現在(2024年3月)、NATO諸国は、結束して軍備の増強を計り、「ロシアからの恐怖」に対抗しようとしています。これに対して、今朝(2024年3月14日)、ロシア政府の女性の高官は、今や、NATO諸国は、ウクライナ戦争を地球規模に拡大させる危険を冒していると警告しています(核戦争の危機を視野に?)。アメリカはアメリカで、ウクライナ戦争から距離を置くかどうか、その選択肢で迷っています。こういう時に、ローマ教皇から、ウクライナに向けて、ロシアとの停戦に踏み切ってはどうかという提案がなされました。ところが、ローマ教皇のこの発言に対して、ウクライナの「正義の戦い」を妨げるという批判が相次いでいます。
このような状況を見るにつけ、いったい、「民主主義」は、銃口によって守られなければならないのか?という疑問が私の胸に湧いてきます。かつて、毛沢東が、中国の人民解放軍に向けて、「共産党の人民主義は、銃口によってしか達成できない」と述べたのと同じです。自由と民主主義は、武力で戦うことによって守り促進させなければならない。こういう考え方と全く違う選択肢を示してくれるのが、現在の日本国憲法です。この平和憲法は、自由と民主主義は、平和な手段によって初めて達成可能であることを教えてくれます。『東アジアにおける日本の使命』は、「東アジア」「日本」「平和憲法」「民主主義」「キリスト教」を結び合わせて、これに、「現在の皇室」と「日韓関係」を加えた著書です。そこで語られているのは、戦後の日本を支えてきた国是です。私は、自由と民主主義は、平和な手段によってのみ守られ、かつ推進されるという平和憲法の理念に深く共鳴します。この意味で、現在の日本の国是は、世界平和において、最も大事な意義を有しています。
【追補】今日(2024年12月10日)の『朝日新聞』の3面に、「核抑止論:大国の狂気」と題する記事が出ていました。現在のロシアのプーチンが、ウクライナで核を使用するかどうか、に関連した記事です。そこには、旧ソ連の共産党政権が崩壊した後の冷戦終結とは、ロシア側では「東西の共同作業」だと考えていた。ところが、西側は、冷戦の終結を「自分たち西側の勝利」だと見なした。ソ連以後のロシアの東側は、その軍事同盟を1991年に解散した。一方で、西側のNATO諸国は、1999年にポーランドをNATOに加盟させ、2004年にはバルト三国を加盟させることで、NATOの軍事的な脅威をロシアに一層接近させたのである。ロシア側は、この西側の政策を冷戦を終結させる「東西の信義に違反する」と捉(とら)えた。
ウクライナのゼレンスキー大統領が東側から西側に舵を切った時に、ロシアがウクライナに攻め込んだのは、この理由による。
筆者(私市)が、今年初めに指摘したかったことは、まさにこのことである。ほんとうにプーチンが<悪>で、アメリカを始め西側は<善>なのか?新聞やテレビが、書き立て言い立てていることに対するこういうう疑問である。なんと、今ようやく、新聞がこういう記事を出すようになった。それでは、台湾問題で、アメリカと日本の新聞が書き立て、テレビの専門家たちが今さかんに発言しいることも、ほんとうにそのまま信じてもいいのか?
『東アジアにおけ日本の使命』が提起しているのは、まさにこの疑問です。
日本の使命へ