小池先生と出会う
(1)
私がまだ膳所の教会で悶々としていた折りに、一つの転機が訪れた。その頃、無教会の畑で、聖霊のバプテスマを体験しておられた小池辰雄先生に出会ったからである。先生の語る福音は、それまで宣教師たちから教えられていた福音とは異なっていた。同じ御霊の福音でありながらこんなにも違うものかと、驚きをもって先生の話を聞いたのを覚えている。自分に与えられている御霊の働きとはいったいなんだろう? こういう根本的な疑問が、先生との出会を通じて迫るのを私は覚えた。
この出会いがもたらした結果は、単に福音のあり方や御霊の働きのあり様にとどまらなかった。なぜなら先生は無教会の信仰に立っておられたからである。だから私はここで、教会制度それ自体に対する疑問とも向き合わなければならなくなった。それまで宣教師の教えの下で洗礼を受け聖霊のバプテスマを体験してきた私にとって、教会を形成すること、そのために献身して伝道者となること、これは自明のことであった。このような私が、一度伝道者として献身を決意して実際に伝道に従事しながら、「ほんとうのこと」を知り伝えなければならないという思いから、伝道を離れて、英語教師となり、自分なりに福音の道を歩む道を選んだという挫折感は深く、私は暗闇の中に吸いこまれてゆくような気がしていた。
今思えば、その時の私には、幾重にも課題が重ねられていた。ひとつは、聖書を神の言葉として信じることと人間の知性との関係、すなわち聖書解釈についてであった。この問題は、人間の理性や文化を尊びつつ聖書を学ぶのか? それとも聖書の言葉を絶対的なものとして、ひたすら信じ受け入れてゆくのか? という問いへとつながっていた。もうひとつは、伝えられる聖霊体験と日本人の内面的な霊性との間に横たわる断絶あるいは連続の問題であった。さらにその上に、伝道のあり方と教会制度それ自体に対する疑問が重なった。
伝道集会を開き、信者を集め、教会を形成し、これを組織し発展させていくこと、外国の宣教師さんたちと協力しながらこの仕事をこの国に展開していくという私のヴィジョンは、完全に挫折するにいたった。しかし、その挫折の中から、私には、なにか全く新しい日本人が、そして日本の歩み方が、ほのかに示唆されているのを感じた。「この国に欠けているものがある。それは西欧文明の輸入不足ではない。真の日本人の魂に深く根ざした真の信仰である。キリスト教の宣伝ではない。福音に生きる心である。」これはこの頃私が日記に記した言葉である。現在もクリスチャンたちの間で話題になっている天皇制とキリスト教、日本文化と福音、聖霊運動と日本の「悪霊」、これらの諸問題が、45年前に私たち夫婦が直面した問題意識と重なって見えてくる。
(2)
私は、外人の集会から受けるべきものは何もないと結論し、今までの教会との行きがかりをいっさい捨てて新しい出発をしようと決心したが、一方では、日本的な福音のあり方を求めることそれ自体が、はたして正しい道なのだろうか? という疑念や不安も消えてはいなかった。オーラル・ロバート流の癒しと奇跡の伝道に歩むべきか? 日本的と言われる無教会的なキリスト道に従うべきか? 私はその双方から光を受けて、その間に立ちすくんでいた。
その頃、東京へ行き、武蔵野の吉祥寺にある小池先生のお宅を訪問し、親しく交わりをいただき、これが大きな力となった。私はルターの『ガラテヤ書註解』(「大ガラテヤ書注解」の英訳)をもう一度読み返し始めた。そこには福音の根本が語られていたからである。
そんなある日、私は、京都で小池先生を囲むグループの集まりに出席し、楽しい団らんの時をもった。夜も更けて帰るときに、一同静まって主のみ前に座するとき、祈りの声とどまらず、聖霊の力一同を覆い、異言・預言が湧き出て時のたつのを忘れるという事態となった。先生自身も、無教会の出身でありながら、無教会から離別されるという苦しい状況の中で、御霊にあって語っておられることをその時知った。
「貴君らもパウロの天幕作りのごとく英語塾を開いておられるとのこと、けっこうです。これもしっかりやってください。君の如きはせっかく専攻された英文学ですから、他の人のできない英詩か何か先人未踏の対象を掴み、コツコツと研究して、後日出版のことをされるといいです。」
「キリストは言われる、恐れるなかれ悲観するなかれ、少なしという。何千人とか何万人とか言うのではない。60人70人、30人20人、10人。藤井先生のところなんか12人、13人、いつもそんなもの。けれども少ないのが少ないからよいのではない。少なくて消えてしまったらしょうがない。しかし正直、真理は少数者に託されてある。真理は万人のものですよ。決して特権階級のものではない。福音というすばらしい真理は誰でも絶対無条件に得られる。世界中の人が得られるところのものです。そうでありながら、これは本当に少ないというのだから、なんということでしょうね。そこに人間たちのウツバリがあるわけです。」
「キリストはキリスト自身を与えようとしている。何万人いようが何億人いようが、キリストの命は無限無量だから。お釈迦さんの世界だってそうじゃないですか。無量寿無量光と言うでしょう。阿弥陀というのは、無量寿無量光というすばらしい言葉です。南無というのは無量寿無量光に帰一することが南無なんです。仏というのは覚者、だから南無阿弥陀仏というのは本当はキリストのことだよ。」
このような小池先生のメッセージは、私にとっては電撃的な驚くべき世界であった。その頃職場の同僚とオックスフォード出身の若いイギリス人の先生とともに、奈良の唐招提寺や薬師寺に足を運び、閑静な境内を歩み、古都のたたずまいと飛鳥天平の優雅な姿に魅せられた。私は今まで教えられてきたキリスト教と日本文化との間に横たわる深い断層を改めて見つめざるをえなかった。温故知新と言うは易しいが、それは決して簡単ではない。この時私が聖霊にあって見ていた断層の深さは、現在の日本において、今なお様々な領域で、日本人の心の底辺に潜んでいて、戦後50年を経た現在でも、いぜんとして未解決のままそこに横たわっているように思う。天皇制問題と言い、復古教科書と言い、靖国問題と言い、根は一つ、日本人をしてほんとうの意味で日本人とならしめる霊性とはなにかという、この問いにつながっていることを、今にして思う。
(3)
私が「無」の思想を学んだのは、小池先生からである。先生は自分の神学を「無的神学」と呼んで、「無心になれ」としばしば言われた。私はそれまで、外国の先生方から、「信じなさい」という言葉を度々聞かされていたが、この「信じる」ということが、実際にどういう心の状態を指すのかが、なかなか見えてこなかった。「知る」「理解する」と言われればそれなりにわかるが、「信じる」ことと「信じ込むこと」との区別がつかなかったからである。なによりも「信じる」という動詞が、なんどやっても「自分の身につかない」のである。外人の人には、この言葉が、まるで魔術のように、それまでの人生を一変させる力を発揮するらしかったが、私には、この動詞が、理屈ではともかく、心の内でなじんでこないのであった。
ところが小池先生に接するようになって、無心になれ、無になれ、そうすれば、自ずと御霊が示してくださるということを学んではじめて、「信じる」とは、自分の行為ではなく、御霊に導かれて「知る」ことなんだと納得できた。逆に宣教師さんたちに、「無になれ」と言ったならどうであろうか。彼らには、この言葉はnothing になれと言われたのも同然であろうし、そういう受け止め方しかできないであろう。そうすれば、"Nothing comes out of nothing."(「無からはなんにも出てこない」。シェイクスピア『リア王』)ということになるであろうし、これはとうてい受け入れられないであろう。
ほんとうの御霊の示しと、自分の思いこみとは、天と地ほどの違いがある。しかも、この区別を知るためには、それなりの努力と訓練が要る。自分の考えをまじえることをせず、「無心になって」御霊の導きに従うためには、時には「沈黙する」ことが必要になる。祈りにおいて御霊に感じつつ、そのまま引き入れられていくためには、心に中で「自分の言葉を出さない」ことである。黙して語らず、御霊に己を委ねるなら、心に波立つ雑念や雑音も、自然に鎮まり、自分の肉に巣くう悪しき思いも追い出されていく。こうして御霊にあって「無にされていく」この境地こそ私たち日本人には慕わしい。悪しき思いには黙して語らず、御霊に「黙って従う」心、これが信仰の心である。そこから湧く異言こそ、「ほんとうの」異言なのだ。言葉は沈黙から生まれる。神にみ前に座して霊的な沈黙を破る最初の「声」が異言である。だから、異言も言葉も。自分の所作で作り出すべきものではない。
(4)
春うららかな奈良の郊外を、東大寺を回り三月堂を訪れ、日光・月光を伴う不空賢寂観世音菩薩の像に接したり、吉祥天女の像にしばし我を忘れて見入ったりするようになった。私の集会は、5、6人の少人数ながら、恵まれた静かな御霊にある愛の交わりが開けてくるのを少しずつ感じ始めた。もはや教会堂を建てるために信者を集めることも、伝道して教会組織を強めることも要らなくなった。いわゆる教会制度、教派精神を脱却して、内面的に充実した真のキリストの道をこの国にもたらすようになりたい。私はこういう願いを内に潜めながら、自らの道を模索し始めた。私の語り方も、それまでの牧会的なメッセージから、聖書講義へと移り始めた。御霊にあってみ言を語るために、「お言葉を講義する」方向へ向かい始めたのである。聖書の研究、これが自分の行く手を探り求める唯一の方法として残されていた。
漠然とした不思議な輝きを私は覚え始めた。それは今まで体験したことのない静寂な主のご臨在であった。自分の道が途方もなく難しいと思うこともあった。教会の人たち、一般のクリスチャンたちが考えていたこととは、かなりかけ離れている。そのことを私は承知していた。教会形成のヴィジョンは完全に見失ったが、その代わりに、深い御霊のご臨在を感じ、もろもろの疑いが消え去って、ただ主のご臨在の輝きに包まれる、そのような体験が与えられるようになった。「御霊に導かれつつ自然であること」、自然と御霊とのこの不思議な一致が、私の中に安心をもたらした。私は次第に、「万象をして万象たらしめている源の世界に突き入り、その内を流れる御霊の流れに自らを浮かべるが如き歩み」(日記より)を探り始めた。