【来信】
  いわゆる「セカンドチャンス論」の論拠の一つとして、久保先生が「聖書的セカンドチャンス論」に、「東方教会のクレメンス、オリゲネス等」が、セカンドチャンスについて言及している文書がある旨言及しておられます。この知見は私市先生よりのものである、とのことでした。お手数なのですが、その件について出典を教えて頂けないでしょうか? 
【返信】
  お申し出にお答えする意味で、及ばずながら、「死後の問題」についての出典と資料をわたしの入手できる範囲で整理してみました。ごらんになればお分かりのように、これらは「無いよりまし」という程度のごく限られたものです。何しろ、この問題についての系統だった文書が国内ではほとんど存在しないようですから。長い間遅延したことをお許しください。
  なおここでご確認いただきたいのは、わたしが死後の問題を扱ったのは、これを一般的に推奨する意図からではありません。また教会が、これについて否定したり、逆にこれに賛同してこれを教義化して推奨することは、望ましいことではないと思っています。この問題のそもそもの発端となる事情からも分かるとおり、これは基本的に個人の問題であり、あるいは家族的な問題として扱うべき事柄です。だから、自分の先祖や家族のことに深い関心を寄せる人たちや、死後の救いに特に関心を抱く人たちが、それぞれの個人的な信仰によって、死後の救いの可能性を祈り求めようとする際の助けになれば幸いです。どうぞこの点を誤解なさらないでください。

死後の救いについて:資料と補遺
死者の住まい
〔以下はAnchor Bible Dictionary. II巻 101〜105頁を参照〕
  旧約では、死者の住まいは通常ヘブライ語で「陰府」(シェオル)と呼ばれています(民数記16章30節)。この語は七十人訳のギリシア語では「黄泉」(ハデス)と訳されています。陰府には「穴」(サハト)があり、中でも悪を行なった者には、「滅びの穴」(アバドン)が備えられています。「陰府」の語源は「訊ねる」で、これは陰府にいる死者の霊に訊ねることから来ているのかもしれません(申命記18章11節/歴代誌上10章13節参照)。しかしエジプトやメソポタミアに比べると、ヘブライの世界では、陰府の描写が少なく、これは聖書の神が、ほんらい「生きた者の神」であることから来るのでしょう。ヘブライの人たちは、エジプトやメソポタミアの人たちとは異なって、「死」ということをあまり深く考えなかったようです(この点で、仏教伝来以前の日本人と共通するところがあります)。
  「死」と「陰府」は水の表象で表わされることが多く(ヨナ2章3〜6節)、これは、古代のメソポタミアでは、地下の国が海水の底にあるとされたことと関係するのかもしれません(海水は淡水と異なり作物を枯らす死の水と考えられました)。陰府の住民は「レファイム」と呼ばれ、ほんらいは善人も悪人も暫時住まう場所とされていました。
しかし、「陰府」を悪人だけが住まう場所と考える場合もあったようです。『エチオピア語エノク書』(22章)は前3〜前1世紀にかけて編集されましたが、そこでは、ペルシアやヘレニズムの影響を受けたからでしょう、義人と悪人とは永遠に異なる四つの住まいに区別されています。旧約の陰府は、主として「時ならぬ死」と関係していて、自然死は親族への復帰として陰府と結びつくことがなかったようです。不慮の死は、罪の結果であり、その悪人たちの住まう場所として陰府が考えられていたのでしょう。死者との交流は禁じられていましたが(申命記18章11節)、実際は民間で長い間、これが行なわれていたと考えられます(サムエル記上28章)。
  新約では、死者にはギリシア語の「黄泉」(ハデス)の他にさらに恐ろしい「深淵」(アビュソス)があります (黙示録9章11節)。この深淵は「底知れぬ穴」とも呼ばれています(ルカ8章31節/ローマ10章7節/黙示録9章1節/同11章7節/同20章1〜3節)。また堕落天使たちは、裁きの日まで「暗闇の牢獄」(タルタロス)に閉じこめられていました(第二ペトロ2章4節)。これらに対して、終末の日に、最終的な裁きの結果落とされるのが「地獄」(ゲヘナ)です(マタイ5章22節)。悪人のためのゲヘナは、永劫の苦難の場ですが、新約ではこれの描写は他の宗教に比べると比較的少ないようです。新約聖書で言う「黄泉」は、旧約の「陰府」のことで(マタイ16章18節)、善人も悪人も住まうところとされています(使徒2章27節)。ただし、先に指摘したように、陰府に住むのは悪人だけという見方もありました(第一ペトロ3章19節)。これに対して、善人はパラダイスに住むとされたのです(ルカ23章43節)。ただし、「パラダイス」という言葉ではなく、「主と共に住む」(フィリピ4章23節)、あるいは「神の祭壇の下にいる」(黙示録6章9節)などとも言い表わされています。終末には、「海」と「陰府」から、全人類の死者が呼び出されます(黙示録20章13節)。黄泉は教会の門には勝てません。キリストが「死と黄泉の鍵」を握っているからです(黙示録1章18節)。

死者への祈りと供養
〔以下はAnchor Bible Dictionary II巻 105-108頁を参照。〕なお聖書の引用は新共同訳による。
  古代の西アジアでは、生きている者が、死者のために食べ物や飲み物を供えることが親族や友人や世継ぎによって行なわれました。アブラハムは、ユーフラテス河に沿って、古代都市ウルからハランへ旅をしました。このルートは当時セム系の人たちが住む地域であったと考えられますが、そのルートの中程にマリ王朝が存在しました。そこで発掘されたおびただしい瓦の文書があり、そのマリ文書(紀元前18世紀)では月に四度、先祖を供養することが決められています。「供養」とは死者の霊を弔う目的で行なわれるもので、日本でも長い伝統があります。この供養によって死者との交流が維持され、この供養は死者の家族、特にその子孫の勤めであったようです。
  旧約聖書の時代では、死者の葬儀には関わるけれども、これに続く追悼はないと言われていました。「追悼」は、今もなおその人を「覚える」という意味で、これは復活の信仰へつながる性質を持つものです。旧約では、供養はなされたが追悼はなかったというのは、必ずしも正しくなく、古代社会の影響で、旧約時代には、(1)捕囚期(紀元前6世紀)までは、死後も個人が生きていると信じられていました。(2)死者たちには、エール(力/霊)として超自然の力が授与されると考えられていました。(3)古代のヘブライでは、先祖との交流が行なわれ、これらの交流は石碑の場で行なわれました。ヘブロンのサラの墓地(創世記23章4節)には、アブラハムもイサクもヤコブも葬られていたから、そこでは代々の追悼が行なわれていたと思われます。テラフィムとエフォドは家族への守護の神像でした(士師17章5節/サムエル記上19章13節)。おそらくこれらの神像は、死者の先祖を現わしていて、七十人訳はテラフィムを「死者の像」と訳しています。また「死者を悼んで身を傷つけたり、入れ墨をしてはならない。わたしは主である。」(レビ記19章28節)とありますが、実際は家族で年ごとに先祖への供養が行なわれていました(サムエル記上20章6節)。ダビデは、この供養への出席を王サウルとの会食を欠席する理由としていますが、このことから判断すると、この供養がいかに当時の社会で尊ばれていたかが分かります。家族による食物供養は「ツェバハ」(生け贄/献げ物)と呼ばれていて(出エジプト記34章15節)、これは血を抜いた食事であったようです(申命記12章27節後半)。この場合に、献げ物の血は先祖ではなく神に戻すと考えられました。

ユダヤ黙示思想の陰府降下と巡り
  陰府降下の物語は、旧約から新約時代にかけて、千年以上の伝承を持っています。この伝承で重要な役割を持つのが「エノク伝承」です。エノク(創世記5章21〜26節)は、天へ昇ってから、陰府を巡り、堕落天使たちを裁くのです。創世記6章(1〜6節)に出てくる「神の子たち」とは、堕落天使たちのこととされて、彼らが人間の娘たちとの交わりによって産み落としたのが、地上で暴虐を働くネフィリムたちで、この巨人たちが暴虐を行なったために、ノアの洪水を招くことになったのです(知恵の書14章6節)。このような作品は黙示文学と呼ばれていて、この黙示思想は、ヨハネ黙示録は言うまでもなく、福音書やパウロなどにも影響を与えています。

【「エチオピア語エノク書」】
〔村岡崇光訳「エチオピア語エノク書」(前3世紀〜前1世紀の諸文書から成り立つ)。『旧約外典偽典』4 旧約偽典U 教文館1975年。161〜292頁。〕
  以下にその項目を記します。
10章:堕落天使たちへの裁きと業火。
12章4節:堕落天使のこと。
18章14〜16節:堕落天使たちの牢獄。
21章節〜10:堕落天使たちの牢獄と永遠の火。
22章:死者の霊が四つの洞窟に分かれて住んでいて、義人の霊と不義な者の霊とが区別されています。
26章:祝福された聖なる山があるが、これは義人とへりくだった者のために備えられています。しかし、その山にはまだだれも住んではいないようです。
27章:呪われた者たちのために備えられた谷があります。しかしここも終末の裁きの時まで、だれも住んではいないようです。
41章:選民と義人の住処があり、また霊魂の主を否定する罪人は、そこから刑罰を受けるために「居場所のない」密室へ引きずられていきます。
【「ヨベル書」】
〔村岡崇光訳「ヨベル書」(前150〜前100年頃)『旧約外典偽典』4旧約偽典U。教文館1975年。23〜158頁。〕
  これの5章全体には、ネフィリムたちとノアの洪水が語られています。
【「スラブ語エノク書」】
森安達也訳「スラブ語エノク書」(紀元1世紀頃?)『旧約外典偽典』3 旧約偽典T 教文館1975年。207〜251頁。
  この書には、以下のような記述があります。
4章:囚人として閉じこめられている天使たちがいます。
5章:第三の天では、正しい者たちのために命の樹が生えている楽園があり、反対に暗黒の火が燃えている地獄があり、残忍で無慈悲な天使たちが不信心者たちを苦しめています。
7章:警護の天使たちが、人間の女への欲望のために堕罪します。
22章:「民は民に反乱し、民族は民族に敵対する」終末の時が語られます。
【「シリア語バルク黙示録」】
村岡崇光訳「シリア語バルク黙示録」(紀元70〜90年?)『旧約外典偽典』5 旧約偽典V 教文館1975年。69〜154頁。
  この書には次のような記述があります。
21章:バルクは、死に神を叱責し、主の栄光が顕われて、陰府は閉じられて今後死人を受け容れることをせず、魂の藏に閉じこめられている者たちを取り戻してくださいと祈ります。
30章:メシアの到来によって、一定の数の義人の魂が入っている倉が開いて、魂たちが外へ出ることができます。しかし、不敬な魂たちは、破滅の時が来たと嘆きます。

ユダヤ=キリスト教の陰府降下
〔以下はAnchor Bible Dictionary II巻 154-57頁を参照〕
  1〜2世紀には、ユダヤ=キリスト教の思想と信仰に大きな変化が起こりました。悪人は死の後にすぐに罰せられずに、最後の審判まで留め置かれることになるからです。地獄はすでに用意されていますが、しかしまだ住まわれていないとエチオピア語エノク書は伝えています。こうしてこれらの書では宇宙巡りが行なわれ、それぞれ罪にふさわしい裁きの場が用意されることになります。これらのユダヤ=キリスト教思想は、ギリシア=ローマのハデス(黄泉)紀行の影響を受けていると考えられます。このような天と陰府の思想は、ヨーロッパ中世でも流行することになり、ダンテの『神曲』に結実することになります。悪人が死の直後に罰せられるという思想は、おそらく悪の魂が死後直ちにハデスへ降るというギリシア思想から出ていると思われます。

【「パウロの黙示録」】
〔佐竹明訳「パウロの黙示録」(4世紀末)『旧約外典偽典』6 新約外典T 教文館1976年。273〜317頁。
  ここには次のような記述が見られます。
(11)義人たちは(おそらく死の直後に)天へ連れて行かれます。しかし、天と地を分ける「蒼穹」の下に諸悪の霊たちがおり、「憐れみを知らぬ天使たち」がいます。ここは主に助けを求めなかった魂たちが住むところです。
(23)パウロは天使に導かれて「キリストの都」を訪れます。
(30)キリストの都の中心の黄金に輝くところで、ダビデが賛美をしています。
(31)パウロは、涜神者と罪人の住む光が無く闇と悲しみの場所ハデスを訪れます。そこには「火の川」に浸けられた霊たちがいます。
(32)この黄泉は底がないほどに深い。
(43)ここでパウロは生前の罪のために泣き悲しむ魂たちを見ます。彼らは、大天使ミカエルに憐れみと執り成しを祈り求めます。ミカエルは彼らに「お前たちは悔い改めるべきであった時を無為のうちにすごした。」として、厳しい答えを返します。しかし、「憐れみ深い神が、もしかしたら憐れんで、お前たちを力づけてくださることを願おう」とも言います。その人たちは激しく泣き叫びながら、「神の子よ、わたしたちを憐れんでください」と乞い求め、パウロも彼らと共に「主なる神よ、あなたの形像を憐れんでください。人の子らを憐れんでください。」と祈り求めます。
(44)神の子が天から降り、罰を受けている者たちが、生前悔い改めなかったことを思い起こさせます。しかし神の子は、ミカエルとパウロと「地上にあって犠牲を捧げているお前たちの兄弟や子供たち」に免じて、「一日一夜の安息を永遠に与える」と告げます。
  なお、参考までに加えますと、『ゼパニアへの黙示』では、悪人が地獄で苦しむのを見て、神に憐れみの執り成しの祈りをします(11章)。これらの祈りは退けられますが、それでも安息や日曜の休みなどの譲歩を引き出すことができます。このように特に断罪された者への執り成しは伝承で大きな位置を占めています。新共同訳続編の「ラテン語エズラ記」(紀元2世紀半ば?)は、ユダヤ人キリスト教徒とユダヤ教と間の論争ですが、これの7〜9章では、神に逆らう者は、その最後の裁きでは、執り成しの祈りが聞かれないとあります。
新約のキリストの陰府降下
  新約での空の墓は、弟子たちによって、復活のキリストの礼拝の場として供養されました。ローマ世界での死者の追悼の日が、3日、7日、30日、40日で、これらは奇しくもイエスの復活顕現と一致しています。しかし、新約聖書では、イエスの死からの復活は、「供養」としてではなく、むしろ「感謝」の日として覚えられています。ただし、主の死からのよみがえりが、本来死者の霊を弔う「供養」なのか、死からのよみがえりとしての「感謝」なのかは、例えばコリントの教会で問題となったようです(第一コリント11章29節)。ここでは、聖餐が「主の死を告げ知らせる」ためのものとされたからです。だから聖餐は、イエスの死への「追悼」ではなく、「裏切られた日」の出来事であるとされたようです。追悼と供養は、家族の問題であって、教会や国家の関わる問題ではないからでしょう。追悼と供養とが家族の問題であるという理解は、旧約時代からのイスラエルの人たちの信仰でした。「羊の毛を刈り取る日」は、家族にとって特別の祝い事とされていました(サムエル記下13章23節)。初物のパンも同じく、家族にとって大事な祝い事でした(列王記下4章42節)。エルサレム神殿体制が確立するに応じて、民間の家族ごとの追悼や供養が、徐々に禁じられて、公式には律法体制から排除されていました。しかし、現実には、この風習は長らく民間で維持されて、エルサレム神殿でのヤハウェ宗教を脅かしていたのです。

キリストの陰府降下(初代教会)
  キリストは、義人を黄泉から連れだしただけではなく、実際に死者の復活もあったとされました(マタイ27章52節)。キリストは、死んで降下することによって、黄泉の青銅の門が砕かれました(詩編107篇16節/イザヤ54章2節)。このような陰府降下に関しては、異教神話からの影響は少ないと考えられます。ただしウガリット神話では、バアルが、死に対して勝利した伝承があります。ところで、キリストの死が旧約の義人の(時には異教の善人をも含めて)救済に関わるとしても、その救済が、キリストの復活に先立つかどうか、ということがひとつの問題となっているようです。もしもこの陰府降下の結果として、キリストが旧約の義人たちを天へ連れ出したとするなら、そのことは、キリスト者たちへの再臨に際しての携挙による昇天へのしるしとなるからでしょう。
なお以下は〔Anchor Bible Dictionary. II巻 156頁以下。〕をも参照しています。

【「ソロモンの頌歌」】
〔大貫隆訳「ソロモンの頌歌」『旧約外典偽典』別巻 補遺II、教文館、1982年。279〜390頁。
  ソロモンの頌歌の原語に関しては、ギリシア語説やヘブライ語説もありますが、現在では原本シリア語説が最も有力で、「エデッサ地方のシリア語に近いアラム語」とする説もあります。これの編集が完成した時期は、2世紀前半と考える説が有力ですが、それより早い時期をとる説もあります。しかし、これの原本は、エルサレム神殿がまだ存在していた紀元70年以前にさかのぼると考えることができます。この頌歌には、キリストの陰府降下の時に、「わたし(キリスト)は鉄の閂を打ち壊した。」「わたしこそあらゆる物の(開かれた)入口であったからである。わたしはすべての捕われの身にある者たちのもとへ、彼らを解き放つべく歩んでいった。それは唯一人をもつながれたままに、あるいは、つなぐ者のままに置き去りにしないためであった。」「わたしたちの頭、主メシヤよ、あなたに栄光あれ。」(第17頌歌9〜16節)とあります。なおこの頌歌の第42頌歌には、キリストが陰府の死の深いところまで降下して、死者たちに救いの言葉を語ったことが記されています。このことについては、シルミウムの信条にも、次のようにあります。「キリストは十字架につけられ、死んで陰府に降り、そこで統治し、この方を見た陰府の門番たちは恐れおののいた。」〔シルミウム第四信条で、通常「日付信条」(359年5月22日)と呼ばれています。小高毅編『原典古代キリスト教思想史』2ギリシア教父。教文館。239頁。〕
  
【「ニコデモの福音書」】
〔田川健三訳「ニコデモの福音書」(326〜375年?)『旧約外典偽典』6 新約外典T、教文館、1976年。175〜228頁。
  ここでは、その第18章以下に、主なるイエス・キリストが、黄泉(ハデス)で行なった奇跡について語られています。「光が父なる神、子なるキリスト、聖霊から来ている」とあり、預言者ヨハネがハデスにいる者たちに教えています。これを元初の父であるアダムが聞いて、その子セツと話し合うのですが、アダムが死ぬのを見て、セツはパラダイスの入口で天使に救いのオリーヴ油を与えてくれるよう祈ります。すると天使は、「世界の創造より5500年たった時に、地上に神の子が人の形を取って降りてきます。この神の子がお前の父親にそのオリーヴ油をぬるだろう。すると彼は復活し、水と聖霊とによって洗われる。彼だけでなく、彼の子孫もまた。その時には、一切の病から癒されよう。だが今はそうすることはできない」(19章)と告げるのです。さらに「栄光の王はその右手をあげて、始祖アダムをつかみ、持ち上げたもうた。」とあり、「このアダムが、かつて木に触れることによって、人間が死ぬ運命に定められたのだが、その結果死んだ汝らみな、後についてくるがよい。今や十字架の木によって、汝らをみなよみがえらせよう。」と言いつつ、キリストは皆をハデスから外へと投げだしたもうた。」とあります。ここでは、元初の人アダムとその子孫たちすべてが、キリストによって黄泉よりパラダイスへと引き上げられたことになっています。
  第一ペトロの手紙3章19節
  キリストの陰府降下で最も大事な点は、キリストが陰府を完全に征服した、即ち陰府に打ち勝ったことです。このためにキリストは、先ず陰府の深いところまで降下しなければなりませんでした(エフェソ4章9〜10節)。これによってキリストは、陰府の力を完全に支配することができる力を与えられたことになります(使徒言行録2章24〜35節)。ここで、死後について新約聖書の中で最も大事な証言の一つとなる第一ペトロの手紙3章19〜20節と同4章6節が採り上げられることになります。
  以下は次の書を参照。
〔ノルベルト・ブロックス著、角田信三郎訳『EKK新約聖書注解XXIペトロの第一の手紙』(教文館、1995年。)3章19節注解229〜238頁を参照。〕
J.Ramsey Michaels. 1Peter. Word Biblical Commentary. Dallas, Texas. Word Books. 1988. Logos Bible Softwares. 〕
  第一ペトロの手紙3章19節は、実に様々な議論を呼んでいます。しかしながら、西欧キリスト教の伝統的な神学によれば、キリスト教徒と異教徒を区別して、キリスト教徒以外の死者が救われることがないとされてきました。この影響は現在でも続いていて、今回のような死者についての大事な章節の解釈でも、こういう立場から、この節に含まれている大事な意味が正しく認識されておらず、評価もされていない恨みがあります。明らかに死者への救いが語られていると思われる場合でも、これを「意味不明」として未解決のままにするという解釈がおこなわれています。
  第一ペトロの手紙3章19節は、その前の18節で、キリストについて「正しい方が正しくない者のために死なれた」と語られていることを受けています。19節の始めの「この際に/このことにおいて」(原文)を「霊において」ということだけに限定する解釈がありますが〔新共同訳〕、ここはそうではなく、その前の18節で語られていること全体を指していると見るべきです。したがって、3章18〜19節を意訳すれば次のようになるでしょうか。
  「なぜならキリストも唯一度だけ罪のために苦難を受けられた。それは、不義の者たちのための義人(の苦難)であり、肉体では死んでも霊においては生かされることによって、あなたたちを神の下へと導くためなのである。その際に、(キリストは)閉じ込められていた霊たちのところへも赴いて、宣教をされた。(その霊たちは)かつては不従順なものたちであったが、ノアが箱船をつくっている間中、神の忍耐は、彼らをじっと待ち続けたのである。・・・」〔第一ペトロの手紙3章18〜20節前半〕
  ここで「赴いた」とあるのは、キリストの陰府降下のことであり、「閉じ込められていた霊たち」とあるのは、続く20節にノアの洪水伝承が出てきますから、エノク伝承に従って、堕落した天使たち、あるいは霊たちのことがその背景にあると見ることができます。しかし、これでは、なぜ洪水に関わるこれらの霊たちだけにキリストの福音が告げられたのかが説明できません。しかも、第一ペトロの手紙の筆者が直接エノク伝承や「エチオピア語エノク書」を参照にしていたとは考えられません。したがって、これはユダヤ教のエノク伝承の解釈に従って、ここでは「すべての不従順な者たち」の代表として、洪水伝承に関わるこれら霊たちがあげられていると見ることができます。
  ここでのキリストが「宣教された」とあることについては、解釈が大きくふたつに別れます。『エチオピア語エノク書』(88章)では、「馬のような性器をぶらさげた巨星が全部集められて、手足を縛られて地の裂け目にほうりこまれた」とあります。この「巨星」たちは、人間の女と交わった堕落天使たちのことであり、同時にそこから生まれた巨人(ネフィリムたち)をも含めていますから、エノク伝承では、ノアの洪水をもたらすことになった暴虐の者たちが、最終的には赦されることがなく、罰を受けることになっています。このような伝承解釈に基づいて、ここ第一ペトロの手紙3章19節でも、キリストが「宣教した」とあるのは、キリストが最終の「裁きと断罪を彼らに告げた」こととする解釈があります。だから、この場合、キリストは、「救いではなく裁きと断罪」を宣告したことになります。
  しかしながら、キリストが「宣教する」とある原語は、新約聖書では、「福音を宣べ伝える」こと、特に「罪の赦しの福音を告げ知らせる」ことを意味しています。したがって、ここ3章19節でも、陰府の牢獄に閉じこめられていた霊たち(「霊たち」とは地上の人間ではなく、死者たちを指す場合の言い方)に罪の赦しと解放の福音を「宣教した」という意味に解釈することができます。この解釈では、キリストの宣教は、エノクの断罪とちょうど正反対の出来事を指すことになります。エノクは断罪し、キリストは赦免する/解放するからです。先に述べたとおり、ノアの洪水に関わる「堕落天使の霊たち」とあるのは、厳密にこれらの霊だけを意味するのではなく、「神に逆らった不信心な死者たち」全体の代表として彼らがあげられていると見ることができます(この点では初期ユダヤ教の伝承に基づいています)。キリストが陰府の深いところまで降下して、そこに住む霊たちに「福音を伝えた」とあるのは、旧約時代の不信心な死者たちの霊に対しても、キリストの福音が「宣べ伝えられた」、少なくともこのように解釈することができます。
  一つ確かなこと、それは、キリストの陰府降下によって、キリストは、陰府への支配を完全に確立して、そこでの裁きと救いを完全に支配する権威を授与されたことです。救い主としてのキリストが、陰府の世界を支配されたこと、そのことだけで十分であるとわたしには思われます。なぜなら、このことによってキリストは、「もろもろの支配と権威」がそれまで手にしていた死と裁きという「武装」を解除して、陰府の力に打ち勝って、勝利を得て凱旋されたからです(コロサイ2章15節)。ここに、旧約時代の死者の霊たちへの(さらには異邦世界の死者の霊たちをも含めて)、希望と光があります。
  エノクとキリストとのこのような裁きから救いへの「逆転」あるいは「移転」こそ、この書簡の筆者が伝えようとしているキリストの御業だと見るべきです。なぜなら、このように解釈して初めて、4章6節で語られていること、すなわち、死んだ者に福音が語られたのは、肉体において死んだ者が、キリストにあって霊において生かされるとあることへと通じるからです。エノクの場合とは異なり、第一ペトロの手紙では、獄にあった天使たちに福音が告知されたと理解できます。このような理解の背景には、詩編16篇10節/ローマ10章7節/エフェソ4章8節/コロサイ2章15節などがあります。第一ペトロの手紙のこれらの節に対する解釈では、最初期の教父たちのほうが、現代の西欧キリスト教の伝統に立つ学者たちよりもはるかに正しく、書簡の真意を理解していると言えるのではないでしょうか。
   ただし、そのキリストの宣教の結果が、どのようになったのか? はたして、全部の死者たちが恵みに与ったのか? これについてはなにも語られていません。また、これと同時に、一体この宣教と罪の赦しは、「どの時点で」生じたのか? キリストの復活「以前」なのか? あるいは「以後」なのか? 昇天した時のことなのか? このような時期についてもなにも語られてはいません。したがって、宣教の結果について、あるいは宣教の時期についてのあまりに厳密な議論は、この際あまり意味がないと思われます。
  以上、第一ペトロの手紙での死者たちについての主旨をまとめるとすれば、以下のような見方が妥当すると考えますので、これを訳出しておきます。
「ペトロはすでに、この『肉にある時』が、終わりを意味するのではなく、始まりにすぎないことを指摘した(「あなたたちを神へ導く」3章18節/「洗礼が・・・あなたたちを救う」3章21を節参照)。しかしここでは、死んだ者たちとの関係だけを明かにする(4章5〜6節)。もしも神が、真に『生ける者たちと死せる者たち』とを裁く神であるのなら、それならば、死せる者たちもまた、キリストが到来する何世紀も以前に、すでに福音を聞いていたに違いない。しかも『神の福音』(4章17節後半)は、空間だけでなく(ローマ10章18節/コロサイ1章23節)、時間においても普遍的な福音であり、それ(神の福音)が告げられるいかなる時でもいかなる場所でも、神の意図は命なのである。すなわち、これを聞いて信じる者たちは、「御霊にあって神の前に生きる」のである(4章6節後半)。」〔ラムジー・マイケルズ著『第一ペトロの手紙』4章6節講解より〕

初期教父たちと陰府の世界
  原初教会においては、キリストの陰府降下は、神の御子であると同時に人間でもあったイエス・キリストが陰府へと降るのは、死の後の人間として自然の結果であると考えられました。キリストは、その死の自然な結果として、「死者の定めに」服したのです。以下に見るように、テルトゥリアヌスは、魂が「からだ」を具えていると明言しており、また、キリストは、一人の人間として、死者と全く同じ状態におかれたことを証言しています。魂が「からだ」を具えているという思想は、新約聖書の霊の命や復活を知る上でもとても重要なことだと思われます。彼は、キリストが、人間として、通常の死と全く変わらない状態に服したことを確認しています。ここには、最初期のキリスト教と教父たちのキリストの陰府降下に対する見方が表わされていると言えましょう。

以下は次の書によるところが多い。
〔ノルベルト・ブロックス著、角田信三郎訳『EKK新約聖書注解XXIペトロの第一の手紙』「付論キリストの陰府降下後世史」248〜257頁。〕

【テルトゥリアヌス『霊魂について』】
Tertullian, A Treatise on the Soul. Chapter 55. The Ante-Nicene Fathers.Vol.3. Logos Bible Softwares. / T&T Clark Edinburgh / Erdmans Publishing Company, Michigan. 〕
第7章:「福音書自体も、魂が身体(からだ)の性質を有することをいとも明確に証言している。地獄では、ある人の魂が苦しめられ、炎の中で罰せられ、鋭い渇きに悩まされ、幸いな魂の指から、己の舌へ水の一滴の慰でもほしいと乞い求めている。祝福された貧しい人と惨めな金持ちとのこの最後は〔ルカ福音書のラザロの物語〕、ただの仮想に過ぎないとあなたは思うだろうか? この状況が実際の出来事でないとすれば、なぜこの話にラザロという名前が出てくるのか? また仮に仮想のことだと見なされたとしても、それは真実と現実への証しであると見るべきであろう。なぜなら、もしも魂がからだを有しないのであれば、魂の姿に身体的な部分である指を含むことはありえないからである。肢体が存在しなければ、聖書も身体的な肢体について述べるようなことはしないはずである。」
第55章:「キリスト教的な見方による黄泉での(魂の)立場:わたしたちは、地下の黄泉の世界が、ただの空洞であるとか、この世界のどこかの地下通路だと考えてはいない。そうではなく、そこは、大地の内部に広がる広大で深い空間なのであり、その内部には密かで奥まった所がある。これはわたしたちが読むところによれば、キリストがその死において、大地の内蔵部で、すなわち大地の隠れされている密かな内部の奥まった所で、三日間を過ごされたとあり、彼は大地に閉じ込められ、さらにその底に降った深淵の深みに押し込められていたとあるからである。さてキリストは神であるけれども、また人間でもあったから、『聖書によれば死んだ』のであり『同じ聖書によれば埋葬された』のである。彼の(人間としての)存在の法則によって、彼は死者の姿と状態に全く従属していた。また、父祖たちや預言者たちを彼ご自身(のからだ)にあずからせるために、大地の底の部分へと降下するまでは、彼は天の高みへと昇ることをされなかった。」
  
【エイレナイオス『異端反駁』X巻31章2節】
Irenaeus, Against Heresies. Book 5.Chapter 31. The Ante-Nicene Fathers.Vol.1. Logos Bible Softwares. / T&T Clark Edinburgh / Erdmans Publishing Company, Michigan. 〕
  「主が、死者たちの魂のいる死の影のまっただ中へと赴いて、しかもその後にからだにおいてよみがえって、復活の後に天へとあげられたそのように、明らかに主の弟子たちの魂もまた、主が彼らのためにこれらのことを体験されたのであるから、神によって割り当てられた見えない場所へと赴いて、そこで復活の出来事が起こるまで留まり、それから、からだを与えられて、その全体において、すなわち主がよみがえられたと同じようにからだにおいてよみがえり、神の御前に出ることになるのである。」
  エイレナイオスとイグナティウス
  キリストの陰府降下が、キリスト以前の義人への救いであるとする信仰は比較的早い時期からあったようです。キリストは死者に説教し救いを授与しました。彼は黄泉と死の力をうち破って、生ける者と死せる者たちの主となりました。旧約時代にメシアを待ち望んだ義人たちは、キリストを信じて罪の赦しを得たのです。
【エイレナイオス『異端反駁』W巻】
〔『エイレナイオス4 異端論駁W』27の2。キリスト教教父著作集3/U教文館。99頁。〕
「そして、〔長老の言うところによれば〕主が地の低いところまで降ったのはこのため、〔すなわち〕自分の来臨というよい知らせを彼らにも告げ知らせるためであった。〔彼の来臨は〕彼を信じる人々にとって罪の赦し〔だから〕である。〔以前から〕彼に希望をおいていた人々、すなわち彼の来臨を予め告げ知らせ、その〔救いの〕営みに奉仕した義人、預言者、族長たちは皆、彼を信じた。〔そして、神は〕私たちに対すると同様、彼らに対して罪を赦した。〔したがって〕、私たちは神の恵みを無視しない限り、〔それらの罪〕を彼らに帰するべきではない。キリストが自分たちの中で明らかに示される以前に私たちの働いたふしだらを彼らが〔私たちに〕帰さないのに、私たち〔が自分たち〕も同じように〔しないで〕キリストの来臨以前に罪を犯した人々に〔罪を〕帰するのは義しくないからである。」
【エイレナイオス『異端論駁』四巻31章1節】
Irenaeus, Against Heresies. Book 4.Chapter 31(1). The Ante-Nicene Fathers.Vol.1.〕
  「〔主はその初臨において〕地の果てから、すでに眠っていた彼の父の囲いの子たちを集められて(イザヤ11章12節)、彼らを救い出すために降られたのである。」
【同上Book4.Chapter 31(12)./Book5.31(1)をも参照】
  「他の人たちは、また、『聖なる主は塵の中に眠る御自分の死んだ者たちを覚えて、彼らをよみがえらせて救うために、彼らのもとへ来られた。』と述べて、主がこれら〔様々の受難の苦しみ〕を受けられたそのわけを私たちに知らせてくれた。」
【イグナティオス『マグネシア人への書簡』9章】
Ignatius, The Epistle if Ignatius to the Magnesians. Chapter9. The Ante-Nicene Fathers.Vol.1.〕
  「それゆえ私たちは、私たちの唯一の主イエス・キリストの弟子とされるように忍耐しようではないか。彼から離れては、私たちはどうして生きられようか。主の弟子たちであった預言者たちも彼らの師として霊において主を待ち望んだのである。それゆえに、彼らが正しくも待ち望んだその方が、来られて、彼らを死からよみがえらせたのである。」
【オリゲネス『ヨハネ福音注解』第6巻35】
〔オリゲネス著小高毅訳『ヨハネ福音注解』創文社1984年。〕
  「〔ご自分の下に〕人性を結びつけられたかたは、死をも〔ご自分の下に〕結びつけられました。まさしく、『死んだ者にも、生きている者にも主となるためにイエスは死に、そして甦られたのです』。このため、生けるものと死せるもの、即ち地にあるものと黄泉にあるものとを〔はきものとして、ご自分の下に、その靴の紐を〕結ばれたのです。それは、『死せる者にも生ける者にも主となるため』です。」
陰府での洗礼と異邦人の救い
  キリストは黄泉の者たちに洗礼を授けたとあり、使徒たちによる死者への洗礼もおこなわれたとあります。アレクサンドリアのクレメンスは、第一ペトロの手紙を根拠に旧約の聖徒以外に異教の義人をも救いに含めました。オリゲネスは、黄泉での罪人の悔い改めをも考えたようです。ギリシア教父では、オリゲネスの説に従う者がいましたが、ラテン西方教会は、降下による救済をキリスト以前の信者に限定しました。テルトゥリアヌスは最後の審判以前では、殉教者のみが天に行き、その他の義人はアブラハムの懐に留まると考えたようです(De Anim58)。
【ヘルマスの牧者「たとえ」5巻16章(2世紀半ば頃)】
The Pastor of Hermes, Similitude Fifth.Chapter16. The Ante-Nicene Fathers.Vol.2.〕
  「したがって、眠りについた者たちも神の子の証印〔洗礼〕を受けたのです。『なぜなら』、と彼〔ヘルマスの牧者〕は続けた。『神の子の証印を帯びる前に死んだ人も、彼が証印を受けるなら、その死を離れて命を得るからです。証印とはそれゆえ、水のことです。彼らは水の中へと沈んで死に、生きて甦るのです。したがって、かれらにこの証印が宣べ伝えられ、彼らは神の国に入るために、これを役立てたのです。』〔これに続いて、使徒たちによる死者への洗礼も語られています。〕」
【「ニコデモの福音書」19章(326〜375年?)】
〔田川健三訳「ニコデモの福音書」『旧約外典偽典』6新約外典T、教文館、1976年。175〜228頁。
  〔アダムが死ぬのを見て、セツはパラダイスの入口で天使に救いのオリーヴ油を与えてくれるよう祈ります。すると天使は、〕「世界の創造より5500年たった時に、地上に神の子が人の形を取って降りてきます。この神の子がお前の父親にそのオリーヴ油をぬるだろう。すると彼は復活し、水と聖霊とによって洗われる。」
  特にアレクサンドリアのクレメンスに代表されるアレクサンドリア学派においては、ユダヤ人にも異邦人にもすべての死者に救いを告知し、洗礼を施したことが語られています。
【アレクサンドリアのクレメンス『ストロマタ』6巻6章「福音が黄泉のユダヤ人と異邦人に宣べ伝えられた」】
Clement of Alexandria, Stromata or Miscellanies. Book 6.Chapter 6. The Ante-Nicene Fathers.Vol.2. Logos Bible Softwares. / T&T Clark Edinburgh / Erdmans Publishing Company, Michigan 〕
  「それゆえに主は、陰府にいる者たちに説教したのである。したがって聖書は言う。『陰府は亡びに向かって言う。我々は彼の姿を観なかったが、彼の声を聞いた』(ヨブ28章22節)と。この言葉が、声を聞いたと述べているのは、明らかに場所のことではなく、黄泉に置かれた者たちのことであり、しかも自ら進んで船から海へ身を投じるようにして、亡びに自らを投じた者たちなのである。だから、彼らこそ神の力と声を聞いたのである。なぜなら、ここの意味では、正しい者たちの魂と罪人の魂とが、同じ断罪の内にあるという不公正を摂理に帰することなど誰が考えられようか?」
  「それだからもしも、主が救い主の知識と信仰を望むユダヤ人だけに説教したのなら、神は人を偏り見ない方であるから、使徒たちはまた、この〔地上〕と同様にかしこ〔黄泉〕においても、回心を待つ異教徒たちに福音を宣べ伝えたのは明かである。だから〔ヘルマスの〕牧者によってこう言われている。『彼らは生きたまま降った。そして再び生きたまま昇った。しかし眠りについた者たちは、死んで降ったが、生きて昇った。(ヘルマス第3巻16章)』さらに福音は言う。『眠った者たちの多くの体が甦った』(マタイ27章52節)。これは明らかによりよい状態へと移されたのである。それゆえに、救い主の経綸を通じて普遍的な動きと移動が生じたことになる。」
  「〔地上で主を信じる者は救われ、信じない者は裁かれるとあってから〕ではどうなるのか? 同じ摂理が黄泉においても働いて、かしこでも、すべての魂が、告知を聞いて、あるいは悔い改めを表明するか、あるいは信じなかったがゆえに、彼らへの罰が正当であると告白するかしないであろうか? 主が来られる以前に去った者たちが(福音を告知されることもなく、信じるか否かについて自分たちになんの根拠も与えられなかったのに)、救いか罰かを得るとすれば、あまりにも恣意的なやり方であろう。これらの人たちが試されることもなく断罪され、主の初臨の後に生きた者たちだけが神の正義の益を得るというのは、正しいことではない。しかし理性ある魂には、上からはっきりとこう言われている。『神を明らかに知ることなしに、無知において行なったことは何であれ、もしこれを意識することで悔い改めるなら、そのすべての罪は赦される』〔使徒3章17、19節〕。『なぜなら、見よ、』と言われている。『わたしはあなたがたの前に死と命を置く。あなたがたが命をえらぶためである。』〔申命記30章15節〕」
【オリゲネス『ケルソス論駁』2巻43章】
Origen, AgaistCelsus. Book 2.Chapter 43. The Ante-Nicene Fathers.Vol.4. Logos Bible Softwares. / T&T Clark Edinburgh / Erdmans Publishing Company, Michigan. 〕
「ケルソスは次に私たちに以下のような意見を述べた。『思うにあなたがたは、彼〔イエス〕が、この世において人々を得ることに失敗した後で、彼は黄泉へ降ってそこにいる者たちを得ようとしたとは言わないでしょうね。』しかし、ケルソスが賛同しようがするまいが、私たちはこう主張する。イエスが身体を具えておられた間に、少なからざる人たちを得ただけではなく、非常に多くの人たちを得たから、彼に従う群衆のゆえに、彼に対する陰謀が仕組まれるにいたった。それだけではなく、彼が魂となって、身体の装いが無くなった時でも、彼は身体の装いを持たない者たちの間に住まわれて、彼に心を向ける者たちを回心させ、あるいは、彼のみが知る理由によって、そのような道によりふさわしいと見られた者たちを回心させたのである。」
  
【エイレナイオス『異端論駁』1巻27章3節】
Irenaeus, Against Heresies. Book 1.Chapter 27(3). The Ante-Nicene Fathers.Vol.1.〕
  「救いはキリストの教義を学んだ者たちだけが達することができるもので、肉体が地上から取り去られた後は、救いに与ることができない。神ご自身への冒涜に加えて、彼〔マルキオンのこと〕はまた次のように述べて、あたかも悪魔の口から語るように、真理に真っ向から対立するあらゆることを言うのである。すなわち、カインや彼と共にいた者たち、ソドムの住民やエジプト人たち、またこれに類する他の者たち、要するに、あらゆる忌むべき類いの道を歩んだあらゆる民族も、主が黄泉に降下した際に、彼のもとに集まり、主によって救われた。そして彼らは、その王国へ受け容れられたと言うのである。」
エイレナイオスは、そのマルキオン批判の中でこのように彼を批判しているが、これから判断すると、マルキオンも、キリストの陰府降下によって、すべての諸民族が救われたと唱えていたことが分かる。

輪廻転生とニカイア会議
〔以下は「人は死んだらどうなるのだろうか?」『キリスト新聞』(2000年12月25日)より〕
  西洋の輪廻転生論者たちは、キリスト教の歴史に言及するに際して、主として古代教会成立への批判的視点から語る場合が多いようです。例えば、「キリストは輪廻転生を人々に説いた」という友人にシャーリー・マクレーンは「では、なぜ、聖書にそれが書かれていないのか」と聞くと、友人は、次のように答えています。「輪廻転生のことは聖書に書いてあったんだよ。ただ553年のコンスタンチノーブルで開かれた、一般にニカイア会議と言われている宗教会議で、教会の支配を強めるために輪廻転生の思想を削除してしまったんだ。だって、人の運命は教会の支配下にあるというのが教会の主張なのに、キリストは一人ひとりが自分の運命に責任があると言っているのだからね。キリストはただ神のみが人を裁けると主張していて、教会やいわゆる宗教を作ることには反対していたのだ。彼は教会や宗教が自由や真実を知りたいと願う人の心を抑圧するのを知っていたんだよ」(『アウト・オン・ア・リム』)
  325年のニカイブ会議、ニカイア・コンスタンティノポリス信条(381年)を経て、553年の第二コンスタンチノポリス会議で生み出されたニカイア信条は、今でも教会が信仰の基盤としているもので、多くのプロテスタント教会も、それを確認しています。輪廻転生論者は、ここで歴史的教会と袂を分かち、自分たちこそイエス・キリストに連続していると主張しているのです。古代教会が歴史に姿を現していく過程には、ローマ帝国内でのキリスト教の公認(331年)、国教化(380年)という過程と共に、グノーシス主義との戦いがあり、聖職制度・信条・聖書正典の確立がありました。キリスト教の公認化、国教化の過程にはプロテスタント教会からの批判がありますが、正統信条は、その流れの中で成立したのですから、両者は無関係ではありません。
   最初期の教会では、キリストの死と降下は、ユダヤ教の伝統に従い「キリストは人間として死んで当然黄泉に降った」〔テルトゥリアヌス〕と解されました。キリストは、最初に黄泉から出た人となったのです。ここから死者となった旧約の義人たちはどうなるのか? という疑問へと発展し、キリストの降下が救済論的に理解され始めるようになります。この思想が、キリストは陰府にも勝利して、ユダヤ人も異邦人もすべての死者に福音を告知し洗礼を授けた。悪もまた終末にあって完全に消滅し陰府も神へと戻る(2世紀末?)〔アレクサンドリアのオリゲネス〕とう主張へとつながります。
  使徒信条(2世紀後半)の<キリストの陰府降下>は、359年のシルミウム教会会議で初めて現れましたが、これには第一ペトロの手紙3章19節が影響していると考えられます。教父時代では、降下によって救われた霊は、かつて不従順であったが降下以前に回心していたとされるようになります。「かつてある時不信仰であった霊たち」〔ウルガタ:4世紀〕という訳がこの辺の消息を語っていると言えましょう。
西方教会と死後の世界
以下の記事は〔ノルベルト・ブロックス著、角田信三郎訳『EKK新約聖書注解XXIペトロの第一の手紙』「付論キリストの陰府降下後世史」248〜257頁。を参照〕
  東方教会に対して西方教会は、アレクサンドリア派に同意しませんでした。アウグスティヌスは降下の伝承を否定し、第一ペトロの手紙4章6節は、「地上での霊的な意味での死者」のことであると解釈して、5世紀にわたる古い教父伝統を危険視したのです。なおこの問題に関しては、中世のカトリックは煉獄の教義について、宗教改革者たちは降下の教義をそれぞれ回避する傾向が強いようです。宗教改革者たちのこの傾向は、カトリックの「前地獄・リンブス」や「浄めの火・プルガトリウム」(死者は獄中にあったがキリストは彼らをそこから解放して、彼らは中間の煉獄にある)に対抗するためもありました。一方カトリックは、この問題については、アウグスティヌスに背を向けるようになります。
  カトリックに反対した17世紀のルター派は、キリストの降下は救いから見放された死者に対する救いではなく、逆に断罪のためであると理解しました。18世紀に至って、宗教史学派は再びオリゲネスの立場へ復帰を始めたようです。現在では(1)死後の世界でも霊的成長と救済の可能性があるという煉獄の教義〔カトリック〕。(2)人間は地上においてキリストを信じるかどうかによってのみ裁かれる。それ以外に終末においていっさいの救いは存在しない〔プロテスタント諸派〕。(3)死者には信仰者、非信仰者共に、キリストの恵みにあって終末にはそれぞれの行いに応じて正当な裁き/赦しが与えられるから、キリストのみ霊に委ねる〔プロテスタント諸派・東方教会〕。これには、晩年、召天に際して、万人救済の信仰を抱いていた無教会の内村鑑三も含まれます。
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