ディオニューソス神話
【その出生】
ディオニューソス(日本名は通常「ディオニュソス」)は、ほんらいギリシア北部のマケドニアとその東のトラキア地方の神で、女性によって崇拝されていました。この神がギリシアに入り、ギリシアの神になりました。アポロドーロスの『ギリシア神話』3巻4章〔高津春繁訳(岩波文庫)〕によると、ディオニューソスは、古代ギリシアの最高神ゼウスと人間の娘セメレとの間に生まれた神です。母セメレは、前370〜60年頃に現在のギリシア南部を支配した古キテーバイ(アテネの北西にあたる現在のセーバ "Theba")の創始者であるカドモス王の娘で、セメレの母は、女神アプロディーテーの娘ハルモニア(調和)です。ハルモニアは、カドモス王の妻で、二人の間の娘がセメレです。ところが、ゼウスがこのセメレを愛したために彼女は身ごもりました。このため、彼女は、ゼウスの妻である女神ヘーラーの嫉妬を受け、女神ヘーラーに騙されて、セメレは人間でありながら、雷光と雷鳴の戦車に乗ったゼウスを迎え入れたために亡くなります。その際に、六ヶ月で早産した胎児ディオニューソスをゼウスは自分の太ももの中に縫い込んだのです。ゼウスはその息子を密かにヘルメスに育てさせました。
【その巡回】
ディオニューソスは、ヘーラーによって狂気(マニア)を送り込まれますが、その彼が、ぶどうの樹を見つけたカミです。彼はエジプト王に受け容れられ、そこから地中海の向かい側フリュギア(現在のトルコ東方部のデニズリの北の地域)に渡り、そこで女神レアから秘教の祭儀を学び、レアから衣を授かります。そこからトラキア(ギリシア北東部)へ渡り、南下してテーバイに来ます。テーバイから、現在のペロポネソス半島にあるコリントスを通り南下してアルゴスへ来ます〔アポロドーロスの『ギリシア神話』3巻5章〕。ディオニューソスは、さらにアテナイ(現在のアテネ)へも行き、そこから、アテナイ東方にあるアンドロス島へ渡り、エーゲ海の島々からナクソス島(現在のトルコの南西の島)へ渡り、アレクサンドロス大王の頃(前4世紀)にはインドへまで行ったと伝えられています。彼はまた、西へ向かっては、ローマを通りガリア(現在のフランス)にいたったと言われています。これは要するに、ぶどう酒の伝わる所にディオニューソス(別名バッコス)も伝えられたことを物語っています。ローマに渡った際のラテン名はバックス(Bacchus)で、彼はユピテルとセメレの息子とされています。英語名はバッカスで、バッカスはジョゥヴ(Jove)/ジュピターの息子です。
【狂気と女性】
ディオニューソスは、自分を受け容れない者に狂気(マニア)を送り込みます(現在の「マニア」の語源)。そのマニアは「伝染」(エピデミ)します(伝染病「エピデミック」の語源)。狂乱に取り憑かれた男性(バッケイオス)も女性も(バッケイア)、しばしばディオニューソスの生け贄/犠牲にされます〔マルセル・ドゥティエンヌ『ディオニューソス』及川馥/吉岡正敞訳(法政大学出版局)〕。ディオニューソス/バッコスは、多くの「バッコスの信女」を従えて登場することで知られています。ディオニューソスの狂気に取り憑かれた女たちは、野山を走り回り、野獣(場合によっては赤子)を引き裂いて食べたりしたと伝えられています。
ディオニューソスが、トラキア地方の王リュクールゴスを訪れた際に、王は彼を侮辱して追放しました。このためにディオニューソスは王に狂気を送り込み、狂った王は、自分の息子をぶどうの樹だと思い込んで、息子を斧で撃ち殺し、その体を刻んだ後で正気に返ったと言われています。また、王自身も人々の手によって、馬に手足を引き裂かれて死んだとあります。同様のことがテーバイでも起こり、カドモスの息子でテーバイの王ペンテウスは、狂乱したバッコスの女たちを取り締まろうとしたために、狂乱した自分の母によって、身体を引き裂かれたとあります〔アポロドーロス『ギリシア神話』3巻5章〕。
【その祭りとぶどう酒】
ディオニューソスは常に仮面をかぶって現われます。このため彼は、全く正反対の二つの性格を帯びることになります。アッティカ(現在のアテネの地域)に入ったディオニューソスは、「慎み深く忍耐強い神となり、温情ある寛大な神」に変じます。アテナイの西方にあるエレウシス(現在のエレフシス)では、太古の女神デメーテールの祭儀が行なわれていました。太母(たいも)デメーテールは穀物を育てる女神です。これに対してディオニューソスはぶどう酒をもたらすカミです。穀物(パン)とぶどう酒こそ、人間にとって二つの大事な物だからです〔ドゥティエンヌ『ディオニューソス』〕。
狂気をもたらすぶどう酒は、これを水で割ることによって、適度の強さになり、医療や祝いの酒に変じます。こうして、ぶどう酒は神への御神酒(おみき)になります。ディオニューソスが、テーバイからアテナイへ向かうのに応じて、仮面の下に隠されていたもう一つの顔、人間を祝福し益をもたらすぶどう酒の神がその顔を見せ始めます。このようにして、テーバイの恍惚と狂乱のディオニューソスが、アテナイでは、ディオニューソスへの聖なる祭りを誕生させることになります〔ドゥティエンヌ『ディオニュソス』〕。
さらにディオニューソスは、ギリシアの最大の聖地であるデルフォイ(テーバイの西北にあたるパルナソス山の麓にある)のアポロンの神殿でも祀られます。アポロンとディオニューソスは、人間の知的な営みと人間の内面に潜む名状しがたい衝動と、この二面性をあらわす役割を与えられることになります〔ドゥティエンヌ前掲書〕。
大プリニウス(Gaius Plinius Secundus)(23/24年〜79年)は、その『博物誌/自然史』で、この地方のローマの総督ムシアヌスによれば、ギリシアのアンドロス島にあるバッコス神殿では、毎年1月5日には、ぶどう酒の味がする水が湧き出る泉があり、人々はこのぶどう酒を「神性を帯びた神からの贈り物」と呼んでいると記しています〔大プリニウス『博物誌』2巻106章〕。この泉は父祖バッコスの聖地で、年ごとの祭りでは、七日間この泉の水がぶどう酒に変じるが、そのぶどう酒が神殿の外に持ち出されると再び水に戻るとあります〔大プリニウス前掲書31巻13章〕。この不思議は、ディオニューソス祭の1月5日から6日にかけて、夜に起こるとされていて、古代キリスト教会は、1月6日をキリストの受洗の祝日と定め、かつこの日を「カナの婚宴の日」と見なしました〔ブルトマン『ヨハネの福音書』〕。
以上で分かるように、ぶどう酒は人間を狂わせる「悪い働き」から、これを水で割ることで適度に用いるなら、人間に益を与える「文明の神」の働きに変じました〔ドゥティエンヌ前掲書〕。
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