192章 主の晩餐
マルコ14章22〜25節/マタイ26章26〜29節/ルカ22章15〜20節
【聖句】
■マルコ14章
22一同が食事をしているとき、イエスはパンを取り、賛美の祈りを唱えて、それを裂き、弟子たちに与えて言われた。「取りなさい。これはわたしの体である。」
23また、杯を取り、感謝の祈りを唱えて、彼らにお渡しになった。彼らは皆その杯から飲んだ。
24そして、イエスは言われた。「これは、多くの人のために流されるわたしの血、契約の血である。
25はっきり言っておく。神の国で新たに飲むその日まで、ぶどうの実から作ったものを飲むことはもう決してあるまい。」
■マタイ26章
26一同が食事をしているとき、イエスはパンを取り、賛美の祈りを唱えて、それを裂き、弟子たちに与えながら言われた。「取って食べなさい。これはわたしの体である。」
27また、杯を取り、感謝の祈りを唱え、彼らに渡して言われた。「皆、この杯から飲みなさい。
28これは、罪が赦されるように、多くの人のために流されるわたしの血、契約の血である。
29言っておくが、わたしの父の国であなたがたと共に新たに飲むその日まで、今後ぶどうの実から作ったものを飲むことは決してあるまい。」
■ルカ22章
15イエスは言われた。「苦しみを受ける前に、あなたがたと共にこの過越の食事をしたいと、わたしは切に願っていた。
16言っておくが、神の国で過越が成し遂げられるまで、わたしは決してこの過越の食事をとることはない。」
17そして、イエスは杯を取り上げ、感謝の祈りを唱えてから言われた。「これを取り、互いに回して飲みなさい。
18言っておくが、神の国が来るまで、わたしは今後ぶどうの実から作ったものを飲むことは決してあるまい。」
19それから、イエスはパンを取り、感謝の祈りを唱えて、それを裂き、使徒たちに与えて言われた。「これは、あなたがたのために与えられるわたしの体である。わたしの記念としてこのように行いなさい。」
20食事を終えてから、杯も同じようにして言われた。「この杯は、あなたがたのために流される、わたしの血による新しい契約である。」
【講話】
■最後の晩餐と過越祭
今回の箇所は、イエス様が、キリスト教会で現在も行なわれている「主の晩餐」(聖餐)を制定した出来事です。イエス様は、十字架の受難を間近に控えて、最後の晩餐を弟子たちと新たな契約を交わすための「過越(すぎこし)の食事」と見なして、弟子たちと共に食事をしたいと「切に願った」とあります(ルカ22章15節)。過越(すぎこし)の祭りとは、紀元前13世紀の「出(しゅつ)エジプト」の出来事を代々(よよ)に伝える祭りです。
青銅器時代から鉄器時代へ移行する紀元前1200年頃の地中海沿岸では、長期にわたる(100年?)干ばつが続き、その上、大地震(震度5以上)に幾たびも襲われて、エジプトやギリシアなどの文明国の大神殿、王宮、城壁などが崩れました。この天災に伴う疫病が流行したことも記録されています。飢餓に襲われた地中海沿岸の諸民は、「海の民」と呼ばれる難民、移民、侵略者となって、各地の文明都市を襲いました。都市内部の民衆も反乱を起こしました(2024年2月20日頃のNHKテレビ「Frontiers」)。
イスラエルの民が、モーセに率いられて、エジプトの圧政から脱出したのもこの頃です。当時、エジプトの権力は、イスラエルの民に飢えと剣(つるぎ)による隷従をもたらす「魔の権力」と化しました。死の暴政に苦しみあえぐイスラエルの民を救い出そうと、主(=ヤハウェ)なる神は、モーセをお遣わしになって、イスラエルの民を「出(しゅつ)エジプト」させました。
この出来事に際して、暴虐の権力を担(にな)うエジプトの民を疫病や様々の天災が襲います。神がエジプトに裁(さば)きと罰をもたらしたからです。イスラエルの民は、家々の戸口の鴨居に、犠牲の羊の血を塗ることで、死をもたらす神の裁きと災害を免れたと伝えられています。
ユダヤの過越祭は、「この出来事」を記念する祭りです。イエス様が最後の晩餐を過越祭の食事に見立てたのは、その晩餐をこの過越の祭儀と重ね合わせるためです。しかし、私の見るところ、ヨハネ福音書が証(あか)ししているとおり、イエス様は、最後の晩餐をユダヤの過越の食事(ニサンの月の15日)の前日に行ないました。当時のユダヤの権力者たちから自分に迫る受難が、15日の晩餐を許さないと察知したからです。
伝えられるところでは、過越の食事において、ぶどう酒の杯を飲む機会が四度あります。第三の杯は、子羊の肉と種なしパンとを併せて食べたその後で、感謝とともにいただきます。マルコとマタイの記事で、イエス様がパンを取って配り、それから、ぶどう酒を授けますが、このぶどう酒は、おそらく過越の食事の第三の杯に相当するでしょう(過越の由来を語って聞かせる第二の杯に対応させる説もありますが)。
一方、ルカの記述では、始めのイエス様の(パンと?)ぶどう酒は、過越の食事の二回目の杯に相当すると思われます。その後で、ルカ22章19節と20節で、主の晩餐(聖餐)が制定されますが、ここは、第三の盃に相当するでしょう。最後の晩餐は、過越の食事にちなむものですが、イエス様は、独自の判断に従って、過越の食事の基準にとらわれることなく、パンとぶどう酒を弟子たちにお授けになったのです。
■主の晩餐の祭儀性
イエス様が、最後の晩餐と主の晩餐(聖餐)を過越の食事と重ね合わせたのは、それなりの理由があります。ユダヤでは、人の肉を食べることも、その血を飲むことも、最も忌まわしい行為だとされていました。だから、イエス様の体をパンに喩(たと)え、その血をぶどう酒に喩(たと)えて弟子たちに与えることは、ユダヤ人の弟子たちには耐え難いショッキングなことであろうと思われます。イエス様は、ご自分の「体と血」を与えるこの「忌まわしく怖い」行為をあえて過越の食事が帯びる祭儀と重ね合わせることで、使徒たちに受け容れさせました。
過越の食事が祭りとして指し示すのは、かつてのイスラエルの民が、魔物と化したエジプトの権力に隷従させられ、その暴力的な搾取と迫害によって苦しめられ、子供までが殺害されたことに由来します。エジプトのカイロからアレクサンドリアへ行く途中に、イスラエルの民が住んでいたと伝えられるゴシェンの土地が見えます。荒涼とした砂漠に、砂の嵐が霧のようにたちこめていたのを覚えています。過越祭は、この忌まわしく恐ろしい出来事を「祭儀化する」ことで、イスラエルの民に代々伝えられてきました。主なる神は、この恐ろしい隷従と迫害から、民を救い出してくださった。この喜びを祝うのも過越祭の大切な意義でした。このように、国や民などの共同体が味わった聞くも恐ろしい出来事でも、あるいは喜ばしく記念すべき出来事が、祭儀化されて「祭り」となることで、代々に伝えられ、その祭りを通じて、かつての出来事を追体験できるのです。
イエス様は、間近に迫る受難と、そのときに流される自分の血と裂かれる体とを過越祭の祭儀に重ねることで、弟子たちがその出来事を「予知して受け容れる」ことができるよう配慮したのです。それだけでなく、最後の晩餐に際して与えられた主の晩餐では、従来の過越の祭儀の契約を超える革新的な新しい契約内容が込められていました。
■過越から聖餐へ
過越の祭儀を超える新しい主の晩餐の祭儀とは、どのようなものでしょうか。過越祭では、人がその罪の赦しのために犠牲として献げた小羊の血が、家家の戸口に塗られ、その肉が家ごとに食されることで、神から降る裁きの災害を免れることができました。イエス様は、ご自分の体と命の血とを言わば過越祭の犠牲の小羊として、使徒を始め、全人類がこれを「受け取る」よう配慮したのです。犠牲の動物ではなく、生身の人間が犠牲となることで初めて、その血肉が人間の罪を赦しその命を贖(あがな)う力を発揮する「ほんもの」の祭儀になるからです。イエス様は、十字架の受難を間近にして、この出来事をあらかじめ使徒たちに証しするために、ご自分の血肉を使徒たち与える祭儀を執り行ったのです。
イエス様の十字架(受難)の御業によって初めて、人の心に現実に働くパワーが神から授与される道が開かれました。イエス様を「救い主」(キリスト)として受け入れる全ての人は、犠牲として献げられたイエス様の血肉に預(あず)かることで、罪の赦しが与えられ、神の裁きの災害から救い出されます。イエス様の十字架の受難(犠牲)によって流された血と裂かれたおからだには、このようなパワーを発する神のお働きが具わっているからです。このパワーこそ、十字架の受難によって死に渡されたイエス様を再びよみがらせて、「復活のキリスト」とならせた神のお働きです。
このイエス様の十字架の受難を通して初めて、イエス様の血とからだが、罪の赦しを授与する祭儀となり、人の心を新たに作り変える力になりました。ここに、従来の過越の祭りを超える「ほんもの」の救いをもたらす神のみわざか成し遂げられました。このような神のお働きが、イエス様の血肉を通して人に働く時に生じるのが「神の国」です。イエス様の受難と復活を通じて初めて、神の国が人の心に臨在するようになったのです。これが、主の晩餐によって人間に与えられた聖餐の祭儀がもたらす出来事です。言い換えると、憎悪と暴力による血なまぐさい流血の出来事が、主の晩餐の制定を通じて、人を贖い赦す祭儀えと変容することで「神の国」が成就するのです。イエス様はこの出来事を「新しい契約」と呼びました。
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