207章 十字架の側の女性たち
(マルコ15章40〜41節/マタイ27章55〜56節/ルカ23章49節)
【聖句】
■マルコ15章
40また、婦人たちも遠くから見守っていた。その中には、マグダラのマリア、小ヤコブとヨセの母マリア、そしてサロメがいた。
41この婦人たちは、イエスがガリラヤにおられたとき、イエスに従って来て世話をしていた人々である。なおそのほかにも、イエスと共にエルサレムへ上って来た婦人たちが大勢いた。
■マタイ27章
55またそこでは、大勢の婦人たちが遠くから見守っていた。この婦人たちは、ガリラヤからイエスに従って来て世話をしていた人々である。
56その中には、マグダラのマリア、ヤコブとヨセフの母マリア、ゼベダイの子らの母がいた。
■ルカ23章
49イエスを知っていたすべての人たちと、ガリラヤから従って来た婦人たちとは遠くに立って、これらのことを見ていた。
【注釈】
【補遺】
【講話】
今回の箇所は、「十字架のイエス様を見守った」人たちです。マルコ=マタイは、ここでは主として女性たちをあげていますが、ルカの「イエスを知っていたすべての人」は、男性たちも念頭においています。いったい、この人たちは何を「見守り」、何を「目撃し」、どんな出来事の「証人」となっているのでしょうか。「キリストは、その受難を通じて、わたしのために死に、受難後に復活した」ことです〔F・ボヴォン『ルカ福音書』(3)335〜36頁〕。その出来事は、マルコ=マタイが証しする「私の神よ。なにゆえわたしを見捨てたのか」というイエスの叫びと、ヨハネ福音書が証しするとおり、イエスの母を含めて、これを目撃していた女性たちがいたことと、ルカ福音書が証しするとおり、イエスは、最後に、「盗人(ぬすっと)の罪を赦した」ことです。この出来事は、「全地を覆う暗闇」と、「神殿の幕が二つに裂ける」出来事と、「この人は本当に神の子だ」という百人隊長の証言として記録されています〔ボヴォン前掲書〕。これらの人たちは、アウグスティヌスの言葉を借りれば、「中保者イエス・キリストの恩寵」の証人です。歴史的な出来事への想起は、比喩(寓意)的な解釈を排除<しない>からです〔ボヴォン前掲書336頁〕。
大事なことは、この人たちの証言が、一部のキリスト教界のためだけでなく、全世界の人たちへの証言として、人類の歴史を通じて授与されていることです。それは「イエス様の出来事」として語られるだけでなく、その出来事が伝えようとする「真の意義」への解釈をも含んでいます。「何をどう伝える」のか?には、出来事それ自体と共に、その出来事が「何を意味するのか」をも含まなければなりません。この人たちは、イエス様の出来事を「宗教的な救済の出来事」として伝えているのです。
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