「エキュメニズム」と私が導かれた道程
                   宇塚かおり
 宗教改革500周年ですが、教会一致運動エキュメニズムの中でも、大きな動きがあります。まず、欧州にて、この周年の幕開け、昨年2016年10月31日に、ローマ・カトリックのフランシスコ教皇と世界ルーテル連盟代表コナン議長が、世界ルーテル連盟発祥の地スエェーデンのルンド大聖堂において 共同の記念を行いました。また、日本においても、キリスト教弾圧と迫害、殉教を経験し、そして原爆被爆の地の長崎の浦上教会に、2016年12月18日、ドイツ連邦共和国大統領ヨアヒム・ガウク氏、カトリック司教協議会会長高見三大司教、日本ルーテル教会副議長大柴譲治牧師が集い、連携の意思を確かめ、2017年11月23日に共同記念の集会をすることと決定しました。
 私は、1970年代に、あるペンテコステ派教会で受洗し異言も賜りました。でも、アメリカ・ファンダメンタルの要素が濃い教団であったのか、聖霊刷新運動から外れた他派やカトリックへの批判が強く、ペンテコステ派独特の聖霊現象強調、教会の時間的拘束が長く、常識的感覚にそぐわない無理な聖書逐語解釈などで、疲労困憊し信仰は混乱し、このような弊害があるとは、この聖霊現象とは 一体、holyなのか  evilなのか? 一部の信徒を霊的傲慢にしたり、分裂を起こし、いっそ無いほうがいいのではーーとも思いました。
 カトリック系の大学に在学していたので、なんとか信仰を立てなおすことができ、新教(の一部の人が)マリア崇敬をマリア礼拝と誤解していること、カトリックは 神は三位の神、マリアは神格ではないことも知らされていたので、この事態は、たいへん残念で悲しく思いました。
 それから、コイノニア会との交流の恵みをいただき、諸々の疑問へのお答えをいただき、カトリックのカリスマ刷新の集い、セミナー出席を許され、びっくりしました。海外からくる賛美のテープ、レコード音源より楽譜を起こし、日本初演のプレイズ賛美したその曲が歌われ、そこの教会で聞いた、異言の音声、抑揚、まったく同じことばが、示し合せたかのごとく語られ、皆が、リラックスし法悦のなかで、自由にのびのび賛美し祈っていました。
 バベルの塔ーを思い出しました。人間の高ぶりなどの不祥事より、言語がバラバラにされ、統一できなくなり地上に散らされます。でも現在のこの現象は、遠く散らされた神の民が、同じ言語を口にしている。バベルの真逆です。 異言が広く下され、コトバ的に一致し、果ては、地上のすべての神の民が再一致できるという予兆か? こんな分裂や傲慢の元が、なぜ、なんのためにあるのか?というかつての懐疑心も氷解されました。
 カトリックのカリスマ刷新の陣営は、新教をどうみているかというと(カトリックの刷新アクションは1967年2月18日、ペンシルバニア州ヂュケイン大学で有志の学生と教授の聖霊待望の祈り会にて異言が下されたことが出発点ですから、ヂュケイン・ウィークエンドなどと記念されています)、カリスマ刷新50周年の祝祭でフランシスコ教皇が指摘されていますが、カリスマ聖霊刷新は、エキュメニズムによって誕生したとのことです。ペンテコステ派の兄弟より、聖霊に向かい呼びかける賛美の歌を譲ってもらい、この恵みに浴するにいたったとされています。「カトリックはサタニックー」と信じ込んでいた私のかつての母教会については、「聖霊のバプテスマを受けた証拠は異言である」と教則に明記しているので、あまり芳しい印象を持たれていないようです。わたしも大変混乱させられましたが、これは少数派の部類のことですから悩むほどのことではなかったと解り、大きな平安を頂けたことでした。主に栄光を帰します。
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