7章 正統性と異端化
■正統・異端の前段階
オリゲネスは言うまでもなく、アレイオスも、アレクサンドリアの主教ペトロスが殉教した頃には(311年)、まだニカイア会議(325年)を予想していません。アレイオスは、まだ、ミラノの勅令(313年)さえ予知していません。この勅令の時、キリスト教がローマ帝国によって「公認される」という驚くべき出来事が起こったのです。ニカイア会議(325年)は、「この出来事」とも密接に関連しています。
アレイオスが、その三位一体観において「御子の御父への従位説」を唱えていた頃は、アレクサンドリアには、古代エジプト以来のイシス女神やオシリス神を祀る神殿が堂々と建っており、エフェソにはアルテミスの大神殿、アテネには美しい建築で知られるパルテノン神殿が聳え、コリントスの町中には、アポロンの神殿が壮麗な姿を見せており、町の西方のアクロポリスの山頂にはアプロディーテー(英語名ヴィーナス)の神殿がありました。ギリシアの聖地デルフォイの神殿では、巡礼者たちが列を作り、帝国の都ローマには、ユピテルやミネルヴァなど、神々の神殿が立ち並んでいました。エジプトはもとより、小アジアでも、ギリシアでも、ローマ半島でも、ガリア(現在のフランス)でも、遠いブリタニア(後のイングランド)にも、キリスト教の大聖堂などはどこにも見当たらず、ローマやその他の神々を祀る立派な神殿が聳えていました(エルサレムやコンスタンティノポリスやローマのヴァティカンに大聖堂が建てられるのは、ニカイア会議以後のことで、アレイオスの最晩年になります)。キリスト教が迫害されている頃、まだほとんどの人々は、ごく当然のこととして、それぞれの国や地域の神々を拝みながら生活していたのです。
そういう状況の中で、迫害にもめげることなく、知識人を含む大勢の人たちがキリスト教に「改宗」しますが、彼らが、先祖伝来の神々への信仰をあっさり「棄てた」と思い込むなら、それは謬りです。事はそれほど簡単ではないからです。パウロがエフェソで福音を伝えていた頃に、イエス・キリストの集会に所属する多くの信者たちは、異教からキリスト教に改宗したその後でも、まだ、多数の占いや魔術の巻物を自宅に「隠し持っていた?」ことが知られています(使徒言行録19章19節参照)。
だから、キリスト教の洗礼を受ける人たちが、今まで自分たちが信じていた神々と、イエス・キリストの神とは、いったいどのように関係する/しないのだろう?と、「考えなかった」と思うほうがおかしいのです。キリスト教に改宗しようとする人々のこういう疑問に応えて、先祖の神々と今自分が信じようとしているイエス・キリストの神との関わり方を聖書を通じて人々に分かりやすく、しかも論理的に、人々が慣れ親しんでいるギリシア哲学を用いて解き明かしてくれたのがオリゲネスであり、アレイオスです。
マルコ福音書やマタイ福音書など、共観福音書では、イエスは(旧約)聖書が伝える御父の神の御子でた神の息子」であることを人々は理解することができたのです。アレクサンドリアだけでなく、パレスチナから小アジア、ローマ半島からガリアとブリタニアに広がるキリスト教の諸教会では、新約聖書の伝えるイエス・キリストが、御父の御子として、最も確かに最も忠実に「従属している」ことを疑う者はいませんでした。
アレクサンドリアでは、すでにユダヤの思想家フィロンの教えも知られていましたから、オリゲネスもアレイオスも、他の主教や司祭たちも、アブラハムの神とは、どこまでも、人の想い、人のロゴス(理性/言葉)の届かないところにおられると考えていました。アレイオスは、パレスチナで、聖書の字義的な解釈を教え込まれていましたから、御子が御父から生まれた方として、御父に「従属する」ことは、ごく自然に理解できたのです。人々は、彼の教えを賞賛し、「当然のこと」として、彼の教えを受け容れていました。だから、アレイオスの教えでは、御父が御子に「従属する」から、その教えは謬りで、排除しなければならない異端である。こう聞かされた時、司祭たちを始め一般の信者たちは、「いったいなんのことだろう?」と、困惑したであろうことは間違いありません。わたしたちは、今、こういう「不思議で不可解な」一連の「正統化」への歩みに出逢っているのです。
■正統化への道
(1)ナザレのイエス様は、主の御霊の啓示に従って、その神性が、罪の赦しを伴う御臨在として働くことを証ししました。イエス様の言説は、当時のユダヤ教から見れば、異端として映るのは避けられません。しかし、イエス・キリストの福音が確立した新約聖書においては、昨日の「異端」が今日の「正統」となっています。新約聖書は、イエス様の啓示を、ユダヤ教の(旧約)聖書、とりわけ、第二イザヤの主の僕など、アブラハムからモーセを経て初期ユダヤ教にいたる一連のメシア預言の成就だと見ています。注意しなければならないことは、新約聖書の正統性が、この預言成就に負うところが大きいことです。受肉と復活と赦しの恩寵は、旧約聖書の証言無しには新約の正統とはなり得なかったのです。
(2)全く同様のことが、新約聖書の福音が、ギリシア・ローマのヘレニズム世界に伝えられる過程においても生じています。パウロの罪の赦しの恩寵論も、ヨハネ福音書の神の御子の受肉論も、ヘレニズムの異教の諸民族に受け容れられる過程で、ヘレニズム世界の知的な吟味を受けざるを得ませんでした。その結果が、エイレナイオスに見る「自然な人間に働く神の御霊による教育論」であり、オリゲネスやアレイオスの唱える理性的な洞察から生まれた御子の従位説(水垣訳)です(両者の従位説は同じではありませんが)。これらは、当時の地中海世界のキリスト教徒にとってみれば、知的な福音理解がもたらすごく自然な結果であり、これによって、新約聖書は、ギリシア・ローマ世界に広く受け容れられたのです。
(3)ところが、ヘレニズム世界の福音理解は、これだけでは、最終的な「正統性」に達することができませんでした。なぜなら、ヘレニズム世界全般で受容されギリシア化された福音理解は、改めて、新約聖書の伝える神の恩寵論と受肉と復活論の視点から再検討されなければならなかったからです。その結果、行き着いたのが、「三位一体」という正統性です。しかし、三位一体論は、新約聖書の使信が、ヘレニズム世界において知的に把握し直されたその結果として初めて、可能であったことを見落としてはなりません。「三位一体」という驚くべき緻密な論理は、ルターの言葉を借りれば、「数学的な厳密さ」を帯びています。それでいて、三位一体論は、新約聖書が伝える啓示の神秘性とみごとに調和しています。ここに初めて、キリスト教の「正統」が成立したのです。わたしたちは、この最終の成果をアウグスティヌスの恩寵と受肉論において見ることができます。だから、アウグスティヌスは、「受容と拒否」の論理に基づいて、改めて、アレイオスやオリゲネスを「異端」として、これらを厳しく排除することができたのです。福音は、このような過程を経ることによって初めて、完全にギリシア・ローマ世界に定着することができたのです。
【注】「受容と拒否」については、私市著『知恵の御霊』第四講「ヤハウェ化する御霊」の「受容と拒否」の項(43~44頁)を参照。
■異端化への道
ニカイア信条は、例えば、オリゲネスのような、緻密で優れた聖書解釈者による正しいキリスト教信仰を受け継いで、初めてできたものです。しかし、論争は、ニカイア会議以後も続いて、より厳密で「正確な」ものに作り上げられました。当然のことながら、その最終的な結果は、ニカイア以前の神学者の見解には観られない特徴を帯びています。だからと言って、この最終結論を、それ以前の神学者たちの信仰と諸説にあてはめて、最終の結果から逆にさかのぼるというやり方で、それ以前の諸説が、最終の結論とは「違っているから異端だ」と決めつけてはならないのです。
「正統性」という見地から見るならば、オリゲネスほど正統性を有する神学者はいません。彼ほどキリスト教の信仰に忠実な学者はいません〔英文Wikipedia: Origen Crisis〕。それなのに、オリゲネス以後の多くのオリゲネス批判者たちは、自説を認めさせようという野心からか、かつての先達への感謝とは裏腹に、オリゲネスの後継者たちの言葉をとりあげて、「オリゲネスよ、呪われよ」(アナセマ)を発したのです。だから、オリゲネスを異端視して、「呪われよ」(アナセマ)が適用されている文書からは、オリゲネスがほんとうに異端だったのかどうかを決めることは不可能です。オリゲネス異端説にもかかわらず、彼は、千年にわたって、教会の人々に愛され続け、キリスト教神学の中心的な一郭を占め続けてきたのです。彼は、言わば、聖書解釈の基礎を造った神学者です〔Encyclopaedia Britannica〕。