(1)コイノニア会の意義
■イエス様語録の人たち
  そもそも「コイノニア会」とは、イエス様を全く知らない人たち、あるいは、教会へ通っているクリスチャンたちの中で、教会や自分の信仰の有り様に疑問を持つ人たちなどが、月に1度だけ集まって開く少人数の集まりでした。だから、これは、福音の真理を学ぶための「勉強会」から発足した「コイノニア塾」というほうが適切です。したがって、会堂を具えた「教会」を形成することを目指すものではありません。コイノニア会は、宗派や宗団、教派や教団を超える「コイノニア運動」と呼ぶべき集まりです。
  実は、イエス様御復活の直後のユダヤ人キリスト教徒は、それぞれが、地域のユダヤ教の会堂に所属し、安息日ごとの会堂での礼拝に出席していました。そんな中で、イエス様の御言葉を学びたいと志す人たちが、月に1度か2度集まって開いていたのが、Qと呼ばれる「イエス様語録」の集いでした。イエス様語録の集いは、「Q宗団」と呼ばれたこともありますが、現在では、宗派や宗団ではなく、「イエス様語録の諸集会」と呼ぶのが適切だと考えられています。「月に1度」と言いますが、それは、毎日、自分一人で、御言葉を読み祈る生活を前提にした人たちの集いのことです。こういうイエス様語録の諸集会は、安息日ごとの礼拝によって会堂制度が確立していた当時のユダヤ教の中から、「キリスト教」という全く新しい宗教が生まれてくるきっかけにもなりました。イエス様語録の交わりは、「キリスト教」とキリスト教の会堂を形成する上で、とりわけ「知的な」面で、大きな役割を果たしたのです。わたしたちのコイノニア会は、このイエス様語録の諸集会に近いです。
■修道院的な個人
  たった一人で、日々、御言葉を学び祈りを続ける生活を続ける人は、キリスト教会が成立した後も絶えることがありませんでした。2~3世紀のクリスチャンで、エジプトの砂漠やカッパドキアの洞窟で、一人信仰生活を営んでいた修道士たちがいました。キリスト教の教会の歴史では、こういう修道士たちの交わりが、修道院制度となって、キリスト教会の霊的な信仰の質を高め、信者一人一人の霊的な成長をより確かなものにするために大きな役割を果たしてきたのです。このコイノニア会も、イエス様語録の集会や修道士的な交わりを受け継ぐ運動です。
  さらに、16~17世紀のイングランドでは、大陸のキリスト教とは異なる教会制度として、国王を首長とする英国国教会制度が成立していました。ところが、この国教会制度に不満を抱いて、密かに交わる人たちが、国教会の内部から発生したのです。これが「ピューリタン」(清教徒)と呼ばれる人たちです。ピューリタン運動は、次第にエスカレートして、ついに、国教会の外に全く別の教会を形成するまでになります。これが「バプティスト」と呼ばれる宗派の始まりで、ピューリタン運動は、アメリカに渡り、アメリカのキリスト教の基になりました。20世紀のアメリカでは、"Jesus movement"と呼ばれて、ナザレのイエス様に戻ろうとする「イエス様運動」があったと聞いています。
  このように、教会の歴史において、制度的な教会と同時に、これの腐敗と堕落を防ぐための様々な「集い」がありました。制度化された教会と、これに属さない人たちの独自の小さな交わり、この二つの相互作用によって、キリスト教会は、その霊的な生命を維持してきたとも言えます。現代において、福音はますます<大衆宗教化>しつつあります。それは時代の波に乗って、政治と結びついて、国家や社会を支配する力になろうとしています。キリスト教の伝道もその例外ではありません。この流れを観るときに、これに対応する形での「コイノニア運動」の意義が見えてきます。
              コイノニア会について