4章 記紀が語る七世(ななよ)
■初めの神々
『古事記』に従って、神々の名前の意味を考察する。同じ天地(あめつち)の成り立ちを描いても、『古事記』のほうが、「神」の名を前面に出して、より古代の神話性に富む語り方をしている。聖書の場合でもそうであるが、『古事記』の~名では、その「名前」は、その神が行なった事績そのものをも指している。
【天地(あめつち)初めて発(ひら)けし時】「天地(あめつち)」を「宇宙」と同一視する注が目に付くが、これだと、ある特定の「場所」あるいは「国」は全く想定されていないことになる〔萩原浅男/鴻巣隼雄校注・訳『古事記上代歌謡』日本古典文学全集(小学館)上段注(1)49頁〕。『日本書紀』では「天地未剖(あめつちいまだわかれず)」である。『日本書紀』の「未剖」は「淮南子(えなんじ)」から出ている。前漢の祖劉邦の孫である劉安(りゅうあん)(前179〜前122)が淮南(えなん)の王であった頃に王によって編纂されたのが「淮南子」で、老子にさかのぼる道家の思想を中核としている〔平凡社『世界百科大事典』〕。『日本書紀』では、次に「陰陽不分」、すなわち「陰(め)陽(を)分かれざりしとき」と続き、「渾沌如鶏子」「渾沌(まろか)れたること鶏子(とりのこ)の如くして」と続く。「渾沌」は「回転する」様子を表わし、回転する内に「丸く集まる」ことを指す〔『日本書紀』(1)注(3)岩波文庫17頁〕。これらは「芸文類聚(げいもんるいじゅう)」からの出典。「芸文類聚(げいもんるいじゅう)」(624年)は、唐の高祖の命を受けて編纂されたもので、唐の「類書」(百科事典のこと)として知られ、大和朝廷でも手本とされた。また「清陽」は、ほんらい「きらきら輝く」星空のようなものを指すから、天文に関係する。「淮南子(えなんじ)」では、「清陽」が天について用いられ、地の「重濁者凝滞」と対照されている〔以上の漢籍の出典は岩波文庫『日本書紀』(1)補注(1)の(2)〜(4)による〕。ここで問題となるのは、
(1)天地は合一して混沌一体の状態にあるのか?「深い水の淵」とか「卵型」の宇宙がこれにあたる。この場合「曙(あけぼのの)の光」が混沌を二分する場合が多いが、創世記の冒頭の「混沌状態」もこれに近い。なお、アッシリアの国家祭儀に出てくるマルドク神話では、自己の母の母体を天と地との二つに裂くから、これに近い。「天地未分」の渾沌は、ほんらい母性系社会の神話にさかのぼるものだろうか。
(2)天と地はすでに形として存在しているが、相互に重なり合っている状態なのか?この場合は、陰陽二つがすでに存在していることから、天地は男と女に神話化される。このほうが、イザナキとイザナミの神話へ続くのにふさわしいであろう〔岩波文庫『日本書紀』(1)補注(2)308〜309頁〕。(2)は、時期的に見て、(1)よりも後代の父性系社会の神話解釈ではないだろうか。
【高天(たかま)の原(はら)】岩波文庫版『古事記』の脚注では「天上界」とあり、萩原浅男/鴻巣隼雄校注・訳『古事記上代歌謡』では、「天(あま)つ神の住む天上の世界」とあり、<これを特定の地と結びつけるのは適切でない>とある。これに対して、『日本書紀』では、「天地未だ剖(わか)れず」で始まり、天地の渾沌を述べてから、「故天先成而地後定。然後、神聖生其中焉」=「故(かれ)、天先づ成りて地(ち)後(のち)に定まる。<然(しかう)して後に>、神聖(かみ)、其の中に生(あ)れます」とある。続く「一書(あるふみ)に曰(いわ)く」では「天地初めて判(わか)るるときに、一物(ひとつのもの)虚中(そらのなか)に在り。状貌(かたち)言ひ難し。其の中に自づから化生(なりい)づる神有(いま)す」とある。注目すべきは第三の「一書(あるふみ)に曰(いわ)く」で、「天地(あめつち)混(まろか)れ成る時に神人(かみ)有(ま)す。可美葦牙彦舅尊(うましあしかびひこぢのみこと)と号(まう)す」で、先のシャハンの引用も、この部分を念頭に置いている。「神人(かみ)有(ま)す」とあるのは、「神と人、あるいは神のような霊力をもつ人などの意味であるが、ここは、人のような(人間的な)神の意味であろう」〔岩波文庫『日本書紀』(1)脚注(19)19頁〕。これは、神を擬人化(personify)する神話の典型的な手法である。ちなみに、こういう「神のような人」は、聖書のダニエル書7章13〜14節にも「人の子」という不思議な言い方で出てくる。この点から推察すると、『古事記』の「高天原」も、中国の経典が意味する「宇宙」よりも、神話化された「倭の国の空」を念頭に置いていると観るほうが適切だと思う〔「大和(やまと)を天上に反映させたもの」津田左右吉説:前掲書『日本書紀』(1)補注(17)323頁〕。日本のおとぎ話では、「天下一」「日本一」はしばしばでてくるが、「世界一」がでてこないと指摘されているのもこの辺の消息を語るのであろう。
【天之御中主神】「アメノミナカヌシノカミ」は、『古事記』の冒頭に現われるが、『日本書紀』では、第四番目の「一書に曰く」の中に出てくるだけで、しかも、「天地(あめつち)初めて判(わか)るる時」ではなく、その後の「高天原(たかまのはら)に所生(あ)れます神のみ名」として、「天御中主尊(あまのみなかぬしのみこと)」とある。「天(あめ/あま)の中央に座して天と地を主宰する神」〔萩原・鴻巣『古事記:上代歌謡』日本古典文学全集(小学館)注(3)49頁〕とあるが、これは「神々の最高神」のことであろう。「主宰する」は政治的な意味を込めているのかもしれないが、アメノミナカヌシノカミは、直接「地(つち)」と「国(くに)」のことを司ることはしない。だから、名前は出てくるが、実際に働くことをしないので、諸国の神話に見られる「暇(ひま)な神」に属すると言われる。
この神を祀る神社は、妙見社系と水天宮系と近代創建の三系統がある。妙見社系には、熊本県の八代神社と千葉氏ゆかりの千葉神社と九戸氏ゆかりの九戸神社がある。妙見社系は、道教の天の至高神(天皇大帝)から発しているから、北極星と北斗七星、さらには仏教ともつながる〔WIKIPEDIA「天のみ中主の神」より〕。したがって、『古事記』のアメノミナカヌシノカミは、中国大陸に古くから伝わる「星と月と太陽」の「天の三光」信仰を受け継いでいると考えられる。古代の三光信仰では、北極星を、巡る星空、すなわち天の中心にある「光帝」と見なした。だから、これから中国の「皇(光)帝」が出てきて、倭朝廷では、「天光(皇)」が、(新羅/百済の王室を通じて?)「天皇」になったのではないかと思われる。日本では、アメノミナカヌシが仏陀の姿で表わされることがある。これも、大陸からの伝来の過程で、「天光」が、道教だけでなく仏教とも習合していたからであろう。女帝元明天皇(在位707年〜15年)の詔勅を受けて始まった安麻呂と阿礼の『古事記』であるから、阿礼は、当時すでに伝わっていた大陸の「天光」伝承に霊感されて、倭(やまと)古来の伝承に加えて、神々の中心に据える神として「アメノミナカヌシノカミ」を筆頭に習合させたのではないだろうか。なお、明治期以降の国粋主義的な『古事記』の理解では、この神が、キリスト教の唯一神に対抗して、聖書の神と等しい「神」としてあがめられた。そうだとすれば、天皇家の祖靈を聖書の神へと神学的に「神格化」させたことになる。
【高御産巣日神】『古事記』では、アメノミナカヌシに続くタカミムスヒノカミとカミムスヒノカミの二柱を併せて「造化三神」と言う。アメノミナカヌシが天を「主宰」するのに対して、続く二柱は、自然に働く「生成の力」を表わす〔前掲書『古事記』脚注(2)(3)19頁〕。『日本書紀』では、第四番目の「一書に曰く」の中に高皇産靈尊(たかみむすひのみこと)と神皇産靈尊(かむみむすひのみこと)とあり、この二柱を「皇産靈(みむすひ)/美武須?」と呼んでいる。「ムス」は「苔むす」のように植物が自然に生(は)え出ることである(「むすこ/むすめ」も同じ)。「ムスヒ」の「ヒ」は霊的な力を示す〔前掲書『日本書紀』(1)注(2)〜(4)20頁〜21頁〕。
【神産巣日神】タカミムスヒノカミが、倭(やまと)の高天原系の神話から出ているのに対して、カミムスヒノカミのほうは、出雲系の神話から出ているという説がある〔萩原・鴻巣『古事記:上代歌謡』注(5)49頁〕。どちらも、それぞれの神話系では最高神であったと考えられるから、アメノミナカヌシノカミは、倭(やまと)と出雲(いづも)の両神話を統合する神として、大陸の経典に示唆を得て導入されていたのかもしれない。
【宇摩志阿斯訶備比古遅神】『古事記』では、「葦牙(あしかび)の如く萌え騰(あ)がる物によりて成れる神の名は」とあって、「ウマシアシカビヒコヂノカミ」が出てくる。『日本書紀』では、第二番目と第三番目と第六番目の「一書に曰く」に続いて可美葦牙彦舅尊(うましあしかびひこぢのみこと)が出てくる。「葦牙(あしかび)」は「葦芽(あしかび)」のことで、春先の葦の芽に宿る成長力を神話化したものである。「うまし」は賛美を意味し、「ひこ」は「ひめ」(女性)に対して男性を意味する。「ぢ」は男性の老翁に対する尊称である〔萩原・鴻巣『古事記:上代歌謡』注(2)50頁〕。ところで、『日本書紀』では、本文と続く六つの「一書に曰く」の中で、「アシカビヒコヂ」は二番目と三番目と六番目の「一書に曰く」にでてくる。これに対して、一番目には「一物虚中(ひとつのものそらのなか)に在り。状貌(かたち)言い難し」とあり、五番目には「葦牙の初めて?(ひじ)の中に生(おひ)いでたるが如し」とある。『古事記』と『日本書紀』の化生神話は、「渾沌状態」と「土台出現」と「泥」と「生命体の発芽」の四っつの要素で成り立っていると指摘されている〔『日本書紀』(1)補注(3)310〜311頁〕。この視点から見ると、アシカビヒコヂが出て<こない>箇所には、「状貌(かたち)言い難し」という言い方で「?(ひじ)」が表われる。だから、「?(ひじ)」とアシカビヒコヂとは、同等の意味を帯びていると見て、アシカビヒコヂを「?(ひじ)」と関連づけることができる〔前掲書『日本書紀』(1)補注(1)の(5)310頁参照〕。そうだとすれば、『古事記』では、ウマシアシカビヒコヂノカミが、後出の宇比地邇神(うひぢにのかみ)と妹須比智邇神(いもすひぢにのかみ)(どちらも泥と砂の神話化)のカップルと結びつくことになる。ちなみに、『古事記』は、5〜6世紀(北魏と南宋から隋へ)の百済経由の大陸の漢字音に従っており、『日本書紀』のほうは、7〜8世紀の唐の長安と落陽の漢字音に従っている〔『日本書紀』(1)補注(1)の(16)320頁〕。
「泥/沼地」から世界の生命が誕生したという神話は、古代エジプトにもあり、これを受け継いだギリシア思想にもある。最近、ヨーロッパの各地で、太古のケルト時代の不思議な白骨遺体が見つかっている。それらは、どれも、共同体の祭政一致の指導者でありながら、沼地で死んだ/殺された?と思われる。沼地は、人間がそこから出てきた場所だと考えられていたからである。『古事記』と『日本書紀』にある神話は、大陸の北方系と東南アジアの南方系の両方の起源が考えられているが、それだけでなく、基を辿(たど)れば、人類に共通する太古の時代へ行き着く原神話が想定される。
【天之常立神】「アメノトコタチノカミ」は、『古事記』では、「獨神(ひとりがみ)」(配偶者の居ない神)として最後の五番目に出てくる。『古事記』では五柱の「特別な神」に続いて、「神世七代(かみよななよ)」と呼ばれる二柱の獨神と五組のカップル神が出てくる。「3」「5」「7」というこの構成は、大陸の数秘に従って神々を秩序立てるための構成だと思われる〔前掲書『日本書紀』(1)補注(1)の(12)318頁参照〕。古来数秘は、このように、渾沌と無秩序な状態を整理して秩序づける場合に用いられてきた(新約聖書のヨハネ黙示録がそのよい例で、16世紀〜17世紀のイギリスでも、同様に数秘による詩の構成が行なわれていた)。
『古事記』では、アメノトコタチノカミに続いて、神世七代の冒頭に、国之常立神(くにのとこたちのかみ)が出てくる。アメノトコタチノカミが「天の根元神」なら、クニノトコタチノカミのほうは、「国土の根元神」になる〔倉野『古事記』岩波文庫。脚注(8)(11)19頁〕。「根元神」と言われる理由は、クニノトコタチノカミが、『日本書紀』では、「天地の中に一物生(ひとつのものな)れり。状葦牙(かたちあしかび)の如し。便(すなは)ち神と化為(な)る。国之常立尊(くにのとこたちのみこと)と号(まう)す」とあるからで、『日本書紀』では、このクニノトコタチノミコトのほうが、すべての「ミコト」(神々)の最初に来るのである。「トコ」は、ほんらい「床(とこ)」のことで、家の土台となる「床岩(とこいわ)」は、古くは「常磐(ときわ)」(京都市立常磐小学校)であり、これが「常盤(ときわ)」「トコシナヘ」のように永久不変を表わす用語になった。「タチ/タツ」は、ほんらい人がしっかりと「立つ」ことを意味するが、日本語では、「煙/雲がタツ」のように、見えなかった物が、はっきりと姿を現わすことを意味する〔『広辞苑』の「立つ」より〕。だから、「トコタチ」は、渾沌状態の大地から、土台が、はっきりと出現することで(国土が)成立することを意味する〔前掲書『日本書紀』(1)補注(1)の(6)312〜313頁参照〕。『日本書紀』では、国之常立尊(くにのとこたちのみこと)が繰り返し出てくるのに、アメノクニタチノミコトのほうは出てこない。『日本書紀』が国家の基となる皇室の歴史を語ろうとするのに対して、『古事記』のほうは、天地創造の神話を語っていることが分かる。
記紀の天地と国生み神話へ