聖書の神話性と歴史性
(1)「神話」という言葉
「神話」という言葉は、二つの意味で否定的に用いられてきた。その理由の一つは、「異教の神話」という言い方に見られるように、神話が、キリスト教の立場からする「偽りの神(=偶像)」の物語として、聖書の神と対立させられてきたことがある。もう一つは、十八世紀頃から、自然科学の台頭にともなって生まれた神話観で、神話が、科学的な世界観を持たない無知な未開の人々の世界観にすぎないとする見方である。ところが今世紀になって、この二つの神話に対する見方が崩れ始めたのである。
第1に、聖書が、聖書以外の諸宗教の聖典とそこに含まれる神話と基本的には同じ性質を有することが文献学的に立証されてきたことである。こうして「聖書神話」という言葉が語られるようになった。しかも、神話は、偽りのつくりごとではなくて、共同体の体験を反映し、かつこれを伝達する働きをしていること、特に国家・民族・教会など共同体の形成に重要な機能を持つことが分かってきたのである。また共同体を構成する個々の人間の内面性にも神話が重要な意味を持つことが、主として心理学の立場から明らかにされるにしたがい、神話一般が見直されるようになった。
第2に、神話は、科学的な見方には欠落している総合的な視野や、世界観の形成には欠かすことのできない特質を有することが分かってきた。それどころが、象徴・表象・隠喩などを通じて、わたしたちの科学的な合理性にも神話的な思考方法が深く入り込んでいることが、だんだんと認識されてきたのである。
クレァモント学派の人たちは、このような現代の思想的潮流に沿って、キリスト神話を世界の他の諸宗教・諸神話と同じレベルへと相対化しようとする。彼らは、聖書を文献批判的に分析するだけではなく、その作業を、教会やキリスト教関係者から独立させて、むしろ他の諸学問、文学や社会学や神話学や宗教学、さらには文化人類学との関連の中で取り扱おうとするのである。
このことは、聖書を二つの前提から解放することになった。一つは、聖書が歴史的事実に基づくという意味で、他の諸神話とは決定的に異なるという前提である。今一つは、神話とは、そもそも非科学的な虚偽に基づいているという前提である。キリスト教神話論は、この二つの前提の間を常に揺れ動いてきた。クレァモント学派の人たちが行なったのは、聖書の優位性を引き下ろすことによって、キリスト神話を他のもろもろの神話と同列に置き、こうすることで、キリスト教と聖書神話を他の諸宗教・諸神話と同じ学問的な批判の対象とすることであった。これによって、聖書神話を比較神話学、比較宗教学の分野で正当に扱う道が開かれるからである。
このことから分かるように、「神話」という言葉は、客観的な対象として語る場合に用いられる語である。「これを信じている人たちに言わせるとこうなる」というように、自分を神話の外に置いて学問的な批判の対象とするときに「神話」が用いられる。この意味で「神話」は、これを実際に信じている人たちやこれを分かち合っている共同体を基盤として成り立つ「神学」と対照される。
神話が人々に信じられるときには、これに内蔵されている非現実性のまさにその故に、現実を造り出す力を人間に与える。神話の持つ共同体的(communal)な性格は、個々の人間が結び合って造り出していく現実的な力を全体にも個人にも保証する。個人を全体と結ぶこの神話的な力は、人間を、知的、心情的、霊的の全レベルにわたって人格的につき動かすことのできるほとんど唯一の働きなのである。
それ故、聖書神話を信じている人にとっては、聖書は「神話」ではなく、現実に自分の存在に働きかける霊的な力の源となり、聖書は「神の言葉」となる。このとき聖書は、人間の「想像力」に働きかけ、それまで内面に閉じこめられていた人間の神話性を解き放つ。それは、「神の言葉」として、この世に具体的な出来事を実現させる力に変貌する。このように、聖書神話がこれを信じる人間を通じて現実と結びつくとき、それは強力な創造力を発揮する。そこにおいて、聖書神話と現実とを結ぶ働きをするのが「知恵の霊」である。特にこれがキリストの人格的な神性と結びつくときに、それは「聖霊」としてキリスト者に働きかける。
(2)キリスト教の神話性
しかも、このキリスト神話は、「ナザレのイエス」という実在の人物自体と不可分に結びついている。その結びつきは、イエスが教えた言葉、あるいはその行為、あるいはその思想に限定されるのではなく、イエスという人物の「実在性」自体に根拠を持つ。イエスの出来事という事実から発しているのがキリスト神話独特の性格なのである。したがって、キリスト神話は、他の神話が内蔵するような固有の宇宙観を必ずしも必要としない。それはイエスという人物にかかわる「人格的な出来事」以外にその根拠を持たない。イエスの existence (実在・存在・実存)のみを根拠とするこの「出来事」性は、キリスト神話特有の「歴史性」(historicity)となって現われる。
さらに、聖書神話には、神と個人との出会いを通じて共同体全体に働きかける「啓示」と、現在を基点として過去と未来とを結ぶ「契約」という、二つの概念によって成り立つ独特のタイポロジーがある。イエスの出来事は、神話化されることで、旧約聖書のこのタイポロジー的な救済史の構造に組み込まれることになった。こうして生まれた新約聖書のタイポロジー的な歴史性は、キリスト神話に歴史を創り出す強力な根拠を賦与する。このように見てくると、皮肉にも、聖書を神話として定義づけることが、逆に、聖書神話、特に新約聖書の「キリスト神話」の持つ歴史的な特質をいっそう際だたせる結果になったのが分かる。
キリスト神話は、欧米の、ひいては世界の歴史観に大きな影響を与えてきた。欧米の歴史観は、根底において、聖書の「キリスト神話」に支えられて成り立ってきたと言えよう。しかし、聖書の神話性が明らかになるにつれて、伝統的な歴史観自体にも深刻な影響を与えることになった。それは、キリスト神話がどこまで歴史的な真実を伝えているのかとか、神話がどのように歴史と関わってきたのかという意味においてではない。聖書神話の究明は、むしろ、歴史という概念自体が、実は神話と不可分に結びついていることを明らかにしたからである。
このことは、今度は逆に、神話の虚偽性という従来の考え方をも根本的に見直さざるをえないところへわたしたちを導く。なぜなら、「神話」はもはや「歴史的事実」と対立する概念ではなく、歴史の意味自体を構成する重要な要素であることが分かってきたからである。キリスト神話を虚構として、その「神話性」を暴くことによって崩壊するのは、聖書神話の歴史性ではない。歴史という言葉の意味自体が崩壊すること、誤解を恐れずに言うならば、歴史概念自体が神話であったことが明らかにされたのである。
(3)犠牲の神話化と歴史
わたしたちは、今新たな意味で叙事詩を渇望する時代に入りつつある。マックの著書に、しばしば「叙事詩的」(epical)という言葉が現われるのは偶然ではない。叙事詩から時間の枠を取り除くと、それは完全に無時間的な「神話」になる。体験は「語られる」ことによって物語(story)となり、それが歴史(history)を形成していく。わたしたちが「歴史」として物語る行為自体が、実は歴史自体を創り出す行為に他ならない。叙事詩はこうして叙事史となる。『平家物語』がそうであり、アーサー王伝説群がそうである。イギリス・ルネサンスの詩人スペンサーは、ギリシア神話とアーサー王伝説とを結び合わせることで『妖精の女王』という叙事詩を書いた。スペンサーは、この神話的な世界を英国の王室の歴史と重ね合わせることで、英王室の神話化と王室の西欧的正統性という叙事史を試みた。同様のことが、『古事記』や『日本書紀』についても言える。日本は、敗戦によって記紀を失ったとき、国家としての「歴史性」を失った。少なくともそれまでの歴史的正統性を放棄したのである。
マックとその学派の行なったことは、自分たちの社会を成り立たせてきたもっとも根元的な価値観に対して、あえて学問的な批判のメスを入れる結果になった。このような業績の意味は、例えば日本の神話学や国文学や国学の分野の人たちが、天皇制を成り立たせている根元的な価値観とこれを支えている記紀の神話に対して、あえて学問的な批判を加えようとする業績を考えてみれば分かるであろう。
1970年代になって、ルネ・ジラールが、歴史という概念が神話・宗教と分かち難く結びついていることを証明しようとした。彼は、ヨハネによる福音書(11章47〜53節)で、大祭司カイヤファが、イエスを犠牲にしてユダヤ民族を救おうとする決定を下した場面を引用する。
「あなたがたは全然何も分かっていない。ただ一人の男が民の代わりに死んで、国民全体が滅びないほうが、あなたがたにとって得策だということも、考えに入れていない。」(ジラール『身代りの山羊』183)
この明確に政治的な、したがって「歴史」的な決定について、福音書の記者ヨハネは、「このことは彼が自分から言ったのではなくて、〔カイヤファは〕その年の大祭司であったので、イエスが国民のために死のうとしておられること、またただ国民のためだけでなく、散らされている神の子たちをひとつに集めるためにも死のうとしておられることを預言したのである」とコメントしている。明らかに政治的な決定についてのヨハネのこのような「神話」的なコメントは、はたして見当違いなのであろうか。
「ひとりの人が死んで・・・」というカイヤファの言葉は、国民全体の最高指導者としての彼の政治理念を表明している。イエスをこのまま放置しておくならば、ローマの政治介入を招きかねないという権力の危機意識がそこにある。しかし、彼の言葉は、ここでは大祭司として、ユダヤ教の供犠に従って神に生け贄を捧げる宗教的な行為をも意味している。したがって、彼の言葉は、集団の安全を維持するためには神に犠牲を捧げなければならないという「神話」に基づいていることが同時に理解されなければならない。生け贄の殺害とは、何よりもまず神話的な概念であり、そのような概念に基礎を置く宗教的な行為にほかならないからである。
わたしたちはここで、いかなる政治的な決定も、常になんらかの意味で「犠牲の殺害」を含んでいるという事実を見落としてはならないとジラールは指摘する。政治的な意味で「決定する」(decidere)というラテン語は「生け贄の喉を切る」という意味を含む。しかも彼の決定は、明らかに集団全体の総意を代表している。最終的にはピラトさえもこの決定に同意せざるをえない。だが、この政治的な決定が、生け贄を捧げる神話とこれに基づく宗教的な行為に起源を持つという認識はだれの意識にも上らないのである。ヨハネのコメントは、まさにこの点を突いていることが分かる。ヨハネは、生け贄を捧げる権力の暴力的本質を暴くと同時に、イエスが、身代わりの山羊として「神の小羊」とされる決定が下された歴史的な瞬間を見事に描いている。
ヨハネのこのテキストに描かれているのは、フランス革命にせよマルクス革命にせよ、また、いかなる恐怖政治にもあてはまる「身代わりの山羊」の基本的なパターンなのである。ところが、わたしたちは、「一方では歴史上の事柄に、また他方では神話や宗教にたいして、同一の解読の基準を当てはめることを拒んでいる」とジラールは指摘する(ジラール 201)。ジラールはさらに、ヨハネのこのテキストから、共同体の安全を基礎づける犠牲の殺害が、「神」への供犠という神話に起源を持つこと、しかも神話が、宗教的に制度化されることによって、人々の目から殺害の事実を隠蔽していることを明らかにしようとする。福音書が暴いているのは、「神話的・宗教的に」隠蔽されてきたこの生け贄の構造なのである。
神話と歴史との違いは、暴力による迫害の犠牲という観点から見るなら相対的なものでしかないとジラールは言う。人間の文化を基礎づける集団的な無意識の暴力は、神話製造のメカニズムを蔵していて、それは現代にも通じている。犠牲に向けられた迫害の神話が共同体の宗教と文化を基礎づけるためには、その出来事が宗教的な顕現として記憶されること、これによってその出来事を再演すること、こうすることで犠牲者の行なった「邪悪」が自分たちに及ばないようにすることが必要である。これが犠牲の殺害、したがって宗教的・文化的迫害の神話的モデルである。集団的な迫害には、神話=儀礼=宗教が密接にかかわり合っていると見る文化人類学の主張をジラールは支持する。
ジラールの主張から気がつくことは、彼が「神話」を生け贄の迫害と殺害を隠蔽する装置と見ていることである。ところが、ジラールは、聖書、特に福音書を、このような神話に潜む暴力性と対置するのである。彼によれば、身代わりの山羊を語るテキストには二種類ある。一つは、テキスト自体が神話化されている故に犠牲はテキストの背後に隠蔽されていて、これについては語られないもの。もう一つは、犠牲者が身代わりであることが、テキスト自体の主題として明確に表わされているものである。ジラールは、神話と福音書との区別をこの二つのテキストの違いに置いている。したがって、彼によれば、聖書は迫害の発生にとって都合のよい欲望への誘惑に抵抗する力を与えることになる。福音書は、あらゆる神話や宗教や哲学のテキストの連合に屈することなく、迫害の非真理を暴くのである。
確かに福音書は、あらゆる神話が語るのと同じことを、すなわち、共同体の基礎となった殺人を語る。しかもこの点では、福音書はもっとも原初的な神話に似ている。進化した神話では集団による殺害が巧みに変容しているからである。暴力の表象を明らかにするためには、暴力への肯定否定にかかわらず、これの共犯者であってはならない。イエスは迫害者の暴力を認めず、また模倣によってこれに復讐することもしない。福音書は、暴力の起源への回帰であるが、暴力を解明し破棄するための回帰であって、これを繰り返し再演するためではない。したがって、逆説的に言うなら、福音書が神話ではない、福音書は神話とは異なったことを語っていると主張することは、福音書の持つこの独自性、神話に内蔵される暴力を阻止しようとする独自の働きを強めるどころか、かえって弱めてしまうことになる。
「神話」に潜む暴力性にたいするジラールの見解の正しさを認めるとしても、聖書と他の諸神話とを区別するこのような二分法は、クレァモント学派の聖書神話に対する見方とは異なっていることに気がつく。両者の「神話」にたいする定義が食い違っているのは言うまでない。しかし、問題の本質は、そのような言葉の定義の違いにあるのではない。クレァモント学派は、ジラールが聖書において否定しているまさにそのこと、神話の暴力性が、聖書神話のうちにも潜むことを否定しない。聖書神話をば他の諸神話・諸宗教と同一レベルのものに相対化することで、聖書を比較宗教学や比較神話学の対象とするということは、まさにそのような解釈を可能にすることを含んでいるからである。
わたしたちはここへ来て、聖書神話が有する宗教的・神話的性格の中に、互いに相反する二面性が潜むことに気づかされることになる。ジラールは、犠牲とこれに対する迫害の暴力についての観点から、イエスに現われる赦しの愛と、暴力的事実を歪め隠蔽する神話とを対照させる。彼の視点を拡大するならば、パウロの言う「神の義」は神話に潜む「人間の不義」と対立する。したがって、「神の義が啓示」されるとは、「人間の不義が神話化することで隠蔽してきた事実を告発する」ことにほかならない。ジラールのこの見方によれば、「神のみ霊」は「人間の無意識の神話的妄想」と鋭く対立する視点を与える。
「神の側での義の啓示」と「人間の側での神話化」とを対立させ、そうすることで聖書と神話と対照させるジラールの図式は、聖書を「神話」として位置づける視点から見れば、必ずしも賛同できないであろう。わたしたちはむしろ、どのような意味であるにせよ、聖書が「神話性」を有する限りは、たとえキリスト神話であろうと、ジラールの指摘する神話的暴力性が、その「神話性」の中に潜入する余地があると見なければならないからである。
このように見てくると、キリスト神話、すなわち新約聖書に語られるイエスの死とこの「犠牲による罪の贖い」の神話には、迫害の暴力を隠蔽しかつこれを正当化する根拠となる場合と、このような暴力を暴き、そうすることでこれを阻止する働きをする場合との、相反する二面性があることに気がつく。もっとも、ジラール自身、この二面性に気づいていないわけではないのであろう。暴力を正当化するようなキリスト神話の解釈を告発すること、まさにこれこそが、福音書が「啓示」していることであるとジラールは言いたいのかもしれない。これはかつて、キェルケゴールが教会に対して行なった告発に通じている。そうであるのなら、彼の視点とクレァモント学派のそれとは重なることになろう。
(4)聖書解釈と歴史
現代のわたしたちを取り囲んでいる混沌の根源には、伝統的な歴史観の崩壊とこれによって成り立ってきた歴史的な価値観の喪失が潜んでいる。だが、ユダヤ・キリスト教の歴史から観るなら、このような歴史観の崩壊は、現代が初めてではない。その最もよい例が、バビロン捕囚の時期である。南ユダ王国の崩壊は、ダビデ王朝を含む国家の滅亡というだけではなく、イスラエルの伝統的な歴史観自体の崩壊を意味していた。この時イスラエル民族は、宗教的・文化的・国家的な一切の価値観の喪失を味わった。エリアーデが「歴史の恐怖」と呼んだのは、こういう事態を指している。
このような危機的な状況の中で「生き残った人たち」が、この困難を切り抜けるために行なったのが、聖書編纂の仕事であったのは興味深い。1946年にマーティン・ノート(Martin North)が、旧約聖書の「申命記」から「列王記下」にいたるイスラエルの歴史部分が、バビロンに捕囚されていた一人のユダヤ人歴史家によって編集され執筆されたという説を提唱した。この歴史家は「申命記作家(たち)」と呼ばれている。
この説は学界に広く認められ現在では定説となっている。しかし、ノートの説の具体的な内容に関しては多くの論争がなされ、それは現在も続いている。確かなことは、この時期に、旧約聖書の編纂とこれに伴う抜本的な改編と執筆が行なわれたことである。その編集が、個人の手によるのか複数の人たちによるのかについては、説が一致しない。また編集の時期も、捕囚期以前の北イスラエル王国時代にさかのぼるのか捕囚期に始められたのかもはっきりしない。編集が行なわれた場所も、バビロンなのか荒廃したエルサレムなのかについて両説がある。しかし、この時期に大規模な旧約聖書の編纂が行なわれたことだけは確かなのである。言うまでもないが、この時期は、ホセア、アモス、イザヤ、エレミヤ、第二イザヤ、エゼキエルなど一連の預言者の時期と重なる。
それまでのイスラエルの歴史は、ヤーウェを信じるイスラエル民族単独の歴史であった。というよりも、それまでのイスラエルが持っていたのは、宗教的な物語であって、それは「歴史」と呼べるようなものではなかった。しかし、アッシリアの台頭とともに、南北イスラエル民族は、初めて、世界全体の流れの中にある自分たちの歴史的な存在に目覚めさせられることになった。彼らは「世界史−−イスラエルの限られた視界の枠内において−−とは何であるかを知った。そしてイスラエルは、この世界史をただ甘んじて受けるしかなった。しかし、この甘んじて受けることこそが、世界史とは何であるかということを正しく理解させるものであった」(ノート 321)。預言者たちは、自分たちの歴史を全世界の歴史と関連させて「神の側から」見たイスラエルで最初の人たちであった。そして、申命記作家(たち)は、おそらく西欧においての「歴史」という概念に到達した最初の人(たち)だったのである。
申命記作家(たち)が、民族のアイデンティティ喪失の危機の中で、聖書の編纂と執筆に取り組んだのは決して偶然でない。彼(ら)の手元には、伝えられたイスラエルの歴史物語としての「申命記」があった。しかし、それはエルサレムの陥落で終わっていた。彼らが直面したのは、それまでイスラエルが体験したことのない「世界史」的な視野の中で、自分たちの歴史の空白を埋める仕事であった。この意味で彼らは、自分たちの歴史をいわば新しく書かなければならなかったのである。申命記作家(たち)が、聖書の編纂と同時に、むしろそれ以上に聖書の執筆を行なったと言われる理由がここにある。しかし、歴史を「書く」ためには、自分たちに伝えられてきたそれまでの伝承や資料を大幅に改編することが同時に要求されていたのである。
彼らの行なった作業は、従来のヤーウェ観を継承しつつも、現在の世界史的な状況の中でこれを再検討し、新しい価値観とこれに基づく歴史観を構築することであった。申命記作家(たち)たちの歴史観がどのようなものであったかについては、なお論議が重ねられている。イスラエルは、ヤーウェから与えられた律法を守ることができなかった。それゆえに、ヤーウェは、イスラエルにかくも厳しい罰を下し、イスラエルは絶望の淵に陥ることになった、というのがノートの読みとった彼らの歴史観である。しかし、律法による刑罰の厳しさの下にあっても、なおヤーウェへの執り成しと、イスラエルの悔い改めと新しい恵みによる復興への希望を抱いていたという解釈も成り立つ。この歴史観の背後には、第二イザヤの歴史観に見られるような「出エジプト記」伝承に基づく「創造」と「贖い」の一体化があった。こうして、第二イザヤも申命記作家(たち)も、全世界を導くヤーウェの救済史の中に自分たちを位置づけようとしたのである。
神の言葉としての聖書を「書く」という行為は、ここでは新たな歴史理念を構築することにほかならない。しかし、そのことは同時に、歴史を「創り出す」行為そのものと結びついていることを、わたしたちは知らなければならない。
ヨーロッパの中世では、「著者」を表わすラテン語auctorの語源は、agere(演じる)とaugere(成長させる)という動詞とauctoritas(権威)という名詞を含むと信じられた。彼らは神が全ての言葉の根源であると考えた。あらゆる書き物は神の霊感によって書かれたBiblosから派生する。聖書には、世界の人類の歴史が創造から最後の審判まで書き記されている。そこに書かれた出来事は、字義どおりの意味と霊的な意味との両方を持つが、それはタイポロジー的に解釈されなければならない。
聖書のテキストを神の言葉として受け取り、これをタイポロジー的に解釈するということは、自分にとっての聖書のテキストが、現在自分が置かれている状況によって成就することを予兆するタイプ(予型)として読みとられなければならないことを意味する。読む者は、テキストに潜む霊的な意義を自分が置かれている現実に照らして再解釈し、そうすることで、テキストが予徴する神の言葉が、現在の自分を基点として今後どのように成就するかを読みとらなければならない。こうして読みとった聖書のテキストは、同時にそのような成就に向けて、発言し行動することを読み手に要求する。この場合、読み手は、ちょうど申命記作家(たち)が行なったように、聖書のテキストを受け継ぎつつ、これを自分で読み直す、すなわち編纂し直す。しかし、この行為は、同時に、自分に与えられた聖書を「書き改める」行為にほかならない。ここでは、「読む」行為は「書く」行為と重なるのである。これが、聖書と歴史を関連づける西欧中世の考え方であった。
ユダヤ・キリスト教の聖書解釈と歴史観とは、このように密接に関連しあってきた。神の言葉としての聖書を「解釈する」ことは、聖書を「書く」行為とつながり、それは、話される言葉を含めた一切の言葉を判断するカノン(基準・正典)を決定する行為につながる。人間の歴史と世界観とがこうして聖書とこれの解釈によって「正典化」される。聖書を解釈するとは、このようにして人間の歴史を支える基本的な価値観を決定する行為となる。あえて言うならば、聖書解釈とは、「歴史を創り出す」行為自体にほかならない。なぜなら、歴史とは、まさに神の言葉から離れては存在しえないからである。聖書解釈と歴史をめぐるキリスト教社会のこの伝統は、現代にも受け継がれている。神の言葉によって歴史を創り出すこの行為は、「歴史」を喪失した現代の混迷の中でも、いっそう広範囲に、しかも学問的な徹底をもって追究されているのである。
クレァモント学派が、新約聖書を「キリスト神話」と定義づけ、そうすることで、その「歴史性」を追究するのは、このような聖書解釈の伝統と無関係ではないであろう。聖書神話の「歴史性」とは、聖書神話がどこまで歴史的に信憑性があるかとか、聖書神話が他のもろもろの神話と比較してどこまで歴史的な特徴を帯びているかとかいうような次元の問題ではない。聖書神話の「歴史性」とは、聖書を解釈すること自体が、一つの「歴史的な営み」にほかならないこと、まさにその行為こそが、歴史の意味を創り、したがって、歴史自体を創る営みだということにある。「神が語る歴史」、これが字義どおりに聖書の「歴史神話」の意味なのである。
イエス・キリストの十字架・復活・聖霊の出来事は、この意味における「歴史神話」的な出来事である。「神話的」とは「祭儀的」ということを含む。「祭儀的」とは、イエスの死という出来事が、全人類の罪の赦しの贖いとして、供犠的な性格を備えていることを意味する。新約聖書が伝える「歴史神話」の核心がここにある。福音書は、キリスト神話を歴史化して叙述した。このような神話は他にない。しかし、これが文字どおりに「全人類」の歴史となるためには、キリスト神話は、そのようなものとして「書き直され」なければならない。
神話は、歴史化されることによって、今この時に、現実化する。普遍的なカノンを持たない現代のような混迷した状況の下では、まずこれを受け入れる個人においてこの現実化が始められなければならないだろう。それは、聖書を読む一人一人が、自分の個人的な領域の中で、自分史を探り求める努力にほかならない。神話を現在の出来事として現実すること、これが聖霊の働きである。この意味で、聖霊は、聖書神話を現在のわたしたちにおいて「歴史化する」。それは、個人個人の聖書を読む行為が、「歴史を創り出す」営みとして自覚されることを要求するのである。
あらゆる宗教が、それぞれに自己完結した文化的な価値観の中に安住する時代は、すでに終わりを告げつつある。世界中の全ての宗教は、好むと好まざるとにかかわらず、相互比較の渦の中に引きずり込まれて相対化され、それぞれの宗教の核となっている神話の体質が批判され解剖される時がきている。キリスト教を含めて、一切の宗教的な価値観は、もはやこの知的ネットワークから逃れることができない。そして、明敏な読者はすでに洞察しておられると思うが、このような宗教の相対化と価値観の再編成の渦を巻き起こしているのが、聖書の本文批評とその解釈をめぐる出来事なのである。
クレァモント学派が、キリスト神話を中核とする聖書神話の相対化を一貫して押し進めているその学問的な姿勢は、世界的な規模での価値観の相対化と再編成とに呼応していることをわたしたちは悟らなければならない。聖書の「キリスト神話」形成の過程は、世界歴史の価値観の再編成とこれの形成過程とにつながる、という視野がそこにはある。情報網のネットワークが、好むと好まざるとにかかわらず、全世界を支配するのは避けられない。これと同じことが、宗教の相対化と再編成についても行なわれつつある。
キリスト教の聖典の相対化とは、キリスト教が、世界規模で進行しつつある宗教・神話・歴史の分野での価値観の再編成において起こるべき結果を予見していることを意味する。キリスト教が、このような再編成を押し進めているのは、聖書の歴史神話が、未来において歴史を主導する価値観を創造することの予徴なのであろうか。「今や歴史とは、個々の経験や出来事を物語るわたしたちの言語行為にほかならない。ヒストリーはストーリーである。歴史的想起なしには、実在の歴史は存在しない」(『第63回日本英文学会資料』より)。わたしたちは今こういう所へ来ている。