エマニュエル・トッドと佐藤優(まさる)と片山杜秀(もりひで)(慶応大学教授)との三者会談として、「ウクライナ戦争の真実」と題する記事が、『文藝春秋』創刊100周年新年特大号(2023年)に掲載されています。片山氏は、戦前の日本のアジアへの進出について語る中で、「京都学派や右翼的なアジア主義者」という言い方をしています〔『文藝春秋』2013年1月号141頁〕。この発言は、戦前の京都学派を右翼的と見なして、その「アジア主義」を批判していると受け取れます。片山氏が言う「右翼的なアジア主義」とは、西田幾多郎から田辺元にいたる哲学を軸に、西谷啓治、高坂正顕、高山岩男、鈴木成高たちによる哲学思想が、戦前から戦中にかけて、日本の「八紘一宇」と「大東亜共栄圏」構想を思想的に支えたと言われているの指すのでしょう。戦後の京大文学部では、桑原武夫(フランス文学:京大人文科学研究所)や今西錦司(文化人類学)や梅棹忠夫(民俗学:国立民族学博物館初代館長)や上山春平(哲学)などが、「新京都学派」と称されるようです〔菅原潤『京都学派』講談社現代新書(2018年)76〜78頁/190〜92頁〕。さらに、筆者(私市)と同時期の小松左京は、『文藝春秋』(1971年2月号)の「ニッポン・70年代前夜」で、東京オリンピック(1964年)の後を受けた関西での万国博について、「オリンピックはもう間に合わないが、万博は、研究対象になりうる」と述べています。小松や文化人類学者の梅棹忠夫、社会学者の加藤秀俊ら関心を共有する関西の学者、文化人は、あくまで外野の研究会として、1964年に「万国博を考える会」を立ち上げました。当時の新聞は「万国博」ではなく「国際博」という名称を使っていたのですが、「国際博」という言い方は、欧米のそれを思い浮かべるから、「中国関係や、ネパールやザンビアとの関係を思い浮かべない」という梅棹の意見に皆が賛成して、「日本万国博」(1970年大阪千里丘)という名称を使うことを提案しました。「日本万国博は、やりようによって、極めて意義のあるものになりえる」、研究会はこう考えました。小松は、この時期から、大阪万博に深く関与します。これ以後、1982年〜1987年の期間に、第一次から第三次までの中曽根政権を支えたブレーンとして、梅棹忠夫たちは、「ポスト(?)新京都学派」と称されるようです〔与那覇潤「山本七平『「空気」の研究』を超えて」〔『文藝春秋』創刊100周年新年特大号(2023年)255頁〕。
筆者(私市)が、京都学派に関するこのような記事に接して、すぐに念頭に浮かんだのは、今回出版の『東アジアにおける日本の使命:平和憲法に見るキリスト教的霊性から』は、「右翼的」を「キリスト教的」と言い換えれば、さしずめ、京都学派から、「キリスト教的アジア主義者」が現れたことになるのだろうか(?)ということです。戦前・戦中の「右翼的アジア主義」の京都学派が、戦後には、桑原武夫たちの文学的な新京都学派へ変容します。さらに上山春平は、終戦直前に自らも回転魚雷に乗り込んで九死に一生を得た体験から、日本へ抱く負のイメージから発して、日本の「脱亜論」から「入亜論」へ転じます。この流れを思う時、戦後77年を経過した現在、宗教社会学と宗教人類学の視野に立つ「キリスト教的アジア主義者」も、京都学派の流れを汲むと言えましょう。この流れは、おそらく、西田幾多郎が、鈴木大拙と共に、アメリカの偉大な哲学と宗教心理学者であったウイリアム・ジェイムズの『宗教体験の諸相』(1902年)
*などから思想的な影響を受けていることに関連します。このように言うと、筆者の「キリスト教的アジア主義」は、現在、アメリカと組んでロシアと戦っているウクライナの「キリスト教的ヨーロッパ主義」に対応すると見えるかもしれません。
現在、アメリカと手を組み中国と対立を深めているのは、アジア地域では、日本とオーストラリアの二カ国だけです。 注目していただきたいのは、先に、「民主主義の神学的な意義」で指摘したように、筆者が唱える「キリスト教的アジア主義」は、キリスト教の救済史的な視野が背景にあることです。キリスト教の救済史の視野から見れば、日中の武力対立は、救済史を阻害するものであり、救済史の成就に資するものではありません。救済史的な視野からは、武力による衝突は愚か、経済的な制裁措置さえも、日中のあるべき関係を損なう恐れがあります。筆者は、現在、欧米がロシアに対して行なっている経済制裁でさえも、ロシアの民の民主化を助長するどころか、ロシアの民衆を苦しめることで、逆にロシアの民主化への障害になっていると見ています。日中は、朝鮮半島と台湾をも含めて、その経済活動において相互に助け合うことが、「キリスト教的なアジア主義」の救済史的な目的に沿うものです。戦前戦中の京都学派が念頭においていた「アジア主義」も、当時の軍部によって歪められたとは言え、ほんらいは、こういう相互扶助の関係を念頭に置いていたのではなかったでしょうか。
*William James (1842--1910).
The Varieties of Religious Experience.(1902)(宗教体験の諸相)「ウィリアム・ジェイムズは、諸宗教の組織的な諸規定よりも、むしろ個人の宗教体験のほうが、世界の宗教生活の骨格となっていると信じ、回心、悔い改め、神秘思想、聖性など、現実の私的体験を論じている。」(Penguin
Classics.
The Varieties of Religious Experience.裏表紙より)
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