なぜ洗礼が出てくるのか?という疑問が出されていますが〔ブルトマン『ヨハネの福音書』〕、ここで問題になっているのは、エッセネ派の流れを汲む洗礼者の罪の悔い改めによる「浄め」の洗礼のことであって、これとイエスが行なっている洗礼との関係であることを思えば疑問は解消します〔McHugh. John 1-4. ICC. 248〕。
【みんながあの人のほうへ】これは洗礼者の弟子たちによる「ねたみ」の言葉だと理解されているようです(12章19節参照)。そうだとすれば、これはほんらいあるべき姿ではなく、洗礼者とイエスとの霊的なつながりを正しく反映している言葉でもないことになります。27節以下の洗礼者の言葉はまさにこのことを証しするものです。
[27]この節はほんらい諺(ことわざ)であって、洗礼者宗団にさかのぼる資料から出ているという見方があります〔ブルトマン『ヨハネの福音書』〕。
【天から】3章7節の「上から/新たに」と同じ意味ですが、この言い方はマルコ11章30節と関係するのでしょう。なおここで言われている「与えられる人」とは、「イエスのもとへ来る人」のことでしょうか、それとも「イエス自身」のことでしょうか、「神がイエスに与えなければ誰も来ることができない」という意味なら、イエスから洗礼を受けた人のことにもなりますが、ここはそうではなく、「イエス自身」を指すのでしょう〔ブラウン『ヨハネ福音書』(1)〕。
【受ける】ブルトマンは、この行為を神の「与える」(3章16節)に対応する人間の意志による自発的な決断の行為を指す「受け取る」の意味に理解しようとしています〔ブルトマン『ヨハネの福音書』〕。しかし、「天からの賜」とは、人が獲得するものではなく「与えられる」ものであり(5章19節/ただし10章18節参照)、ひとりの人にはキリストであることが与えられ、ひとりの人にはその先駆者であることが与えられているのだから、天からの賜について、これらの関係を議論することはできません〔バルト『ヨハネ福音書』〕。だから、たとえ洗礼者のもとからイエスのほうへ人々が向かったとしても、それは天の御心によるもので、洗礼者がこれを批判したり逆に自己を卑下してはならないのです。人間は神のものであり、人が人を支配し所有すべきものではないからです。この事情は、イエスと洗礼者についても、1世紀末のヨハネ共同体とユダヤ教ファリサイ派についても、現代においても同じです。
[28]【あの方の前】ここにはマラキ3章1節「見よ、わたし(主)は使者を送る。彼はわたしの前に道を備える」が反映していると言われています。そうだとすれば、「<あの方>の前に遣わされた者」とは「<主の前に>道を備えるための使者」のことになります(マルコ1章2~4節)。ところがここでは、「<自分は>あの方の前に遣わされた」(原文に「自分」はありませんが、動詞が1人称単数です)のですから、「あの方」とはイエスのことになります(1章27節の「その人」と同じ)〔ブルトマン『ヨハネの福音書』〕。ただし「わたし(洗礼者)は、『あの方(主なる神)の前に遣わされた者』である」のように引用として読むなら、ここで言われているのは、マラキ書の言葉と同じで、洗礼者自身のことにもなります。ここはそうではなく、28節の「あの方」はイエスのことで、主なる神のことではないでしょう〔ブラウン『ヨハネ福音書』(1)〕。
【あなたがた自身が証しする】「自分はメシア(原語は「キリスト」)でない」と洗礼者自身が言ったそのことを証明するのは、弟子の「あなたがた」にほかならないという意味です。「証しして<くれる>」〔新共同訳〕。 「<わたしは>決してメシア(キリスト)ではない」と明言していることこそ、神の御前にある洗礼者の偉大さの証しです。洗礼者の弟子たちは「このこと」が洞察できないのです。
[29]【花嫁と花婿】29節は「花嫁を抱くのは花婿のすること」という意味で、ここはマルコ2章19節と並行しています。エクレシア(教会)とキリストの関係を花嫁と花婿の隠喩で表わすのは、原初の教会からの伝統です(エフェソ5章21~33節参照)。キリストが教会の花婿であることをこのように言い表わしているのは(ヨハネ黙示録を除くなら)ヨハネ文書ではここだけです。カナの婚宴の注釈でも指摘したように、イエスの霊的な悦びは結婚愛の表象で語られます。「結婚愛」は神の創造の業だからです(創世記1章27節/同2章21~24節/マルコ10章6~9節/ヨハネ黙示録19章6~9節/同21章1~2節/同9節)。エクレシアとキリストを結ぶ結婚愛は、創世記からヨハネ黙示録までを結ぶ一貫した表象です。なおこの意味での「結婚愛」をテーマにした叙事詩として、藤井武の『羔(こひつじ)の婚宴』(1926~1930年)〔『藤井武全集』第1巻。岩波書店(昭和47年)〕があります。
【喜び】御子の到来を見る「喜び」は、御子の到来以前からであり(8章56節)、ここ29節のようにイエス在世当時のことでもあり、特にヨハネ福音書では、復活以後の弟子たちとイエスの再会でも「喜び/悦び」が告げられています(15章11節/16章22節)。
【介添人】原語「フィロス」は「友人」のことで、ヘブライ語の「ショーシェビーン」(介添人)にあたります〔McHugh. John 1-4. ICC. 251〕。「花婿の友/介添人」というのは、ユダヤの慣習で、場合によっては金銭問題をも含めて結婚の取り決めそれ自体の仲介も行なったようです。彼は、花嫁の浄めの沐浴から着飾りなどを手配し、花嫁が、彼女の父の家を花婿が訪れるのを待つ間、花嫁の付き添い役にもなりました。さらに花婿と花嫁の出会いを外で護衛するのも彼の役目でした。だから、「花婿の喜ぶ声」を聞くと彼もまたそれを喜ぶのです。この介添人役は、古代では名誉なこととされていました。なお、「花婿」「声」「満たされる」「衰える」などの言葉は、アラム語では掛け詞になるようです〔McHugh. John 1-4. ICC. 252〕。ラビの伝承では、モーセは「ヤハウェなる花婿の友」されていました。「花婿と花嫁」の隠喩は、神とイスラエル、キリストと教会、信者とイエスの関係を指すものです。マルコ2章19節の譬えは、伝統的な知恵思想から出ているのでしょう〔ブラウン『ヨハネ福音書』(1)〕。
 29節は、キリスト教会のほうが、洗礼者宗団よりもまさることを表わそうとしていると一般に理解されていますが、作者の意図は、そのような競合関係を指摘することではなく、ブルトマンが正しく洞察しているように、両者の継承的なつながりを伝えようとしているのです。29節は、洗礼者自身の発言にさかのぼるもので〔マキュウ『ヨハネ福音書』〕、ここには洗礼者宗団からヨハネ共同体に参入した人たちの声が反映しているのかもしれません〔ブルトマン『ヨハネの福音書』〕。
[30]「栄える」と「衰える」には、太陽あるいは星辰の運行の隠喩が含まれていて、「天の配剤」を意味します。このことから、キリストの誕生日が冬至(12月25日)にあたり、洗礼者の誕生は夏至(6月24日)にあたります〔ブラウン『ヨハネ福音書』(1)〕。洗礼者のこのような言葉は、その弟子たちにとってはショックであったと思われますが、洗礼者の存在は、イエスの出来事が栄えることで意味を失うものではなく、むしろはっきりとその意味を見いだしたのです。だから洗礼者の言葉は、わたしたちに対する警告です。なぜなら、「この言葉(29節)はキリスト教のあらゆる時代の合い言葉である。イエスに従う者で、イエスに取って代わろうという誘惑を感じなかった者は、今にいたるまでいなかった」のですから〔スローヤン『ヨハネによる福音書』〕。
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