60章 黄金律

ルカ6章31節/マタイ7章12節

【聖句】
イエス様語録/ルカ6章31節
人にしてもらいたいと思うことを、人にも(同じように)しなさい。

マタイ7章12節
だから、人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも(そのとおりに)人にしなさい。これこそ律法と預言者である。
【講話】 
  『論語』の中で、孔子の弟子である子貢が師に「ひとことだけで一生行なっていけるということがありましょうか」と尋ねます。すると孔子が「まあ、恕(じょ)〔思いやりのこと〕だね」と答えてから、「己の欲せざるところ、人に施すことなかれ」と言います。これと同じようなことは、東洋でもギリシアやローマの世界でも広く言われてきています。旧約聖書でも同じことが言われていますし(トビト記15節)、新約時代では、トマス福音書の6章2節に「(あなたたちが)憎むことを(人に)するな」とあり、「12使徒の教訓」(1の2)にも「なんであれ、あなたたちに起こってほしくないことを他人にするな」とあります。しかし、ここに出てくる「なんでもそのとおりにせよ」という積極的な教えは独特で「黄金律」(the Golden Rule)と呼ばれています。ここで「してもらう」も「しなさい」も主語は複数で「あなたたち」です。また「人」も複数で「人々」のことです。ただし「同じように」はルカが加えたものでイエス様語録にはありません。
  ただし、黄金律もイエスが初めてではありません。旧約聖書は「自分自身を愛するように隣人を愛しなさい。わたしは主である」(レビ記19章18節)と教えています。「自分を愛するように」とあるのは、自分がしてほしいと願うとおりにということです。この隣人愛は、「あなたは心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい」(申命記6章5節)という主なる神への愛と結びけられています。まず神様と人間との交わりがあり、そこから人間同士の交わりへと広がる愛の働きを表わしているのです。
 イエスも旧約のこのような愛の教えを受け継いでいて、隣人愛と神への愛をひとつにして、この愛こそが最も大切であると言い、「律法全体と預言者」はこのふたつの教えに基づいていると語りました(マタイ22章37~40節)。この点ではパウロもイエスと同じで、「愛は律法を全うする」(ローマ13章8~10節)として、キリストの御霊の愛から生まれる隣人愛は、律法の成就であり神髄であると教えています。
 マタイも、それまでのイエスの山上の教えを終えるにあたって、その教え全体をまとめる意味で、ここに黄金律を置いたのです。マタイが「律法」と言うのは、狭い意味では旧約聖書の始めの5つの文書(モーセ五書)のことであり、「預言者」(複数)とは、旧約聖書にある預言の書全部を指しています。しかしここでは、このふたつの言葉で、旧約聖書の教え全体の根底に流れる精神(神の霊)が表わされているのです。だからこそマタイは「何でも」と「そのとおりに」をイエス様語録に加えて、新たに注がれる御子の御霊にあって、黄金律を実行して生きるように強く語りかけているのです。
 ルカの場合には、黄金律は、さらに深められて「敵を愛する」ことと結びついています(ルカ6章32~34節)。なぜならこの「愛敵」の精神こそ、「天におられる父の神の慈愛」の最高の姿だからです。ここにいたって、黄金律は、それまでの宗教や道徳に見ることのできない新約聖書独自の輝きを放つようになりました。このように聖書の黄金律は、全人類の知恵と旧約の律法と新約の福音とがひとつになった到達点を指しています。
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