4章 大秦景教流行中国碑頌(1)
       (前半の教義に関する部分の訳注)
参考書
 碑文の本文は、佐伯好郎『景教碑文研究』The Nestorian Monument in China. 東京:待漏書院(明治44年)/復刻版:東京:大空社1996年(125〜130頁)と、川口一彦編著『景教』イーグレーブ(2002年)に準拠した。注は、佐伯『景教碑文研究』135〜173頁に準拠したが、川口一彦編著『景教』の注と、さらに、次の英訳も参照した。
"Inscription of the Nestorian Monument". THE OPEN COURT. A MONTHLY MAGAZINE.
Devoted to the Science of Religion, the Religion of Science, and the Extension of the Religious Parliament Idea.Volume XXIII. CHICAGO (THE OPEN COURT PUBLISHING COMPANY 1909)Reduced to HTML by Christopher M. Weimer, July 2002. 
 ただし、注には、これらの著作によると共に、私見も加えてある。漢文の訓読みは、主として佐伯『景教碑文研究』125〜130頁に従ったが、川口『景教』をも参照した。なお、日本語訳は、インターネット版の久保有政氏の訳文をそのまま掲載させていただいた(一部、意訳してあるが、主要な用語はなるべく碑文のものを残した)。
 
【本文】
景教流行中国碑頌并序
大秦寺僧景浄述
【訳】大奏寺(キリストの教会)の僧侶(牧師)、景浄(シリア名アダム)の記述。
【注】
【景教】ほんらいササン朝ペルシアから伝えられたことから「波斯(ぺるしゃ)教」と称されたが、マニ教(キリスト教とゾロアスター教と仏教などの混交宗教)やゾロアスター教との混同を避けるために「彌施詞・迷師詞(めしあ)教」となり、これがさらに「景教」へと名称を変更した。「景」は「光/光明/太陽」を意味するが、ササン朝ペルシア語で「教え」のこを「ケーシュ」と言うから、これの音訳だという説もある〔川口『景教』22頁〕。
【大秦寺】碑文によれば、唐の二代目皇帝太宗(在位626〜649年)の時に、「大秦国」から阿羅卒(アロペン/アルワーン/アブラハム?)が、経典やイコンを携え、宣教団(20名)を率いて唐の都長安へ来訪した(635年)。皇帝は彼らを優遇して、その教えの優れていることを容認し、国費によって、都の義寧坊に大秦寺を建築したとある。碑文によれば、「大秦国」とは、当時のササン朝ペルシアのチグリスとユーフラテス川の西域から地中海にいたる地域(いわゆる「シリア」)を指していると思われる。しかし、かつて北王国イスラエルの十部族が住んでいた地域のことではないかという説もある〔佐伯『景教碑文研究』151〜52頁〕。
【景浄】シリア語では「アダム」とある。碑文には「景福」「景門」など、「景」のつく用語が多いが、「ネストリオス」にあたる名前は見当たらない〔川口『景教』22頁〕。ちなみに、「シリア語」とは、前6世紀頃のアケメネス朝ペルシアの時代からのアラム語(ペルシア帝国公用のペルシア語と区別される)と、前4世紀以後にこの地域に普及したギリシア語などの影響を受けて、主としてエデッサなど、いわゆる「シリア地域」を中心に用いられてていた言語である。前2世紀から後2世紀にいたるパルティア王国でも、以後のササン朝ペルシアでも、シリア語は、特に東方のキリスト教会において経典などを記す重要な言語であった。
 
【本文】
奥若
常然眞寂
先先而无元
窅然靈虚
後後而妙有
惣玄樞而造化
妙衆聖以元尊者
其唯我三一妙身
无元眞主
阿羅詞
 
【訳】万物の何ひとつなき先に存在し、はじめなく、終わりなき方、とこしえまでも存在する元尊(神)、この方は、真理をもって造化(創造)し、多くの預言者たちを遣わされた。この方こそ、私たちが信じ告白する三位一体神の妙身(御父)、
始めなき、まことの主、阿羅訶(アロハ。シリア語で神)である。
【注】
【奥若】ああ。感嘆詞。
【常然】どんな時にも変化しない。
【眞寂】寂として肉眼では見えない真理。
【先先而无元】「先の先にして元に赴く」。「先先」は原始のさらに原始のことで、原因のさらに原因のこと。ヨハネ黙示録1章8節を参照。
【窅然】ようぜん」とは、はるか遠くを洞察する深遠なる有り様。
【靈虚 】「れいきょ」とは、無形無体(永遠性のこと)で捕捉しがたいこと。
【後後而妙有】「後の後にして妙有す」。「後後」は、最終のさらに最終にして、万有の帰着点のこと。「妙有」は梵語の "Sat." の訳語で、不思議な存在のこと。現存するもの「無妙」"Asat." の反対語。「私は、初めであり、終わりである」(ヨハネ黙示録1章17節)。
【惣玄樞而造化】「玄樞(げんすう)を惣じて造化し」。「玄樞」(げんすう)とは、すべての基となる「神秘な基軸」のこと。神は、この基軸によって天地万物を統治し、宇宙の万有を創造したことを言う。
【妙衆聖以元尊者】「衆聖を妙(たえ)にし、以(も)って元尊なる者」。「衆聖」とは、もろもろの人並み優れた聖人たちのことであるが、ここは特に(旧約時代の)預言者たちを指すのか?あるいは、キリスト教以外の他宗教の聖人たちをも含むのか。「元尊なる者」とは、万物の中にあって、それらの元祖となる貴い方(神)のこと。仏教の「尊師」とも通じる。
【其唯我三一妙身】「其れただ我が三一の妙身」。「三一の妙身」とは、三位一体の奇しきお方のことで、彼こそが「我らの神」である。
【无元眞主】「无元」(ぶげん)とは、被造物ではなく、そもそもの初めから存在すること。「眞主」は、絶対的な存在である主なる神を指す。
【阿羅詞歟】「あらほ」はシリア語 "Eloh"(アラヘー/アラカー/アロハー) から。ヘブライ語の神の名前である「ヤハウェ」から出た語か。「あらか/ほ」は、仏教の「阿羅漢」(あらかん)(大乗では修行を積んだ最高の尊師)とも通じるから、「景仏混合」の跡と見るべきか〔佐伯『景教碑文研究』136頁〕。「歟」(よ/ゆ)は、冒頭の「奥若」と対応して、ここでは語気を強めるための助詞。
 
【本文】
判十字以定四方
皷元風而生二気
暗空易而天地開
日月運而晝夜作
【訳】
この方は、十字を分けて四方を定め、元風(聖霊)の働きを通し、光と闇、陰と陽をお造りになった。無から天地を創造し、日と月を造って昼夜を分けられた。
【注】
【十字】「判十字以定四方」(十字を判定し以て四方を定め)。ここの「十字」は、東西南北を判定して四方を決めるためであるから、直接に十字架と関連しない。
【元風】「元風皷(こ)し、而して二気を生ず」。「元風」は、全宇宙の根源となる「霊気」のこと、すなわち三位一体の「聖霊」を指す。敦煌石室遺書には、「聖霊」のことを指して「浄風」とある。「皷(こ)する」とは鼓(つづみ)を打って鼓舞する、すなわち働きかけること。
【二気】「二気」とは、陰陽二つの「気」のことで、「陽気」は、物事に働きかけて生起させる霊気のこと。ここは、古代中国の「陰陽五行」説との関連を読み取ることができよう。
【暗空易而天地開】「暗空変わり而して天地開け」。天地開闢(かいびゃく)のことは、創世記1章1〜10節を参照。「暗空」の「空」は、創世記にある単なる大空のことではなく、仏教的な意味で言う「空」(くう)「虚無」をも示唆している。英訳に "the zombre void" とある。
【日月運而晝夜作】「日月運行し而して昼夜を作る」。太陽と月によって昼と夜が分かれたことは創世記1章14〜18節に出ている。
 
【本文】
匠成万物
然立初人
別賜良和
令鎮化海
【訳】
万物をたくみに創造し、初人(アダム)をお造りになった。
また彼に良和(エバ)を賜い、ともに万物を支配させなさった。
【注】
【匠成万物】「万物を匠(たくみ)に形成し」。
【然立初人】「然(しか)して初人を立て」。「初人」とは神が造った最初の人アダムのこと。創世記1章27節では、アダムは「神の姿に象(かたど)って」造られたとあるが、ここでは、初人を「立てた」とあるから、「万物」を治める目的のために「任命する」ことを意味する。
【別賜良和】「別に良和(えわ)を賜わり」。「別に」は「特別に」の意味で、他の被造物より優れていること。「良和」は、「エヴァ」(創世記2章20〜24節)のことであるが、ここでは「宜(よろ)しきに叶(かな)う和」を行なう人(女)をも意味する〔佐伯『景教碑文研究』136頁〕。
【令鎮化海】「化海(けかい)を鎮めせしむ」。「化海」の「化」は「命を生じさせる」ことで、「海」は人間を含む世界のことである〔佐伯『景教碑文研究』136頁〕。「海」は秩序を持たない「混沌」の意味をも含むから(創世記1章6節)、ここでは、特に変転極まりない人の世を念頭に置いている。
 
【本文】
渾元之性
虚而不盈
素蕩之心
本無希嗜
泪乎沙殫施妄
鈿飾純精
【訳】
人はもともと、その本性は悪に傾かず、その純真な心は他のものを乞い願わなかったのだが、娑殫(サタン)が来て、虚偽をもって彼らを惑わした。
【注】
【渾元之性】「渾(こん)」は「混」のことで区別がないこと。「渾元の性」は、まだ分かれることのない原始の人間性を指す。
【虚而不盈】「虚にて而(しこう)して盈(えい/よう?)無く」。「不盈(ふえい)」は下心、余念がないこと。したがって、この句全体は自我・我欲が無いこと。
【素蕩之心】「素蕩(そとう)之心」の「素(そ)」とは「白い」ことで、無色透明なこと。「蕩(とう)」は「払う/洗う」ことで、汚れや毒を除くこと。
【本無希嗜】「本(もと)より希嗜(きし)無し」。「希嗜(きし)」は、過度に欲する貪欲のこと。
【泪乎沙殫施妄】「沙殫(サタン)妄を施(し)するに泪乎(およ)んで」。「泪乎(ぺきこ)=及んで」(泪=及)。「妄」は「魔妄」のことで、仏典で言う「悪魔」のこと。
【鈿飾純精】「純精を鈿飾(てんしょく)す」。「純精」とは「純正な精神原理」のこと。「鈿(てん/でん)」は螺鈿(らでん)や簪(かんざし)のことで、「鈿飾(てんしょく)」は(表面を)飾り立てること〔佐伯『景教碑文研究』137頁〕。"until Satan introduced the seeds of falsehood, to deteriorate his(man's) purity of principle;" 〔英訳〕。ただし、「サタンは身を飾って惑わし」という解釈もある〔川口『景教』49頁〕。
 
【本文】
間平大於此是之中
隙冥同於彼非之内
是以三百六十五種
肩隋結轍
競織法羅
或指物以託宋
或空有以淪二
【訳】
また神と人とを隔てさせ、人の心を邪悪なものとなした。
こうして365種(人類)はサタンに従い、好きかってに生きるようになった。
人は競って世に掟を作り、あるいは物質を追い求めて現世利益の宗教に走る。
【注】
【間平大於此是之中】「平大を此の是(ぜ)之中に於(お)いて間(へだ)て」。「平大」とは、「完全ですき間なく(大)誠実真正な(平)心」のこと。「是」は「是非」の「是」で「正しい」こと。「間(へだ)てる」とは、完全無欠な状態の中に「裂け目/切れ目」が出ること。
【隙冥同於彼非之内】「冥同を彼の非之内に於いて隙(へだつ)」。「冥(めい/みょう)」とは「冥加(みょうが)」の例に見るように「奥深い神仏の働き」のこと。「同」とは相和する状態のことで、「冥同」とは「悪に遠く善に一致する」こと〔佐伯『景教碑文研究』137頁〕。ただし、英訳では、「冥」を「薄暗くなる」の意味に理解している。「隙(へだ)つ」の「隙(げき)」は、硬い岩などに割れ目/裂け目ができること。したがって、文意は、完全な人の本性にも割れ目ができて、「非」すなわち「悪」が入り込むこと。
【是以三百六十五種】「是(これ)を以って三百六十五種あり」。人の心に悪が入り込んだために、365日(日々)罪悪を犯すことになった〔佐伯『景教碑文研究』137頁〕。あるいは、「365種類もの様々な分派分裂が生じた」〔英訳〕の意味か。"abraxas"にあたるギリシア文字をそれぞれの文字が表わす「数」に置き換えて合計すると「365」になるから、この世全体を「悪」と見なす2世紀のグノーシス思想では、「365」は、365種の人間が悪の世を形成していると考えた〔川口『景教』24頁〕。
【肩隋結轍】「肩隋」は「肩を並べて/続々と/次から次へと」の意味。「結轍」の「轍」は車の車輪の跡のことで、「結」は「閉じる」ことだとあるが、むしろ、ここでは「結集」の例に見るように「一つに固まる」こと。「次々ともろもろ々の分派分裂が生じ、それぞれが結束して(教義的な)争いが起こった」〔英訳〕。「三六五種(人類)がサタンに従い、好き勝手に生きるようになりました」〔川口『景教』49〜50頁〕。
【競織法羅】「競いて法羅(ほうら)を織(お)る」。「法羅」とは法の「網目」のことで、罪なき者を法の罠にかけることで罪を「織り出す」ことを「羅織(らしょく)」と言う。
【或指物以託宋】「或いは物を指し、以て宋に託す」。「指物」とは「物質(的なこと)を目標にする」こと。「託宋」の「宋」は「崇拝すること」であり「託す」とは、もっぱらこれを信奉することであるから、文意は、物質的な利益に溺れて、真の神を忘れること〔佐伯『景教碑文研究』138頁〕。
【或空有以淪二】「或いは有を空しくして以て二を淪(りん)す」。「有(ゆう)」とは「物体のことで、現在そこに存在する物」のこと。「空しくする」は「虚(きょ)」に化すること。「空有」は、おそらく仏教用語で、煩悩より生じる業果を指す。「二」は「善悪」のことで、「淪(りん)」は「沈める」「滅びる」こと。したがって、善悪を混同没却すること。仏教的な背景だけでなく、ペルシアの善悪二元論をも反映する〔佐伯『景教碑文研究』138頁〕。
 
【本文】
或?祀以邀福
或伐善以驕人
知慮営営
思情役役
茫然無得
煎迫轉焼
積昧亡途
久迷休復是於
【訳】
あるいは哲学を弄し、あるいは儀式を通して幸福を追い求める。
あるいは善行をして、自分を善人と傲る。
知恵は利を追求するが、心は闇の中にあり、前途は暗い。
迷うばかりで、立ち返る道は久しくわからなかった。
【注】
【或禱祀以邀福】「或いは、祀(とうき)し、以て福を邀(もと)め」「邀(よう)福」は自己に福を迎え入れようとすること。
【或伐善以驕人】「或いは、善を伐(ほこ)り以って人驕(おご)る」「伐(ばつ)善」は自己の善行を鼻にかけること。「驕(きょう)人」は自らを尊大にすることで人を軽んじること。
【知慮営々】「営(えい/よう)々」とは、その知慮が惑い乱れる有様のこと。
【思情役役】「役々(えきえき)」とは「(思いと情念に駆られ)労苦するが成功を見いだせない姿」を指す。
【茫然無得】「茫然として得無く」
【煎迫轉焼】「煎迫」の「煎」は「焦」と同じ、苛立(いらだ)ちで心穏やかでないこと。「轉焼」は「烟(えん)焼」と同じで、焼失すること。
【積昧亡途】「積昧(せきまい)途(みち)を亡(うしな)い」。「積昧」は、知に暗く蒙昧(もうまい)を積み重ねること。
【久迷休復】「久しく休復に迷う」。「休復」は正道に立ち返ることであるが、これがなかなかできないこと〔佐伯『景教碑文研究』138頁〕。
                   ネストリオス派と景教へ