7章 記紀神話の解釈
ここで、記紀が伝える「天地開闢(てんちかいびゃく)」の神話は、現在の日本でどのように解釈されているのか? その一端を知るために、現在の日本を代表すると思われる見解を『日本書紀』(阪本太郎・家永三郎・井上光貞・大野晋校注)から引用してみよう。( )は筆者(私市)の挿入。
「このような天神(五柱七代の神々)と大地母神(イザナミ)とが登場する場合は、その両者が重なっている(習合すること)ことが多く、その天父と地母とを分離する天地分別の説話となっていることが多いが、記紀のイザナキ・イザナミの神話は、天父と地母との分離という世界開闢神話の姿はとっていない。日本神話では、混沌から大地が化生し、その泥の中から生命が芽生えるという形の世界起源神話が、先に据えられており、(『日本書紀』でも)伊奘諾・伊奘冉の説話では、男女で国を生む形になっている。ここには創造の意味があるが、諸民族の神話のように、一個の創造神が、天地のすべてを創り出すのではなく、生殖による所が相違している。一個の超越的な神が天地に先立って存在し、それが天地を創造したというような考え方は(日本の神話では)存在しないのが特徴である。従って、化生の次には、生殖へと発展している(「成る」から「生む」へ)〔岩波文庫『日本書紀』(1)補注(1)の(21)326頁〕。
これは、天地開闢と国の形成に関わる人類の神話を、その問題点と共に実によくまとめている。ここでは、次の四つのことが指摘されている。
(1)天地開闢の神話では、「天の父」と「地の母」とが、予め存在していて、その両方が「重なり合って」いる状態にある。だから、初めにこれを二つに分離する形を採ることが多い。
(2)これに対して、「天父」と「地母」の区別が未だ存在しない混沌状態が、先ず原初にあって、その「泥」の中から天と大地が生じるという神話の語り方があり、記紀の神話はこの部類に属する。
(3)日本の神話では、天地の定まらない混沌状態から大地が成立し、そこから生命が誕生し、次に、その生命によって生じた男と女の生殖によって国生みが行なわれる。
(4)これに対し、「諸民族」では、先に独りの超越的な神が存在していて、その唯一神によって、天と地とを初め、あらゆるものが創造される。だから、男女による国生みは行なわれない。
現在の日本で行なわれている記紀解釈が、これで一致していると言えるほど単純ではなく、様々な意見や学説があることを『日本書紀』の校注も随所で触れている。けれども、記紀の専門家ではない一般の識者たちや学生などは、ほぼここに述べられているのと同じ見解を抱いているのも事実であろう。「欧米の社会は一神教だから、日本の多神教とは異なる。」これは日本の宗教と神話に詳しいある著名な識者(今は故人)の言葉であるが、現在の日本人一般が抱いている見方をそのまま言い表わしている。
結論を先に言えば、人類の神話と宗教は、先ず(2)から始まって、(1)は、その後で生じたものである。国の成り立ちにおいては、まず(3)から始まって、次第に(4)へ移行する傾向がある。さらに言えば、日本に亡国の危機とも言える敗戦をもたらした戦前・戦中の国粋主義的な神道の神話理解は、(3)から(4)へ移行しようと意図する過程で生じた。筆者(私市)は、このように見ている。
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