み霊のバプテスマに与った者は、その後で、ひとりの個人として、どのような霊的成長の歩みをたどるべきなのだろうか? この点をしっかり見届けたい。これが自分に与えられた課題なのだと私は考えるようになった。不思議な優しい愛の御霊が働く。この頃、「按手」ということを示された。試みに自分の手を自分の頭に置くと激しく御霊が働く。だが、気負わず、逆らわず、御霊に楽に委ねる。これが事の成就する秘訣だと想った。ここで、どうしても加えて
おかなけれならないことがある。それは、妻久子の祈りである。ともすれば、自我を爆発させる自己発揚に陥りがちが私を抑えてくれたのは、妻久子である。彼女の祈りは、集会のみんなを深く包む不思議な導きとなった。日曜の朝ごとの二人の祈りは、夫婦が霊的に一つになる大事な一時(ひととき)であった。
その頃の復活節で、聖餐と洗礼について集会の人たちに語り、洗礼と聖餐とはひとつながりのものであり、それが大切なことを納得してもらった。床の間には茶花が活けられていて、お言葉の掛け軸がかけられている。聖餐式のパンとワインのお皿と数個のグラス。座敷机を囲んで5、6人が集まる。あるのは聖書のお言葉と各自の証し、祈りと賛美。小さくて簡素の極致。
ところが不思議にも、この時に新しいご夫妻が交わりに加わった。それでもふと、集会の在り方に自信がもてなくなり、どこか間違っているのではと不安に襲われた。その年のクリスマス集会は、2、3名であった。御霊の働きが失われているという想いに悩んだ。閉会して出直すほかない。こう思い始めたときに、さらに新たに学生たちが加わった。風前の灯火は、風が吹くと息を吹き返した。大切なのは、その時その時を主の御霊に委ねて生きることである。明日のことを思い煩わない。自我に死ぬ時に愛光春風の境地が開ける。知識や理論ではどうにもならない。大事なのは現実に働く不思議な御霊の力。これがなければ集会は成り立たない。何も要らない。無になる。ただ主の御霊にある喜びを証しする。それ以外はなんにも要らない。真の伝道の姿とはこういうもの。このことを悟った。
この頃、日本の皇室の後ろに十字架の陰を見るというヴィジョンが与えられた。その2か月ほど後の1989年1月、昭和天皇崩御。昭和から平成へと年号が変わった。アメリカでは、テレビ伝道がますます盛んにおこなわれるようになっていた。日本は土地バブルの絶頂。すでに凋落の兆しが見えても誰も気にしなかった。日本資本がマンハッタンのビルを買い占めているとアメリカの新聞が報じていた。
そんな折りに、昔信仰を語り合い、今は立派な牧師、伝道者として活躍しているある牧師と出会い、神戸時代の人たちの福音伝道における目覚ましい活躍ぶりを知った。アメリカでの聖霊大集会が、いよいよ日本でも始まったのだ。旧知の信友のひとりも福音の仕事に専身することになった。大学の優秀な同僚が突然亡くなった。あれやこれやで、自分の内面が厳しく問われる事態になった。しかし、私には英文学者としての使命も与えられている。また世の職業に就く者として、プロの伝道者には見えない現実が見えている。あるがままの生活の中で御霊の導きを証ししよう。この確信は揺るがなかった。「伝道する」とは何か? キリスト者とは何か? この疑問を究極まで問い詰めたところに開ける世界は、生活を御霊の祈りとなすことであった。謙虚になって自分の体験を語ろう。この生き方の大切さを語ろう。これしか私の生きる道はない。こう私は思った。
【補遺】
■私の霊体体験
わたしが御霊にある人間の有り様を祈り求め始めたのは、宣教師さんたちと分かれて、30歳を過ぎて自宅で夫婦二人で家庭集会を始めた頃からである。その頃小池達雄先生との出会いを通じて「無心」ということを学ぶようになって、ますます御霊の世界を祈り求めるようになった。傍(はた)からは、まるで瞑想しているように見えたであろう。その後、祈りを重ねていくうちに、主の御霊の御臨在が、主を信じる一人一人に授与される「霊の姿」を「霊の体」として覚知するようになってきた。70歳の定年を過ぎた頃のことである。こうして、わたしは、コイノニアの一人一人について、御霊の御臨在を祈り求めるようになり、御霊に導かれるままにこの祈りを続けるうちに、「霊の体」について深く思い巡らすようになった。
2012年の9月、ふとした機会で受けた第二日赤病院の人間ドックで、超音波によって膀胱に腫瘍が発見され、続いて、右腎臓と膀胱をつなぐ尿管の両端に癌の腫瘍が発見され、生まれて初めて入院することになった。その頃コイノニア会の例会で、共観福音書講話の一環として、ペトロのメシア告白の後の「エリヤの到来」や「少年から悪霊を追い出す救い」でイエス様が「山を動かすほどの信仰」について語ったのを覚えている。
2012年10月6日の未明、京都第二赤十字病院のB棟602号室で、前日から痛み出していた右脇腹に激痛を覚えてナースを呼んだ。たまたま、泌尿科の松ケ角(まつがすみ)医師が当直だったので、すぐ超音波で膀胱と腎臓を調べてもらことができ、その結果、右腎臓に水が溜まりすぎて、腎臓の腫瘍の跡から水(血の混じった?)が外へ漏れているのではないかと言われた。膀胱から尿の管をとりつけてもらうと、しばらくして痛みがやわらぎ、朝目を覚ましたときには痛みはすっかり取れていた。個室ではないものの、隣人が手術中なので、一人でベッドの上で仰向けになり、しばし祈ると、御栄光が顕われ、体中の病の霊力が抜けて行くのを覚えて、気持ちも体も腎臓も軽くなった。この時にはっきりと、御霊の働きが肉体を助ける働きをしていることを知って、霊体が肉体を生かして用いてくださることを確認し、確信できた。(2012年10月7日)
*「霊体と肉体」については→聖書講話→パウロ補遺→霊体と肉体を参照。