【注釈】(1)
■ナザレの出来事の配置
今回の箇所は、マルコ福音書とマタイ福音書とルカ福音書とで、それぞれに置かれている位置がかなり異なっています。マルコ福音書では、イエスは、ガリラヤでの伝道開始の直後に、カファルナウムを訪れ、そこから癒しの巡回伝道があり、ファリサイ派との論争があり、十二弟子の選びがあり、ガリラヤ湖東岸でゲラサでの悪霊追放があり、ヤイロの娘のよみがえりがあってから、イエスの故郷ナザレの出来事が語られます。これは、十二弟子派遣の直前にあたります。
マルコは、この箇所で「故郷」と述べていますが「ナザレ」という名前を出していません。イエスの家族については、イエスがカファルナウムで伝道し始めた時には、わざわざ家族がナザレから出てきたとあります(マルコ3章31~35節)。なんのためかは語られていませんが、イエスの活動に懸念を抱いて、これを控えさせようとしたのでしょう(マルコ3章21節)。イエスはこの時に、肉親への義務や愛情よりも神の導きを選ぶべきことをはっきりと告げています。この問題は、ナザレの出来事に続く一連の弟子たちへの派遣の際に語られます。このような事情から察するならば、イエスのカファルナウム周辺での伝道によって、彼の名声が広がるにつれて、故郷へもその噂が届いて、イエスを「招待する」ことになったので、今度はイエスが、家族とは逆の道をたどって、ナザレへ向かったことになります。ところがそこでは、人々の期待とは裏腹に、イエスは、人々の不信仰と怒りを招く結果になった。こういう事情が浮かび上がってきます。マルコによれば、その直後に十二弟子派遣が行なわれます。
マタイ福音書では、荒れ野での試練の後で、洗礼者ヨハネの殉教があり、これを聞いたイエスは、先ずガリラヤのナザレに戻り(マタイ4章13節)、そこからカファルナウムへ出て行きます。だから、今回のイエスのナザレ訪問は受洗以来2度目になります。マタイのこの2度目のナザレ訪問は、マルコよりもさらに遅く、十二弟子派遣の後で、御国についての一連のたとえが続いたその後で、この出来事が語られます。だからマタイ福音書では、ここは、イエスのガリラヤ伝道の終わり近くになり、会堂でのイエスの教えの最後になります。マタイは、今回の出来事をマルコの記事に基づいて書いていて、彼はこれを整理し、話の内容を構成し直しています。マタイの配置の仕方で注目されるのは、一連の御国のたとえの始めにイエスの家族による「不信仰?」を置き、終わりには、今回の「故郷」での人々の拒否を置いていることです。しかも彼は、この出来事をガリラヤ伝道の終わり近くに置いています。
ルカ福音書では、ガリラヤ伝道開始の初期にこの出来事が来ています(もっとも、ルカ4章23節から判断すると、ナザレの前にカファルナウムを訪問していたことにもなります)。マタイによれば、イエスは、カファルナウム訪問に先立ってナザレへ戻ったとありますから、ルカの語るナザレ訪問が2度目だとすればマタイと一致します。ただし、今回の出来事の配置は、ルカ福音書ではガリラヤ伝道の初期であり、マタイ福音書ではその終わり近くですから、正反対と言えましょう。カファルナウムでの伝道が、イエスの伝道の初めのほうに置かれている点では、共観福音書は一致しているのですが、ナザレでの今回の出来事は、マルコ福音書とマタイ福音書とでは、カファルナウムの悪霊追放の後になり、ルカ福音書では、カファルナウムでの悪霊追放の前になりますから、順序が逆になります。
ルカの記事とマルコ=マタイの記事とを比べると、かなりの違いがありますので、同じ出来事から出た異なる形の伝承が、ルカに伝えられたのではないかと考えられます〔デイヴィス『マタイ福音書』〕。一見すると、ルカは、この伝承に、旧約の預言(4章17~21節)と旧約の故事(4章25~27節)とを挿入しているようにも見えます。しかし、ここでの旧約の預言(ルカ4章18節)には、イエス様語録が反映していますから(ルカ4章18節注釈参照)、イエス様語録を通じて、すでにルカ以前の資料にこれらの旧約部分が組み込まれていた可能性があります。
ルカの記事には、メシア預言がイエスにおいて成就したことと、イエスが拒否されたこととが同時に語られていて、相反する内容が併置されているようにも見えます。また、22節の人々の賛美と、23節のこれに対するイエスの答えとが、不自然なつながり方をしているように思われます。このために、ルカは二つの資料を結んだのではないかという見方もありますが、むしろ彼は、伝承を変えることなくそのまま用いていると考えるほうが適切でしょう〔ボヴォン『ルカ福音書』〕。ルカの所持していた伝承は、マルコ=マタイの伝承よりも古いものかもしれません。
以上の共観福音書を総合すると、イエスは、荒れ野での試練の後で、いったんナザレに戻り、そこからカファルナウムへ出かけ、巡回の後に、再びナザレを訪れて、今回の出来事が起ったことになりましょう。ナザレでの出来事は、ガリラヤ伝道の初めなのでしょうか(ルカ)? 十二弟子派遣の直前なのでしょうか(マルコ)? ガリラヤ伝道の終わり近くなのでしょうか(マタイ)?これには、それぞれの福音書記者の視点がかかわっていますが、実際の出来事の順序は、今では確かめることができません。ただし、マルコが描くように、イエスの初期のガリラヤ伝道が、カファルナウムを拠点にして、主としてガリラヤ湖の周辺で行なわれたのは確かです。だから、ガリラヤ伝道においては、イエスの実際の伝道活動は、先ずカファルナウムで始まり、その後に、内陸部のナザレへ及んだと見るべきでしょう。
■ナザレの出来事の意義
イエスのナザレ訪問の出来事は、その内容から判断して、実際に起こった出来事を伝えていると考えられます〔デイヴィス『マタイ福音書』〕。ただし、この出来事は、一連の出来事との関連の中ではなく、これだけで単独の伝承として伝えられていたのでしょう。このために、作者によって、これの配置が異なる結果になったと思われます。マタイとマルコは、「ナザレ」という名前を出していませんが、そこで起こった出来事が、(1)イエスの「故郷/故国」の人々に拒否されたこと、(2)その拒否が、イエスの霊的な権威とこれに対する不信仰であったこと、この2点については一致しています。
マルコは、イエスの目覚ましい霊能の働きに読者が目を奪われないように、「イエスへの信仰が必ずしも自明のことではなかった」ことをガリラヤから離れた内陸部でのこの出来事で示そうとしたのでしょうか〔フランス『マルコ福音書』〕。しかし彼は、イエスの教えそのものについては全く触れていません(この点ではマタイも同じ)。しかしここには、人々による賛美と拒否、少数の信仰と多くの人の不信仰、イエスの力ある業が十分発揮されなかったことなど、イエスを巡る矛盾した状況が表わされています。「顔見知りの」人間イエスとそのイエスに宿る霊性との間に潜む躓きの可能性が、ここに露わに示されているのです。マルコはイエスが、十二弟子にだけは「神の国の秘密」を教えたとはっきり述べています(4章10~12節)。しかし、「外の人々」には、いわゆる「メシアの秘密」が、たとえとして語られるだけです。マルコがこの出来事を十二弟子派遣の直前に置いたのは、彼らの伝道も同じような躓きに出合わなければならないことを示唆しているのでしょうか。
マタイは、先に述べたように、一連の御国についてのたとえの後にこの出来事を置いていて、彼は、マルコの記事に基づいて、これを次のように対称形に再構成しています〔デイヴィス『マタイ福音書』〕。
(A)イエスは故郷へ来た。
(B)会堂で福音を語った。
(C)人々は驚いた。
(D)彼はどこからこのような知恵を得たのだろう?
(E)彼は大工の息子で、家族も顔見知りではないか。
(D)彼はどこからこのような知恵を得たのだろう?
(C)人々はイエスに躓いた。
(B)イエスは諺を引いて答えた。
(A)イエスは故郷で奇跡をあまり行なわなかった。
この構成でも分かるように、マルコと同様にマタイも、ナザレでは、イエスが「知り合いの人」であったことを中心に置いていて、これが躓きの原因になっています。しかし、マタイは、この中心を挟んで、イエスの知恵は「どこから」出ているのかと人々が驚いた様子を伝えています。人間イエスと彼に宿る神の御霊の知恵の働き、この落差が、イエスの周囲に、信仰と不信仰、賞賛と非難、受け入れと拒否の渦を巻き起こしているのが分かります。しかも、マタイは、この出来事を一連の御国の「たとえ」(たとえは御国の霊性を言い表わす唯一の方法です)の終わりに置いて、これをたとえの直前に置かれているイエスの家族についての言葉と対応させています。マタイは、この出来事を単なる一つの事件としてではなく、ガリラヤ伝道の終わり近くに置くことで、イエスの伝える「天の王国/神の国」が、故郷/故国では受け入れられなかったことを示すと共に、エルサレムでの受難への予兆としているのではないかと思われます。
ルカは、先に述べたように、この出来事がカファルナウム訪問の後であることを知っていながら、意図的にこれをガリラヤ伝道の最初に置いています。しかも彼は、マルコやマタイには出てこないイエスの教説の内容をも伝えています。そこで語られるイエスの言葉は、旧約聖書に基づくものです。ルカはこの出来事を何よりも先ず、「旧約聖書の預言の成就」と見ているのです。イエスに注がれた聖霊の働きが旧約の預言の成就であるだけでなく、イエスに向けられる不信仰と拒絶もまた、かつてのエリヤやエリシャと同じように「預言者イエス」にも起こったのです。さらにルカは、これが「終末的な」出来事であることを示そうとしています。しかもその終末的な出来事が、「今日あなたたちの目の前で実現した」のです。過去の預言と未来の終末とこれの現在での成就、この不思議な「時」の前後関係が、ナザレの出来事を通じて表わされているのです。
ルカはこのように、ナザレの人たちの目の前にいる「ヨセフの子」こそが、イザヤ預言にある主から聖霊の油を注がれた「メシア」であり、「主の僕」であることを証ししています。この出来事は、ルカに言わせるなら、「イエスが育ったナザレ」で起こったことです。ルカの目には、「ナザレ」とは、主から油注がれたメシアが現われたユダヤの国を象徴するものですから、イエスは、「ナザレ人イエス・キリスト」(使徒3章6節)なのです。だからルカは、「ナザレ人イエス・キリスト」の出来事として、これをイエスの伝道の最初に置いたのでしょう。それは、イエスが、十字架にいたるまで、「反対を受けるしるし」(ルカ2章34節)となるべく定められていたからです。
このように、共観福音書は、一致してイエスの人間性とそこに宿る霊性との落差に人々の躓きの原因を見ています。しかし、この出来事全体を見る3人の目は、重なり合いながらも、はっきりと異なっていて、マルコからマタイへ、マタイからルカへと、より大きな救済史的な視野へ拡大していくのが分かります。ちなみに、ナザレのイエスの人間性と霊性とのこの落差がもたらす躓きをいっそう徹底させ敷衍させて、イエスの故郷(ユダヤの国)とそこで生じた信仰と不信仰による人々の分裂を追求しているのがヨハネ福音書です〔デイヴィス『マタイ福音書』〕。ヨハネは、これを通して、旧約聖書の預言が成就した神の御子イエス・キリストの姿を描き出しているのです。
■霊的な出来事とは?
以上で分かるように、これはナザレで実際に起こった出来事です。しかし、この出来事を扱う3人の記者たちの見方は、重なりながらも異なっています。その違いは、この出来事を配置する「出来事の順番」の違いにもはっきりと現われています。だから、四福音書からは、史実としてのイエスの出来事の「正しい順番」は見えてきません。なぜなら、福音書は、そのような「史実」を伝えるために書かれたものではないからです。この意味で福音書はイエスの「伝記」ではありません。
「事実」ではあっても「史実」どおりでないのなら、いったい福音書は何を語ろうとしているのでしょうか? 「事実」と「史実」とのこのような乖離(かいり)が、なぜ起こるのでしょうか? その理由は、福音書が書かれた目的それ自体にあります。福音書は、「イエスの出来事」を伝えるためのものですが、その「出来事」とは、史実として客観的に確認できる「歴史的な現われ/現象」を指しているのではありません。だから福音書には、イエスの背丈や容貌など、彼の外見にかかわる記事はでてきません。なぜなら、イエスの出来事に潜む霊的な意味、言い換えると「ナザレのイエスの霊性」それ自体を伝えることが、福音書が書かれたほんらいの目的だからです。したがって、福音書では、客観的に確認可能な個々の出来事が、それらが起こった順番に正確に記されているのではありません。福音書記者たちが意図しているのは、新聞記事のように、外から確認できる現象を「事実」としてレポートすることではなく、それらの出来事に潜む霊的な意味を探り出してこれを伝えることだからです。
だから福音書では、イエスの一つの言動だけが一つの出来事と対応して語られているとは限りません。イエスがいろいろな場合に語ったり行なったりしたこと、これらの言葉や行動が、一つにまとめられて、特定の場所での特定の出来事として語られる場合があるからです。このような場合、その出来事は、ほかの様々な場所やいろいろな時も含まれていますから、それらの全体を「象徴する」出来事という性格を帯びるのです。外から確認できる個々の確認可能な出来事としてではなく、それらが表わす「霊的な」意味を伝えようとすると、このような語り方、伝え方になるのです。
だから、イエスが行なった多くの業は、網の目のように広がりながら、相互に関係し合って、流動的で多様な伝わり方をしたと考えられています。その中から、口伝伝承が生まれ、それらが文書化されて、それぞれの記者の手元に届いていたのです。だから伝えられた事実には、幾つもの出来事が重ね合わされていたり、出来事の意味も、幾段階かの変遷を経過して変容していることが分かります。このような霊的な出来事を客観的な史実として究明することが、無意味であるとは言いませんが、福音書がほんらい意図する「霊性」を読み解く方法としては、どうしても限界が生じます。
■霊的な出来事の解釈
では、これらの出来事に潜む霊性は、どのようにすればこれを読み解くことができるのでしょうか? 今回のナザレ訪問の出来事には、三つの異なる配置が見られます。それらの「どれが正しいのか」を問うことは、幾つもの事実に潜む霊性の現われを見る場合に、また、幾つもの変容を経て伝えられている霊的な意味を読み解く手段として、適切な方法とは言えません。むしろ、三つとも、それぞれの表わし方において、それなりに「正しい」と判断すべきです。またこの出来事に潜む意味そのものも、これを厳密に定義づけようとするのは、霊的な事象を読み解く手段として必ずしも適切ではありません。幾つかの対立する解釈が可能な場合には、それらの解釈と、それらの解釈によって生じる幾つかの意味の指し示す範囲/領域の中に、出来事の霊的な意味を見いだそうとするほうがより適切でしょう。わたしたちにできることは、異なる解釈や意味の表われに囲われている領域の周辺を巡りながら、それらの現われと、それらが指し示す方向の中に、出来事の意味を探ったり確認したしすることなのです。
この方法は、例えば心理学などで、人の見る夢やヴィジョンを読み解く方法に通じるところがあるかもしれません。わたしたちの想念やこれによって生じるヴィジョンや発想は、必ずしも時間通りの順序に従って現われるとは限りません。そこでは、過去と現在と未来が一つになったり、同じ出来事が二つに分かれて見えたり、別々のことが一つに重なって見えることのほうが多いのです。
ナザレの出来事でも、これが配置された場と、出来事の表わされ方と、場と表われとが相互に影響し合いながら変容していく「動き方」、これらを総合して見なければならないでしょう。「動き」とは、御霊がわたしたちに指し示す方向性のことです。わたしたちにできることは、せいぜい、御霊の現われ方とその働き方の周りを巡りながら、それが指し示す方向、すなわち御霊の「導き」を祈り求めることなのです。聖書の出来事の「現われ方」、そこに含まれる幾つかの「働き方」が織り出す意味の重層性、それら複数の現われと意味の重なりが指し示す「動き」としての方向性、「現われ方」と「働き方」と「動き方」の三つ、これが、ナザレのイエスの霊性である御霊の働きを洞察する最も適切な方法ではないかと思われます。
学問的な方法論は、言うまでもなく、御霊の働きを「知的に」考察し、これを解明しようとする試みです。しかしながら、福音書が証ししようとするイエスの霊性それ自体を、ある一つの論理や定義づけによって限定しようとすることは、神の御霊である聖霊を定義しようと意図することにほかなりません。学問的な分析とこれに基づく洞察は、イエスの霊性を解明する上で欠かすことができないものです。しかしながら、現在の段階においては、学問的な方法論によってイエスに顕われた御霊の働きを「自然科学的/人間学的に」解き明かすことは、まだまだ先のことだと言わざるをえません。そのような学問的な試みが、より確かな根拠を持つためには、現在わたしたちが、知的な営みによって所有している神学・聖書学を初めとする学問的な諸領域だけでなく、はるかに広範囲な諸領域が要求されてくるからです。このためには、おそらく量子物理学などを含む自然科学と心霊学や宗教学を含む人文科学(人間学)とが統合される必要がありましょう。
なおここで付け加えるなら、「霊的な」出来事という時に、わたしは意図的に「神話」という言葉を避けています。「神話」という言い方には、例えば、占星術の基となる星座の神話のように、根拠のない空想/妄想を意味する「非科学的な虚偽性」がつきまとうからです。あるいは、未知な古代人の作り話という印象を脱ぎ去ることが難しいからです。神話は、無時間的な空間において演じられる神々の領域で成立しますから、具体的な「時の場」としての歴史性に欠けていて、このような神話的な宇宙観は、2世紀以降に発達するグノーシス神話ともつながります。「神話」という言葉を避けるのは、わたしの言う「霊性」をこれと区別するためです。
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