1章 古代エジプトの神々
■エジプト原初の創造神話
エジプトのナイル川の流域に人が住むようになったのは、およそ8000年から7000年前のことである。だから、ナルメル王によるエジプト最初の第一王朝(前3000年〜前2850年)が成立する以前に、すでに2000年〜3000年もの間、人々の間に語り継がれてきた神話が存在していたことになる。それがどのようなものか、今では、王朝成立以降に象形文字(ヒエログリフ)で記された神話から推定するほかはない。上(南)エジプトでは、古くから、シュー(大気)とラー(太陽)とゲブ(大地)の三柱信仰があったらしい。古代エジプトの中心となった都市の一つが、現在のカイロの北部にあたるヘリオポリス(ギリシア名で「太陽の都市」)である。それ以前は、ヘルモポリスの時代と呼ばれている。ヘルモポリス時代の天地創造神話はおよそ次のようである。
すべてに先立って、原始の混沌(カオス)があった。それは光のない無限大の球体状のものであり、泥(どろ)がピラミッド状に堆積していた。この泥のピラミッドから、限りなく大きな蓮の花の形をした「原始の卵」が生じた。その卵から、すべての生命の源である太陽神ラー(後代では、またの名はトト(知恵/ほんらいは月か?)が産まれた(カイロの南のメンフィスでは、至高の神は「プタハ」)。この世に光をもたらす太陽神ラーの目から、涙の滴(しずく)がこぼれ落ちると、そこから人類が産まれた。また、ラーの口から漏(も)れたコトバと共にあらゆる神々や生成の力がこぼれ出た〔Alberto Carlo Carpiceci『芸術と歴史の国:エジプト:五千年の文明史』(日本語版)Naomi Yanagawa trans. Bonechi via Cairoli.1997. 14頁〕。
■九柱神の系譜
私たちは、三笠宮崇仁(親王)著『古代エジプトの神々』日本放送協会(1988年)のお陰で、古代のエジプトについては、要領よく的確に知ることができる。エジプトに人類が住むようになったのは中石器時代(前10000年〜前7000年)頃からであるから、死者を弔う宗教もすでにその頃から始まっていたと思われる。エジプトの神話と文明は、ナイル川の上流に沿って南部の「上(かみ)エジプト」と、ナイルが地中海に注ぐ河口辺りのデルタ地帯(3角地帯)の「下(しも)エジプト」とに分けることができる。エジプト最古の王朝は、およそ五千年前(紀元前3000年)からで、上(南)と下(北)とが政治的に統合されるのは、南エジプトから出たナルメル王の頃からで、前3000年(5000年前)である。これは、ちょうど石器時代が終わり青銅器時代が始まる頃にあたる。
王朝と共に、その王朝を正統と見なす神話が生まれるから、それまでの民間の諸神話は、まとめられて統一した形態を採るようになる。したがって、神話が体系化されて記録されるのもこの時期からである。現在伝えられているところでは、下(北)エジプトのヘルモポリスを中心とする神話がこれにあたるので、ここから始めることにする〔三笠宮崇仁『古代エジプトの神々』58頁〜62頁〕。
古代エジプトでは、宇宙の原初の状態を「水」に託してこれを「ヌン」と呼んだ。この原初のヌン水から自ずと「成り出た」(『古事記』の言い方)のがアトゥムで、水流にちなんで蛇状の姿が描かれている。ヌンは、人間の姿に擬人化されて描かれ、上(南)下(北)エジプトの両方の王冠を併せた王冠をかむり、手に王笏(おうじゃく)の杖を持ち、右手には永遠の象徴である「エジプト十字」のアンクを握っている。水中から出たアトゥムは、住むところがなかったから、ピラミッドのような「原始の丘」を作った。アトゥムは、両性具有(男女両性を併せ具えた原初の姿)で、この独り神が、宇宙の神々を創造していくことになる。
ヘリオポリスの神話では、先ず、アトゥムから、「大気/空(くう)」の男神シューと、「湿気/雨」の女神テフネトの兄妹が創造された。ヘリオポリス(太陽の都市)の東北にレオントポリス(ライオンの都市)があり、シューとテフネトは、そこのライオンとも習合したようである。
シューとテフネト夫妻から、「大地」の男神ゲブと「星空」の女神ヌトが生まれた。ところが、ゲブとヌトが結ばれているところへ父親のシューが割り込んできて、二人の間を大きく「大気」によって分けてしまった。多くの神話では、「大地」は「地母神」と呼ばれる女神が多いのだが、エジプトでは、大地ゲブは男性(あるいは父同様に両性具有)で、星空が女神である。ゲブは、その両性を発揮して巨大な卵を産んだ。その卵から、太陽神ベヌが鶏の姿で明け方に現われたと言う。
ゲブとヌトの天地から、男神オシリスと女神イシスと男神セトと女神ネプテュスの四者の兄弟姉妹が生まれた。兄オシリス=姉イシスと、弟セト=妹ネプテュスという、二組の兄妹婚ができたことになる。兄妹婚は、古代中国の周に伝わる神話にも例があり、日本の「いもせ」(妹兄)に相当する〔三笠宮前掲書60頁〕。これらが、「ヘリオポリスの九柱」である。
■ハヤブサ神ホルス
ところで、上(南)エジプトに近く、現在のルクソールとカルナックの南方にヒエラコンポリス(ハヤブサの都市)があった。ハヤブサは、目にも止まらぬ素早さで天から舞い降りて獲物と掴むから、天と地とを合体させる「天空の神」と見なされていた。だから、この鳥はヒエラコンポリスを支配する神とされていた。ナルメル王の第一王朝が成立する頃(前3000年)からであろうか、このハヤブサが上(南)エジプト王の守護神になっていた。このハヤブサ神は「ホルス」と呼ばれて、ナルメル王の化粧板には、上エジプトの王冠をかぶったナルメル王が、敵対する捕虜を打つ姿をハヤブサ姿のホルスが見守っている様子が描かれている〔『エジプト考古学博物館』日本語版Cairo:Lehnert&Landrock(1986)31頁図〕。
■オシリスとイシスとホルス
下(南)エジプトの古都ヘリオポリスでは、次のような神話も伝えられていた。世界の始まりは、カオスと呼ばれる混沌状態であった。そこに太陽神ラーが現われ、ラーが、自分の姿を「目で見た」(自覚した)とき、「時の流れ」が始まった。絶対の沈黙の中で、光と宇宙の意識であるラーが、自分の分身で宇宙の聖霊であるアメンに向かって「わたしの所へ来よ」と呼びかけた。すると、その呼びかけ(創造の原動力であるコトバ)によって「シュー」(空間・大気)と「テフヌト」(動き・火)が産まれた。次いシュー(空間・大気)とテフヌトが、ヌト(天空の星)からゲブ(大地)を切り離し、混沌に終止符を打って、世界に均衡と生命力を吹き込んだ。
こうして世界は、現世と彼岸の命を生み出す力を受け容れるのにふさわしいまでに整った。そして、オシリス(繁殖を司る生命の種子と木とそれを育む水の男神)とイシス(豊穣を司る万物の愛の女神)が登場した。その後、破壊をもたらす一対の力としてセト(暴風)とネフティスが現われた。この二人は、生(いのち)を産み出すオシリスとイシスに対して、永遠に敗北を繰り返す破壊力である。しかし同時に、彼ら二人の力は、宇宙生命の永遠の繰り返しの中にあって、オシリスとイシスに協力する力ともなる〔『エジプト:芸術と歴史の国』14頁〕。
オシリスは、やがて、前エジプトを統治する神とされるのであるが、ゲブとヌトから生まれた二組の兄・妹は、争いを止めることがなかった。弟セトは、オシリスの背丈に合わせた箱を作り、宴会の場でオシリスを騙して箱の中に入れ、それをナイル川に流した。悲嘆に暮れたオシリスの妻イシスは、オシリスの箱を探して地中海のビブロスまで来た。すると、オシリスの箱から大きく美しい植物(樹木)が生えたので、ビブロス王はそれで柱を作っていた。イシスは、その柱を王から得てエジプトへ持ち帰った。しかし、セトは、これを知って、オシリスの箱の中の遺体を寸断して、エジプト全土にまき散らした。イシスは、ふたたび苦心してバラバラにされた夫の遺体を拾い集めて、それらをつなぎ合わせて、イシスの羽根で命の息を吹き込むとオシリスは生き返った。しかし、よみがえったオシリスは、地上には復帰せず、西方の冥界の王になった。ところが、イシスは、夫の遺体が生き返ったときに、(性交ではなく)呪法によってオシリスの子を身ごもり、ホルスを生んだ。ホルスは、父の仇(あだ)を打つためにセトと戦い、ついに、全エジプトの王となった〔三笠宮前掲書24〜26頁〕。
ヘリオポリスの神話では、星空の天空と大地のゲブとを引き離すのは、太陽神ラー(アテン/プタハ)が放つ輝きである。これに照らされて、オシリス(王杖と鞭を持ち王冠を頂く)とイシス(イチジクの玉座に座る)の夫婦神が居る。これに対抗するように、セト(オシリスの弟で猛獣の姿)とネフティス(塔あるいは角柱)が居る。このセトを退治するのが、オシリスの息子ホルス(王冠を頂くハゲタカ)である。
このように、古代エジプトの神々は、エジプトの歴史に沿って、様々に「習合され」、そうすることで体系化されてきたことが分かる。だから、上と下との二つの神話を併せてみると、世界の初めは混沌状態であるから、天地(あめつち)が<初めから>存在していたとは言えない。混沌が「泥」と「卵」にたとえられているところは記紀の神話と通底するし、そこから太陽神が産まれて、その太陽神から男神と女神が産まれ、王権(国)が成立するところも、アマテラスからイザナギとイザナミが産まれる記紀神話と共通するところがある。ただし、太陽神ラーの「目からこぼれる涙」から「人間が産まれる」という人類創造の神話は、記紀には出てこない。記紀では、「国生み」は出てくるが、「人生み」は出てこない。記紀では、人は、国に生え出る「草」にたとえられるから「民草(たみくさ)」と呼ばれる。エジプトの神話で興味深いのは、「絶対神ラー」が、自分の姿を「目で見て」自覚したとき、「時の流れ」が始まったことで、これが「現世」と「来世」という二つの世界を生じさせて、エジプト特有の「生者の国と死者の国」という神話が成立した。また、ラーの「コトバ」が、万物を創り出す生成力を有するところは旧約聖書に通じるところがある。また、セトとネフティス二人の破壊力は、ヒンズーのシヴァ神と通底するところがあろう。シヴァは雷雨と関係するから、スサノヲノミコトと同じであるが、セトも雷雨と関係するのだろうか?なお、「蓮の花」が出てくるところは仏教神話ともつながる。
ちなみに、前3000年頃になると、エジプトの人間観が完成して、人は、体(アクト)と、ラー神から吹き込まれた息(カー)と、息(カー)と体(アクト)が合体するところにラー神の働く場としてのバー(良心/意識)が生じることになる。前2000年頃には、人の「良心」であるこの「バー」が重視されるようになり、死後の彼岸において神々の裁きが大きな意味を持つようになった〔前掲書『芸術と歴史の国:エジプト:五千年の文明史』89頁〕。
■神々の習合
最後に、エジプトの神々が習合することで、最終的に、「アメン=ラー=プタハ」の三位一体が成立する経過に目を留めたい〔三笠宮前掲書111頁〜118頁〕。
エジプト第十一王朝(前2133年〜前1991年)の時代に、上(南)下(北)エジプトの中間地帯に、「ネウトアメン」(アメンの都市)があった。アメンは、この地で崇拝されていた神である。そこには、アメン神を祀る二大神殿で、現在もその遺跡があるカルナク神殿とルクソール神殿があった。この地は、ギリシア人によって、ギリシアの古都市テーバイにちなんで、「テーベ」と呼ばれている。
上下の中間に位置するこのテーベでは、いろいろな神々が崇拝されていた。中でも、ハヤブサ(ホルス)の顔をして、その頭に大きな円盤(太陽)を乗せ、その円盤から2枚の大きな羽根が伸びている(ラーとオシリスが習合した姿)冠を頭に頂いて、王笏を左手に、永遠を象徴するエジプト十字のアンクを右手に握るメンテュ/モントゥがこの地で崇められていた。だから、メンテュ/モントゥは、ラーとオシリスとホルスが習合した神である。ギリシア人は、このメンテュ/モントゥを太陽の輝きを現わすアポロンと同一視した〔三笠宮前掲書111頁〜112頁〕。そのほかに、この地には、生産を司る豊穣の男神ミンが居て、勃起した男根と右手に脱穀用の竿を持って立っている。ギリシア人は、これを牧羊の神パンと同一視した。
アメンは、テーベが中王国の都となる第十二王朝の頃(前2000年)から、エジプト全土で崇められるようになった。「アメン」とは「隠されたもの」を意味する(古来魔術師は、自分の本名を決して人に明かすことをしない)。エジプト全土が統一されると、アメンは、それ以前から絶対的な権力を持つラーと習合することになる。太陽のラーと(大気の?)アメンが習合して「アメン=ラー/ラァ」という大神が出現したのである〔三笠宮前掲書114頁〜115頁〕。
アメン=ラーに、もう一つ習合したのは、プタハ神である。下(南)エジプトのデルタ地帯に近く、ナイルの西で、サッカーラにある最古のピラミッドの側に、都市メンピスがあり、プタハは、そこで古くから崇拝されていた。メンピスがエジプトの統一王国の中心になった時期に、プタハは国家神になった。プタハは、近くのヘリオポリスの神アトゥムと同じ創造神であるが、アトゥムとは異なって、万物は、プタハの「舌」(発せられた言葉)によって生じたと言われた。こうして、アメンとラートプタハの三大神の習合が完成されることになる。
以下に引用する「アメン・ラー讃歌」は、第九王朝のラーメス/ラムセス二世の前1238年頃に書かれたものである。これに先立って、アメンホテプ四世の治世(前1372年〜前1354年)に、エジプトでは宗教改革が行なわれて、アテン神を唯一絶対の神として、王はその預言者となり、自らを「アケン/アクエン・アテン」(アテンを喜ばす者)と称した。この改革は挫折するが、その影響は、この讃歌にも及んでいる。
■アメン・ラー讃歌より
引用は、筑摩世界文学大系(1)『古代オリエント集』(筑摩書房)の「アメン・ラー讃歌(1)」(尾形禎亮訳)による。
〔第90連より〕
九柱神は汝(アメン)が四肢に合一す。
汝が姿について(いわば)、すべての神、汝の肉体と結合す。
汝始めに出現し、原初を始めたり。
おおアメン、神々よりその名を隠すものよ。
・・・・・
プタハとしてみずからをつくりだせしテネン。
その四肢の指は八柱神なり。
ヌンよりラーとして現われ、ふたたび青春(わかさ)を回復され給う(太陽の日々の誕生を示唆)。
つば吐きて(ヘリオポリス神のアトゥムはつばを吐いて創造した)
シューとテフヌト(大気と湿気の女神)をつくりだしてその力を合一せしめ、
心の欲するまま、玉座に現われ給う。
彼その力もて万物を支配し、
永久に王権を統(す)べ、唯一の主にとどまる。
・・・・・
その創造せし場所にて、ただ一人、
大いなる多弁者として語り、
沈黙のただ中に言葉を発し始める。
・・・・・
彼、万物を産み出し、生命を与う。
〔第200連より〕
おお形姿神秘にして顕現(の姿)輝き、
形姿数多(あまた)なるすばらしき神よ。
・・・・・
ラーはみずからかれの体と合一す。
かれ、ヘリオポリスにまします大いなる神なり。
かれ、タテネン(プタハの別名)と呼ばれ、ヌンよりいできたるアメンなり。
・・・・・
原初の神々を産み出し、ラーを産めるものなり。
かれ、アトゥムとしてみずから完成し、これと合一す。
・・・・・
〔第300連より〕
すべての神は三、アメン、ラー、プタハにして、
かれらに比肩しうるものなし。
その名はアメンとして隠され、その顔はラー、その身体はプタハなり。
かれらの都市(まち)、地上にありて永遠にとどまる。
すなわちテーベ、ヘリオポリス、メンフイス、永遠(とわ)になり。
■太陽神と習合
星空(ヌン)から太陽(ラー)が誕生して、「青春を回復する」とは、太陽が日々新たに「誕生する」という意味であろうか?それとも、冬の太陽が、春になるとふたたびその力を回復することを指すのだろうか?この時期のアメン・ラーは、「その創造せし場所にて、ただ一人、大いなる多弁者として語り、沈黙のただ中に言葉を発し始める」とある〔前掲書〕。讃歌では、「すべての神は三(柱)、アメン、ラー、プタハにして、彼らに比肩しうるものなし」〔前掲書〕とあって、万物を超越する絶対神としての地位を確立している。
このアメン神は、アメン・ホテップ/ヘプテ四世(在位前1367〜前1346頃)による「アマルナ改革」と呼ばれる宗教改革によって、人知を超えた絶対神として崇められる。アメン・ヘプテ四世は、都をアマルナへ移し、自らを「イクン・アトン」と改名し、自分をこのアメン神の預言者として、神官たちに支配されていた当時のエジプトの宗教を徹底的に改革しようとした。その改革があまりに急進的であったために、長続きせず失脚したが、多神教から「唯一神」として、太陽神を絶対化したその影響は大きく、以後のラムセス二世や、延(ひ)いては、イスラエルの預言者モーセにまで影響を及ぼしたと思われる。
古代エジプト王朝は、前3000年からおよそ3000年間にわたってエジプトを支配してきた。このように類を見ない長期間の王朝は、その特徴を唯一の絶対神として太陽神をその中心に置いていたことが一つの特徴であろう。同時に、その王朝を支える神々が、その時々の歴史の中で、習合を重ねてきたことで、南北の統一を維持し、諸外国に対して有利な国家理念を形成してきたことを見逃してはならない。
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