一章 象徴する天皇
 
■象徴する天皇
「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。」
                                                             〔日本国憲法第一条〕
 筆者(私市)がこれを書き始めた日(二〇二二年八月一五日)から七七年前に、日本は、「ポツダム宣言」を受諾(じゅだく)しました。「ポツダム宣言」は、日本に、「国民の間に民主主義を復活強化させ、基本的人権を尊重する」ことを求めるものでした。これによって、「ほんとうの日本のこれからを考えるスタートライン」に立ったのです。
 昭和天皇は、大正デモクラシーの後を受け継いで、イギリス流の立憲主義を志向(しこう)していましたが、明治憲法では、天皇が統治する「天皇親政」が重視され、その上、軍隊は、天皇の統帥権の下にありましたから、議会も政府も軍への発言権がありませんでした。このため、軍隊の独走を許す「昭和ファシズム」の時代に入る結果になったのです。*1
 新憲法は、終戦の翌年(一九四六年)に公布されました。私が、この憲法の「天皇」を採りあげるのは、そこに含まれている宗教的な性格に注目したいからです。憲法は、国の政治に関係するものだから、宗教とは関係がないと思われるかもしれません。しかし、天皇に関する憲法の規定は、皇室の伝統的な祭儀行為と切り離しては理解できません。
 現在の日本国憲法で、天皇は、「日本国民を統合する象徴」であると規定されています。英語で言えば、"the symbol of the unity of the Japanese people" ですから、天皇は、「日本人全体を一つにまとめて表わす」存在になります。
 日本国を「象徴する」ものと言えば、私などは、すぐに日の丸を想起します。日の丸を見れば、だれでも、日本を「連想する」からです。しかし、日の丸はそれ以上「何も語りません」。日の丸は物ですから、それが象徴する「日本国」は言葉を発しません。日の丸が象徴する日本の価値そのものは、「それを見る人」のほうに一方的に委ねられます。善くも悪くも、これが日の丸が「象徴」であることの意味です。
 ところが、天皇陛下が「日本国の象徴」(the symbol of the State)だという場合は、日の丸とは異なります。天皇は「一人の人間」ですから、この象徴は、発言し、行動する「人格」(personality)です。だから、その人格に具(そな)わる「善い・悪い」などの価値観を伴います。その価値観は、「天皇のほうから」世界に向けて発信されます。この憲法は「日本国民は」で始まりますが、英文では、"We the Japanese people" (私たち日本人は)ですから、天皇は日本という国の象徴だけでなく、「日本人」全体の象徴です。
 天皇が「主権の存する日本国民の総意に基く」とあるのは、憲法の「主権者」である日本国民と皇室との関わりを表わします。国家の「主権」は、通常、大きく三つの働きを具(そな)えています。一つ目は国家理念です。二つ目は国税を支える経済力、三つ目が国防のための軍事力です。皇室が最も深く関係するのは、国家理念においてです。天皇は日本の国だけでなく、日本人全体の「理念」を象徴するからです。
 日本人全体の理念を一人の人間で象徴することを「擬人(ぎじん)化する」(personify)と言います。物や抽象概念が擬人(ぎじん)化される場合、とりわけ、国や宗教団体の長(おさ)として、理念が擬人化されると、例えば、アマテラス(太陽神)やアポロ(ン)(太陽が発する光線を弓矢とする神)やアフロディテ(ー)(生殖と豊穣の女神)などのように、「神話化する」ことにつながります。こういう「神話化」は、人類の宗教の起源になります。
■祭儀する皇室
 日本の皇室は、『古事記』と『日本書紀』(記紀/きき)に由来する宗教的な祭儀を執り行なう家柄ですから、大嘗(だいじよう)祭の例をあげるまでもなく、皇室は、様々な祭儀を行ないます。だから、天皇が象徴するのは、日本と日本人全体の「理念」であり、しかも、その理念は、神話的で宗教的な性格を帯びています。皇室に具(そな)わる祭儀性と日本の国家理念とを切り離すことはできません。それは、イギリスの王室が、英国教会の首長として、キリスト教と切り離すことができないのと同じです。言うまでもなく、憲法は「国家の政治」に関わるものです。しかし、「皇室」と「憲法」の関係においては、その国家理念に、「宗教性」が含まれてくることに注目してください。
■平和憲法草案の意図
 日本を統治したアメリカ占領軍の司令官マッカーサーは、日本の占領を無事に成功させることでアメリカの大統領選挙に臨むことを考えていました。マッカーサーから、日本の新憲法の草案を作る任務を与えられたアメリカのスタッフの中には、ピューリタン的な理想主義を抱く人たちがいました。アメリカは、どのような基本理念によって戦後の世界を秩序づけようとしているのか?これを世界に示す実例として、日本の平和憲法を世界に向けて提示するのがアメリカの意図だったのです。国際平和をもたらす「自由と民主主義の国アメリカ」というピューリタン的な理想は、アメリカが、戦後一貫して世界政策の基本理念として掲げてきたことで、この事情は今も変わりません。日本の占領政策と平和憲法は、この理念を世界に提示する「実例」だったのです。
 憲法制定に携(たずさ)わったアメリカのスタッフは、この目的に沿って、かつて地上に存在したことのない「平和国家」を目指す憲法案を作成して、マッカーサーに提示しました。これは、政治的な視野に立つだけでなく、神学的な意図に基づくものです。この憲法案は、その平和志向によって、(占領政策を成功させるために)天皇を戦争責任から回避させる思惑(おもわく)も兼ねていました。ただし、連合国軍最高司令部(GHQ)の憲法草案には、鈴木安蔵たちが提示した憲法草案要綱の国民主権と基本的人権などが含まれています(要綱に戦争放棄は含まれていません)。* 
 驚くべきことに、この憲法を日本は受け容れたのです。日本の内外の犠牲があまりにも大きかったからです。草案はアメリカ側からですが、これを実現しようと守り抜いてきたのは日本です。アメリカにとって皮肉なことに、これには、日本が世界で唯一の被爆国になったことが大きく作用しています。戦争の犠牲者への追悼と原爆の被災と、歴史が授与した平和憲法、この三つが、戦後日本の国家理念を支えてきたのです。
■倭(やまと)の皇室
 では、皇室は、この平和憲法をいやいやながら受け容れたのでしょうか? そうではありません。なぜなら、昭和天皇から平成天皇へ、そして令和天皇へと、皇室は、この憲法を守ろうと「積極的に」努めてこられたからです。しかも、それは、皇室が、神)(しんとう)という「宗教的な国家理念」を体現し、かつこれを代々受け継いできたことと切り離すことができません。
 ここで目を古代日本の皇室に向けてみます。『古事記』が語るように、神武天皇に始まる倭(やまと)の皇室は、およそ四世紀頃まで、「まつろわぬ者ども」を武力で征服する「撃(う)ちてし止(や)まむ」の精神で貫かれていました。しかし、五世紀の初め頃、朝鮮半島と中国大陸からの渡来人によって、老子をその始祖とする道教が倭(やまと)の朝廷にもたらされます。「道教」と習合した大和(やまと)朝廷の宗教は「神道(しんとう)」と称されます。だから、『古事記』の仁徳(にんとく)天皇の美徳の記事には道教の教えが反映しています。六世紀半(なか)ばに、大陸から、司馬達等(しばたっと)によって、大和(やまと)に仏像が導入され、さらに七世紀の初め、最初の女帝推古(すいこ)天皇の御代(みよ)に、聖徳太子によって、仏教が本格的に朝廷に導入され、ここに神道(しんとう)と仏教との習合が始まります。
 「習合する」とは、互いに「習い合う」ことですから、「混交し融合する」ことではありません。日本の神道と仏教とは、「習合」はしても「融合」はしていません。仏教と神道(しんとう)が習合した大和(やまと)朝廷によって、日本の皇室は、ようやく、朝鮮半島や中国大陸の王室に優(まさ)るとも劣らない国家理念を内外に誇る朝廷になることができました。こうして、奈良、平安時代の八世紀から一〇世紀末まで、およそ三〇〇年間にわたって、「平和な日本」を実現することができたのです。
■宗教の伝受
 人は、「宗教する」存在ですから、人が信じる宗教は、その人の生き方の根底に関わります。これを「変える」ことは、一朝一夕(いっちょういっせき)にできることではありません。にもかかわらず、「宗教する」のは人間ですから、長い歴史の中で、その状況に応じて生存するために、心身共に「変容する」のは避けられません。宗教を「変える」(改宗)、あるいは新たに宗教を信じる(入信)場合は、それなりの危機的、あるいは衝撃的な体験や出来事が想定されます。
 人類学的な視野で「宗教する人」(ホモ・レリギオースゥス)を見るなら、そこには、清く正しく美しい「信心」だけではなく、長年の怨(うら)み辛(つら)みが重なる結果、辿(たど)り着いた悲喜(ひき)こもごもの「宗教性」も見えてきます。悲しみや憎しみが根深く遺(のこ)る宗教する人たちに、別の宗教を「伝えよう」とするなら、「伝える」側にも、それなりの覚悟が要求されます。
 通常、宗教は、新旧の宗教が、せめぎ合い重なり合う中で、時間をかけて、徐々に変容する過程を採ります。聖徳太子が、大陸の仏教を採り入れた場合も、採り入れる側に決断を迫るそれなりの情勢があったと考えられますが、同時に、仏教を伝える側も、多大の苦難を経ることになります。唐の仏教の高位の授戒(じゅかい)と伝律(でんりつ)の師であった鑑真(がんじん)(六八八年〜七六三年)は、暴風の荒波をしのぐ六回にも及ぶ渡航の試みの末、盲目の身となって、帰途につく遣唐使の船によって来日を果たしました(七五三年)。鑑真(がんじん)は、授戒のための十人の弟子と共に、大仏殿の前に戒壇を築き、聖武(しょうむ)上皇などに菩醍戒(ぼだいかい)を授け、大僧都(だいそうず)に任ぜられ(七五六年)、現在、奈良県の唐招提寺(とうしょうだいじ)に祀(まつ)られています。
■戦後の皇室
 終戦後、昭和天皇は、いわゆる「人間宣言」によって、自分は「神ではない」と、内外に向かって、「現人神(あらひとがみ)」としての天皇の神格化を否定する宣言を発布なさいました。皇室は、新嘗(にいなめ)祭など、数々の祭儀を通じて、大自然に宿る千万(ちよろず)の神々を祀(まつ)ることに変わりありません。それらは、神話的な意義を帯びてはいますが、天皇は、決して現人神(あらひとがみ)ではありませんから、現在の日本は、「神話の国」ではあっても、「神の国」ではありません。
 昭和天皇に始まる現在の皇室は、戦前・戦中の右翼思想を克服して、平和憲法と民主主義の日本において、皇室とはどうあるべきかを目指して、営々と努力し実践されてきました。戦後の皇室は、民の災害を慰問するなど数々の行(ぎよう)幸(こう)を通じて、「民と共に生きる」皇室の有り様を身をもって示してこられました。
 こうすることで、記(き)(き)の神話を受け継ぐ大和(やまと)朝廷以来の皇室は、新憲法に込められた宗教性を受容し、これと習合することによって「万世一系」を保持することができたのです。日本の皇室は、未曾有(みぞう)の国難にあって、かつて大和(やまと)朝廷が行なったように、「平和憲法」を皇室の伝統的な神道(しんとう)に習合させることで、新たな日本の国家理念を編(あ)み出したのです。これが、現在の日本の皇室が目指している「大和(やまと)」の日本です。
 新憲法を受け容れることで、皇室の祭儀と宗教性に、大きく二つの変化が生じました。一つは「国際性」です。旧憲法の下では、皇室の祭儀は、国(こく)粋(すい)主義的な国家観に基づく排他的で視野の狭い民俗宗教の性格が強かったのですが、新憲法は、皇室の祭儀とその宗教性に国際的な視野を付与しました。大正デモクラシーの時代は、マルクス主義が盛んで、民主主義も唯物的な無宗教性を帯びていましたが、戦後の皇室の民主化では、新憲法の受容によって、王室の祭儀に「国際平和」への希求が具(そな)わるようになったのです。
 もう一つの特徴は、先の戦争の犠牲者を「国家神道への奉仕者」として「英霊(えいれい)」扱いするのではなく、慰霊を民主化することで、民の幸せを祈る祭儀へと変容させたことです。戦没者への慰霊を民と軍の区別のない「民の幸せと平和を祈る」祭儀へと変えたのです。
おそらく、皇室は、先のアジア太平洋戦争で、幾百万もの日本の兵士たちと、広島と長崎の原爆を含む膨大(ぼうだい)な数の民間人が、天皇の名のもとに死んでいったこと、その上、中国を始め海外に多数の犠牲者が出たこと、これらを深く心に刻んでおられるからだと推察します。私は、このような日本の皇室に敬意を表します。とりわけ、家族関係を含む道徳面においても、日本人として、このような皇室を持つことができたことを神の御前で誇りに思います。
 今、日本のキリスト教徒は、こういう皇室をいただく日本に、とりわけアジアの平和を創り出す指導力を発揮するよう促(うなが)すべきです。これこそ、今、イエス様から私たち日本のクリスチャンに求められていることです。自分の国を愛さないキリスト者は、よその国のキリスト者を愛することができません。真のキリスト者は、自分の国が主様に愛され護られていることを実感することで初めて、他国とそこのキリスト者を心から思いやることができるからです。

*1憲法に関する著作では、分かりやすく正確な小冊子があります。新旧の憲法に関わる部分は、引用を含めて、次の書を参照しました。
佐藤幸治『世界史の中の日本国憲法』左右社(二〇一五年)。
佐藤氏は、京都大学法学部の名誉教授で、現在の裁判員制度が成立した時の座長です。
 *2この憲法草案要綱は、鈴木安蔵たち七名によって、国内の自由民権運動やドイツやソ連の憲法などを参照して作成されたもので、一九四五年一二月二六日に、当時の首相官邸を通じてGHQに提示されました。
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