(7)コイノニア会への評価
コイノニア会へ
 貴サイトの記事を読ませていただき、大いに励まされましたので、ひとこと感謝を申し上げたく、メールさせていただきました。私は、自宅で小さな単立教会の集会を開いている野村と申します。若い頃から、反米、反キリスト教、無神論で凝り固まっていた私は、24年前、職場でひとりの米国人宣教師と出会ったことがきっかけとなり、人生が変わりました。その宣教師は立派なエンジニアで「宗教臭く」ない人だったので親しくなり、彼をキリスト教という「植民地主義的狂信」からなんとか「救い出して」あげたいという思いから、やれ神話がどうの、グノーシスがどうの、仏教と量子論がどうのと、聞きかじった知識を彼にぶつけていました。しかし、ある日神の前に降参し、全く予期していなかった異言の体験をしたことなどを通して、私は自分のそれまでの「意に反して」、キリストを告白する者とされました。彼の属していた教会は、超教派の穏健なカリスマ的集会で、教条主義的ではないものの、聖書の読み方は、やはりかなりファンダメンタルでした。私自身も、その宣教師と議論しようと、リベラルな神学をかじったりしたため、異言体験の後は反動で、いわば「当然のように」ファンダメンタルになってしまいました。しかし、その後、無教会を含む他のプロテスタント諸教派、東方教会やメシアニック運動さまざまな流れに触れたり、もともと納得してはいなかった様々な要因が顕在化してきたこともあって、しだいに自分の方向性に悩むようになりました。そんな中で、貴サイトと出会い、まずはそこに流れている「愛」と「謙遜」の霊に感動し、さらに、その知的誠実さに触れ、ファンダメンタルでなくても、(あるいはファンダメンタルでないからこそ)、真摯な信仰の道が可能であることを知り、新たな道が開けてくる思いをいただきました。今受けているこの恵みを、自分自身のためだけでなく、教会の兄弟姉妹たちの徳を建てあげるために、いかに分かち合っていくか、御霊の導きを祈り求めていきたいと願っております。突然のメールで失礼いたしました。私市様とコイノニアの上に、ますます豊かな祝福がありますように。北摂賛美教会牧師 野村 淳,2007- 6-16
■コイノニア運動への預言
  イリエ・コロアマ師は 熊本に行ったとき、神さまが日本の島々にいろいろな橋を架ける様子(ヴィジョン)を見ました。色々な働きを、神さまがつないでいる姿を見ました。一方では、それを好まず、敵対する霊の存在も見ました。しかし、最俊にはついに、神さまが敵の計画を破りました。そして、日本にリバイバルが興る前に、神さまが一致を作られるのを見ました。また、あるときは多くの雲の上に巨大なラッパを見ました。そしてそのラッパが鳴り始めました。あたかも行進曲を奏でているようでした。すると、神の民が行進を始めました。初めはいろいろな場所で小さなグループが行進を始めましたが、やがてその小さなグループがいたるところでどんどん大きく成長していき、それらのグループが動くことによって、神さまがそれらをどんどん増殖させて大きく大きくしていきました。神さまは今もう、そのことをなされる準備ができているので、やがてこの国で現実に見ることができると信じています。小さなグループというのは、セルグループかもしれません。小さな十人、十五人、二十人といった。神さまはまた教会も用いることができます。現在聖霊さまの働きを受け入れていないグループでも、そのときには聖霊がその人たちの内にも働きます。もちろんそこから始まることは今は信じられないですけれども、聖霊さまが流れを変えます。今年がその年です。リバイバルが始まるのを私たちが見る年です。日本にリバイバルが興るとき、敵はあらゆる種類の障害を用います。まず敵はクリスチャンの中に一致を見ると「もっと分裂を起こしたい」と考えます。また、あらゆる種類の悪霊どもがリバイバルに敵対する可能性があります。あらゆる悪霊どもが混乱させよう、別の方向に引っ張ろうとします。〔「ミニ集会と日本の福音化への預言」『リバイバル新聞』(1999年3月21日号〕
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