孫文のアジア主義
『朝日新聞』(2024年12月14日)
序破急欄:「孫文が神戸で訴えたこと」村上太輝夫
孫文はその生涯で神戸を18回訪れた。 清朝を倒す革命運動を主導し、中華民国の臨時大統領に就いた孫文は、その後、混乱を経て国内再統一を狙っていた1924年11月下旬、船で上海から長崎を経由、神戸に来た。28日、神戸高等女学校講堂の演壇に立つ。歴史に残る「大アジア主義講演」である。これが最後の訪問となり、翌年3月に北京で死去する。 欧米は武力でアジアを圧迫してきた。これは覇道だ。アジアは仁義と道徳に基づき弱者に味方をする。これは王道だ。王道を基礎にしたアジア主義を掲げ、中国と日本が手を結ぼう。孫文はそう語った。通訳のうまさも相まって、数千人の聴衆が拍手喝采したと伝えられる。 講演から100周年を記念する2日間のイベントが、先日、神戸であった。l日の記念講演会は、大勢の市民がホールを埋めた。孫文は神戸で記憶が引き継がれ、愛されている。
2日目のシンポジウムは、日、中、韓、台、マカオ、オーストラリアの学者から、孫文の講演を掘り下げる意欲的な報告が続いた。アジア主義とは何かーー。そもそも、アジアとは何かーー。 孫文が語らなかったものとは何かーー。
もともと日本で様々な論客が唱えたアジア主義は、アジア諸民族がまとまって欧米に対抗するという考え方で、多くが日本を盟主とするのを前提とした。後の大東亜共栄圏は一つの帰結と言える。中国研究者の竹内好は「アジア主義は侵略と連帯の両面を持つ」と評した。 中国からみれば日本のアジア主義は容認しがたいのだが、日本の助力を求めていた孫文は講演で、日本をアジア復興の先駆者として持ち上げた。ときの情勢を利用しつつ大風呂敷を広げる。「孫文革命文集」(岩波文庫)で、その弁舌の魅力を味わえる。
孫文の言葉は、今も中国側が「中国と日本は提携すべきだ」と主張する際に引用されることがある。これに対して「今の中国こそ覇道を歩んでいる」と、やはり孫文の言葉で反論することができる。
つい話題にしたくなるのは、アジアの将来像が容易に描けないからだろう。朝鮮半島を分かつ北緯38度線、台湾海峡、そして日中間の緊張を前に、私たちは立ちすくんでいる。求められるのは孫文をしのぐ構想力かもしれない。
東アジアにおける日本の使命へ