【来信】「旧約の霊性」において得難く意義深い学びをさせていただいております。特に、日本の霊性の中山みきや出口王仁三郎等々は、興味深くございました。そしてその関連で思い浮かぶのが、ヨーロッパの神秘主義の流れです。
 エックハルトは全く共感をもって読む事ができるのですが(もっとも十字架を経ないエン テオー的な一体をめざすきらいがあるそうですが)、ベーメやスウェーデンボルグやシュタイナーとなると半信半疑です。ブレイクは世間でも引用をよく目にしますし、シュタイナーは教育との関連でかなり身近であり馴染みのある名前です。あのような方々は、どう理解したらよろしいのでしょうか。私は聖霊の事を知りたい、深められたい、という途上でずいぶんこのようないろいろな方々とも遭遇してきたような気がします。

【返信】
(1)
   キリスト教と神秘主義との関係には長い歴史があります。したがってそれは、とても広く難しい点を含んでいますが、私なりに問題点を整理してお伝えしたいと思います。まず聖書の信仰には神秘主義が含まれていることを知ってほしいと思います。「使徒パウロの神秘主義」という言葉があるように(シュヴァイツアーやダイスマン)、パウロの信仰にも神秘的な傾向が見られます。例えば「コリントの信徒への手紙二」12章2節の体験が、その典型的な例であると言えましょう。
  神秘主義かそうでないかという問題を考えるときに、その焦点となるのは、「交わり」(communion)か「一体」(unification)か? ということです。新約聖書はキリストのみ霊と人間の霊とをはっきり区別しますから、人間が神やみ子キリストになることがありません。そこには「交わり」は存在しますが「一体化」は行われません。しかしながら、「生きているのは私ではない、キリストは私の内で生きている。」というパウロの言葉に見られるように、神のみ霊と自分自身との交わりから、神と自分との一体化へ深く突き進む傾向があります。このような一体化とも受け取れる傾向は、パウロの神秘主義と呼ばれますが、そういうパウロは、この点でヨハネ福音書の世界に非常に近いと言えます。「私があなたがたに宿り、あなた方が私に宿る」というヨハネ福音書のキリストのお言葉は、パウロとヨハネとが、ここでは非常に近いに関係あることを示しています。
(2)
  もうお気づきだと思いますが、このような自分とは異なる聖霊との交わりから自分が神と一体になる方向へ進むのは、聖霊体験とも関係してきます。実際聖霊体験を批判する人たちは、主としてこの点に注目していると言えます。ではみ霊の働きによる神秘主義にはどのような問題があるのか、この点をこれから整理してみましょう。
第1に、交わりから一体化へと進む神秘主義は、エクスタシーを伴うことです。これは聖霊を体験した人ならだれでも知っていることです。しかもこれは決して悪いことではありません。しかしこれがあまりに行きすぎますと、恍惚と瞑想に浸ることによって、自分一人の観想の世界に埋没してしまう傾向に陥ることです。こうなりますとその人は自分の霊的な世界と外とのかかわりを一切断ち切ってしまったり、自分の外部の世界に対する関心を失う結果になります。
第2に、一体化は自分と神との間の区別をあいまいにする恐れがあることです。その結果神の聖霊ではなく、自分自身の内に神性を認めようとする傾向になりがちです。いわゆるグノーシスといわれる異端は、このように人間自身の中に神性に見いだそうとする信仰です。したがってこの信仰は「救い」というよりは「悟り」の世界に近いと言えましょうか。
第3に、こういう傾向からは、ややもすると独善的な信仰に陥りがちになることです。その結果、己一人を正しいとして、それ以外の人たちを、特に自分より霊的あるいは知的に劣った者たちを見下す傾向になりがちです。パウロがコリントの教会の中にいる「知的な」人々を批判しているのもこの点を指しています。
(3)
  ところでこの神秘主義をあなたは、日本の神懸かりから連想したのは、それなりの理由があります。なぜなら、こういう「一体化」と「瞑想」と「悟り」の世界は、私たち日本人だけでなく、アジア的な(そしてギリシア的な)宗教の傾向だからです。お尋ねの中にありましたエックハルトは、その徹底した自己放棄と己を神の働く場としてあけわたす境地は、創造の御霊それ自体を証しする意味で、禅の悟りに匹敵する、と言うよりも悟りの世界を超えるものがあると思います。み霊の働きとこれからのアジアの福音的霊性とを考えるときに、み霊にある真の意味での神秘は、大事にしなければならない。こう思います。私がこの意味で最も尊敬するのは、サンダーシングというインドのキリスト者です。
 スウェーデンボルグや彼の影響を受けたブレイクの場合は、むしろ聖書的な福音の世界からは逸脱していると言えましょうか。ブレイクの独特の神秘と神話の世界は、18世紀の制度化したキリスト教に対する批判と非難を含んでいると言えます。
  以上ごく簡単に私の理解する神秘主義とそこに含まれる問題点を整理してみました。もちろんこれはほんのヒントにすぎません。ご自分でみ霊の世界を究めてゆくためのご参考にしていただければ幸いです。
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