(2)パウロの旅のコースについて
南北二つのガラテヤ説
ピシディアのアンティオキアから北西に80キロほどでフリギア地方です。そこから北東に進路を転じて山脈の麓を230キロ(?)ほどたどると、小アジアの中心にあるアンキュラ(現在のアンカラ)へ到着します。このコースは、「北ガラテヤ説」と呼ばれていますが、別にもう一つ、フリギアまで来た時に、御霊の導きを受けて西へ転じて、トロアスから海路でマケドニアに渡るという「南ガラテヤ説」があります〔新共同訳付属地図(1987年)〕〔フランシスコ会訳聖書使徒言行録地図(2013年)〕。
アンキュラは、ほんらいのガラテヤ人が住んでいた地域で、現在トルコの首都です。北ガラテヤ説では、パウロは暑い夏の間、比較的涼しいこの地で伝道し、そこから西のトロアスへ向かったと見るのです〔旧約新約聖書大事典付録地図Ⅱ(1989年)〕〔Litsa Hadjifoti. Saint
Paul:
His
Life
and
Work. Athens:Toubis(2004)25.〕〔『ネスレ新約聖書原典』(2013年)裏表紙地図〕など〕。
したがって、南北両説は、ほんらいガラテヤ人が住んでいた小アジアの中心にあたるアンキュラ地域を含むか、含まないかが最大の違いになります。ただし北説では、さらに第三回の旅行が、第一回と第二回のローマ区分による「ガラテヤ州」の南部を含む場合〔Hdjifoti. Saint
Paul.〕と含まない場合〔旧約新約聖書大事典〕〔『ネスレ新約聖書原典』〕とに分かれます。筆者(私市)は北ガラテヤのコースを採ることにしますが、第三回目の旅行では、パウロはおそらく、以前の南ガラテヤへは立ち寄らなかったのではないでしょうか?
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