地上のイエス様の恩寵
            ルカ8章から
         (2022年1月29日)
  ルカ8章の全体から、思いつくままに語ります。
(1)「恐れるな。ただ信じなさい」(ルカ8章50節)は、ある意味で、ルカ福音書の鍵となる聖句です。神の国の秘義(神秘)とは、イエス様のお言葉を聞いて悟ることです。お言葉を蒔く譬(たと)え全体は、50節の「ただ信じる」ことを<させない>ように邪魔する出来事です。神のまことと、人のまことが出会うところにあるのは「ただ信じる」ことだけです。最後まで、なにがなんでも「ただ信じる」。これだけです。
      Only believe
      Only believe.
      All things are possible.
      Only believe.
    (くりかえす)
(2)「人として」この世に来られた「いと高き神の子」(28節)である「イエス様を信頼する」という一事に尽きます。「いと高き神の子」のような告白が、「悪霊につかれた者」から発せられたことは、この出来事が悪霊の住む「地上において」起こったことを表わしています。ルカのイエス様は、「いと高いお方」が、わたしたちの地上に、同じ「人間」として居られたことです。このイエス様が、娘に「起きなさい(クウム)/復活する」(54節)と語った。すると、死人が「復活した」のです。
(3)「ただ信頼する」イエス様から発する「光」が灯火の明かりです。どんなに「頼りない」灯火(ともしび)でも、「それなりに」部屋の「あらゆるものを区別せずに」照らします。大事なのは、光のほうにも目を向けることです。そこには、十字架にかかられたナザレのイエス様がおられて、光は、そこからさしてきます。その光は、わたしたちの「罪を赦す十字架のキリスト」(第一コリント1章23節)という最大の不思議な逆説が発する光です。
(4)十二年間、長血(ながち)を患う女は、「汚れている」と言われ、自分もそう思い込んでいます。汚れた女が清いイエス様に触れると清いイエス様が汚れる。一般には、このように思われていた。ところが、汚れた女が、「ただ信じて」、イエス様に触れたら、その汚れが消滅したのです。これが、神の御子イエス・キリストの「恩寵」のパワーです。「悪霊を追い出して病気を癒す」(2節/30〜33節)「女の長年の病を癒す」(44節)「死んだ娘を起こす/復活させる」(55節)などの出来事は、人間イエスに働いた聖霊のお働きです。絶対無条件の「罪の赦し」です。
(5)突風を鎮めるとは(24節)、イエス・キリストの恩寵が、大自然をも支配するものすごい神の力に匹敵することを語っています。
(6)イエス様が話しているところへ、イエス様の母と兄弟がやってきた。聴衆は思った。このお方の「身内の人」が来た。わたしたちは、イエス様の「外(そと)の人」だから、「身うちの人」に席を譲らなければならないと。ところが、イエス様は言われた。「私の身内? 私の話をじっと聴いているあなたたちこそ、私の身内ちだよ。」イエス様の御言葉を「聴いている」あなたたちこそ、イエス様の愛情を受ける「家族だよ」と告げるのです〔Bovon.Luke (1).316〕。イエス様の聖霊の愛は、「地上の」人の母性愛と家族愛の源泉なのです。
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