3章 古代ギリシアの神々
■ヘーシオドスの『神統記』
 ギリシアの詩人、というよりも、「西欧の詩人の祖」と言うほうがより適切かもしれないが、それは、ホメロスである。彼は叙事詩『イーリアドス』で、トロイア(現在のトルコの西岸北部で、エーゲ海からマルマラ海へ入るダーダネルズ海峡の入り口にあるクムカレ近く)とギリシアとの闘いを歌った。この『イーリアドス』とこれの続編『オデュッセイア』に、古代ギリシアの神々の神話が物語りとして描かれている。トロイア戦争(前1200年頃)は、モーセがイスラエルの民を率いて出エジプトを果たしたのとほぼ同じ頃のことである。現在のトルコの西岸は、古来「イオニア」と呼ばれていて、ホメロスは、「イオニアの詩人」として、前8世紀頃の人だと考えられている〔〔平凡社『世界百科大事典』〕。
 これに対して、今回採り上げる『神統記』(ギリシア名『テオゴニア』)を著わしたヘーシオドスは、その父がイオニアの出身であるが、父がギリシアに移住したために、彼自身はギリシア本土の、ボイオティア地方の人である。アテネから西へ向かい、湾の沿岸にあるエレフシナから北へ延びる道を採るとテーバ(古代のテーバイ)に出る。テーバから西の地域が「ボイオティア」である。現在のテーバのまっすぐ西の方角にアスクレーがあり、そこが、ヘーシオドスの住んでいた農村であった。アスクレーの西方には詩泉で知られたヘリコン山があり、農業を営んでいたヘーシオドスは、この山の近くで九人の詩の女神(ムーサ)たちから霊感を受けたとある(『神統記』1行)。彼の詩と神話は、イオニアのそれとは異なって、身近な日常に根ざしていて、人の思いや感情に到るまで、人に及ぼす神々の日常の現実的な働きを伝えている。ヘーシオドスは、前750年〜680年頃〔廣田洋一『神統記』岩波文庫(1984年)166頁〕の人であるから、彼が『神統記』を著わしたのは前7世紀前半(一説では前700年頃)であろうか。しかし、『神統記』は、その後「詩聖ヘーシオドス」の名声を受け継ぐ後代の詩人たちによって、編集や追加が加えられている。
■『神統記』の神々
 『神統記』には、ギリシアの神々の系譜が、人間生活の日常で働く機能を具えて、細やかに記されているが、その系譜はとても複雑である。その系譜を辿ると、神々の誕生とその系譜において、太母(たいも)である大地の神「ガイア」がとても重要な地位を占めているのが分かる。さらに、オリュンポス山の神々を統一して、相争うギリシアの多数の都市(ポリス)同士を統率する政治的な権威を有する最高神ゼウスの働きが、現実の政治を司る神として機能している。以下では、ガイアとゼウスの二柱を軸に、ギリシアの神々の系譜を見ることにしたい。廣田洋一訳『神統記』(岩波文庫)の解説(185頁〜200頁)と、高津春繁『ギリシア・ローマ神話辞典』岩波書店(1975年)と、 Hesiod The Homeric Hymns and Homerica. Translated by H.G.Evelyn-White. Loeb Classical Library.それにインターネット版〔2006/Aaron Atsma: Theoi Project www.theoi.com〕とを参照した。
〔T〕原初の四神
 
まことに、先ず初めにカオスが成り出た。
だが、次には、胸幅の広いガイア。万物の永遠不動の土台
(雪を頂くオリュンポス山を支配する不死の神々の)。
薄暗い奥底の地下に広がるタルタロス。
その上にエロス。不死の神々の中で最も美しい方。
          〔『神統記』116〜120行〕
 ここにでてくるカオス(混沌)と太母神ガイア(大地)とタルタロス(冥府)とエロス(艶美と多産)こそ、ギリシア神話の神々を産み出す原初の四神である。初めに「カオス」(混沌)があって、そこから最初に「成り出た」のがガイア(大地)である。このガイアこそ、「万物の永遠不動の土台」であるから、これが基礎となって、あらゆる神々が出現することになる。
〔U〕ニュクス(夜)の子たち
 「カオスからは、暗黒のエレボスとニュクス(夜)が成り出た」(『神統記』123行)とある。だから、「カオス」(混沌)は、エレボス(暗黒)とニュクス(夜)の親である。ニュクスは、夜の女神で、この女神から、エリス(争い)、ゲラス(老齢)、ピロテス(愛欲)、アパテ(欺瞞)、ネメシス(忿怒)、ケール(もろもろの運命と死の定め)、ヘスペリス(黄昏)の娘たち、オイジュス(苦悩)、モモス(非難)、オネイロス(夢)、ヒュプノス(眠り)、タナトス(死)、モロス(人それぞれに予め決められた宿命)の15神たちが産まれ出た〔岩波文庫『神統記』189頁系図〕。その上、ニュクスは、兄(?)のエレボス(暗黒)と結ばれて、ヘメレ(昼間)とアイテル(上空にある透明な大気)をも産んでいる(前掲書185頁系図)。
〔V〕ガイアとウーラノスの聖婚と生まれた神々
「そこでガイア(大地)は、まず手始めに、彼女自身と等しく広い
 星空のウーラノス(天)を産んだ。身の回りすべてを覆うために。」
                 〔『神統記』126〜27行〕
「(ガイアは)長く連なるオレア(山々)を産んだ。神々の優雅な訪れの場所、
 山々の渓谷に住まうニンフ(妖精)たちの訪れの場。
あるいはまた、(ガイアは)荒れ狂う不毛の大海
ポントス(海)を産んだ。懇(ねんごろ)な睦(むつ)み合いもなく。」
                  〔『神統記』129〜132行〕
 このように、太母神ガイアは、最初に、単身で、ウーラノス(天)とポントス(海)と山々を産んでいる。さらに、太母神ガイアは、以下に見るように、自分から出た男神ウーラノス(天)との間に18柱もの神々を産んでいる。
 
「(ガイアは)ウーラノスへの深い想いをみごもり、深く渦巻くオーケアノスを産んだ。
コイオスとクレイオスとヒュペリーオンとイアペトスに、
テイアとレイアとムネーモシュネーに、
黄金色に輝くポイベーと愛らしいテーテュースとを産んだ。」
             〔『神統記』133〜136行〕
 男神オーケアノスは大洋神である。コイオスは男神で、太陽神ともされるアポローンと女神アルテミスとの祖父である。クレイオスはペルセースの父であり、ヒュペリーオンは太陽(ヘーリオス)の父である。イアペトスはアトラス(地球を支える力持ちの神)と、人間に「火」をもたらした英雄神プロメーテウスの父である。テイアは女神で、ヒュペリーオンとの間に、ヘーリオス(太陽)とセレネー(月)とエーオース(曙)を産んだ。レイアは女神で、クロノス(時間)との間にゼウスを産んだ。ムネーモシュネーは記憶を司る女神で、甥(?)のゼウスと交わり続けて、9人のムーサ(詩の女神)たちを産んだ。
 ポイベー/フォイベー〔英語名「フィーービー」(Phoebe)〕は、「輝く女」の意味で、「黄金色に輝くポイベー」は月光を想わせる。この女神はデルフォイの神殿の創始者で、その神殿を孫のアポローン(「ポイボス/輝く者」とも呼ばれ太陽を表わす。英語Phoebus)に贈ったとも言われる。ちなみに、英語の「フィービー」(Phoebe)は、「月の女王」と称されたイギリスのエリザベス一世のことである。テーテュースは女神で、オーケアノス(大洋)と結ばれて、世界中の河川の母となった。
 
「これらの後で産まれたのが、最も若いクロノスで、狡知に富み
子たちの中で最も恐ろしく抜け目のない者。そのたくましい父を嫌悪する者。
(ガイアは)またも、心猛々(たけだけ)しいキュクロープスたち
ブロンテースとステロペースと、そして雷鳴とどろかすアルゲースとを産んだ。
彼らはゼウスに雷鳴を与え、稲妻を創り出してやった。
                 〔『神統記』137〜140行〕
 キュクロープスたちとは、雷(かみなり)に関わる神々のことで、ブロンテース(雷鳴)とステロペース(稲妻)とアルゲース(雷光)の三者である。ガイアとウーラノスとの間に生まれた子供は、以上のほかにも、「百の手を持つ巨人たち」と呼ばれるコットスとブリアレオースとギュエースがいるから(『神統記』149行)、全部で18柱の神々になる。
〔W〕クロノスの策謀
 ところで、父のウーラノスは、自分の権力が子たちに奪われるのを恐れて、「子たち全部を隠してしまい、(地下から)上がって日の目を見ないようにした」(『神統記』157行)のである。太母神ガイアはこれに憤って、大きな鎌を作って、父への復讐を子たちに呼びかけると、「大いなるクロノスが狡知を働かせて」、「母上、私がお引き受けしてやり遂げます」と答えた(『神統記』162〜63行)。
 さて、強大なウーラノスが、夜を連れてガイアのもとへやってきて、「彼女の全身にその身を伸ばすと」、待ち伏せていたクロノスは、右手に鎌を持ち左手を伸ばして、父親の陰部を素早く切り取り、自分の後ろへ投げつけた。その陰部から滴る血がガイア(大地)に落ちると、時期が来てそこから、女神エリュニス(復讐)たちと、ギガス(巨人)たちと、メリア(トネリコの木の妖精)たちが産まれた。クロノスが、父の陰部を陸地から、逆巻く海に投げ込むと、大海原を長い間漂い続け、やがて、その不滅の肉の周りが泡立つと、そこから乙女が生まれ出た。泡(アプロ)から産まれたので、神々を彼女をアプロディーテー(性愛の女神)と呼んだ〔『神統記』177〜195行〕。このようにして、クロノスは、父ウーラノスに閉じ込められていた息子・娘たちを解放したのである。
〔X〕ゼウスの誕生
 さて、レアは、クロノスのお伽(とぎ)を受け、輝くばかりの子たちを産んだ。
ヘスティアーとデメーテールと黄金(こがね)の靴はくヘーラー。
たくましいハーデースは地下に居を構え
情け容赦のない者。それに、轟音で大地を揺さぶる者。
賢明なゼウスは、神々の父にして人間の父、
雷鳴の下(もと)に大地を震えおののかす者。                               〔『神統記』453〜458〕
 男神クロノス(時間)と女神レア(母のガイアに似て大地を司る)は、ガイアとウーラノスとの間に生まれた者同士でありながら、レアはクロノスへの夜のお伽をさせられた。二人の間に生まれたのが、ヘスティアで、彼女は、家を護る「竈(かまど)の女神」であるから、その家と親族全体の守護の女神である。デメーテールは、穀物を育てる五穀豊穣の女神で、その娘ペルセポネーが、黄泉の王ハーデースに拉致されたので、黄泉へ下って娘を取り戻そうとした話で知られている。ヘーラーは、ゼウスの正妻として結婚と出産を司り、いわば、ギリシアの最高神である王ゼウスの皇后に相当する女神である。このため「黄金の靴をはく」とある。「轟音で大地を揺さぶる者」とあるのは、ポセイドーンのことで、ここでは、ゼウスの「兄」とされている。後にゼウスがティターンたちと戦うときに、ゼウスと力を合わせて、兄弟で世界の支配権を握ることになった。「大地を支えふるわすポセイドン」(『神統記』15行)とあるが、ポセイドーンは、ゼウスに対して、陸地に対して海を支配する権限を得た。
 
「ところが、大いなるクロノスは、片端から飲み下した
聖なる母胎から母の両膝を求めて出てくる子たちをば。
その意図は、ウーラノスの裔(すえ)たちの中で
不死の神々の誰かが、彼の王国の権力を奪い取ることがないため。」
                〔『神統記』459〜462行〕
 ゼウスの誕生については、さらに続きがある。クロノス(時間)もまた、その父ウーラノス(天)同様に、自分の子供たちの中で、だれかが自分の王権を奪おうとするのではないかと恐れて、生まれ落ちる子供たちをレア(大地)から取り上げ、片端からクロノス(時間)の中へ飲み下したのだ。「堪え忍びがたい苦痛」(『神統記』467行)を味わうレアは、「ガイア(大地)と星空のウーラノスに、知恵を求めて相談を持ちかけた、どうすれば(クロノスに)知られずに、愛する子たちを産み落とせるのかと」(『神統記』470〜72行)。
 そこで両親は彼女に知恵を授けて、彼女を「豊かに土の肥えた」クレタ島のリュクトスへ送り出した。レアがそこで末っ子のゼウスを産むと、広大な大地ガイアは、リュクトスへやってきて、夜に紛れてその子を抱えて運び、森の生い茂る山アイガイオンの奥深い聖地の地下にある「遠く離れた洞窟」の中にゼウスを匿(かくま)った。ガイアは「その上で、産着をまとった大きな石をば、神々の王にして大いなる領主である天(ウーラノス)の御子(クロノス)に与えたのである」(『神統記』485〜86行)。
 『神統記』では、ゼウスの誕生物語に続いて、プロメーテウス(先見の明を持つ者)の話が語られる。神々に供える牡牛の脂身と骨と、どちらを採るかを巡って、ゼウスとプロメーテウス(先見の明を持つ者)との間で駆け引きが行なわれ、ゼウスは「騙されて」脂身を受け取ってしまう。ゼウスの怒りのために人間に苦しみが及び、トネリコの木が火を出さなくなった(木をこすり合わせて火を作ったから)。そこで、プロメーテウスは、ゼウスの裏をかいて、人間のために「火」を盗み出した。このために苦難を受けるプロメーテウスをヘラクレースが助け出した〔『神統記』521〜569行〕。
 続いて物語は、人間の女性が作られる話になる。「そこで(ゼウスは)ただちに、火の代償として、人間に災いをこしらえさせた」(前掲書570行)。「輝く目を持つ女神アテナは、女の腰に帯を巻き、白銀(しろがね)の衣装をまとわせ」、「見るもみごとな刺繍のヴェールで手ずから彼女を覆い」、さらに「黄金の冠」をかぶらせた(前掲書573〜78行)。ゼウスは、こうして「善い物(火)の代償に美しい悪い者(女)をこしらえたのである」(前掲書585行)。
 さて、クロノスが大石をゼウスと間違えて飲み込んでから10年が過ぎると、「ガイアの助言とその言葉巧みな知恵にはめられて」(前掲書494行)、クロノスは、飲み込んでいた大石共々、自分の子たちをはき出した。こうして、ゼウスは、自分の兄姉たちを父クロノスの束縛から解放したのである。
〔Y〕ゼウスとクロノスたちの闘い
 ウーラノス(天)とガイア(大地)から産まれた18の神々は、クロノスの策謀で、父ウーラノスの束縛から解放されたが、これら「ティーターンの神族は、(その後)クロノスから産まれた神々も加わって、猛々しい戦(いくさ)によって互いに敵対し合っていた」〔『神統記』630〜31行〕。神々は、峻険なオトリュス山とオリュンポス山との二手に分かれて戦っていたが、ヘーシオドスは、だれとだれとが組んでいたのかを記していないから、この二組を特定するのは難しい。「百の手を持つ巨人」(ヘカトンケイル)と言われるギュゲスとコットスとブリアレオースの3人は、オリュンポスのゼウス側であり(前掲書734行)、「キュクロープース」(目が一つの巨人族)と呼ばれるブロンテースとステロペースとアルゲースもゼウス側である。レイアはゼウスの母、テミスとムネモシュネーはゼウスの妻になるから、この女神たちもゼウス側なのだろうか(廣田訳『神統記』(訳注630行)142〜43頁参照)。ゼウスの兄姉たち(ポセイドーンとハーデースとヘーラとデメーテールとヘスティア)もデウス側なのだろう。そうだとすれば、オトリュス側は九神になる。
 両者の闘いはすさまじく、「凄まじい轟きが果てしなく海に広がり、地では大きな衝突音、広がる空はふるえて呻(うめ)き、オリュンポスの大山は麓からゆれ動いて、不死の神々にゆさぶられた」〔『神統記』678〜81〕とある。「ゼウスも負けじと力を見せ、・・・・・天から下りオリュンポスより出(い)でて、矢継ぎ早に雷光を放ち続けた」(前掲書687〜690行)。コットスとギュゲスとブリアレオースの3人も、三百の大岩を敵に向けて投げつけた(前掲書714〜715行)。こうして、ティーターンたちは、「天と地が離れているほど地から離れた薄暗く陰鬱なタルタロス(黄泉)へ」閉じ込められたのである(前掲書720〜21行)。
 その後も、「奇怪な大地ガイアは、黄金のアプロディーテーの手を借りて冥府タルタロスと睦(むつ)んで(ガイアの)末っ子テュポエウスを生んだ」(前掲書821〜22行)。「その肩からは百匹の蛇が出ていた。どれもぞっとする黒い舌をくねくねさせる恐ろしい竜で、その数々の奇怪な頭の瞼(まぶた)は火を放っていた」(前掲書824〜27行)。「そこでゼウスは怒りを掻き立て、武器を集めて、雷鳴、雷光、稲妻もうもうと、オリュンポスから飛びかかり、異様な恐ろしい数々の頭を焼き散らした」(前掲書853〜856行)とある。
〔Z〕ゼウスの子たち
 『神統記』は、その終わりに、ゼウスと女神たちとの一連の結婚とその子について謡(うた)っているので、それらを列挙して終えることにする。
(1)最初に、(ゼウスが)メーティス(怜悧)と添い寝して生まれかけたのはアテーネー。しかしゼウスは、ガイアとウーラノスの助言を得て、アテーネーがまだ生まれないうちにメーティスを「自分の腹の中に納めてしまった」のである(前掲書886〜891行)。しかし、『神統記』の終わり近くに、ゼウスは、自らの頭から「瞳の輝くトリトゲネイア(トリト川の岸で生まれたアテーネー)」を産んだとある(前掲書924行)。
(2)次に結ばれたのは「豊かにつやつやと輝くテミス(不変不動)」で、彼女からは女神ホーラ(時節)たちと女神エウノミア(善い秩序)と女神ディケー(正義)と女神エイレーネー(平和)が生まれ、さらに、女神モイラ(運命)たちも生まれた。彼女たちの名は、クロートー(運命の糸を紡ぐ)とラケシス(運命を割り当てる)とアトロポス(運命の糸を断つ)である(前掲書901〜905行)。
(3)ゼウスとエウリュノメー(オーケアノスの娘)は、美しい頬をした三女神カリス(優美)たちを生んだ。この三美神たちは、アグライア(輝き)とエウプロシュネー(喜び)とタリア(花盛り)である(前掲書902〜904行)。
(4)ゼウスはまた「あらゆるものを養うデーメーテール」(豊穣の太母神)の臥所(ふしど)に入り、腕(かいな)の白いペルセポネーを生んだ」(前掲書912〜13行)。しかし、この可憐な娘は、野で花を摘んでいるときに、冥府の王ハーデースにさらわれて、そのまま黄泉の女王となった。
(5)ゼウスは「今度は髪美しいムネーモシュネー(記憶/想起)を愛すると、黄金(こがね)の冠をかむる九人のムーサ(詩歌文芸の女神)たちが生まれた」(前掲書915〜16行)。ヘーシオドスは、彼女たちの名前をあげていないが、宴席で歌を歌って楽しませる女性に見立てているようである。
(6)ゼウスは、また、ガイアとウーラノスの間に生まれた18神たちの中の二人であるコイオスと女神ポイベーの間の娘レートーと「いと睦(むつまじ)い交わりをして」アポロン(太陽神)と「矢を放つ」アルテミス(月の女神で狩りを得意とする)を生んだ。この二人は、ウーラノスの子孫の中でも「とりわけ愛らしい」と呼ばれている(前掲書918〜920行)。
(7)「さて最後に、(ゼウスは)花のようにふくよかなヘーラーを連れ合いにして、ヘーベー(青春)とアレース(軍神)とエイレテゥイア(出産)とを設けた」(前掲書921〜22行)。ヘーラーは、最後でありながら、ゼウスの正妻として、結婚、出産を司り、女神たちの最高位にある(ローマのディアナに相当する)。この女神には、嫉妬深い一面があり、ゼウスの愛する女神たちやその子を迫害する。
■ギリシア神話の特徴
 ギリシア神話では、北方からギリシア半島へ侵入してきたギリシア民族(ドーリア人など)と、もともと居た原住民との間で、激しい戦闘が行なわれて、原住民が征服されていった経過が露わに反映している。その結果、
(1)ティーターン神族のように、排除される神々がいる。
(2)ヘカテーのように、ほんらいは太母神でありながら、呪いの女神へと貶められる神々がいる。
(3)ゼウスの正妻として崇められるヘーラー(ギリシアのゼウスの正妻)のように、渡来の神々と習合した地元の神々がいる。
 ギリシア神話でも、万物の原初に「沼」や「泥」で表わされる「混沌」が存在していたことが分かる。しかし、そこから生まれる神々の内で、大地を表わすガイアの果たす役割が圧倒的に大きいのが特徴である。ガイアもほんらいは太母神であったと考えられるから、母系社会からゼウスやアポロンが優位を占める父性社会へと転移したことの証であろうか。神々の系譜をたどると、自然現象などを擬人化する素朴で具象的な神々から、人間の奥深い心情や抽象的な思考様式などが、細やかに神話化されているのが分かる。そこには、他の神話には見られないほどの分析的で抽象化された神話体系が構成されていると言えよう。
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