福音の秘義を語る
      コイノニア京都集会(2021年3月27日)
■秘義を語る
 今回のコロサイ4章には、「神が御言葉のために門を開いてくださり、私たちがキリストの秘義を語ることができるように、またその語り方をお与えくださるよう祈ってください」(コロサイ4章3〜4節)とあります。
  私が、長年、イエス様の御霊の働く福音を語ってきて、ほんとうにうまく語ることができたと想ったことは、ほとんどありません。いつまで経っても、「ダメな」語り方ばかり繰り返してきました。内容がいくら善くても、語り方が悪ければ、効果は半減します。最近ようやく分かってきたことは、聖霊のお働きになる御言葉を語るには、「理論に頼ってはダメだ」ということです。自分を賢く見せようと、理論や知識をいくら並べても、イエス様の御霊は働きません。また、御霊の迫りに乗せられて、気負い込んでも、聞いている人には、なかなか通じません。むしろ、その逆で、自分がほんとうに体験したことを踏まえて、祈りによって御霊から与えられるままに、理論や知識を超えて、分かりやすく、心を込めて語ることが大事だと実感するようになりました。ゆっくりと注意深く、御霊に導かれるままに語る。歳のせいか、これが秘義を語る秘訣だと悟りました。穏やかに、人の心に響く語り方は、これしかありません。そもそも、語る福音の秘義は、人の頭で考えて理解できることではないからです。御霊の働く「秘義」は、人の頭で考える論理を超えた「霊智」で語る時に初めて、相手に伝わります。
■霊智と個人の自由
  三位一体神から発する霊智は、ナザレのイエス様という「個人」に宿りました。霊智が個人に働く時に初めて、「個人の自由」が生まれます。ところが、この霊智は「神秘」と結びつく霊智ですから、「霊智」は「未知」と表裏を成しています。人が「未知なること」に向かう場合に、その人に、霊智の働きによる「選びの自由」が生まれます。明日、太陽が東から昇るかどうか? これをわたしたちは選ぶことができません。選挙で決める必要もありません。「どうすればいいのか分からない」こと、そこにこそ、人の「選ぶ自由」が生じるからです。結婚・離婚や就職の時などの「選びの自由」もこれに入ります。御霊のお働きは、未だ答えの見いだせない「未知」の出来事に出逢う時に、そのほんとうの威力を発揮するのです。
 「選びの自由」は、同時にリスクを選ぶことです。だから、「選ばないリスク」も含めて、様々なリスクを計量して、その比率を判断する霊智の働きが必要になります。その上で、「選びの自由」は、これを選ぶ(選ばない)個人に、「実践する」ことを求めるのです。未知の出来事について「選ぶ」のは信仰が要ります。自分で選んだことを「実行する」時、あなたは初めて「自己」を見出します。あなたは、ほかの誰とも異なる「個人」になるからです。こういう選びを通じて、主イエス様からその個人に与えられる「使命」が生じます。「〜からの自由」(free from...)から「〜への自由」(free to...)へ、「〜しない自由」から「〜する自由」へと転じる時に初めて、御霊の働きで、その人の「個人の自由」が活かされるのです。その御霊にある自由から、その人独自の使命が生み出されるのです。この使命を悟ろうと霊想し霊操することを続けないならば、集会は、ただの習慣にすぎなくなり、礼拝も「暇(ひま)な時間」になります。私たち主にあるクリスチャン一人一人は、神から霊智が与えられていますから、そういう自分をはっきりと人々に証しすることができるようになります。未知の出来事へ向かう時に、信仰を持たない人にはできない判断でも、祈る人にはできるのです。だから、祝祷の祈りにあるとおりです。「願わくは、父なる神の御愛、御子イエス・キリストの御恵み、聖霊の親しき御交わり、私たちと共にありますように。アーメン。」
                 コロサイ人への手紙へ