アレオパゴスでは、パウロがタルソで学んだ弁論術が、その威力を発揮します。彼は、「まだだれにも知られていない神」について語り、「探せば神はわたしたちから遠くない」(17章27節)と切り出してから、前6世紀頃のクレタ生まれの哲人エピメニデスの言葉「なぜなら我らは彼(神)のうちに生き、動き、存在する」を引用します。ギリシアの最高神の名前「ゼウス」がギリシア語の「ゾーエー」(命)につながるという掛け詞をパウロが知っていたかどうか分かりませんが、ストアの哲学者にはなじみのあるこの言い方で、パウロは、「わたしたちは皆、<神の御霊>のうちにあって活かされ動き存在できる」ことを告げようとするのです。「ゼウス」ではなく「生ける聖書の神」の御霊の働きを伝えようと、続けて彼は、かつてタルソで学んだキリキア生まれのギリシアの詩人アラトゥス(前4~3世紀)の『ファイノメナー(現象)』から引用します。「我らは(その神の)子孫である」。アラトゥスの汎神論をパウロの唯一神論と重ねながら語る彼の弁舌を哲人たちはじっと聴いています。その反応を見てとると、パウロは、ここぞと神への悔い改めを語りかけ、続いてイエスの復活を語り始めると、聴いていた哲学者たちの間にざわめきと笑いが起こり始めます。「官能的享楽主義」などと評されるエピクロス派と、「禁欲」で知られたストア派という異なる学派の混合ですが、どちらの目にも、パウロが言う「(イエスを)死者たちの中から<立ち上がらせる>神」という言い方は、彼らの目には、ヘレニズムの素朴な迷信としか映らなかったようです。パウロは、ここで、鞭打ちにもののしりにも遭いませんでしたが、笑いものにされます。口をつぐんだパウロを残して、アレオパゴスの哲人たちはその場を去っていき、パウロは、アテネに二度と足を踏み入れようとしなかったようです。それでも、御霊の働きのお陰でしょうか、ディオニシオとダマリスなど幾人かが信仰に導かれたとあります。現在そこには、アレオパゴスの跡はなく、
パウロの演説を刻んだ石碑だけが立っています。
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