ホモ・レギオースゥス

     「宗教する人」から

           石田王良

私は以前から、私市先生を初めとしてコイノニアの方々と何かが違うと思っていました。それが何なのかをずっと考えていました。その一つは私が初めて体験した御霊の臨在でした。以前もお話しましたが、35年間アメリカの保守的な教会(アッセンブリー)を中心とする教えの中で「逐語霊感」「進化論の否定」「現在聖霊体験は無い」「再臨信仰」の中で育ちました。

従順による努力の限界を味わい「役に立たない信仰」を体験。どうにもならない状況の中で、すがる祈りに答えてくだる神様のご臨在に預かり、一つ一つ神様のご臨在を確認させられていく中で確かなものにされていく信仰。(今までは、キリスト者はこうあるべきという信念の中で努力してきた)逐語霊感を基礎とした信念は自分達が一番正しい者であると頑固な独りよがりで否定的です。カトリック、聖霊派の教会は異端とし、プロテスタント教会の牧師制度を聖書的ではないとし、万人祭司制を前提とした兄弟(男性)たちが、集会の運営に責任を負う。姉妹(女性)たちは公での祈りや司会などはふさわしくないとし、謹み深く頭には被り物をする。形としての十字架は偶像とみなし建物の内外に十字架を置かず他のキリスト教と区別する為、教会と言わず○○集会と呼んでいました。 

「信仰は、明け渡された受動的能動に促され働く霊愛。」私には何とも理解しがたい[霊愛]が分かりませんでした。神様の臨在を知らされるようになって、狭い教義や自分の作る制度に縛られていたわが身を知りました。 

今回、ホモレギオースゥス(宗教をする人)の講話を通して私は新たな境地に通されました。逐語霊感による進化論否定は私の盲信を見事に破壊してくれました。人類のホモレギオースゥス(宗教をする人)の霊的進化の過程を自分なりに超簡単にまとめてみました。 

○ 人類700万年前二足歩行

○ 240万年前 原人ホモ・ハビリスが火を使用と言語活動

○ 60万年前 旧人ホモ・ハイデルベルゲンシス埋葬行為

○ 20万年前 新人ホモ・サピエンス 

○ 1万年前石器時代の血縁集団から農耕牧畜の地縁集団として定住 

20万年前、ネアンデアタール人とホモ・サピエンスが同居していた時期があったようですが、ネアンデアタール人は滅び、ホモ・サピエンスが生き残りました、その決定的な違いは言葉を習得できたからだとされております。このころから、人の進歩が急速に進行しはじめました。この言葉を習得したホモ・サピエンスだけが生き残り進化し続けたのです。人の言葉は、人と人のつながりだけでなく霊的な神様とのコミュニケーションの表れであったと思います。 

  5000年前の洪水伝承、ノアの啓示より「殺さない人間」人類の霊性の進化の分岐点となる。

(ノア型のホモ・レギオースゥスとホモ・サピエンス型のホモ・レギオースゥス) 

  2000年前 霊的進化の過程で人の内に神の霊が{宿る}現象がイエス様によって示されました。 

  十字架の贖いの完成により、聖霊がこの世に使わされ、神様と人との直接的なつながりが確立されました。ここに霊による究極な進化が一方的に起こりました。 

この様な解釈はおかしいのでしょうか。天地万物の創造者であられる神様が創られた人類46億年に遡りホモ・レギオースゥス(宗教をする人)を知る霊知は多くの宗教間の争いを解く霊知とならないのでしょうか。自然人類学と文化人類学の両方にわたる進化人類学の視座から見る宗教のあり方は、諸宗の教義がちっちゃなものにすぎない事に気が付かされます。霊による進化は人を新しく創造し直接的な臨在に与えられる信仰は神様の前にただただ驚嘆しひれ伏すばかりです。こうして私は新しい境地へと、狭い諸宗の教義の視座から人類のホモ・レギオースゥス(宗教をする人)への視座の霊知へと導きいれられることに感謝するのです。

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