日常生活の霊性
                             石田王良
         京都私学会館でのクリスマス集会感話(2012年12月23日)    
 今朝、車で5時に群馬県を出発して来ました。石田です。
 この1年、私達も教会組織という問題の中で参加していた教会を出て家庭礼拝をしています。近くにある教会での交わりもありますが、なかなか、主の御臨在というのが通じない。それを口にすると、「うちの教会ではちょっと・・・」という雰囲気が多々ありまして、主の御臨在を中心とした交わりが出来ないのが実情です。私達の周りにも沢山のクリスチャンの方々がおりますが「生きている」主の・・・と口ではいいますが、体験している臨在感になると話が通じず真の交わりが出来ないのが残念です。
 私も30年以上も信仰生活をおくりましたが、体験を通した臨在感はありませんでした。だから、ことさら主の御臨在というものを強く欲しいと思う思いがあります。でもなかなかハッキリとしておらず、モヤモヤした感はあります。これだということを常に感じているわけではありません。でも、最近ですね。・・・皆さんは私が刑務所に居た時の証はご存知と思いますが、それは衝撃的な出来事でした。私市先生の講話を読んで人格をもっておられる聖霊様とはこういうことなのかと、体験しつつ霊知によって知ることとなりました。
 出所が近づくにつれて、よぎる不安は刑務所に居るからこの様な体験がある。でも出所したらまた以前の生活に戻ってしまうのではないかという不安がとてもありました。でも幸いなことにそれ以上に主が私の中で働いておられる。もう一人の自分が、確かにいて、肉の私をセイブしている力が働く。私の内に私ではない私が存在しています。言葉では説明できませんが、私自身がそのことを一番実感している事実が私の確信となっています。
 この一年素晴らしいことに、まったくといって良いほどに不安がありませんでした。自営業をしておりますから、常に営業し、売り上げを上げていかないといけません。その為に今までは、毎週、東京、名古屋、大阪と飛び回り顧客獲得と顧客維持の為のストレスの中にありました。でも今の生活にはまったくそれがないのです。
 
「明け渡す」とはどういうことなのか。・・「自分の意思が降伏してしまう」こと。
 
 今までは、1000万円稼ぐのに500万円の接待交際費を使い、東京、名古屋、大阪を飛び回る。そうすると体が壊れる。そういった悪循環が刑務所に行ったことにより断ち切られました。全てがゼロになったのです。どうにもならない状態を現実な事実として突きつけられたのです。全てを清算しなければならない状態になるかも。借金の返済も出来ませんから利息だけの返済にして一時しのぎか? 出所してからそんな不安な状態が1〜2年続きました。もう自分ではどうにもならない、まったくのお手上げ状態でした。
 ところがそんな中にあって、相手先のほうから声がかかり営業に行くことになったのです。第三者からあそこへ営業に行ってもらえないかと声がかかるようになった。私の意思ではなく相手方からの誘いの声で仕事が成り立つようになって行くのです。
 それからの私は、自分からの営業活動を一切止めて相手方からのオファーだけを毎日ひたすら「待つ」ことにしました。これがなかなか難しい!ただ「待つ」のではありませんよ。ひたすら祈りの内に待ちます。もうすがるしかありませんから。「自分の意思が降伏させられてから」私の思いはまったく変えられました。お蔭様で今まで1000万稼ぐのに500万の経費を使っておりましたが、今では営業費はゼロですよ。まったく不思議ですね。でも、蔵が建つわけではありません。必要なだけ、多くなく少なくなく、丁度よく与えられています。
 今、私は畑を耕しミツバチを飼い、連絡が来ればネクタイをして営業に出かけます。晴耕雨読にあって何の不安もストレスもありません。必要なものは全て与えられています。自分の力が働いていない、それでいて養われている。この一年この不思議の中で養われている。ただ不思議としかいえません。
 この事実、この素晴らしさをいろんな人に話しをしたいのですが、なかなかできる方々がいない。この不思議を伝えられない思いを今日この場を借りて吐き出させていただきました。
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