(5)テサロニケとベレアへ
■テサロニケへ
 パウロとシラスとテモテの一行は、フィリピから、エグナティア街道を南西に70キロほど降ったところにあるアンフィポリスへ出ます。前5世紀のペロポネソス戦争で、スパルタ軍がここを占領してアテネをあわてさせたことにも、この地がアレクサンドロス軍の名将たちの出身地として知られていることにも、パウロには関心がなかったようです。彼は、ここを通り過ぎ、南下して、現在のボルベー湖に出ると、その南岸にあるアポロニアを通り抜け、ひたすらテサロニケを目指しました。理由は、そこに大勢のユダヤ人がいて、大きな会堂があるからです。現在のギリシアの詳細な地図には、カバラ(ネアポリス)からテサロニケまで直線距離で171キロとありますから、アンフィポリスからテサロニケまでの旅程は、150キロほどになるでしょうか。ユダヤ人たちの所へ急いだ理由はただ一つ、イエス・キリストの再臨が間近いからです。一刻も早く、できるだけ多くのユダヤ人に、メシアの再臨を告げ知らせなければならない。これがパウロの想いだったのです。
 アレクサンドロス大王の姉(?)の名にちなんだと言われる「テサロニケ」は、ローマ支配のマケドニア第一管区の主都で、人口およそ22万でした。バルカン半島とエーゲ海を結ぶこの要地は、東地中海への貿易のセンターでもあったから、ギリシアのパンテオン神、ヘレニズムのカルト宗教、皇帝崇拝、ケルトの神々など、宗教的にも多種多様でした。前1世紀以来、多くのユダヤ人がここに住み着いていたので、エフェソやコリント同様で、ここにも裕福なユダヤ人が大勢いたようです。港の近くには立派な会堂(シナゴーグ)があり、パウロたちは「三度の安息日」(使徒17章2節)にわたって、ここでイエス・キリストを証ししています。ほぼ1ヶ月は(実際はそれ以上か?)留まっていたわけです。
 一行の働きで、イエス・キリストをメシアと信じ、その再臨を待つユダヤ人たちも出ますが、パウロの伝えるイエス・キリストに惹かれたのは、むしろユダヤ教に関心を持つギリシア人たちで、しかも女性が大勢いたようです。これを快く思わないユダヤ人たちが、町のならず者どもをけしかけて、パウロたちが滞在していたヤソン(おそらくユダヤ人キリスト教徒)の家を襲わせる騒ぎになります。彼らは、パウロが「イエスという別のカエサルがいる」と触れ回っている、という理由をつけて、町の当局者に訴え出ますが、ピラトの場合とは異なって、この訴えは成功せず、ヤソンから保釈金を取った上、パウロたちは釈放されます。パウロたちの再臨信仰は、テサロニケの信者たちに多大の感化を及ぼし、強い霊感をもたらしたようです。後に、パウロは彼らに、「聖霊の火を消すことがないように」(第一テサロニケ5章19~20節)、また、終末を間近に控えて浮ついた生活をせず「落ち着いて自分の仕事に励む」ように諭しています(第一テサロニケ4章11節)。
■ベレアへ
 パウロたち一行は、テサロニケを密(ひそ)かに去り、ベレアへ向かいます。通常のコースだと、テサロニケの北西にあるペラを経由して、そこから西南のベレアに向かうから、距離にして80キロはあるでしょう。ベレアは、ローマの第三管区の首都で、そこにも裕福なユダヤ人たちの建てた会堂がありました。彼らは、「御言葉」すなわちパウロたちの伝えるイエス・キリストの復活と再臨信仰を受け容れて、熱心に「聖書を調べた」とあります(使徒17章11節以下)。その結果でしょうか、テサロニケから来たユダヤ人たちの妨害にもかかわらず、比較的上流の異邦人と女性たちを含む多数の人が信仰に入ったとあります。第三回旅行の帰りにパウロに同行することになるソパトロも、おそらくこの時期に入信したのでしょう(使徒20章4節)。艱難と勝利と比較的上流の異邦人キリスト教徒の男女、パウロの伝道活動のパターンが徐々に形成されていくのが見えてきます。ベレアのキリスト教徒たちの信仰は、それ以後も揺らぐことがなく、大小合わせて50もの教会が建てられ、「使徒パウロの演説」を記念する立派な石碑が今もあり、市の中心には、ギリシア正教の聖堂がそびえています〔Hadjifoti. Saint Paul. 84〕。
  シラスとテモテをマケドニアに残して、ここからは、パウロだけが、幾人かの信者に付き添われ、陸路を経てから、アテネへ航海します。二人を残したのは、彼らが「パウロの代理」だからです。だから、パウロの意識では、パウロ一人がアテネに居れば、「使徒パウロ」は、マケドニアとアテネ/コリントの二箇所に「同時に居る」ことになるのでしょう(コリントからの第一テサロニケ3章1節を参照)。ベレアから迂回して、沿岸のキュドナ港まで80キロはあるでしょう。フィリピでは投獄され、テサロニケとベレアではユダヤ人の反対に遭い(使徒17章)、パウロだけが、海路でギリシアの内陸に近いラミアの港へ着き、そこから陸路で、テーベを経てアテネに向かいます(現代のギリシアの地図ではテサロニケからアテネまで直線距離で510キロ)。そこで、シラスとテモテを待ち合わせて、マケドニアの状勢を把握してから、コリントへ向かう予定だったのでしょうか。
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