東方正教とパラマスの年表
313年:コンスタンティヌス帝のミラノの寛容令発布。
325年:ニカイア公教会会議→ニカイア信条。
337年:ローマ帝国の東コンスタンティウス二世/西コンスタンティヌス二世。
     東はアリウス派を支持。
     西はサルディカ会議でローマ主教がアタナシウスを無罪。
361年:アリウス論争第3期。カッパドキアの三教父
     バシレウス/ナジアンゾスのグレゴリオス/ニュッサのグレゴリオス。
     地中海全域はローマ帝国の支配下に。
381年:コンスタンティノポリスの公会議→ニカイア・コンスタンティノポリス信条。
383〜88年:ヒエロニムスとアウグスティヌス回心。
392年:皇帝テオドシウスによるキリスト教の国教化。
395年:皇帝テオドシウス没し、ローマ帝国は東西に二分。
     ギリシア西方(エーゲ海東部)を境界に。
430年頃よりヴァンダル族によるアフリカ征服とヒッポ攻略・
     同じ頃、アッティラによるフン族の西ローマ帝国への侵入。
440年:ローマ教皇レオ一世による教皇権と教皇領の主張→「主教」から「教皇」へ。
451年:カルケドン総会議→カルケドン信条。
476年:西ローマ帝国の滅亡とローマ教皇権の確立へ。
     バルカン半島とギリシアを境界に。     
527年:東ローマ皇帝ユスティヌス一世のビザンツ帝国の最盛期。
     現在のギリシア・トルコ・パレスチナ・ナイル側北部を中心に北アフリカ。
     現在のスペイン・イタリア・バルカン地帯はエイレナイオスの単性論。
580年:第三コンスタンティノポリス総会議→キリスト両性論勝利。単性論を処罰。
589年:トレド会議(複数回)→フィリオクェ採択。
611年:マホメットがメッカで宣教開始。
     東ローマ帝国の版図はトルコ・ギリシア東部・イタリア・カルタゴを含む
     狭い地中海沿岸地帯のみ。
668年:イスラム教のサラセン軍コンスタンティノポリス攻撃。
756年:ローマ教皇領(イタリア半島内部)の始まり。
東ローマ帝国はトルコとギリシア北東部のみ。
西キリスト教圏の版図は現在のイタリア・フランス・イギリス。
800年:カール大帝、ローマで、教皇レオ三世よりローマ皇帝の戴冠を受ける。   
846年:イスラムのサラセンによる東ローマ帝国攻撃。
     東ローマ帝国の版図はトルコとギリシアの最南部と北東部のみ。
867年:コンスタンティノポリス総会議→東西教会の分裂激化。
950年:この頃よりアトスの修道会が始まる。→ヘシュカスモスの始まり。
     ビザンツ帝国はトルコ・テサロニケ・ギリシア最南部・イタリア最南部。
988年:ロシアのウラジーミル一世が東方正教に改宗し、キエフ大主教座を設置。
     翌年、ギリシア正教を国教とする。
1028年:東ローマ正教圏はロシア・ギリシア・トルコのみ。
      西キリスト教圏は全ヨーロッパ。
      イタリア半島最南部は東ローマ領。
      イベリア半島南部はイスラム圏。、
1037年:セルジュク・トルコの成立→小アジアへのイスラムの脅威。
      この頃:イスラムによるエジプト、パレスチナ、シリアの征服。
      ドイツの神聖ローマ帝国とフランスの王国。
1054年:東西教会の最終分裂(相互破門)。
1071年:セルジュク・トルコによるアナトリア平原への侵攻。
      カッパドキアのイスラム化が始まる。
      東ローマ帝国はギリシアとトルコのみ。
1092年:トルコによるニカイア占領→東ローマ皇帝がローマ教皇に援助を依頼。
      ビザンツ帝国は現在のギリシア領のみ。
      後に現在のトルコ西部を奪回。
1203年:第四回十字軍。コンスタンティノポリスを占領。
      ラテン帝国を建設(1204年〜1261年)。
1205年:東ローマ帝国が、ラテン王国(ギリシア東部)と
      ニカイア帝国(トルコ西部)に分裂。
1261年:東ローマ皇帝ミカエル八世がコンスタンティノポリスを占領。
      パライオロゴス町による東ローマ帝国の再興。
1274年:ビザンツ帝国はギリシアとトルコ西部のみ。
      リヨン公会議で、ビザンツ帝国とローマ教皇との合同が話し合われた。
      オスマン帝国の脅威に曝されているビザンツ帝国に対して、ラテン側は「フ      ィリオクェ」を大合唱する。合同は、結果的にうやむやに終わる。
1296年:グレゴリオス・パラマス誕生(1359年没)。
1299年:オスマン・トルコ帝国の建設(1922年まで)。
1316年:ラテンの教皇と皇帝との争いが生じる→アヴィニョンで皇帝と教皇。
      パラマス、皇帝の誘いを受けず、アトスでの修道に入る。
      聖ヨハネ福音書の作者が彼に顕現する。
      アトスから離れて、グロシアの修道院で、ヘシュカスモスの修行に入る。
1326年:トルコの侵攻を逃れて、テサロニケへ避難する。
      5日間の説教と牧会。土日の祈りの修行。
      小さいながら修道者の共同体を形成。
1330年:聖グレゴオス・パラマスが、正教最大の「ヘシカスモス」の
      正統神学者と認められる。
1338年:『聖なるヘシキアストを擁護する三論』を著わす。
      ラテンの支持者ヴァーラームとの論争。
1341年:東ローマ皇帝ヨアンネス5世とアヴィニョン教皇クレメンス六世との
      ヘシカスモス会議。神は、タボル山でキリストに光となって顕現し、イエス・キリストの変貌によって、神の本性が啓示されたことを正式に認定される。
1347年:ゴレゴリオス、ソルネイア(テサロニケ)の総主教に任命される。
      ビザンツ帝国は現在のギリシア領(東北部アトスを除く)。
1390年:この頃から、アトスの修道僧がメテオラへ移住。
      ビザンツ帝国はギリシア北部(セルビア)のみ。
1453年:トルコ軍によるコンスタンティノポリスの占領。
      東ローマ帝国の滅亡。
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